魔導物語 闇に生きると言うこと 第二部 エピローグ その後、魔界と天界では暫くの間、騒がしい時が続いた。 残ったスティールマナが膨大な為、除去作業に時間が掛かった為だ。 だが、幸いアンチスティールマナとでも言うべきマナの生成はシェゾが生み出した抗体のお陰で予想より早く進み、程なくスティールマナは完全に絶滅する。 時の女神とミカエルが詫びる姿など、今後見る事は出来まい、とサタンは上機嫌だった。 ベールゼブブも自分を陥れた奴が全員死に、謝罪までされたとあっては流石にこれ以上怒る気になれず、そもそも一時的とはいえ天界の連中に言い様にされていた恥辱を蒸し返す事になる点からも手を打つ以外になかった。 アガリアレプトは何事もなかった様に普段の魔王に戻り、マルコキアスも腕を天界の治療班に治させると、さっさと姿を消してしまう。 天界、魔界、そして地上のスティールマナは消え去り、共謀者達がそれぞれ刑に服し、一応今回の事件は終焉を迎えた。 「サタン」 シェゾが呼ぶ。 「ん? ステーキのおかわりか?」 「違う」 サタンの城で中食をとりながらシェゾが問う。 「塩ならここだぜ」 珍しく一緒に食事に誘われ、これもまた珍しく悪魔との食事を承知したラグナスが、金のソルトミルを手にとって言った。 「違うってんだよ。あの本は一体何だったんだ? 歴史書という割りには新しい事も載っていたし、途中からは俺の指示みたいな事まで書いてあったぞ」 問われ、サタンは血の様に赤いワインをくい、と飲み干してから言う。 「うむ、あれはな、実は記録と連絡の書なのだ」 「記録の?」 「今回、あの場にあそこまで全員がスムーズに集まれたのは何故だと思う。勿論天界と協定を結んでいたからはもちろんだが、それだけではああはいかない。あの本は、天界の連中と共に作り出したものなのだ」 「どういう本なんだ?」 ラグナスも興味津々に問う。 「まず、あの本は事の顛末を記録し続ける。当然持ち歩いているお前視点でな。その意味は、お前が一番あちこちを歩き回り、偏りのない記録を作る事が出来るからだ。実際、あの本の威力はすごかった。あの本の証拠能力がなければ、天界の連中も今回あそこまでおとなしくはしなかったぞ。そしてもう一つ、魔界と天界にとって簡単に言えば発信器の役割を持っていたのだ。共同開発の利点もある。どちらかが造ったのでは、探索能力に偏りが出る。一緒に造ったからこそ、我らも奴らも正確に場所をトレース出来たのだ」 「…成る程ね」 「天と魔の共同作業か。もう無いだろうな」 ラグナスがポテトを口に放り込んで呟く。 「お前も言う事があるのだろう? 時の女神」 シェゾとラグナスが何? と周囲を見る。 ふと、サタンとシェゾが囲む長テーブルの真ん中の位置に、ゆらりと人影が浮かび、程なく実体化した。 それは時の女神。 透き通る様な金の神を持つやや小柄な女神。 「…こうしてお会いするのは初めてですね」 「だな」 シェゾは特に変わらず、ワインをくい、と飲む。 ラグナスは立ち上がろうとするが、時の女神にいさめられ、おとなしく座っていた。 「この度の事、あなたに対してまだ、天界から正式なお詫びは済んでいません。ですので、こうして参りました。シェゾ殿、此度の事…」 「シェゾだ。殿なんて呼ばれるとかえって気分が悪い」 「…解りました。ではシェゾ、本当に、申し訳ありませんでした。あなたにも、あなたのお友達のラグナスにも、アルル達にも本当に迷惑をかけました」 時の女神は頭を下げた。 「……」 女神が頭を下げる。 ものすごい光景にラグナスが唾を飲む。 「まだ、何も差し上げてはいません。出来る限り希望通りの物を贈りたいのですが、聞いても良いですか? ラグナスも、どうぞ好きな物を言って下さい」 「い、いえ、俺はそんな、第一、決して俺は満足行く活躍なんて…」 ラグナスは恐れ多い、と両手を振る。 「詫びの品ね」 シェゾは天井を仰いだ。 「んじゃ、注いでくれ」 「え?」 時の女神が、一瞬意味が分からず目を丸くする。 ラグナスはフォークを落とし、サタンがワインを三メートル程吹き出した。 「天帝の目玉寄こせとか言っているんじゃないんだ。