魔導物語 約束 第七話 マリネとナイフと優しい女 二人は、周囲に注意を払いやすい別の部屋に移動して、暫しの休息を取っていた。 ラグナスは胸や腕の鎧を脱ぎ、怪我のひどい部分の治療を行っている。 その少し離れた場所、シェゾは、珍しく無防備に仰向けになっていた。 「シェゾ、おい」 ラグナスは、眠っている様な彼に声をかける。 「…あー…」 普段からして、やる気まんまんに生きているとは到底思えない彼だが、今の生返事はそれに拍車がかかっている。 「どうした? 敵の真っ只中だぞ、おい」 それでもシェゾは動こうとしない。 「…シェゾ?」 良く見ると、シェゾの額には汗が浮かんでいた。息が少し荒い。 「どうした?」 「ラグナス、お前、子供の自分と戦ったっつってたな」 「あ、ああ」 「どうだった?」 シェゾは目線でラグナスを見る。 「…いい気分じゃなかったぜ」 「他には?」 「いや、特に変わったことは…」 「体力とか、魔導力が必要以上に減ったって事もないか?」 「…ん?」 ラグナスはセルフチェックを繰り返す。 「そうだな、特には…。!?」 ラグナスが息を飲む。 「何?」 シェゾは、そんなラグナスを見てやれやれ、と言う顔をする。 「魔導力が…なんだ? この減少は…」 ラグナスがやや慌てる。 「やっぱお前、基本的には剣士だよな。肉体的チェックは忘れないのに、魔導力のチェックは忘れるのな」 「……」 ラグナスは返す言葉がない。 「シェゾ、お前もか?」 「…つうか、精気まで奪われたような気分だ」 ヒーリングにより、出血による体力の消耗こそ防いだが、それによる精神力の消耗が激しい。 まるで、タコが自分の足を食っているみたいだな…。 シェゾは唇をゆがめた。 「どうした?」 「タコは、マリネがいい」 「は?」 シェゾは、クッと笑う。 「大丈夫か? おい」 ラグナスは少々不安になった。 「さあな」 シェゾはトボけながらも、気力なく答えた。 「……」 ラグナスは改めて考える。 俺とシェゾのペアにしてこの不調…。 アゾルクラク。 やはり、一筋縄じゃいかせてくれない様だな…。 僅かな時間の後。 「ラグナス、行くぞ」 シェゾは体を起こし、そして立ち上がった。 「おい? 大丈夫か?」 「黙っている方が体に悪い」 「そうか」 ラグナスも立ち上がった。別段、深く気遣う事はしない。それを聞き入れる男でも、そんなやわな男でもないと分かっているのだ。 二人は、再び進み始める。 暗い空間。 そこは、地下だろうか。 それとも、光が入らないだけなのだろうか。 どちらにしても、よどんだ空気がいかにも肺に悪そうなその部屋の中央。 青く、冷たい光が輝いていた。 金属と木で作られたそれは錫杖。 そして、その頂には、光の元たる宝石、アゾルクラクが脈打つ様に青く輝いていた。 その錫杖が立て掛けられているのは、まさしく玉座。 壁を見れば絵画一つ無い、窓一つ無いこの部屋にして、その椅子だけは綻び、朽ち果てかけつつも尚、威厳を放って鎮座していた。 まるで、錫杖がその椅子に座っている様だった。 錫杖が、かたりと揺れた。 光が、やや忙しなく輝き始める。 アゾルクラクが、再び動き始めた。 「ところで」 ラグナスは、やや後ろを歩くシェゾに問う。 「…何だよ」 「あれは一体何だったんだ?」 あれとは、お互いの敵の事。 「ドッペルゲンガーじゃない。そもそも質が違う。俺は、子供の自分に会った。お前は、瓜二つの自分に会った。…一体、ここは何なんだ?」 「おそらく、アゾルクラクを操る者が居る」 ラグナスの問いは、シェゾの気を引くに十分だった。シェゾは、素直に問いに答える。 「それって、ここに人間が居るって事か?」 「アゾルクラクは人の欲望と相性がいい。純然とした精神体たる精霊云々より、様々な欲望が交錯し易い人の思念と相性がいい。でなきゃ、こんな芸当は出来ないだろう」 「なんか、今回ヤバげだな」 「いつもながらな」 そう言いつつも、二人は黙々と先へ進む。 