第二十話 Top 最終話


魔導物語 闇に生きると言うこと 第二部  第二十一話



 あの時、気を失った。
 そこから先は解らない
 そもそも、こいつと一緒に行動を始めたおかげで色々大変な目に遭っていた。
 あの時、キメラにさらわれた時は本気でもう終わりと思った。
 命と、そして女として。
 でも、気が付いた時、目が覚めた時、あいつが居た。
 あいつは、確かにあたしを見て、そして笑った。
 だから、それでもういいと思った。全部許してあげよう。
 そう思った。
 そして、もう一回気を失って、目が覚めた時、今度はこいつ、ちゃんとすぐ隣に居た。
 うん、やっぱり許す。
「起きたか」
「起きたよ」
 キャナはむくりと起きあがる。
「大丈夫なのか?」
 シェゾが問う。
 その外見は服がほつれていたり泥で汚れていたりと痛々しいが、不思議と体自体には大した痛みはなかった。
「ん、なんか不思議なんだけどね」
 誰かの力が働いている。
 そうでなければこいつがここに現れる訳がない。
 そこまでは解っていたが、特にそれはどうでも良かった。
 とりあえず自分にプラスの方向に動いてくれているなら、それでいい。
 シェゾはごろりと横になり、空を仰いだ。
「まだ、続いているんだよね?」
「ああ」
「…だからきっと、あたしもここに居るんだよね?」
「多分な」
「…あのさ」
 キャナがシェゾの顔をのぞき込む。
「何だ」
 日陰になった眼前の視界を見てシェゾが応える。
「ここ、どこ?」
「聞かない方がいいぞ」
「ここまで来てそれないよ。あたしだっていい加減肝は据わったんだから、教えて」
 日陰が濃くなり、キャナの瞳が近づく。
「ベールゼブブの巣の側だ」
 瞬時にキャナは蒼白となる。
 口をぱくぱくとしながらその体を起こそうとするが、極度の緊張と恐怖から体の自由が利かず、ずるりと腕が滑り、シェゾの胸に勢いよく頭突きしてしまう。
「いたっ!」
「俺の科白だ」
「ご、ごご、ごめん…あ、あの…おお、起こして…」
 体の上で奇妙な生き物みたいにのたうつキャナをやれやれ、と抱き起こし、腰を下ろさせる。
 体育座り状態のキャナはそれでも尚蒼白のままの表情で目に涙を一杯にためていた。
「ベベベ、ベールゼブブ様のお屋敷のお側…?」
 キャナが震える声で問う。
「そうだ」
「どど、どこに…? みみ、見られて居たらどうしよう…。殺されない? 殺されたりしない?」
「別に、睨まれる事してないだろ」
 気持ちはまぁ理解出来なくはないので、象がテントウ虫を気にするか、とは言わない。
「そそ、そりゃあたしは人畜無害の一モブに過ぎないけど…」
 そういう風に言う? とキャナが控えめに上目遣いで睨む。
「ならいいだろ」
「…それはそれで、なんか釈然としない」
「我が儘だな」
「…わかっているもん」
 キャナは先程までの慌てふためきもいつの間にか落ち着き、膝に頭を埋める。
「逢えて、良かったと思っているんだよ。本当に」
「ああ」
「だからだよ、こんな怖い所にいるのにこんな風にすぐ、落ち着けるのは」
「ああ」
「これだけ信頼しているんだから、少しはそれがどういう事か自覚しているよね?」
「ああ」
「…昔々あるところに」
「ああ」
「話きけぇっ!」
 キャナはシェゾにヘッドロックをかけ、ぐりぐりと頭を締め上げる。
「一応、怪我人なんだが」
 他人事の様に言うシェゾ。
 キャナははっとして腕を放す。
 そう言われれば、シェゾはほんの少し前まで死闘を繰り広げていた。
 キャナと比べても、シェゾの方がよほどぼろぼろだ。
 脇腹部分、腿にも赤黒く固まりかけた血がべっとりと張り付いている。
 彼程の力の治癒魔法でなければ、今頃失血で死んでいる筈である。
「…ごめんなさ」
 言いかけ、シェゾが立ち上がる。
 片足を貫かれていると言うのにその足取りは特に変わりない。
 その足でシェゾは湖の方へ歩く。
「何? どうしたの?」
 怪我こそ微細だが、シェゾよりよほど足下をふらつかせながらキャナがシェゾを追う。
