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魔導物語 闇に生きると言うこと 第二部  第十八話



「良くいらっしゃいました、アルルさん」
 三十メートル程は廊下を歩いただろう。
 その先に、そびえる様にそそり立つ巨大な扉があった。
 それは音もなくアルルの到着と共に開き、中から声が聞こえる。
「お久しぶりです、ウイッシュさん」
 門の様な扉を抜けるとそこは講堂の様に広い書斎だった。
 これもまた巨大な机に座るウイッシュを見て、アルルは会釈する。
「あの、ウイッチは大丈夫ですか? これ、お見舞いなんですけど…会えます?」
 アルルは肩に提げていたショルダーを下ろし、ラッピングされた紅茶と菓子の袋を取り出すと、机の上に置いた。
 淡い桃色と黄色のコントラストが綺麗だった。
「まぁ、どうもありがとう。あの子になら会えるわよ。心配してくれてありがとう。紅茶はあの子が喜ぶわ」
 包みを手に取り、ウイッシュは微笑む。
「会えるんですね? よかった…。もしも面会謝絶状態なんて言われたらどうしようかと思っていました」
「そうなんですけどね」
 ウイッシュは呟く。
「え?」
「いいえ。さぁ、こちらへどうぞ」
 ウイッシュは包みを持ち、机から立つとアルルを部屋の外へと誘う。
「何処に居るんですか?」
「ここの地下です」
「地下?」
 アルルの心に何か一気に暗いものが立ち籠めた。
「ち、地下ですか?」
「ええ。あの子の病の治療には、結界が必要なの」
「地下に、結界が?」
「特殊な結界だから、あんまり表では張れないの。さぁ、あそこの階段から下りますよ」
「階段?」
 アルルは前を見る。
 延々と続く廊下には、それらしきものは見えない。
「あの…」
「ここです」
 ウイッシュは立ち止まり、ほんの一言の短い呪文を唱えた」
「お呼びですか」
「わ!」
 突如、アルルの頭の上から声が聞こえ、慌てて後ろに転びそうになる。
 かろうじて踏ん張りながら天井を見ると、そこにはモルモット並みの大きさの真っ黒なネズミが張り付いていた。
「ええ、地下への結界を今から一分だけ解いて頂戴」
「承知しました」
 ネズミはその巨体に似合わぬゆっくりとした速度で天井から舞い降りる。
 まるで、羽根が落ちる様だった。
 地面に下りたと思ったその瞬間、ネズミの体は独楽の様に回り始める。
 風が吹いた。
 そう思った時、ネズミの体は水に溶ける砂糖の様にかき消え、現象と入れ替わりでただの床だった廊下に、地下へと通じる石の階段が開けた。
「わ…」
「この下です」
 ウイッシュはろくに明かりもない地下への階段を下り始める。
 幸い、降り始めると同時に暗い壁に備え付けられているランプに明かりが灯り始める。
 アルルは少し安心して後に続いた。
 お気をつけて。
 どこからともなくネズミの声が聞こえ、アルルが後ろを振り向くと、入ってきた入り口は既に塞がれていた。
「う、ウイッシュさん…」
 まるで囚われの身にでもなった様な気がして、思わずウイッシュの背中にくっつきそうな程に近づく。
「別にとって食うなんて真似しません。あくまでも外敵の侵入を防ぐ為です」
「ちょ、ちょっと頑丈過ぎません?」
「それより、足下に気をつけてね。ここから螺旋ですよ」
「あ、はいうわっ!」
 言った先から足を滑らせ、アルルは石壁に頭をぶつけてしまう。
「いたた…。ウイッシュさん、この階段、滑りやすいですよぉ」
「そうかしら?」
 ウイッシュは微笑み、尚も階段を降り続ける。
 何十段の螺旋階段を降りたのだろう。
 少し感覚が変になり始めた頃、階段の終わりが見えてきた。
「あ、あの扉の向こうですか?」
 視線の先には、螺旋階段から横に伸びた廊下とその先の扉がある。
「ええ、あの先が結界の中心です」
「……」
 一歩進んだその時、つま先から頭の先まで弱い電流が走る。
 気付くと、鳥肌が立っていた。
 結界の力を感じたのだ。
 この強い力、一体どうして? どんな結界が!?
