魔導物語 闇に生きると言うこと 第二部 第十六話 「その名を聞くとはな…」 ラグナスは納得した様な、感心した様な、そしてどこか諦めた様な声で呟く。 「それにしても、上級悪魔どころか魔王クラスと兄弟分になるとはな」 「それくらいの事態だって事よ」 ラグナスは、マルコキアスの案内する道すがら事の成り行きを確認していた。 「今回の事件はとにかく分からない事が多かった」 マルコキアスはやれやれ、と呟く。 「普通、四大実力者同士が争うなんて事はそうそうあるもんじゃねぇ。下手すりゃ、天界の連中とのいざこざの方が多いってもんだ」 「知っているよ」 「だが、今回は違った」 マルコキアスは岩に毛が生えた様な無骨な手を天にかざす。 そして、不意に手を握り、離す。 するとその手の中には何もなかった空間から浮き出たかの様にして、小さな結晶が一粒収まっていた。 ほれ、とそれをラグナスに投げる。 ラグナスはその結晶を受け取ろうとする。 そして。 「…!」 弾けた様にラグナスは身を引き、同時に抜いた剣で結晶を両断する。 結晶は閃光を発し、大きな破裂音を立てて光と共に四散した。 「おいっ!」 ラグナスが怒鳴りつける。 「冗談だ」 にやついた顔でマルコキアスが笑う。 「あのまま手で掴んでいたら、どうなっていた!」 「そんな馬鹿とは組まねぇよ」 「……」 苦虫をダースで噛み潰した様な表情になるラグナス。 元よりそうだが、この悪魔、と悪態を付きたくなってしまう。 「とにかくそれが全ての元凶だ」 「これが…あれか。例の異常なマナ、か」 ラグナスの回りには、物質としてこそ変化してしまったが、まだ発光したままで浮遊する結晶の残骸が舞う。 「俺らはスティームマナと呼んでいるぜ」 「何なんだ? それは」 ラグナスは周囲の光を目で追いながら問う。 蛍の様に宙を舞うスティームマナ。 よほど軽いのかそれとも意志でも持っていると言うのか、まるで光の蝶が舞っているかの様な動きだった。 見た目だけなら、感嘆の声をあげたくなる美しさだ。 「それをこれから調べに行くのさ。事と次第に寄っちゃ、四大実力者同士どころか…いや、とにかく衝突に発展しかねない。重要任務だ」 「四大実力者同士は敵対勢力には違いない。だが、一応互いの争いを好まないんだろ」 「一応な」 魔界に置いて、四大実力者と言えばその名の通り魔界を四つに分けるトップ達である。 その内訳は、最も古くから魔界を支配に置いていたサタンを始めとし、土地的、人員的には最も巨大な規模を持つベール、そしてサタンに次いで長い一族の歴史を背負い立つアスタロト。そしてアスタロトとほぼ同じ頃に当時の四大実力者であったプラトーンを倒し、新たに四大実力者となったベールゼブブとなる。 数で勝るベールに対し、サタンの元には四大実力者に迫る力を持つとされる魔王が最も多く使え、力的にはベールと互角となる。 そして若き四大実力者と言う事になるアスタロト、ベールゼブブも、互いにサタン達に劣るながらも拮抗した力を蓄えている。 更に、アスタロトはサタン陣営寄り。 ベールゼブブはベール陣営寄りと、互いに名目上ではあるが同盟を組んでおり、その点から魔界は拮抗状態にある二大勢力の睨み合いという、危うくも安定した情勢の上に成り立っている。 魔界とて、秩序は無論ある。 人間の目から見て異常としか見えぬ独特の掟、常識こそあれ、社会は秩序の元に成り立っているのだ。 それ故、実力者同士の争いは彼らの住む魔界にとってマイナス要素の方が多く、敵同士とは言え全体的なマイナスになるのでは、と言う至極まっとうな理由からそうそう争い事は起こらぬのである。 この辺りの掟の堅さから言えば、人間界よりもよほど秩序立っていると言えるだろう。 