 シェゾは湖の側まで歩き、今はまた鏡の様に澄み切っている湖面を見た。
「さっきは気付かなかったが、なるほどな」
「ん?」
 追いついたキャナが何? と視線の先を見る。
「あ!」
 キャナが見詰めた視線の先。
 一体何十メートルの深さがあるのか知らないが、水晶の様に透明度の高いその湖の底に、巨大な城が見えていた。
「水中の城、か。道理でいくら探しても無かった訳だ」
 シェゾはほう、と眼下を眺める。
 澄み切った水は、水面の揺らめきや太陽の反射が無ければ、一瞬水の存在を忘れかけさせる程の透明度を誇る。
 そんな湖の底に鎮座する城は、地上と違い見下ろされる事が前提であるために一般のそれと比べて独特の造形だった。
 水による建造物の劣化を抑える為、出来る限り鋭角は排除され、全体的に緩やかな曲線を何重にも重ね合わせたシルエットを浮き立たせている。
 それは石で作られた巨大な巻き貝を連想させる造形だった。
「珍しい?」
 キャナが問う。
「見た事が無いって事は無いが、流石に現役の水中城ってのは人間界には無いからな…」
「ひとつも無いの?」
「遺跡ならある」
「って事は昔はちゃんとあった? 大きい? どんな人が住んでいた訳?」
 キャナが興味津々にシェゾに問う。
「いや、地殻変動とかで水没したって意味だ。最初から水中に作った城なんか無い」
「なーんだ」
「…人間は、水の中じゃ息が出来ないんだ」
「へぇ、そういえばそうだったね。ふべーん」
 シェゾを含む人間、と言うか動物一般ではごく当たり前の事実なのだが、こちらでは不便の部類らしい。
「気になるが…さて、どうするか」
 シェゾが何気なく周囲を見回した時、後頭部にこつん、と何かがあたった。
「こら」
 更に声が追う。
「ん?」
 振り向くと、キャナが丁度シェゾの頭から手を下ろすところだった。
 行動からみると、どうやらさっきのはチョップだったらしい。
「あたしの存在忘れてない?」
「お前がなんだよ」
「あたしはメロウだっつーの」
「ああ」
 シェゾは元々キャナが水棲の魔物、メロウである事をすっかり失念していた。
「水はあたしの縄張りだよ。任せて!」
 キャナは大げさにウインクすると、がしっと力強くパンツに手を掛けた。
 ぐい、とおろしかけ。
「……」
 そしてそのまま固まる。
「どうした?」
「いや、あの…」
 ちらちらとこちらを見る。
「変身…するんだけど?」
「ああ。さっさとしてくれ」
「……」
 キャナはだんだん顔を赤く染め始めつつ、シェゾをじっと見ていた。
「変身、だよ?」
「だから分かっている」
 少しずつキャナの顔が赤くなる。
「…あたし、あの…脱がないと…いけない…の…」
 消え入りそうな声。
 シェゾはあぁ、と納得すると、くるりと後ろを向いた。
「見ちゃやだよ!」
「さっさと脱げ」
「なんかやらしいな」
「巫山戯てる暇は無いぞ」
「あ、はーい」
 布の擦れる音の後に続き、水が波打つ音が聞こえる。
「おっけーだよ」
 シェゾが振り向いた時、キャナが上半身にシャツ一枚を着て水に腰まで浸かっていた。
「最初の頃の姿だな」
「これがいつもだもん」
 キャナは腰から上を浮かしたままで水面をすいすいと八の時に泳ぐ。
 人では出来ないスイミングスタイルだ。
「うん、なかなか気持ちいい水だね」
「しかし、怖くは思わないのか?」
「もう、腰を据えたって言ったでしょ。この水にだってスティールマナが融け込んでいるかも知れない事だって解るよ」
「そうか」
 確かに、度胸のある奴だ。
 シェゾは偉いぞ、と微笑んだ。
「ところで」
「ん?」
「何をすればいいの?」
「ノックだ。その後、全力で逃げる」
「え?」
 意外な言葉が出た。
「お前、ベールゼブブに挨拶する気はあるか?」
 キャナは犬が尾っぽを振るよりはげしく首を振った。
「別に本当にドア開けとは言わない。確認だ」
「…エサじゃないよね?」
「そうならないように頑張ってくれ」
「ううう…」
「助ける。危険ならな」
