魔導物語 約束 第四話 嫌いな世界 ラグナスは不機嫌になっていた。 その体は切り傷と鮮血にまみれ、鎧まで血が流れている。剣を持つ手は血でべっとりし、嫌な感触にまみれていた。 既に乾き始めた血は赤黒く、グロテスクな色に変色している。黄金色の鎧との対比は、より一層その印象を深める。 ラグナスは剣を一振りし、刀身に纏わりつく血を掃った。それだけで、もう剣は一点の曇りも無く輝く。 「…ふう」 心底疲れきった溜息。 ラグナスは、無数の刀傷でえぐれている壁に背中を預け、ずるりと腰を落とす。天井を仰ぎ、そこでやっと緊張を解した。そして、しばしの休息を噛み締める。 二十分前。 追い掛けっこは突然終わった。 前を着かず離れずで走っていた子供のラグナスが、いきなりこちらに振り向くと同時に木刀を構えて襲い掛かってきたのだ。 「！」 それ、は単なる木刀だが、ラグナスは一瞬の危機感を逃さなかった。 「く！」 切っ先が鎧の胸部をかすった。 かすっただけだが、そこは勢い良く火花を散らし、あまつさえ鎧にはへこみどころか、削れ傷が付いていた。あと僅かで、鎧を貫通していただろう。 胸を逸らさなければ、肺にほころびが出来るところだった。 「…いい気分じゃないぜ」 ラグナスは滑る様にして距離を取りつつ、攻撃態勢を構える。 子供は尚もちゃんばらみたいに木刀を振り回している。だが、あきらかに軌道が変わっている。一振りごとに、その軌道は的確にラグナスを捉え始めている。 「……」 ラグナスには分かる。太刀筋は既に大人のもの、いや、ベテランと言ってよかった。 光の剣を抜く。 剣と木刀の軌跡が交差したのはその直後だった。 「くお！」 ラグナスが押された。 それは、木刀とは見た目ばかりだった。 刃も無いと言うのにラグナスの剣がわずかに欠け、その衝撃はまるで鋼の棍棒で叩きつけた様だった。 「！」 受けきれない。 ラグナスは直感して跳び、受身を取る。 左手と両足で、タイル張りの廊下を後ろ向きに七メートルはずり下がった。 三点で支えたと言うのに、それでも勢いを殺せない。 「…なんだ？ あいつは…」 その姿は自分。その力も、太刀筋も、憶え自体はある。 だが、どうしてもそうとは思いたくなかった。その行動が、意志が読めない。 あれは、俺なのか？ 答は、剣と木刀が散らす火花だけが知っている。 「く！」 ラグナスは無駄の無い直線的な動きで距離を離し、迷わず奥義を放った。 メガレイブ。 それは邪を打ち破る光。絶対正義の代名詞と自負するそれである。 だから、相手もメガレイブを放つなどとは、微塵も思ってはいなかった。 同時刻。 「……」 シェゾはさっきから指一本動かしてはいなかった。 天も地も定かでないこの世界、シェゾは仁王立ちで瞳を閉じつづけている。 普通なら、外の情報を遮断するそれひとつで自分を確立できるが、この世界はそんなものでは済まない。 瞳を閉じたが最後、その白の世界に飲み込まれてしまい、瞬時に自分の存在を失ってしまうだろう。 文字通り、瞳を閉じるようにして、その存在が消えてしまう。 ここはそういう世界だった。 だが、シェゾは既に十分以上この姿勢を崩さず、そこに存在し続ける。 常人ならば、瞳を閉じた瞬間、いや、閉じずとも、瞬きしただけで例外なく白の世界に掻き消えてしまうであろうこの世界で。 すう、と深呼吸の音。 「…こい…」 シェゾは右手を上げる。開いた右手。その指を、ピアノを弾くかの様に小指からゆっくりと握ってゆく。 五本の指を閉じたとき、その手の中には闇の剣が鎮座していた。 爆発したような白さの中にあって、揺らぎ一つ無い漆黒の輪郭をかたどる男。 彼はやっと行動を開始した。 爆炎が、冗談みたいに膨らんだ。 衝撃は物理的であっても、その発生の源は魔導。二つのメガレイブはお互いのエネルギーを吸収しあい、その名の通り爆発的に威力を高めた。 「うお！」 それでも声を上げられたのは流石。 普通なら、声を上げる前に気絶するか、あるいは死んでいる。 はっきりとした意識を持ち、ラグナスは何が起きたのかを理解した。 「む！」 ラグナスは、羽を広げるみたいな姿勢をとって着地に備える。まだ、吹き飛ばされた体は地面に出会っていない。 それどころか、爆炎に視界を遮られて未だに周囲の状況を把握出来ていないのだ。 ただ、落下している。それだけは理解出来たのが幸いだった。 爆発は岩のような衝撃となってラグナスを襲っていた。かまいたち、物理的な熱、衝撃が彼を打ちのめす。 「……」 だが、それでも尚、悲鳴をあげる体を無視して全神経を集中する。 終わっている訳が無いのだから。 かくして、煙の向こうから閃光が飛んできた。 「む！」 ブーメランの様に飛んできた木刀は、剣に弾かれる。 乾いた音が甲高く響いた。 見た目は木刀だが、鋼よりも硬いかも知れない。 何をどう制御するとそうなるのか分からないが、木刀は軌道を修正してなおラグナスに襲いかかる。 「誰が二度も！」 刃も無いくせに鋭い木刀、さんざんラグナスの鎧に傷をつけた木刀は、今こそ彼の一刀で真っ二つに割れ落ちた。 木製の筈なのに、ガラスの様に粉々に砕け散る。 「……」 彼はそれでも気を緩めない。 そして、それは正しかった。 爆炎の中から、火達磨となった『それ』は襲い掛かってきた。 声にならぬ声を発っし、手だか火柱だか分からぬものを突き立てて襲い来る。 「…やっぱり、『俺の』炎には耐え切れなかったな」 ラグナスは落ち着いて対処した。 落下しつづける不安定な体にして一切のぶれも無く剣を構え、炎の塊を一閃で真っ二つに割る。 その瞬間、もう『それ』は単なる燃えカスとなって四散した。 そして、爆炎も霧のように消え始める。 「！」 ラグナスは、重力を感じた。 「うおっ！」 感覚としては認識出来たが、打ちのめされた体が対応しきれなかった。 突如体の下に現れた地面に、ラグナスはしこたま背中を打つ。 本能的に受身を取ったお陰で頭こそ無事だったが、暫く息が出来なかった。 「…あつ…。酷いな…」 ラグナスはゆっくりと壁に背を預け、空気をむさぼる。 酷い目にあった。 だが、思いっきり戦えて満足した。 そう、思った自分がいる。 そんな自分が、戦士であると言う誇りを感じると共に、争いを楽しんだ嫌な自分だと言う引け目にも思えた。 光の剣だけはラグナスを無償で称えるかの様に輝く。 ラグナスはそんな剣を鞘に仕舞った。 「…お前は、いつもどんな気持ちで戦っている？ どんな思いで、斬っているんだ…？」 ラグナスは、どこかで戦っているであろう、ひねくれた相棒の事を考えた。 |