第二十一話 Top エピローグ


魔導物語 闇に生きると言うこと 第二部  最終話



 空気は静かだった。
 湖面は波紋一つ無く静まりかえり、風もほんの微風。
 照りつける太陽が熱い。
 シェゾは大幅に増強された治癒魔導で足の傷等目立つ部分を治し、静かに待っていた。
 不意に、空を見上げる。
 来たか。
 シェゾは呟く。
 だが、待っていたのはキャナではなかった。
 空間に水をかき回した様な歪みが生まれ、そこからいきなり三つの真っ白な炎の玉がシェゾ目掛けて飛来する。
 瞬きする間もなく地面に到達したそれは一発ごとに爆発を起こし、三つの火球は連鎖反応でその威力を高めつつ大爆発した。
「なな、何っ!?」
 水中に振動が伝わる。
 城まであと二百メートルという所で、キャナは後ろを振り向いた。
 行った方が良いのだろうか。
 いや、行ったら危険、と言うか足手まといになるだろう。
 言われた事をやった方がよいのか。
 だが、彼の助けになれないか。
 キャナは突然の出来事に混乱する。
 やはり彼の元に行こう。
 そう思った時、周囲に何か不定型な揺らぎが発生する。
「…え?」
 キャナは蒼白となり前後左右を見渡す。周囲がぼんやりと濁って見える。
 自分の体が何かに包まれている。
「う…きゃあぁっ!」
 自分が今どうなっているのかを知り、キャナは悲鳴を上げた。
 自分がいる場所。それは、いつの間にか現れ、キャナをすっぽりと包み込んだ巨大なクラゲの中だった。
「こんな場所に何処の雑魚が居るのか知らんが…」
 フリムニールは汚らわしい、とばかりにローブを肩に回し、白銀の鎧を太陽の下に晒す。
 光線を反射したそれは神々しいという言葉以外に形容のしようが無かった。
「レギン様が、更に完成形に近づいたスティールマナをお使い下さり、そしてその力を持って魔界に劣悪なる初期のスティールマナを撒けば、悪魔共の損害は想像も出来ぬものとなる。そこを一気に戦闘天使大隊がラグナロクの名の下に聖戦をおこせば魔界は消滅。これを知れば天の父とて、我が命をかけた無償の愛たる忠誠をお知り下さるだろう」
「ずいぶん強引な手段に出たもんだ。窮鼠猫を噛む、って感じか」
 フリムニールが足を地につけた時、声が聞こえた。
 その声はいまだ土煙のあがるその中から聞こえる。
「生きていたか。何とも無礼な物言いだ。しかし、魔界のゴキブリは生命力が強い」
 一瞬の停滞の後、無言の怒気が風を起こし、煙を吹き飛ばす。
「ほう」
 フリムニールは一応感心した様な声で笑う。
「貴様もスティールマナに犯されているか。哀れよのう」
「鏡見ながら言ってみろ」
 土煙の中、先程立っていた場所から一歩も動かずに居たシェゾが、仁王立ちでフリムニールを睨み付けていた。
「粋がるのは良いがお前に構っている暇はない。スティールマナに蝕まれ、命尽きるまでくらいの寿命は大切にしておけ」
 どけ、と言う意味だろうか。
 シェゾは闇の剣を構えた。
「面倒をかけさせるな」
 フリムニールは細身の剣を鞘から抜きざま、剣を振る動作で衝撃波を起こす。
 一瞬竜巻が起きたかと言う様な突風が巻き起こり、それはシェゾを虫の様に吹き飛ばす。筈だった。
 それとは真逆にシェゾは真空波の如き殺傷力を持つ突風の中を突っ切り、それこそ風の様にフリムニールに迫る。
 それに気づき、剣を構えようとするがシェゾの刃は早い。
 剣が剣を止めるより早く、闇の剣がフリムニールの鎧の右肩を裂き、白い鎧とマントの様にめくり上げたローブを赤く染めた。
 痛みと、今起きた事実が信じられず一瞬躊躇するが、再びの攻撃を背後から感じ、瞬時に振り向き、刃と刃を合わせる。シェゾはそのまま剣を押し進め、フリムニールは自分が押されていると認めるのに少し掛かった。