「つまり、サタン様は今のところだが争いを望んじゃいない。それなのに、ベールゼブブの野郎は何を考えているのか、おかしな力を使ってじわじわと魔界に混乱を起こしやがっているのさ」 いけ好かない、とマルコキアスがつばを吐く。 サタンは、普段はよほどの相手でもここまで人員を割く様な真似はしない。 ここまで念を入れるという事実からも、自分達が足を突っ込んだ今回の事象が歴史に残ると言っても良い出来事なのだとうかがい知れた。 「ベールは止めないのか?」 「探しているらしいがな」 「探している?」 「あの野郎、しっかりと行方を眩ましているのさ。奴は、普通の魔力とは少し毛色の違う術を使う。探せない事は無い。だが、時間が掛かる。サタン様の力をもってしてもな」 「…そうか。急いだ方が、いいな」 「是非そうしてくれ。俺としちゃ、とにかくベールゼブブの野郎を一発殴りたくてしょうがねぇんだ」 マルコキアスは、逞しい両の二の腕を振り回してアピールする。 「頼りにしている」 ラグナスは割と本気で言った。 「で、これからだが…」 言いかけ、マルコキアスは天を仰ぐ。 「その話は後だ」 ラグナスの声と、天から降り注ぐ落雷の着地は同時だった。 「この書物には、歴史的価値の他に、詳細な地図の意味もある」 シェゾは鬱蒼と植物が生い茂る森の中を進みながら言う。 「それ、例の本だよね?」 どうにか泣きやんだキャナが本を指さして問う。 半分は諦め、そして半分は、意地でもついて行かねば、どんな危険な魔物が居るか分からぬ土地に本気で置いてゆかれないからだ。 「そうだ」 「…じゃ、あたし要らないじゃない」 「そうでもない。この本で詳細に書かれているのは、その場所についてだ。その場所がどこかまではたいして詳細には書かれていない」 「ふーん。で、何処に向かっているの?」 「本当ならあの街で情報を集めたかったが、仕方ないからな。とりあえず、本拠地に通じるらしい場所へ向かっている」 キャナが足を止める。 「…本、拠地?」 「そうだ」 獣道と言うもおこがましい森の中、流れる様な歩を進めつつ応える。 キャナは草木をかき分け、離れた距離を慌てて走り寄って詰め、更に慌てて問う。 「ほ、本拠地って、あ、あの、あの、所謂誰かにとっての住処って事?」 「大抵そう言う意味だろうな」 「この場合の誰かって…」 「ベールゼブブ以外に誰が居る?」 キャナはいきなりシェゾの首根っこにしがみつき、必至に元来た道を戻ろうとする。 だが、首にしがみついた時点でキャナの足は宙に浮き、全ては意味を成さない。 「首が苦しい」 シェゾはそれでも歩みを滞らせる事はない。 「か、帰ろう! ね? ね?」 「奴に会う為に来たんだ」 「か、考え直そうっ! もっとキミにふさわしい世界があるよっ! 未来の可能性は無限大! ぼーいずびーあんびしゃす!」 「訳が分からん」 「じゃあ分かるまで話し合おう! どっしりと地面に足着けて! 根っこ張って! ね? ね?」 キャナは猿の子供の様にシェゾに両手両足でしがみつきながら、必至に嘆願した。 「悪いが、話し合う時間はあまり無い。俺にはな…」 最後の言葉が良く聞こえなかった。 「え?」 大木にでもしがみついていた様な安定感が突如、柳の葉にぶら下がっているかの様な不安定に変わる。 端から見れば、まるで申し合わせたかの様な光景だった。 天から降り注ぐ落雷はラグナス、そしてマルコキアスを狙って降り注いでいるであろう事は明白だというのに、二人はまるで次に落雷する場所が分かっているかの様に動き続ける。 「第二波だな」 「分かっている!」 ラグナスは風に舞う羽の様になめらかな動作で落雷を避ける。 対して、マルコキアスは距離こそ短いが、弾ける様なダッシュと直線的な動きで、同様に攻撃を避け続ける。 