 アルルは体の発する警告に少し怯えた。
 二人が扉の前まで来た時、その警告は最大に達していた。
 アルルは扉からしみ出すその何かに恐怖し、思わず進めた足をそのまま後ずさりさせる。
「駄目ですよ。ウイッチに会いにいらっしゃったのでしょう?」
「な、何があるんですか? この中に…」
 アルルの額には冷や汗まで出ている。
 ウイッチの見舞いに来ているだけだというのに、体はまるで魔物の潜むダンジョンの奥にでも居るかの様に緊張している。
「扉を開きますよ」
「は、はい」
 何気なく扉を開こうとするウイッシュ。だが、アルルはそれがパンドラの箱でも開くかの様な大変な事に思えてしまう。
 そんな考えをよそに、重い音と共に木の扉が開いた。
 まるで岩で出来ているかの様に鈍重な音。
 薄暗かった視界に一気に眩い明かりが飛び込み、思わず目を瞑る。
 真っ白な視界の向こう側に、ほんの僅かの影が見える。
 大理石のベッドに横たわる少女。
「ウイッチ!?」
 アルルは思わず声を上げた。
 その姿は、まるで教科書で見た古代文明時代の生け贄の儀式。
 申し訳程度に体を隠す布。それすらも髪の様に薄い。
 まるで、これから荼毘に伏すかのような光景だった。
「ウイッシュさん! あ、あの、ウイッチが、あれじゃまるで…!」
「言うなれば、死んでいるも同じです」
 恐ろしい言葉が出た。
 アルルは思わず心臓が止まりそうになり、慌てて駆け寄る。
 だが、誰もいないと思っていた部屋にまるで陽炎の様に二人の人影が浮かび上がり、数メートルも走らぬうちにアルルの前に立ちはだかった。
 流れる様な動きは生物らしさを感じさせなかった。
 まるで人型の布が浮いているかの様な真っ黒なローブで体も顔も覆い隠しているそれらは中身があるかどうかすら怪しい。
 アルルは鳥肌を立てて後ずさった。
「…どういう事ですか…?」
「この検体は貴重だ。魔導力とスティールマナがほぼ拮抗して働いている為に発現の進行が停滞している。今後の資料となるだろう」
 ウイッシュの声に聞いた事もない声が混じり始めていた。
 アルルは息をのみ、ウイッシュを見た。
 横顔はウイッシュ。
 だが、そこにいるのは明らかにウイッシュではなかった。
「誰っ!?」
「お前もそうだ。スティールマナの影響を受けていながらわずかにそれに勝る何かの力で発現が押さえられている。魔導力にも種類が、そしてスティールマナにも好き嫌いがあるという事例だ。非常に興味深い。流石、人間界は雑種の宝庫だな」
 声は最早ウイッシュの声を含まず、横顔もまた既に別人。
 体格すら男のものに変化し、ローブは真っ白なものへと変化する。
「まだ理解できないか?」
 男が笑う。
 大理石の彫刻の様に深い造形の目鼻立ちは知性と力強さを沸き立たせ、得も言われぬ威圧感を放つ。
 構えようにも、アルルは両腕を影の様な者達に捕まれていた。
「…ウイッシュさんを、どうしたの?」
 想像だにしなかった現状。
 逆にそれはアルルを冷静にさせる。
「ウイッシュ、森の魔女、か。あれに用など無い。我らが手を出す様な連中でもない。間に近い存在などな」
「あんた達! 天界の連中ね! 何の悪さしに来たの!」
「不躾な娘だ」
 アルルは、そう言われて初めて自分が何を言ったかに気付く。
 仮にも普通の教育を受けているなら天界、天使、神は敬うべき存在だ。
 それを自分はどういう風に言った?
