魔導物語 約束 第六話 虚無なる瞬間 「!」 ラグナスは、一瞬城が揺れた様な錯覚を覚えた。 「…シェゾ、お前か」 ラグナスは一瞬の感覚を頼りに走った。 軋む体など何の関係もない。行かねばならない。 ラグナスがその感覚を感じたその僅か前。 シェゾと『シェゾ』は、鏡に向かうようにして歩いた。 そして、二人の間の空気が押し潰されたかの様に圧縮され、レンズの様に空間が歪む。 距離は、1メートルを切った。 瞬間。 二つの影は、交差する。 あまりの素早さに、二人がお互いの体を透き通ってしまった様に見えた。 空気だけが、物理的な加速のベクトルを受け継ぎ、その対の衝突は瞬間的にソニックブームとなる。 それは、二人が交差した空間に、鉄の扉を鋼のハンマーで思いっきり叩きつけた様な轟音を響かせた。 当の本人達は、瞬間的に三十メートルは離れて背を向け合っている。 どちらも一切体制を崩していない。まるで、最初からそこに立っていたかの様に。 だが、双璧を成す静だが、片や氷の如き静けさにして、片や内なる感情をはちきれんばかりに湧き上がらせている、と言った感じの破裂直前の緊張感的な静。 同じ静にして、それは対極であった。 シェゾは、舞う様にして振り向くと一瞬の停滞もなく突っ込んだ。 漆黒の鳥が羽ばたく。 闇の剣は、『闇の剣』と刃を合わせた。 垂直に交わったそれは、普通ならばパスタでも折るかの様にして折れてしまう筈だ。 だが、お互いの剣は刃こぼれ一つ起こさずに交わりあう。 「……」 『…死ね…。そして…』 「!」 『シェゾ』が、唸る様にして声を発した。 突如、シェゾは弾かれた様にして吹き飛んだ。 「く!」 無理矢理軌道を曲げて、壁の前ぎりぎりでシェゾは降り立った。 もう少しで、無防備に背中を壁に打ち付けるところだった。 地面に着けた靴が、十メートル近くも滑っている。こんな速度で壁にぶつかったら、それだけで致命傷になりかねなかっただろう。 魔導に拠る慣性制御を行って尚、この反動。 だが、シェゾは敵の底知れぬ力にむしろ興味すら覚えた。 どう言う事をするとこうなる? 面白い奴だ。 彼にとっては、生きるか死ぬかと言う危惧はあまり問題ではない様だ。 シェゾが、立ち上がる。 彼はゆっくりと剣を構えた。 斜に構え、下段に構えた剣は微動だにしない。 『シェゾ』が、躍りかかってきた。 『よこせ、その力…』 「!?」 シェゾは、そう言って迫り来る男に違和感を憶えた。 「…貴様」 シェゾは、急激に目の前の男から興味を失った。 替わりに噴き出すのは殺意。 純然たる殺意であった。 「お前が死ね」 闇の剣から、いや、シェゾから、漆黒の波動が湧き上がった。 吹き上がる闇の波動はシェゾの動きに合わせて残像を残す。 シェゾが剣を構えた時、それは丁度背中から巨大な黒い羽が生えた様に見えた。 闇の剣が、再び交わる。だが、今度は『闇の剣』が何の抵抗もなく刃を受け入れた。 水に剣を刺すかの様にすい、と剣は剣を通り抜け、そのまま持ち主までも大根の如く貫通してしまった。 正しく、水を切ったかの様にシェゾは『シェゾ』を貫いた。 そして彼は水の様に崩れ落ちる。 次の瞬間、分解したそれの細胞一つ一つが、膨らみきった風船が割れるかの様に瞬時に魔導力を吹きだし、無数に連続した白い爆炎となる。 まるで、部屋の中に太陽が現れたみたいだった。 「野郎!」 『シェゾ』の、イタチの最後っ屁に対してシェゾは忌々しそうに唸った。 部屋が一つ、光と共に球形に消滅する。 ラグナスが、何処かの通路で感じたのは、その瞬間の波動であった。 「……」 シェゾは、床に横臥している。そこは、戦っていたフロアの二つ下だった。 爆発によって床が消失した事による、極当然の結果だ。 落下による衝撃こそ最小限に押さえたが、濁流の如く押し寄せる波動は残念ながら防ぎきれなかった。 だが当然だ。 普通、太陽的なエネルギーを防ぐ事が出来る者など居ない。 それが、目の前で、しかも突如となれば尚更である。 シェゾとて人よりは遥かに勝っていると言うだけだ。バケモノではない。 「…くそ…」 右腕に、爆発の衝撃による裂傷が出来ていた。 骨は大丈夫だが、少し力が入らない。 「…ヒーリングするか」 めったに使わない回復魔法を彼は使う。 回復魔法は、魔導の中では上級魔導の部類に入る。 人体の回復力を高めると言う、肉体に直接作用する魔導は、発動自体も難しければその効果の安定も難しい。下手をすれば、体内で爆弾を爆発させかねないのだ。 これは、もとより魔導自体は破壊を目的としているからに他ならない。 他の世界はどうにせよ、人間界においては、発現当時より武器としての色合いが濃かったのだ。だから、回復や移動に関する非攻撃系魔導はそれらと比べて著しく未発達である。 よって、一般的にそれらは上級魔導であり、必然的に危険を伴うのだ。 だが、シェゾにしてそれは別段難しいものではない。 攻撃魔導と同じくらいに普通に扱える。 だが。 「…?」 珍しい事に、シェゾが詠唱に失敗した。不発だ。 「……」 もう一度、気合を入れてヒールを発動する。 今度は成功した。右腕に、熱い気が集中する。それは、一定の呼吸法を併用する事でより効果を発揮する。とある地方によってはチャクラと呼び、魔導とは区別している。 だが、それはどうでもいい事。 シェゾは、裂傷の出血が減少し、くすぐったいような感覚と共に細胞が活性化するのが分かった。 「…ェゾ! シェゾ!」 一つ上の階から、彼の声が聞こえてきた。 「どこだ! シェゾ!」 「ここだよ…」 シェゾとラグナスが再び合流したのは、それからすぐであった。 |