まったく対照的な動きで、且つ結果は優劣のない状態。 ラグナスは雨の様に降り注ぐ落雷を避けながら、ちらりと空を見る。 何もない空間から、落雷が生えてくるかの様な光景。 だが。 「せぇっ!」 次の瞬間にラグナスは十メートル以上も跳び、更に光の剣を天に構える。 光の剣が青白い稲妻を纏い、ラグナスの息吹と共に雷撃が束で天に突き刺さる。 鼓膜が破れそうな破裂音が響いた。 同時に、天に吸い込まれていくかと思われた雷撃は空中で火花を散らして四散し、爆発した様に燃え上がる。 それはあっという間に地面に落下し、鈍重な落下音を土産にバウンド一つすることなく地面にめり込むと、そのまま動かなくなった。 「やるね。あれだけの攻撃の中、一撃か」 マルコキアスが結構、と笑って言う。 「なんだこいつは?」 地面に戻ってきたラグナスは、黒こげになった物体を見て言う。 残されたが意見から判断すると、大型で角の巨大な牛、と言う感じだ。 ただし、背中に羽があるが。 「よく分からんが何かの雷獣だ。スティームマナ憑きのな」 マルコキアスは、焼けこげた表皮に砂粒程度の大きさで輝くそれを指さして言った。 「…蔓延しているのか?」 「ある程度耐性のある奴なら、まだ感染は防げている。だが、下級悪魔程度じゃ、風邪ひくみたいに発症しちまうって訳だ。やれやれだぜ」 「……」 「さて相棒、時間はねぇ。もう一人を追うぜ」 「もう一人って」 「お前さんの女房だよ。いや、お前が女房か?」 「誰が男夫婦だ!」 「……」 瞼に光を感じていた。 シェゾは瞳を開く。 「?」 横たわっていたと思っていた。 だが、瞳を開いたその世界には上下が無かった。 光が当たっていた筈の外には、ランプはおろか蝋燭の明かり一つ無く、周囲は完全な闇だった。 両手をかざすが、暗すぎて何も見えない。 顔に手を当て、どうやら五体はあると分かった。 「どこだ? ここは?」 『さてどこでしょう? どこから聞こえるのか分からぬ声が頭に響く。 「……」 シェゾは自分でも確認できぬ今の顔を、心の赴くままに顰めた。 「何でお前がここにいる? ルーン」 途端、あやふやだった重力が足の下から体を引っ張り始める。 シェゾは落下し続ける感覚のまま、視線の先に輝きだした人型を確認した。 『お加減はいかがです? 「最悪」 それは事実だった。 『そうだろうとは思っていました。普通の人間であれば、とうの昔に発狂していてもおかしくない時間が経っていますからね。見ていますよね? 犯された者がどのような末路を辿るか。 「十分にな」 『気を付けて下さい。貴方と言えど、闇の魔導士と言えど、決して例外では無いのです。その病に冒された者は、まず異常な力の覚醒の後、痛みに対する感覚を麻痺させるそうですから。 「で、何の用だ」 『そうそう、朗報です。黒幕の居場所がおおよそ割れましたよ。 シェゾの瞳が色めき立つ。 「何だと!?」 「……」 キャナは泣き出しそうな顔でおろおろと周囲を見回していた。 「シェゾ…起きてよ…」 地面に座り込み、膝にシェゾの頭を抱えながら、キャナは何度も何度もその名を呼んでいた。 気を失ったままのシェゾは蒼白となり、まるで人形の様に動かない。 「こんなところで…女の子を寂しがらせないでよ…。それに、あたしも…」 涙がこぼれ落ち、眠ったままのシェゾの頬に落ちる。 最近感じ始めた鈍い頭痛。 体の中心から燃え上がる様な高揚感。 沸き上がる力。 キャナは自分の体に何が起きているのか、それを痛感していた。 「!」 悲しきその異常感覚が、キャナに通常では感知し得ぬ危機を知らせる。 「何…?」 頭の先からワイヤーが伸び、それに何かが引っかかる。 そんな初めての感覚が、鋭敏に異変を伝える。 