 これ…あの人のせいだよぉ。
 アルルはすっかり毒されている自分にため息をついた。
「来てもらう。いや、選択肢がある等とは思わぬ事だ」
 アルルの視界は一瞬で闇に落ちた。

「この山の向こうなのか?」
「多分な」
「多分ってお前…」
「仕方ねぇだろ。敵さんの大将の住み処なんざ普通、誰も知りゃしねぇんだよ」
「使えないな」
「るせぇ」
 すっかり馴染んでしまったラグナスとマルコキアスは山道を歩いていた。
「文句行く前に感謝しろよ。俺が奴の『臭い』を嗅げるからこうやって一番確かな道を歩いてるんだっての」
「だが、寄り道も多かった」
「そりゃそうだろ。俺らにも役目があんだからよ。おかげでいい収穫があったじゃねぇか」
「そうだな…収穫、か」
 ラグナスはため息をついた。
 突然、少し前を歩いていたマルコキアスが炎の様に闘気を吹き出し、天に向かって炎の玉を吐いた。
 突然の事にラグナスは驚くが、次の瞬間、更に我が目を疑う事態が起きる。
 たった今発生していた巨大な炎の玉が、その名の通り煙の様にかき消えたのだ。
「まさか!?」
 今目の前で起きた事象にラグナスは別の観点から驚きの声を上げた。
「時の女神!?」
 声に呼応し、空間がゆらりと揺れる。
 水面に波紋が広がるように揺らぎは大きくなり、先程炎の玉がかき消えた辺りの空間から、白いドレス姿の光に包まれた女性が浮かび上がった。
 何故ここに、と言いかけてラグナスは息をのむ。
 時の女神は、まるでどこかの火事場にでも居たかの様にそのドレスのあちこちに焼けこげと灰色の煙を上げていたのだ。
「! さっきの!? おい! マルコキアスっ!」
 マルコキアスは耳まで裂けた巨大な口から鋭い乱杭歯を覗かせた。
「冗談じゃ済まないぞ!」
「ちょっと遊んだだけだ」
「遊びで済むか! それに、あんなすさまじい力を出しやがって! 力を関知されない様にわざわざ歩いて来たんだぞ!」
「時の女神様ならあの程度、かき消すと思いましてね」
「お前なぁっ!」
「良いのです、ラグナス」
 ようやく体から煙が消えた時の女神が、体を地面に降ろす。
「しかし!」
「もし防ぎきれなかったらと思うと恐ろしいのですが、今はそんな場合ではありません。考えたくなかった予想が現実のものとなりそうなのです。ですから、こうして極力、力を押さえてここまで来たのです」
「ほう、あれでも力をセーブしてたってか」
 マルコキアスがそりゃけっこう、と笑った。
「お前、もしも万が一の事があったら、許さないは当然だが、俺らの隠密行動も全部ぱぁだったんだぞ…?」
「そりゃそれで面白い」
 流石は悪魔。
 ラグナスはそれを痛感した。
「来て下さい」
「何処へですか?」
「天界です」
「天界? しかし、貴女だけならまだしも、俺を一緒ではとても隠れては…」
「なら俺の出番だ」
 マルコキアスは先程と同じ炎の闘気を吹き出す。
 だが、先程と違うのはその闘気の気合い。
 先程とは桁外れな気の放出だった。
「お前!」
 言いかけ、突如周囲に異様な気が走る。
「周りのモンスターが寄ってくるぞ! ここはベールゼブブの領地だろっ!」
「でかい獲物程獲物は一人で片づけた方がかっこいい。ほれ、上級悪魔が来ないうちに逃げろ。今なら気にかき消されて気付かれねぇだろ」
「マルコキアス!」
 ラグナスが叫ぶ。
「感謝します」
 時の女神の声と共に、二人の姿は消えた。
「へっ。天界の野郎に感謝されるなんざ、尻の穴がかゆいぜ」
 巨大な口をにやりとゆがめる。
 同時に、丘の向こうから一瞬の閃光と共に何かが飛来する。
 マルコキアスは跳び、その足下に何かが当たり、一直線に地面がえぐれる。
 太陽の光を受けて輝くそれはブーメランの軌跡で自ら飛来した方向へと戻り、それを目で追ったマルコキアスはその先に体長五メートルを下らぬ巨人を見た。
「いきなり一軍たぁ、やっぱアタリかね」
