魔導物語 闇に生きると言うこと 第二部 第十五話 「ではこれで議会を閉会する」 重々しい声が広く、真っ白な室内に響いた。 浅黄色、緑や黒のローブ、そして大半を占める純白のローブ。そしてそれぞれに様々な装飾品を身につけた人物達が、大理石の巨大なテーブルから資料を手に立ち上がった。 若そうな者から白髭の老人まで、その顔ぶれは雑多。 そしてそれぞれが何とも苦み走った顔をして、その部屋を後にしていた。 皆が巨大、かつ鈍重な扉から外へ消え、残りは主席の位置に立っていた男と、もう一人その隣に座っていた男の二人だけとなる。 「パブロよ」 白髭の男が、もう一人の黒髪で若そうな男を呼ぶ。 「何だ、オーギュスト」 「本当に今回の事、不問とするのか?」 「たった今、元老院の席で正式に決まっただろう」 「魔界は黙っておらぬぞ」 「だろうな」 「特に四大実力者共は…いや、今回の事、その四大実力者の一人にとって、間違っても音便に済ませられる事ではない。そもそも…」 「オーギュスト、それも皆承知の上だ」 パブロと呼ばれた若い男が言葉を遮る。 「それで何故皆、静観などと他山の石の様に振る舞えるのだ? あの男は魔界だけではなく、下手をすれば我々元老院にすら噛みつく獣だ」 オーギュストの口調がやや強くなり、それに比例して白髭が揺れる。 「口が過ぎるぞ」 「事実じゃ。それこそ皆知っている」 「…あやつが先走りすぎる嫌いがあるのは認める」 「パブロ。先走りで済む問題か」 「……」 時が止まる。 二人の沈黙は永かった。 「……」 青空の下。 沈黙は永かった。 いや、沈黙と言うより、だんまりと言った方がいいだろう。 「おい」 シェゾが溜息と同時に言う。 「……」 シェゾの少し前を歩くキャナは振り返りもせず、ただ歩き続けていた。 「いいかげん口開け」 キャナは振り向き、当てつけの様に口をあーん、と開く。 口は開いた、と言いたいのだろう。 「餓鬼かお前は」 「餓鬼で結構!」 ようやく声を出す。 「何が不満なんだか」 やれやれ、と言う顔のシェゾ。 「分からなくていいよ!」 「そうか」 シェゾも訳の分からない癇癪に付き合う程暇ではない。 シェゾは分かった、と何事もなかったかの如く歩き始める。 あまりにも素っ気ないと言えば素っ気ない。 キャナは逆にあっけにとられて立ち止まり、かまわず歩き続けるシェゾの背中を見詰めていた。 「なんでそこまでヒトの気持ちを無視するかなっ!」 キャナはそこらに落ちていた、ひからびた松ぼっくりの様な実をシェゾの頭に投げつける。 かさり、と乾いた音を立ててシェゾの頭に木の実が当たった。 初めて出会った頃のキャナを考えると、想像出来ぬ大胆な行動である。 「…どうしろってんだよ」 シェゾは怒るでもなく、溜息を付いて振り向く。 「何年も前から知り合いだった…」 シェゾの振り向いた先、キャナは俯きながら、独り言の様に呟く。 「パン屋のおじさんもそう。あの通りの少し向こうにあった雑貨屋さんの、翼竜族のおばさんも、ときどき自分の羽で商品ひっくり返す事があって、そんなあわてん坊だったけど、でも…とっても…優しかった…」 キャナは力無く座り込み、嗚咽を漏らし始める。 「友達も…いた…数年に一度しか会わないのに、会えた時は昨日会ったみたいに仲良く…できた…それなのに…」 未だくすぶり続ける遙か彼方の街の方から、黒い煙と共に小さな爆音が幾重にも響いた。 「街が…もう…」 振り返る瞳には大粒の涙が止めどなくこぼれる。 震えるその肩は小さく、そして弱々しかった。 何処の世界も変わらないもんだ。 本当はもう少し離れた方がいいし、キャナにとっても町の様子が分からない方がいい。 「街はもうない」 「分かっているよ!」 「その代わり、忘れるな。街の事も、友の事も。それだけは、自分が生きている限り変わらない。人だろうが、魔物だろうがな」 「…シェゾ」 「墓ぐらい、一緒に立ててやる」 思わずシェゾの顔を見るキャナ。 「行くぞ」 「え…あん!」 シェゾは座り込んだキャナの手を取り、やや強引に立ち上がらせる。 