 キャナはその言葉に嫌々ながらも進み始め、何度も何度もホントにすぐ来てよ。恨むよ、一生取り憑くよ、噛むよ、と呪いをかけつつ、やがて水中に沈んだ。
 波紋が立つが、それはすぐに静まる。
 視線をずらして少し光線の反射を変えると、水中を泳ぐキャナが良く見えた。
 水中の城までは五百メートル程ある。
 城の頂上部までの深さは八十メートルくらいだろうか。
 シェゾは再び本を取り出してページをめくる。
「…成る程な」
 やや不機嫌そうな表情で本をたたみ、キャナを見る。
 城までの距離はあと四百メートル程だろう。
 もう少し早く泳げるだろうが、向かわせている場所が場所だけに文句を言う気もないし、そもそもそれくらいでいい。

「奴が、もう入り口まで迫っています!」
「もう、主しかいないぞ!」
「ここまで来られては!」
 天界の一室に慌てふためく声が響いた。
 先程まで落ち着き払っていた面々は口々に恐れ、不安を吐き、まるで普通の群衆のような騒ぎとなる。
「落ち着け! あれは入り口に過ぎぬ! 青の竜騎士を倒したとて主との力の差など比べるも烏滸がましい!」
 巨大、かつ重厚な長テーブルの端に座る男がゆっくりと、しかし厳とした声で一喝する。
「それはそうですが…」
 机を囲んでいる天使達は尚も不安を隠せずにいた。
「主に余計なお手間を取らせる訳にはいかぬ。今こそ検体を媒体として新たなスティールマナを完成させる時だ。結界を解き、研究塔へ連れて行け。転送を許可する」
「今からですか? 検体はあの実験に耐え切れません。今までの検体でも、保って数十分です」
「だが、あの検体のスティールマナは更に変位している。最早実験など不要と言っても良い。取り出すだけでよいのだ。それを使えば新しいスティールマナ…いや、魔界に鉄槌を下すエンジェルコマンドを数倍は強化させる神の思し召し、「神の滴は」はぼ完成するのだ!」
「神の滴…」
 その演説に部屋全ての天使達が酔った様な表情でおお、と声をあげる。
「検体など完成まで保てば良いのだ。今すぐ取りかかれ!」
「はっ!」
 担当の天使数人が立ち上がり、部屋を出た。
「しかし…これで本当に…」
「安全性は決して…」
 尚も、小さな声で不安な声はあがる。
 男はそれを無視して口元をゆがめた。
 我らが父とて、実績を示せば何も言えまい。
 元より、全ては父の為なのだから。
 男の顔は歪みながら笑っていた。

 三人の天使が、一つの巨大な建物の前に来ていた。
 周囲は高い壁に囲まれ、人の気配はない。
 街のはずれにある小高い丘の上に、その建物はあった。
 街の建物と同じ大理石の様な岩で造られているが、他と比べて妙に重厚で頑丈な作りに見受けられる。
 気のせいか、建物自体が黒ずんでいる気もした。
「二つの検体のうち、片方が有望だったな」
「金髪の方だな。亜麻色の方はこれから発病が進むだろう。待っててもいいが、促進させた方がいいか?」
「それより今はマナの取り出しだろ。仮死状態だが、すぐ蘇生出来る。実験が成功しさえすればいいから、その後の生死を考えなくていいのが楽だな」
「魂は魔界に捨てればいいか」
「ウィルスに穢れた魂だからな」
 天使達は物に対しての言い方で笑う。
 一人の天使がやや長めの結界解除呪文を唱えると、岩を切り出した様な重厚な扉が開いた。
 三人が中に入ろうとしたその時。
「今まで、言うまい言うまいと何度も何度も思ってきたが…」
 ドスの効いた声が三人を振り向かせる。
 そこには、黄金の鎧を来た鬼が立っていた。
「この、外道がぁっ!」
 剣を抜き、首に向けて刃を走らせかけるが、ラグナスは歯を食いしばってその動きを止め、変わりに剣から外した左手から、勢いに任せてエクスプロージョンを撃つ。
 瞬きする間もない攻撃に天使は戸惑う暇さえなかった。
 その攻撃、天使とて怒りにリミッターを外しかけた光の勇者の攻撃を受けて平然と出来る道理はない。
 三人は散り散りに吹き飛び、一人は壁に頭を打ち付け、一人はもんどり打って地面を転がり、もう一人は扉の向こうへ小石の様に吹き飛び、それぞれ気を失った。