ここに来てグラスにワイン注いでくれればいいんだぜ。大サービスだ」 「あ、ええ、はい…」 「しししシェゾ! おお、お前な!」 サタンが阿呆みたいに慌てる。 「こ、こここの馬鹿! 時の女神に向かっておまえ何をっ!」 ラグナスも思わず声を大きくする。 それはそうだろう。 人間が女神に酌をさせる。 この様な事態、恐らく有史上何処を見ても存在しないだろうから。 「め、女神? いや、このアホの言う事は真に受けなくていいぞ? シェゾもだ! いくらなんでもそれはちょっとまずいぞおい! 何処の世界に人間が…」 「そうです! こいつまだ熱があるんです! 井戸にでもぶっこんで頭冷や」「解りました」 「にゅわっ!?」 奇妙な声でサタンとラグナスが鳴く。 時の女神が、ほんの僅か透過していた肉体を完全に実体化させ、そばのワインボトルを持ってシェゾの横に進んだ。 二人は思わず絶句して固まる。 時の女神も、自分で納得したとはいえ、まだ戸惑いはあった。 神が人間に、と言う意味ではない。 人の隣にこうして立つのは、考えてみれば始めてに近いのだ。 目線の下には神から見ても美しい、銀髪の美青年。 美しい造形の顔立ちなど天界で見飽きている筈なのに、どこか無味無臭な天界の人間と違った生気あふれる、わずかにいびつだからこその生々しく、そして美しい顔立ちに、時の女神は妙な気恥ずかしさを覚えて身を縮ませた。 女神って言っても、こうしてみると普通の女だな。 まるで成り立ての給仕みたいにもじもじとしている時の女神を見て、シェゾは逆に気が抜ける。 「空だぜ」 シェゾがグラスを出すと、軽く頭を混乱させてていた時の女神は、はっとしてワインを不器用に注ぎ始める。 シェゾは女神の注いだワインを一口飲み、確かにこの一杯にはそこらの国宝より価値がある、と食事の間、おかわりを繰り返した。 食事が終わり、シェゾはワイングラスを置いた。 「…これで、もう良いのですか?」 空いたワイングラスを起き、少し頬を染めた時の女神が問う。 「充分だ」 「そうですか。では…」 時の女神は、どこかもじもじとした動作で、ぱっと消えてしまう。 「ぶきっちょな手つきだが、それもいいもんだな」 サタンとラグナスにそう問いかけ、シェゾはそこで始めて、二人が顎をはずしたまま固まって居るのに気付く。 「ごちそうさん、料理冷めるぜ」 シェゾは間抜けな彫刻をそのままにして部屋を出た。 魔界。 廃墟と化した街の外に、キャナは立っていた。 「おじさん、仇はやっつけたよ。直接は無理だったけど、ちゃんと手伝ったから。だから、それで勘弁してね」 街に向かって花を投げる。 不意に色々な感情がこみ上げ、キャナは暫くしゃがみ込むが、深呼吸をしてうん、と立ち上がる。 空は雲一つ無い快晴。 空だけを見ていると、ほんの少し前まで起きていたあの冒険が夢の様だ。 死にかけた事もある。 悲しい事もたくさん経験した。 でも、結果として良い経験だったと思う。 あのぶっきらぼうで仏頂面の男。 あいつが居たから、色々な経験が出来た。 顔、声、からだの感触、体温、心臓の音、みんな覚えている。 約束なんかしていない。 でも、分かる。 あいつは必ずまたここに来る。 キャナは空に向かってすう、と息を吸う。 「シェゾー、言ったよねー! 一緒にお墓立てて、一緒にずっと守るってーっ!」 声が空に木霊する。 乾いた風が吹き、キャナの髪は風に揺れた。 静かすぎる空気が急に寂しさを膨張させ、上を向いていないと涙がこぼれそうになる。 ふと、静かに目を閉じていたキャナの後ろで、靴の音が小さく聞こえた気がする。 キャナの心臓が大きく鳴った。 「守るとは言ってない」 声だ。 あの声だ。 一番聞きたかった声だ。 キャナは目も開けずに、声が聞こえた方向に向かって頭から突進した。 晴天の空。 一寸の後、腹に不意打ちの頭突きを喰らって唸る声、そして二人もろとも地面に倒れる音が、空に響いた。 少しの静寂の後、堰を切った様に嗚咽して大泣きする声が聞こえてくる。 だが、その声はすぐに収まるだろう。 逢いたかった人の胸の中に彼女は居るのだから。 空は、こんなにも青いのだから。 |