 巨人はその手に金属の棒を持ち、鈎の様になったその先に円形の金属の刃をぶら下げていた。
 先程飛来した光はそれらしい。
 だが、巨人が持つそれは冷静に見ればその棒自体が杭のような大きさと太さを持ち、円形の刃に至っては直径一メートルを超えている。
 あんなものが目にもとまらぬ早さで飛んできたとあっては、大木すら長葱のように切り裂くだろう。
 マルコキアスは瞬時にそこまでを把握し、先手必勝と駆け寄る。
 だが、視力に自身のあるマルコキアスが相手の姿を見失った。
 魔力による移動ではない。
 足こそ止めぬが、流石にマルコキアスは驚愕する。
 鈍重なイメージの巨人が、マルコキアスの頭の上に飛んだとどうして思えるだろう。
 殆ど野生の感が頭上に危険があると脳を揺さぶる。
 マルコキアスは骨がきしみそうになる速度で体をひねり、視線を上空に向けた。
 そこには、まるで風船のように宙に浮く巨人がいる。
 マルコキアスは頭ではなく、反射で最大出力の炎を吐いた。
 巨人に炎が届くかと届かぬかの瞬間、吹き上がる炎の中から光の円盤がマルコキアス向けて飛び出す。
 それが何か理解は出来た。
 だが、退避動作は間に合わない。
 常套手段としてシールドを纏いながら動いていたにもかかわらず、円盤はシールドを突き破ってマルコキアスの右肩を貫き、深々と地面に刺さる。
 地面に円盤が突き刺さり、土煙が巻き起こる。
 マルコキアスの肩は、それからようやく血を吹き出した。
 耳をふさぎたくなる遠吠えのような悲鳴が響く。
 マルコキアスは、流石にごろごろと体が転がる反動を押さえられぬまま地面に体を打ち付ける。
 だが、何という闘争心だろうか。
 右肩から先が無くなり、代わりに血が吹き出ているというのに、マルコキアスは転がった反動を利用して跳ねる様に立ち上がる。
 炎の直撃を受け、燃えながら落下している最中の巨人を睨み付けると、再び炎を吐く。
 いやそれは吐くなどと生やさしいものではない。
 その炎はまるで火山の噴火の如き勢いで巨人を包み込む。
 重々しい悲鳴を上げ、巨人はいよいよ炎の固まりと化して地面に落下する。
 同時に、その巨体は砂の玉を落としたかの様にあっさりと崩れ落ちる。
 マルコキアスの炎は、空に跳んだ巨人が落下するまでの十数秒の間に、その巨体を体の芯まで消し炭と化していた。
「こんちくしょうが!」
 右腕を無くしたとは思えないような飄々とした文句を放ち、マルコキアスは今も赤々と残り火の燃える巨人の残骸に唾を吐いた。
 片腕を失った腹いせとしてはあまりにも軽い鬱憤晴らしだ。
 だが、流石に貧血と激痛に視界がくらむ。
 言うまでもなく立っているのが不思議な状態だ。
 しかし、横臥する訳にもいかない。
 マルコキアスから三十メートル程先の地面が、突如じわりと濡れ始め、瞬きする間もなく白い水蒸気を吹き始める。
 水蒸気は勢いを増し、それはやがて噴水のように地面を押し割り、最後には土もろとも超高温の透明な水蒸気となり爆発を起こす。
 それは水蒸気爆発。
 火山の噴火前に起きる前兆現象。
 そしてそれは正にそれだった。
 爆発に続き、地面を押し割った水蒸気はいつの間にか主役の座を赤黒く吹き出すマグマに譲っていた。
「来やがった」
 マルコキアスはその異常な現象を目の前にしても尚やれやれ、と鼻息を噴く。
 たった今まで地面だった場所に火山の噴火口が出来たというのに。
 肌を焦がすような熱風がマルコキアスを包む。
 額から落ちた汗が下に付く前に蒸発してしまいそうな高温。
「炎は俺の領域だぜ」
 満身創痍の筈のマルコキアスは正に悪魔の笑みで、今も尚溶岩を吹き出す噴火口を睨み付ける。
 これだけの攻撃があるのだ。
 ここは近い。
 マルコキアスは確信した。




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