 ばかな、と叫び、フリムニールは無理矢理刃を弾き、一旦後ろに下がる。
 シェゾは剣を一振りし、再び構えた。
「貴様…ただの悪魔ではない。上級悪魔…いや、それ以上か? だが、例え魔王クラスだろうとこの私が…」
「ぶつぶつ言っている暇があるのかよ」
 シェゾが再び黒鳥の様なシルエットでマントを広げて襲いかかる。
 二つの刃は、目も眩む程の火花を散らしながら無数にぶつかり合った。
 私はこれをレギン様に届けねばならぬ。
 こんなところで足止めを喰らっていては、流石にいつかはあの結界も破られよう。
 そうすれば、大天使に事が知れ渡る。
 事が解れば頭の固い大天使の事、必ず止める事だろう。
 その前に、実行しなければならない。
「うぉおぉぉっ!」
 フリムニールはそれまでの剣戟とは全く異なる荒々しい動きで一瞬シェゾを圧倒する。
 隙を見てフリムニールは距離をとり、忌々しげにシェゾを見た。
 今、私に余計な時間はない。
 これを使うしかない。
 レギン様には…。
 フリムニールは浅めの呼吸を二度、三度と行い、左手に青い光の玉を生み出した。
「それは」
 シェゾが、玉から発生する波動には身に覚えがある事を確認し、再び斬りかかろうとする。
 だが、渾身の力で繰り出した壁状の障壁に足止めを喰らい、その隙にフリムニールは青い玉を自分の体に埋め込む。
 その瞬間、シェゾの体が木の葉の様に宙を飛んだ。
 一瞬で自分の体が百メートル以上も浮き上がる。
 回転を制御し、視界を敵が居た方向に定めたその時、目の前に剣が迫っていた。
 シェゾは身をひねりながら闇の剣で刃をいなし、自分の力で宙に浮く。
 どのような力で打ち込んだのか。
 両腕が軽く痺れている。
 単純な力でこれかよ。
 シェゾは目の前で異様な眼光を放つ男を見て呟いた。
「去ね。貴様に構っている暇はないと言った」
「俺はお前をぶっ飛ばす為にこうして来たんだよ。それを持っているってことは、お前が黒幕だな」
「糞生意気な小僧がぁっ!」
 今までの落ち着いた物言いから一変したそれ。
 同時に、フリムニールはシェゾに襲いかかる。
 刃が上段から脳天に向けて振り下ろされるが、その攻撃は最早剣の攻撃ではない。
 魔法が剣に纏われ、剣の長さは数倍にも伸びる。
 眩い光りを纏った刃は鞭の様に撓いながらシェゾを襲う。
 対してシェゾも闇の剣に青黒い炎を纏っていた。
 長さはさほど伸びぬが、見るからに大きくなっている闇の剣は白い光と接触する毎に激しい火花を散らす。
 甲高い衝撃音は絶え間なく空気を揺らし、百メートル下の水面をも衝撃波で波打たせていた。
「…な、なに? なにが起きているの…?」
 クラゲに取り込まれたままのキャナが重く響く水のうねりに怯える。
 なんとか脱出しないと。
 滅多に使った事は無いが、メロウなりの攻撃魔導は持っている。
 幸い取り込まれているとはいえ水の中。
 一応必殺の技、尾びれに魔導を集中して、数トンの波を起こすスプラッシュを思い切り繰り出せば、クラゲの皮膚を破れるかもしれない。
「よぉし…」
 気を溜め始めたその時。
 やめておけ。
 頭の中に声が聞こえた。
「え?」
 そこが一番安全だ。
「え? え?」
 キャナは周囲を見渡す。
 ここで黙っていろ。
 気配も何もないが、頭の中から何かが消失した。
「…このクラゲ、守っている…?」
 キャナは、そう言えば毒も消化液も何もないこの空間を見回す。
「…あたし、結局外野?」
 良くわからないが助けられているらしい。
 感謝こそしていたが、戦力外通知はやはり彼女の性格からして不満は不満だった。
 出てきたらお終いなのだ!