視線を懲らした時、ふと、木々の奥から低い唸り声が聞こえた。 「!」 だが声がどこから聞こえてきたのか分からない。 遠くにいる様な、既に近くに潜んでいる様な、とにかく何かが近くにいる。 それだけが絶望的な現実。 キャナはシェゾの頭を抱きしめ、周囲を不安げに見回す。 「シェゾぉ…」 助けを求める声をかき消すかの様に、今度ははっきりとした唸り声が視線の先から聞こえた。 地の割れ目の底から響く様な鈍重な声。 いや、声と言うより音に近いそれは、ゆっくりと近づいていた。 「っ!」 更にキャナは声を失い、輪をかけた絶望感に押し潰されそうになった。 声が明らかに増えたのだ。 四方からその声は響く。 完全に囲まれている様だ。 泣く事も忘れ、ただ狼狽えていた。 そんなキャナの視界に、声の主が姿を現す。 「ひ…」 引きつった声が出る。 現れたそれは、人に近い顔を持ち、土塊の様な色の剛毛に身を固め、所々に蛇の様な鱗をむき出しにした二足歩行型のモンスターだった。 足は不自然に細く、鳥の様な形。 体の後ろから覗く尻尾の先には、赤く目を光らせる蛇の頭。 それはキメラだった。 「エサダ」 一匹が声を出した。 「エサ」 「エサダ」 「クイモノ」 「メシ」 いつの間にか周囲を取り囲んでいた他のキメラもつられた様に声を出す。 合計五匹のキメラが、二人の周囲に十メートル程の間をおいて取り囲んでいた。 「メス、イル」 「メスダ」 「メスダ」 「オレヤル」 「オレモヤル」 「ヤッテカラクウ」 「オスイル」 「オスハクウ」 「クウ」 地獄の釜に放り込まれた方が千倍もましに思えるやり取りが耳にこびりついた。 少しの静寂。 キメラ達は互いを見回し、頷く。 意見は固まったらしい。 五匹が一斉に空を仰ぎ、遠吠え猿の様な大声を上げる。 鼓膜がおかしくなりそうな轟音。 キャナはシェゾの頭をありったけの力で抱きしめ、身を縮まらせた。 「オゥ!」 「オゥオゥ!」 「ホオォ!」 キメラ達は雄叫びを上げ、両手を天に掲げる。 突然その手の周りが陽炎の様に揺らぐと、掌の皮膚を突き破り、鮮血と共に象牙色の骨が飛び出す。 それは二メートル近くも飛び出し、やや弓なりの形状を持つ槍となった。 「ホォッ!」 一声鳴き、血しぶきを飛ばしながら骨の槍を見事に回転させ、大見得を決める。 キメラ達は、粗暴な外見とは裏腹の高度な技術を持っていた。 それは、キャナの素人目にも絶望の灯火に油を注ぐ結果として映る。 風斬り音が耳に遠く聞こえた。 その時。 「!」 キメラの目に一瞬迷いが映る。 だが、それはスイッチとなりキメラを二人に向かって跳躍させた。 キャナが目をつむる。 次の瞬間、体が宙に浮き上がり、耳に金属音が響いた。 何の受け身も取らず地面に落ち、それと同時に象が泣き叫ぶ様な悲鳴が響いた。 「ったく」 「!」 キャナは上下も分からぬままに目を開けた。 衝撃で瞳のピントがずれていたが、歯科医に映るは間違えようのないその姿。 「シェゾ!」 キャナは振り向いたシェゾの顔を見た。 「悪かったな。変な所に放り出した」 キャナに向かって手を伸ばそうとしたその時、シェゾは突風の様に体を翻し、闇の剣を再び薙いだ。 もう一度悲鳴が轟き、二匹目のキメラが弧を描いて地面に倒れた。 「あと三匹」 残りの獲物を斬ろうとしたその時、シェゾの視界を火球が覆った。 「くっ!」 シールドを張るが、それでも衝撃は吸収拡散しきれなかった。 蹴られた球の様に体が吹き飛び、樹木にしこたま背中を打ちつける。 鈍い音と共にシェゾは地面に落ちた。 「シェ…きゃああっ!」 絹を裂く様な悲鳴。 「!」 ぐらつく頭を振って視線を上げる。 だが、視界にはもう誰もいない。 「くそっ!」 拳が地面にへこみをつけた。 |