「…あ、ちょ…やだ…」 引きずられる様に引っ張られ、ぐずりながら、なかなか視線を街から離そうとしないキャナ。 「やだ…やだぁ…」 急に現実感が襲ってきたのか、その声は涙声となる。 「やだぁ…いやぁ…」 ぐずぐずに泣きながらも、引っ張られるがままで歩くキャナ。 無言で手を引く黒ずくめの男と、大泣きしながら引っ張られる女。 傍目から見たその光景は、人さらいの現場に見えなくもなかった。 未だ後ろ髪引かれる想いのキャナの手をシェゾは無言で引き、二人は空の下を歩き続けた。 まるで、彼女の視線の先にある惨事など、夢であるかの様に思える程清々しい空の下を。 「そこのお前」 「え?」 とある都市にて、ラグナスは突然声をかけられた。 「なんだい?」 振り向くと、そこに立っているのは身の丈三メートルを超える、岩の様な筋肉を身に纏った悪魔だった。 足は鳥を思わせ、体は人間、顔は狼を連想させ、背中にはコウモリの様な羽が生えている。 いかんとも形容しがたいが、とにかく外見、そしてその体から発する気からして、上級悪魔かそれ以上の存在と見て取れた。 「……」 悪魔はじっとラグナスを見下ろす。 その身長差の為、視線は子供を見下ろす大人だった。 「匂うぜ」 「失礼だな。風呂は入っている」 「んなことじゃない」 悪魔の目が煌々と蒼く光る。 「匂うぜ…。お前からは、なぁんか嫌な匂いがするぜ」 「どのみち失礼だ」 ラグナスは放っておけ、とその場を後にしようとする。 これ以上この悪魔に絡まると、まずい事になりそうだった。 かなり。 幸い、悪魔は立ち去るラグナスを追おうとはせず、そのまま訝しげな視線を送るに留まった。 ラグナスはほんのわずか歩みを早め、程なくして人気の少ない裏路地に消えた。 「…危なかったな」 ラグナスは袋小路となった通路で周囲を確認してから、ようやく溜息を付く。 「まさか、こんな街中に上級悪魔みたいなのが居るとは…」 「俺も驚いたぜ」 耳元に声が響き、押しつける様な気がまとわりつく。 ラグナスは骨髄反射で振り向きざまに光の剣を抜く。 丸腰状態と思わせ相手を油断させ、次の瞬間に亜空間から抜き出した光の剣を構えて切り裂く。 この連携。 そうそう見抜かれた事はない。 だが。 かまいたちの如き烈風を携えて、真横一文字に振られた光の剣は空を切る。 視界を変えようともせぬまま、今度は光の剣が無理矢理軌道をねじ曲げ、天に向かって振り上げられた。 「おっと」 ここでようやく行動が実を結んだらしい。 刃こそ空振りだが、その声には驚きが含まれていた。 声と気が遠のいた事を確認してから、ようやくラグナスは視線で相手を探す。 背中、空中、足下。 どこにも物体は見えない。 もう一度、たった今まで正面だった背中を向く。 「!」 「よう」 ラグナスは飛び退き、剣を構える。 今振り向いたばかりの背中十センチと離れぬ位置に、目的は居た。 先程街中で声をかけて来た悪魔が。 なんてやつだ。 ラグナスは息をのむ。 あの巨体にして、影すら感じさせぬとは。 やはり上級、もしくはそれ以上の悪魔だ。 「驚いている様だから自己紹介しておくぜ」 「!?」 思いがけぬ言葉にラグナスの気が一瞬緩む。 次の瞬間、悪魔の手はラグナスの喉を鷲掴みにしていた。 「ぐっ!」 突然の事に、あろう事か光の剣が手から落ちる。 しまった、とラグナスは悔やむ。 大変な失態だ。 「まぁ、そうおどおどしなさんな」 悪魔は意地悪そうな笑みでラグナスを更に締め上げる。 「…っ!」 「いっとくが、俺は今お前を傷つける気はない。あくまでも、大声出されて他の奴が来たりしない様にしているだけだ。アンダスタン?」 「……」 ラグナスは僅かに考え、そして微かだが頭を縦に振る。 「OK」 悪魔はラグナスを締め上げていた手を放す。 「うおっ!」 ラグナスは尻から落下した。 突然の酸欠に視界の露出が狂い、頭がぐらぐらする。 「さて兄弟」 悪魔はお構いなしに話を始めた。 「約束してあるから先に名乗っておくぜ」 「……」 喉を押さえてラグナスが立ち上がる。 「ほう、割と遠慮無く締めたが、流石だな。