 フリムニールの剣戟は鬼気迫る物だった。
「どけぇぇっ!」
「ぐおっ!」
 元の戦士としての腕、最新のスティールマナの力、そして何よりあせりからくる底力が一時、シェゾを上回った。
 己が体に炎を纏い、体当たりでシェゾに襲いかかる。
 突き出した闇の剣の切っ先が気の圧力でぶれ、それを押しのけた剣の切っ先がシェゾの腹に突き刺さる。
 たまらず体制を崩したシェゾを、フリムニールが灼熱の体当たりで吹き飛ばす。
 湖面に数十メートルもの高さの水柱があがる。
 キャナは今までで一番大きな衝撃に身を竦めた。
「シェゾ?」
 飛び出したい。
 だが、シェゾの邪魔をしたくない。
 胸がかきむしられる思いでキャナは唇を噛む。
「さぁ、今こそそのような醜い悪魔の皮など脱ぎ捨て、元の姿にお戻り下さい! そしてこの私ごと新しいスティールマナをお受け取りになり、その力で魔界に劣悪なるスティールマナを蔓延させてください!」
 フリムニールは勝ち誇った様に両手を上げ、水中の城に向かって叫ぶ。
「どうされた? レギン様! もう、醜き外道のベールゼブブの真似事などよろしいのですぞ! 今こそ動かれる時! 結果さえお見せすれば、天の父も天界も未来永劫我らの業績を讃えましょう!」
 その声に呼応するかの様に城の上部が爆発し、吹き飛んだ。
 フリムニールはおお、と歓喜の声を上げるが、すぐに驚愕の顔に変わる。
 自分がレギン様と呼んでいた者。
 それが、巨大な鎌に胸を貫かれた姿で浮かんできたのだ。
 鎌の先には片手でその肉塊を持ち上げている男が居る。
 タイトな黒革とマントに身を包んだ黒髪の男。
「貴様!」
 フリムニールは叫ぶ。
「外道で醜くて悪かったな」
 自分と偽り、成り代わっていたレギンと呼ばれていた者を串刺しにしたままで浮き上がってきた男。
 ベールゼブブだった。
「ベールゼブブ様。無事お戻りに為られたようですな」
 わななくフリムニールも無視し、もう一人の男が側に姿を現した。
「アガリアレプト。世話になったな。お陰で無限回廊から抜け出せた」
「お礼は、サタン様に」
「…今回は借りだな」
 ベールゼブブは、不満そうにレギンを鎌ごと地面に放り捨てた。
 それを湖畔から見ている男が居た。
 片腕となった狼の顔を持つ悪魔、マルコキアスである。
「なんでぇ、奴、とっつかまって今までもがいていたって訳かよ」
 気が抜けた、と腰を下ろす。
「んじゃ、せめて事の顛末を見守らせてもらうとするか」
 その側に、ぷかりと一人の女が顔を出す。
「…クラゲ、消えちゃった」
「おう」
 声をかけられた方を見てキャナはひっと悲鳴をあげる。
 魔王が目の前にいる。
 大抵の事には驚かなくなったつもりだが、実際目の前に見ると体が対応できない。
「確かアガリアレプトが守っていた女だな。いい所に来たぜ。これから巫山戯た見せ物のクライマックスだぜ」
「…守る? アガリアレプト様?」
 キャナの顔から血の気が引く。
 さっきのクラゲ。
 あれはまさか、魔王の中でもトップクラスの上級悪魔、アガリアレプト様のご加護だった?