「…やっちまった」
 ラグナスががっくりと肩を落として呟く。
「あなたがやったのではありません。私が手を下したのです」
 いつの間にか、後ろに時の女神が立っている。
 その表情は、ラグナスに負けず劣らず沈んでいる。
「…分かり切っていたのに、心のどこかでは、まだ違っていて欲しいと思っていました。でも、もう、目を背ける事は出来ません」
「時の女神、ここに、いるのですね?」
「そうです。そしてここが、この建物の存在自体が、動かぬ証拠となりましょう」
「終わるのですか?」
「この中の証拠を掴めば、終わらざるをえません。探しましょう」
「しかし、邪魔は…」
「今、結界を張っています。探知できないのが怪しいとは思われるでしょうか、戦闘があった事を隠す方が先です。異変に気付かれないうちに、急ぎます」
 ラグナスははい、と頷き、研究塔に入る。
「な!?」
 そこは、一瞬魔界かと思う異質な空間だった。
 扉を開く度に異形の生物が瓶詰めで並べられ、半ば焦点を失った目の研究員が一心不乱に薬剤や何かの肉片をいじっていた。
 ラグナス達に気付いた研究員を片っ端から黙らせ、時には強引に案内させて二人は奥へ進む。
 建造物の中央は天井まで突き抜けた吹き抜けのホールだった。
 その中央に東屋の様な作りの地下への階段があり、その物々しさからただの地下でない事は容易に想像できる。
 ラグナスが吹き抜け部分へ進もうとしたその時、何かガラスが砕ける様な音が周囲から響いた。
 同時に、時の女神が苦しげに胸を押さえてうずくまる。
「女神?」
「…結界が、破られました」
 時の女神が苦しげに呟く。
 バックラッシュが来る程に強力に張っていた結界が破られた。
 ラグナスは心配の言葉より早く、東屋に向かって走る。
 だが同時に、反対側の窓を破り、白銀の鎧に羽根までも包まれている鎧兵士が四人、ホールになだれ込んできた。
 それぞれの手には斧槍が持たれている。
 重厚な鎧に巨大な斧槍を持っているその鈍重さをイメージする容姿にもかかわらず、四人の戦士はブーメランの様に鋭く、素早い軌跡で空を飛びながら、互いに異なる円軌道でラグナスに襲いかかる。
 頭上、左右、前方三方向からの奇襲にラグナスは後ろに下がる。
 だが、それが狙いだった。
 瞬時の事で失念していたもう一つの影が大きな円軌道でラグナスの背中を襲った。
「うおっ!」
 寸でのところで身を捩り、背骨を貫こうとしてた斧の一撃を避ける。だが、完全には避けきれず、鎧の肩に斧が食い込み、反動でラグナスの体は錐揉みで転がった。
 何度転がったか解らないが、それでも瞬時に天地を確認すると、地面に足をつけて跳ねる様に立ち上がる。
 中段で光の剣を構えた瞬間、横真一文字に斧槍が襲いかかった。
 剣と斧は垂直に交わり、思い切り振り回したその反動にラグナスの体は再び後ろへよろめく。
 それに合わせ、天井から眉間目掛けて斧槍を構えた兵士が垂直に落下してきた。
 だが、ラグナスはそれ以上逃げようとせず、逆に光の剣を思い切りぶん投げる。
 無造作に見えたその動作だが、剣の切っ先は一ミリとて揺れる事もなく兵士の眉間を目指して飛ぶ。
 兵士が何が起きたか気付いたその時、光の剣は兜を貫き、頭を串刺しにしていた。
 トマトに楊枝を刺したかの様な姿となり、兵士から肉塊と変わったそれが落下し、衝撃で床に血のしぶきが広がる。
 それを見た残った三人の兵士は、一旦ラグナスから距離を置いて床に降り立った。
 血を吹き出した頭から剣を抜いたラグナスは、とうとう天界の天使を殺めた事実に戸惑う。
 だが、今は悩んでいる時ではない。
 それ以上の使命がある。
「時の女神! 先に行って下さい!」
 ラグナスは自らが東屋と兵士達の間に走って構え、時の女神に行動を促す。
「解りました!」
 時の女神は東屋の中に立ち、短い呪文を唱えると瞬時に消えた。
 三人の兵士はそれを見て怒号し、再びブーメランの様に宙を飛び、前から後ろからとラグナスに襲いかかる。