俺の名はマルコキアス。魔界の魔王の一人だ」 「魔王!?」 やはりそうか、とラグナスが目を見開く。 「…どうりで、大した気だぜ」 喉をさすりながら、対して驚きもしていない様子で呟く。 「何の様だ」 「お前もとりあえず名乗れや」 「……」 「素性は大体分かっているんだよ。その剣が証拠だ」 マルコキアスは、ラグナスの横にある剣を指さす。 ラグナスは光の剣を拾い、露払いの様に一閃すると同時に剣を亜空間に仕舞う。 ほ、とマルコキアスが感心する。 「俺の名は、ラグナス・ビシャシだ。光の剣士をやっている」 結構、とマルコキアスは口元を歪めた。 「さて兄弟」 「とりあえずそれをやめろ」 「何をだ?」 「兄弟ってのをやめろ」 「そりゃ困る」 マルコキアスは豪快に笑った。 「どういう事だ」 「俺とおまえはしばらく一緒に行動する事になったんだ。他人行儀はよくねぇな」 「…は?」 ラグナスはおもいきり眉をひそめる。 「冗談じゃねぇよ。本当だ。諦めな」 「諦めるも何も…」 「ま、一応命を最初に受けたのはこっちだ。兄貴分は譲ってやる。だからよろしく頼むぜ」 マルコキアスはそういってラグナスの肩を巨大な手で遠慮無くはたく。 「だっ!」 肩が抜けるかと思った。 「まてっ! 何で俺がいきなり…」 「サタン様の命だ」 「な…に?」 ラグナスが一瞬呆ける。 「ま、あんまり時間がねぇってこった。とりあえず街を出ようぜ。ここじゃ色々不都合があるんでな」 「……」 ラグナスは訳がわからぬままに従う。 下級悪魔と違い、上級、しかも魔王クラスとなれば逆に安易な細工は行わぬし、いい加減な嘘も疎遠となる。 それに、サタンの名が出たとなればその話、聞かぬ訳にはいかなかった。 二人はその異様な対格差にも関わらず、何の障害もなく街を出る。 街を出て一時間も過ぎる。 とりあえず前を歩くマルコキアスは何も言わず、ラグナスも何も聞かなかった。 だが。 「…魔王がそこらを歩いてるってのに、何のリアクションもないのか」 ラグナスが思わず呟く。 聞きたいのではない。 きっかけが欲しかった。 「そんなもんよ。逆に言えば知り合いでもなきゃ魔王の姿なんざ知りもしねぇ」 「…サタンは、何を考えている?」 本題だ、とラグナスはマルコキアスの正面に立つ。 「例えサタンの命と言うのが本当でも、その内容によっては俺は断る」 瞳には静かなる炎が燃えている。 悪魔や人間、光の勇者、そんな確執ではない。 己の信念。 それが紡ぎ出す言葉だった。 「結構な心がけだ。だがな」 すう、とマルコキアスが息を吸い込む。 「!」 瞬間的にマルコキアスの体内から異様な気の膨張が発生し、同時に巨大なその口から燃えさかる火球が三つ、続けざまに吐き出される。 ラグナスは自分の正面めがけて飛来する高速の火球を咄嗟に交わし、体制を整えられぬまま地面を滑る。 次の瞬間、ラグナスの背後の空間に突如火球が衝突し、何もなかった空間が水飴をかき回したかの様にゆがむ。 透明な水飴は炎の色に染まり、やがて一つの巨大な火柱と化した。 「こ…これは…!?」 「気、抜きすぎだぜ」 マルコキアスがやれやれ、とオーバーアクションで肩を揺らす。 「次だ」 「!」 ラグナスは地面より迫り来る悪意に満ちた気を関知する。 「ぬっ!」 黒髪が宙に舞い、短いながらも優雅に流れ、それを追う様に亜空間より白の刃が光り現れる。 「せえっ!」 デッサン狂いの氷の彫刻を思わせる物体が地面を割って現れ、ラグナスに向けて無数の糸の様な物体を撃ち放つ。 白刃が円形に輝き、その糸はすべて消滅。 「はっ!」 鳥の様に空に制止していたラグナスは、突如叩き付けられたかの様に落下を開始し、刃は透明な敵を四散させながら切り裂く。 地面が足に着いたとき、透明な魔物は消滅していた。 「…ふう」 汗一つかいてはいないが、とりあえず大きく息を吸う。 そして問う。 「こいつらは何だ?」 「おまえさんの敵だ。だから俺はこうして呼ばれた」 「敵、とは誰だ」 「魔界の四大実力者の一人。ベールゼブブ」 マルコキアスは、妙にゆっくりとその名を呼んだ。 |