 硬直して思考が止まったキャナを見て、マルコキアスはふんと鼻を鳴らしてから視線を空に戻す。
「ほれ、天界からの客も到着だ」
 マルコキアスが見た先に、四人の人影が揺らぎの中から現れる。
 時の女神、ラグナス、そしてアルルとウイッチである。
 アルルとウイッチは、ラグナスにしがみつき、声も出せずに震えている。
 魔界、しかも四大実力者が目の前にいる。
 そして何よりこの戦場を縦横無尽に駆けめぐる身を切り裂きそうな程の闘気を、スティールマナに犯された体は敏感すぎる程に感じるのだ。
「フリムニール。もうおやめなさい。全ては露呈しました。今こそ言いますが、今回の件は魔界と天界の関係に致命的な亀裂が入る事を避ける為、天使長達とサタン殿も秘密裏に協調されていたのですよ」
「んだと?」
 マルコキアスは驚く。
「だからアガリアレプトとかも妙に丸かったのかよ…ったく、俺には話さなかったくせに…」
「魔界と天界が…協調…」
 耳を疑うその言葉にキャナは気が遠くなる。
「天使長が…つまりは天の父も…」
 フリムニールは、内通者程度は居るとは思っていたが、そこまでとは思わなかった。
「天の父も、天使長達も悲しんでいます。今なら、まだあなたの罪は…」
「罪だと?」
 フリムニールは目を剥いて叫んだ。
「罪だと? 罪? 罪と言ったか? 誰のだ? 私の罪だと言うのか? 私は魔界のくず共を、魔界という塵溜めを、醜き悪魔どもを一掃しようとしていたのだ! なぜそれが解らぬ!」
 泡を吹きながら、半ば狂った様に叫ぶ。
 ベールゼブブ、マルコキアスはこの野郎、と言う顔で青筋を立てていた。
「貴様が一番醜いんだよ!」
 まくし立てていたフリムニールが、その激しい怒気を含んだ声に押し黙った。
「シェゾっ!」
 キャナが叫ぶ。
 一寸遅れて声が届いたアルルとウイッチは、その姿と声を確認した。
 途端、止めどなく涙があふれ出し、二人は堪らずラグナスの腕を離れて地面に降りる。
 フライの魔導で落下する二人とフリムニールの間には百メートル以上の間があるが、手持ちぶさたになったラグナスはどこかつまらなそうな顔で、降りる二人の前に立ちはだかり、万が一の事が無いようエスコートする。
 三人の視線は一点に集中していた。
 腰まで水に浸かった状態で湖に立つシェゾに。
 キャナが水面から、アルルとウイッチが地面を走りそれぞれ近づく。
 だが、おおよそ十メートルまで近づいた所で三人は足を止めた。
 いや、止まったのだ。
 逢いたくて仕方なかった本人が放つ闘気が、三人の足を止めた。
 今すぐ飛びつきたいと心は叫んでいる。
 だが、これ以上近寄るなと本能も叫んでいる。
 三人はどうしようもなく、凍り付いたようにその場に立ちつくしながら泣く。
 シェゾはそれぞれの顔を見回し、その表情に何か自分が悪い事をしたような気になったのが不本意だった。
 つうか、アルルとウイッチがなんでここに居る?