 一人なら兎に角も、三人同時では先程の様に隙を狙わなければ分が悪い。
 しかも一人倒している分、逆に相手の隙はもう無いと思っていい。
 元より手加減できる余裕はないが、それでも尚、ラグナスはこれ以上倒す事になるのか、ととまどいを感じていた。
 だが、先程の天使の言葉を思い出した時、ラグナスは手加減する程の度量を生憎、と言うか幸いにも持ち合わせていなかった。

 それだけはさせてはならない。

 ラグナスは防戦から好戦へと行動を転換する。
 三人の兵士は斧槍から輝かしい光の輪を戦輪の様に勢いづけて飛ばし、ブーメランの様に飛ぶ己自身と合わせて、一気に攻撃個体を六つに増やす。
 ラグナスは正面から襲いかかる光の戦輪に向けて同じ様に光の刃を剣から飛ばす。
 それは空中でぶつかるが、僅かに抵抗を生むものの、水と剣が合わさるかの様に互いを突き抜け、戦輪がラグナスの頭髪を掠った。
 しまった。
 ラグナスは思った。
 相手は天使。
 刃と刃の闘いならまだしも、魔法戦となれば自分も相手も光を領分とする。
 となれば、マナの構成によっては同系統の魔導の干渉を最低限として突き抜ける事も可能となる。
 となれば魔導を生んだのは天界と魔界。
 後追いの人間に、いくらセンスや存在能力を付け足しても、総合的に叶う道理はない。
 魔導で防御は諦め、直接攻撃をするしかないだろう。
 ラグナスは歯を食いしばる。
 俺は、もう一つの禁忌も犯すのだろうか。
 戦輪と斧槍は絶対的な力となりラグナスを襲う。
 好戦に転じた筈が防戦一辺倒に為らざるを得ない状況のなか、ラグナスの鎧と体は傷ついてゆく。
 足下がよろめいた。
 その時、一つの光の戦輪がラグナスの胸にまともに当たった。
 光の鎧を切り裂き、肋まで到達したと同時に戦輪は砕け散る。
 後を追う様に、鎧の裂け目から血が噴き出した。
 光の鎧の意地とでも言うべき防御魔導術が命を救う。
 ラグナスは仰向けに倒れ、鎧が大きな音を立てて軋む。
 三人の兵士は千載一遇の勝機と、美しい程の円軌道でラグナスの頭、胴を狙って斧槍を振り上げながら迫った。
 斧槍は炎の様な白い光を放っている。
 体に当たれば、まるでバターを切るかの様に体を分断するだろう。
 バリアは貫かれる。
 それは相手も解っている。
 ラグナスには万に一つも勝機はない。
 それを相手も解っている。
 だが。
 斧槍が兵士の体重をかけて振り下ろされよとしたその時、ラグナスの体から異質な気が沸き上がり、それは真っ黒な水晶の形となり、針の束を思わせる姿で伸び上がった。
 黒いつららを連想させる水晶は斧槍と斧槍に纏われた光の魔導を砕き、更に鎧を砕いて兵士の体に食い込んだ。
 信じられない。
 言葉を聞けたらそれしか出ないだろう。
 勝利の一撃の筈が、一瞬のうちに針だらけの落とし穴に落ちたも同然の状況に変わったのだから。
 ラグナスは黒水晶を砕きながら立ち上がり、
跳躍する。
 光の剣が三つの光の軌跡を描き、それは三人の兵士の首と胴体の別れを意味した。
 兵士の胴体と頭がばらばらの順番で落下する。
 最後にラグナスが着地したが、強烈な頭痛に襲われてそのまま尻餅をついた。
「…つかっちまったか」
 闇魔導。
 シェゾが少しは使える様に、自分も使える事は知っていた。
 だが、使いたくはなかった。
 しかも、よりによって天使に向けてであう。
「闇魔導、そしてスティールマナ…。何だ? この相性の良さは」
 ラグナスは言葉をかみしめる。
 スティールマナの感覚。
 ラグナスも既に感染していた。
「ラグナス…」
 後ろから声がかけられる。
「…やぁ」
 目玉が飛び出そうな頭痛だが、ラグナスは笑って手を振る。
 そこには、時の女神に寄りかかりながらも自分で立つアルルと、時の女神の腕で未だ気を失ったままのウイッチが居た。
「あなたも、既に感染していたのですね…」
 時の女神が悲痛な声で呟く。
「自分も、少し前に気付きました。魔界に居た時、多分、シェゾと一緒に居た時ってところですね」