恐怖に負ける事こそが最大の恐怖である。 それは、戦いにおける二人の共通事項であった。 「成長しろよ、人間…」 ラグナスは、乞う様な声で言う。 「お前の世界も、そうなのか?」 珍しく、人の事に質問してくる彼。 「…ああ、そうだったと、思う…。変わらないのさ。ヒトって奴はな…」 「そうだな。だが…」 「ああ、でも…」 二人は、顔を見合わせると微かに笑いあった。 「行こうぜ。シェゾ」 「ああ」 もう、この瞬間に二人の顔から緩んだ表情は消えている。 ここは、敵の腹の中なのだ。 「どーぞ」 「すいません」 ギルドの客室。 ブラックキキーモラが、依頼主であるルイ十八世にシナモンティーを出す。 「終わるの、多分二日三日かかるよ。ここで待っていても、退屈だよ」 「え、ええ。もう少ししたら、宿に戻ります。何か、待っていたいのです。すいません」 「いいけどね。立派なお客さんだし」 「…申し訳ありません。そ、それに…」 そこまで言って、ルイは窓の外を見た。 「…!」 「!」 ルイが目を見開いて驚き、ブラックは冷静に『それ』を分析した。 ガラスが一枚割れた。 突き破って踊り込んで来たのは、ナイフ。 「ふっ!」 ブラックは、モップを突き出した。 カッ。 渇いた木に、硬いものが突き刺さる音。 「ひ、ひえ…」 ルイは、神技を見たと思った。 一見、無造作に振り下ろしたように見えたそのモップには、ルイめがけて飛んできたナイフが綺麗に突き刺さっていた。 「…こ、これは…」 「わりとプロだね。一本でガラスを割って、もう一本で正確にあんたを狙った。しかも、このナイフなんか付いているよ」 モップに突き刺さった部分から、微かに色の変色が見てとれる。渇いた木が、やや黒く変色していた。 窓の下には、一本目のナイフが転がっている。 「…あ、ありがとうございま…」 「フザけているね」 機嫌悪そうな声でブラックは言う。 「え?」 「マスター。透波出して。バカが出たよ」 ブラックが声を上げる。 ドアの向こうから、おう、と声が聞こえた。 現場を見ずとも、何が起きたかは類推できるらしい。 「あ、あの…」 「ああ、ごめんね、ほったらかして。えーと、あんた、誰に狙われているの?」 「あ、はい。あの…恐らくは、私の行動を察知した…その、親族の、だれか、かと…」 情けなさそうに、ルイは言った。すんなり言うところを見ると、どうやら今までにもこう言う事はあったらしい。 「骨肉だねえ…」 「お、お恥ずかしい…」 「だから、帰りたくなかったわけだ」 「それも、ありました…。あの、すっぱとは?」 「詳しくは企業秘密だけどね。ま、ギルドって言うのは、一種の治外法権なんだ。だから、独自の対防衛、諜報組織も抱えてんの。そして、これが大事なんだけど、舐められるとダメなのよね」 「…つ、つまり?」 「今、外のバカは、『ギルド』に向かって攻撃したわけ。ギルドとしては、そんなバカ放ってはおかないんだな。ギルドに手を上げるとどうなるか、そんな事もわからずに攻撃するなんてよっぽどのバカか、どっち道後が無い奴のどちらかだね」 「……」 ルイは、今の刺客の運命が予想できた。 「ま、多分今の事は、あんたにとっても多少は身の安全に繋がると思うよ」 「は、はあ…」 安穏と生きてきたつもりは無い。 だが、実際生死の決定をこれ程までに目の当たりにして、ルイは改めて世の厳しさを知った気がした。 「まあ、俺もホントは慣れてないんだ。試合とかはいいけど、実際に命をかけるとか、奪うって言うのはね…」 ブラックは、珍しくあからさまに肩を落として言う。 正直言えば、そんな世界で働いて(バイトして)いる事も、そういう仕事を彼に押し付ける事になっている自分も、腹の底から納得している訳ではないのだ。 「…やっぱ、優しい女の方が、いいよねぇ…」 ブラックは、誰にも聞こえない様に、自分にだけ言い聞かせる様に言った。 |