 そんな、当然の疑問も沸く。が、今はその時ではない。
「悪い。ちっとやる事がある」
 シェゾは三人に離れろ、と目配せして空に飛んだ。
 不意に、その横にサタンが現れ、二人は併走する。
「良くやったな」
「……」
 面倒な事させやがって、とシェゾはサタンを睨む。
「そう怖い顔をするな。ほれ、おかげで多分、二度と見られない絵が見られるぞ」
 サタンは顔を上げて促す。
 視線の先の空から、急に太陽が生まれたかのような眩い光が生まれた。
「こ、この光は!?」
 フリムニールが声を上げた。
「残念だ。フリムニール」
「ミカエル様!」
 光の向こうに四枚の羽根を背負った男の姿見えた。
「成る程な」
 魔界に天使と悪魔が、しかも四大実力者が二人と大天使の一人までもがその場に存在する。
 確かに、二度と拝めぬ光景だった。
「だが、これから俺がやる事を止めはしないだろうな」
「私は無駄な事はしない」
「あっちにも言っておけ」
「向こうも解っているさ。流石に今回は向こうに非があるのでな」
 どことなく満足げな表情のサタン。
 やはり天界に貸しを作るのは気分がいいらしい。
 フリムニールは顔面蒼白だった。
 勝てば官軍とばかりに頼みの綱としていたベールゼブブの替え玉レギンは、戻れるはずのない次元回廊から帰還したベールゼブブ自身に倒され、全ての事の顛末は悪魔、天使両陣営の眼前でさらけ出された。
 天界の連中がどうなっているかは、想像するまでもないだろう。
「何故だ! 何故、こうも簡単にこの場に集まれる!? ここは魔界だ! 天界の連中は言うに及ばず! 魔界の連中とて、敵対関係の者ならば易々とは入る事許されぬ場所だ! なぜ、こうも易々とお前らはここに集まったのだ!?」
 取り乱すフリムニール。
 その眼前、二十メートル程前にシェゾが立つ。
「悪魔だってなぁ」
 フリムニールは音の出そうな勢いでその顔をシェゾに向ける。
「友達が死んだら泣くし、悔しがるんだよ」
 闇の剣がシェゾの手で二回、三回と大きく八の字に振られる。
 フリムニールは憎悪の炎を瞳にモヤシながら、剣を構えた。
「貴様だ…。貴様がこそこそ動き回り、計画を乱したのだな…。この犬めが…」
「その気はないが、お前よりは信頼があるぜ。ただの人間が、偉い偉い天使様よりもな」
 シェゾは右手で来い、と軽く挑発する。
 フリムニールは大砲の弾の様に飛びだし、その剣に光の刃を纏わせる。
 剣は一気に十メートル近くも伸び、シェゾの脳天を狙って豪速で振り下ろす。
 対してシェゾは先程の様に切り結ぶかと思いきや紙一重で剣を交わすと、がむしゃらとも言える太刀筋を蝶の様な動きで交わし、すれ違いざまにフリムニールの顎を左肘で思い切り殴打する。
 脳天がでんぐり返り、フリムニールは地上に向かって落下する。
 シェゾはここで始めて魔導発動の準備を始めた。
 瞬間、周囲の空気が圧倒的な気の膨張に晒され、その雄々しさ、禍々しさで恐怖に凍り付く。
 サタンがマルコキアスに気で伝令を送る。
 マルコキアスは仕方ない、と素早く立ち上がり、気に晒され固まっているアルル達を荷物みたいに拾い上げて素早くその場を離れた。
 ラグナス達、そしてベールゼブブ達も同様。
 天使ばかり為らず、悪魔も身を引く魔導。
 空気すら恐怖で凍り付かせる魔導。
 それは何か。
 地面に激突したフリムニールは、劇的な痛みと肌に突き刺さる気の膨張で目が覚めた。
 気の膨張は言わずもがなシェゾの気。
 劇的な痛み。
 それは、地面に転がるレギンの胸から生えた鎌に、自分が貫かれた痛みだった。
 シェゾから自分に向かい、氷の針の様な鋭く、冷たい気が降り注ぐ。
 だが、先程までのシェゾから感じていた感覚とは何かが違う。
「まさ、まさか貴様! スティールマナの力を払拭!?」
 それは純粋な闇の波動。
 自分と同じように感じていた波動は消え去っていた。
「ほう、流石だ。とうとう自分の体の中でアンチマナを生み出しおった」
 サタンが感心した、と言う顔で言う。
 スティールマナにより数倍化している魔導力、身体能力だと言うのに、フリムニールの体は首一つ動かせない。
 理由は力ではなかった。