「光の属性の者ですらこのように簡単に感染するとは…申し訳ありません。もっと、スティールマナの感染力を疑うべきでした。あなたまで…」
「いえ、俺のせいですよ。見たでしょう、さっきの闇属性の魔導を」
「……」
 時の女神は思わず目を伏せる。
「俺の中にも、あるんですよ。奴と同じモノが。スティールマナで自分の中の能力が増大した時、はっきり解りました。…奴に、毒されすぎましたかね。ははは」
「怪我、大丈夫?」
 何を言っていいかアルルは解らない。
 とりあえず、怪我の心配が精一杯だった。
「俺の科白さ。アルル、体は大丈夫か? ウイッチも」
「ボ、ボクとウイッチは…多分大丈夫。さっき、時の女神さんがそれは確認してくれた。ただ…」
「ただ?」
「これを見て下さい」
 時の女神は頭上に青白い泡の様な光の玉を出現させる。
「スティールマナの研究は進んでいたようです。二人の体自体はほぼ無傷でしたが、魔導や体組織から研究はされていたようで、これが最新のスティールマナ、ほぼ、完成形のようです」
「そこまで進んでいたんですか?」
「ですが、今こうして証拠と証拠の建物、そして証人がそろいました」
「では…」
 ラグナスが、これで最悪の事態が避けられる、そう言おうとした時、アルルの瞳が恐怖に強ばったのを見る。
 後ろを振り向いたその時、ラグナスは再び強烈な魔導に吹き飛ばされ、東屋の柱に体を打ち付けた。
「全ては結果なのだ」
 男が立っていた。
「歴史は全てが結果で語られる。時の女神様、あなたはそれを良くご存じの筈」
 時の女神を見る目は何を今更、とあざ笑っていた。
「あなたがとは思っていました。でも、それを確認したくはなかった…。何故です? 大隊長、フリムニール? その名に恥じぬ行動だと言えるのですか?」
 時の女神はその名を呼ぶ。
 天使達の会合をまとめていた天使隊大隊長の男の名を。
「当然です。今まで我々は魔界を甘やかしすぎていたのです。あの世界はあってはならぬ世界だ」
 フリムニールは左手で白いひげを撫でながら、もう片方の手から赤黒く光る触手の様な光の糸を吐き出し、あっさりと青い玉を奪い取る。
「!?」
 時の女神が目を見開く。
 証拠たるスティールマナをそのまま表に晒す訳がない。
 光の玉に対する結界は自分の出来る限りの力で完全に張っていた。
 それを、まるでただ置いてある物を盗られた様に簡単に奪われた。
 その事実に時の女神が驚愕する。
 天使と女神。その力の差は歴然の筈だ。
「まさか!?」
 時の女神が叫ぶ。
「スティールマナは成長している。毒が毒でなくなったならば、有効に活用せねばなりませんよ。…成る程、これはこれは…」
 フリムニールは笑って姿を消す。
「奴! 自分にもスティールマナを?」
 ラグナスが窓の外に走ろうとした時、途端に空気中から細かい針の様な光が発生し、ラグナスの体に無数に突き刺さる。
 体中に巨大な鑢を勢いよくこすりつけられたような重く、鈍い痛みが走った。
 痛覚に脳が麻痺し、足の感覚が消える。
 ラグナスはくぐもった声を漏らして崩れるように倒れる。
「いけない!」
 時の女神が叫ぶ。
「くそっ!」
 仰向けに倒れたまま、鎧から煙を上げたラグナスが忌々しげに声を上げる。
 フリムニールが消えたと同時に、この建物に再び結界が張られていたのだ。
「今度こそ万事休すか…」
 あっさりと言うが、ラグナスのその言葉は決して間違ってはいなかった。
 スティールマナによる魔導力の増幅は己の体を持って知っている。
 それが上級天使で、しかも更に性能の上がったスティールマナによりドーピングされたともなればその能力は計り知れない。
 その脅威は、何より女神を出し抜いたその行動で証明済みである。
 ラグナス達の早急の命題は、事件の解決どころか、まずこの場所から脱出する事となった。




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