 恐怖だ。

 空に立つ男。
 たかが人間一人が、あまりにも恐ろしい存在に思え、体が動かなかった。
「お前は…そうか、お前は、闇の…」
 蚊の鳴く様なか細い声は一体誰の耳に届いただろう。
 シェゾはごく普通に落下を始めた。
 闇の剣を上段に構え、一直線に落下する。
「目ぇ開けるな。つぶれるぞ」
 マルコキアスは、自分は爛々とその光景を見詰め続けながら、二人の頭をぐい、と下げさせる。
 フリムニールは迫り来る鬼を見た。
 闇の剣が着地と同時に振り下ろされる。
 瞬間、周囲は音を失い、真っ白な世界となる。
 例え様のない轟音が響いた筈。
 だが、音を感じる事が出来ない。
 ただただ、周囲の者が感じたのは光。
 焼き付きを通り越して、目を焼き焦がすかと思われる程の光が山肌を焦がし、割り、植物を蒸発させた。
 そして、何分経っただろう。
 頭痛すら覚える強烈な光の衝撃が消えた頃、アルルとウイッチ、キャナはしがみついていたマルコキアスから、おそるおそる顔を上げた。
 三人は絶句する。
 あの時、この悪魔に連れられて三百メートルは離れた。
 だが、それでも爆発でえぐり取られたクレーターの縁は、獣数メートルまで近づいていたのだ。
 この悪魔が守ってくれなければ、生きては居なかっただろう。
「アレイヤード。始めて見た」
 空のミカエルが、珍しく感情を含む声で呟いた。
 そこへ、サタンが側に立つ。
「ミカエル、魔界の後始末はやってやろう。いいな」
「借り、か。いいだろう。今回は申し開き出来ぬからな」
「うむ」
 サタンは満足げに腕を組んだ。
 言葉を忘れていたかの様に呆然としていたアルルが呟く。
「…シェゾは?」
 二人も目が覚めた様にはっとしてクレーターの中心を見た。
 二百メートル近く遠い中心部分。
 そこに、真っ黒な男が立っていた。

 瞳を閉じて仁王立ちするシェゾ。
 その頭の中に声が響いた。
−ご苦労様です。流石は我が愛しの後継者。
 背筋が寒くなる事言うな。
−本音ですよ。あなたならこの試練を乗り切り、そして成長すると信じていました。
 この巫山戯た事件を、試練って言うのか?
−そうです。闇の魔導士はありとあらゆる事象を利用して強くならなければ為りません。
 別に、ここまでして修行する気は無い。
−残念ながらあなたが望まなくてもその機会はあちらから尻尾を振ってやってくるのです。闇の魔導士はそう言う存在です。
 …辞めたくなってきた。
−今回あなたはスティールマナという邪道の力をも克服しました。他の力を吸収、我が者とする為にあらゆるエネルギーを体内で再構成する事が、ただ一人許される存在である闇の魔導士として、この成長は今回一番の収穫と言えましょう。
 無理矢理やったからすっげぇ気持ちが悪いんだがな。
−普通は死んでますよ。ですが、あなたなら当然といえば当然です。
 何故だ。
−実はね、天界の連中が見つけたスティールマナの大本の物質、あれって、私が造って捨てたものなんです。
 …何て言った?
−おっと、捨てたと言ってもきちんと封印しておいたんですよ。それを天界の連中が何かしらの情報で存在を知って、盗み出したんです。私のとは知らずにね。
 ……。
−ふふ、言わぬが花ですよ。
 恥ずかしくて言えるか。
−ですが、今回の様な事は、それを抜きにしても、決して偶然でも無ければ策略によって引き込まれた訳でもありません。覚えておいて下さい。あなたは、これからもこういった面倒に、巻き込まれるでしょう。でも、修行と思えばある意味幸運ですよ。闇に生きるとは、こういう事なのです。
 …とりあえず、俺はこれから寝るぞ。
−結構ですが、寝られますか?
 ん?
−あなたの子猫達が走ってきましたよ。
 シェゾは振り向く。

「シェゾっ!」
 何度も何度も転びそうになりながら、三人が走って来るのが見えた。
「……」
 シェゾは視界が暗転するのと三人が追いつくのはどちらが先だろう、と考えながらゆっくりと倒れ始めた。


  闇に生きるという事2 完




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