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魔導物語 闇に生きると言うこと 第二部  第十四話



 朝日がまぶしかった。
 が、その前にシェゾは街の喧噪で目が覚める。
「…なんだよ」
 朝から不機嫌になってしまい、気分の晴れぬままに起きあがる。
 隣で寝ているキャナは、何やらにやにやと笑みを浮かべながら身をよじらせている。
「あまぁい…」
 顔がとろけそうににやける。
 彼女はまだ、楽しい夢の真っ直中にいるらしい。
 シェゾは服を着て窓の外を見た。
 朝市か何かくらいにしか思っていなかったのだが、どうもそれは外れていたらしい。
「…まだ夢か?」
 開いた窓のすぐ側に、どこからか飛んできた折れた剣が突き刺さる。
 衝撃で砕けたガラス片をとっさに避け、もう一度外を見る。
 そこに広がるのは、戦闘、いや、暴動の光景だった。
「起きろ!」
 シェゾは、布団をめくり上げると、ガラスの割れた音が響いても尚夢から抜け出そうとしないキャナの丸い尻をすぱん、とひっぱたく。
「んきゃっ!」
 程よく締まった桃の様な尻は軽やか、かつ重量感ある快音をあげ、同時に悲鳴を続かせる。
 そしてキャナは跳び起きた。
「だ、だれがでか尻かぁっ!」
「誰がいつ言った?」
「あ、あれ?」
 脳が活動を再開するまで、数秒が過ぎる。
「なな、なによぉ! いきなり乙女のおしりひっぱたくなんて…」
 状況が把握され、顔を赤らめつつ抗議するキャナ。
「さっさと服着ろ」
 構わずシェゾはそう言い、外を指さす。
「脱がしておいて今度は着…え?」
 窓の外に、煙が見えた。
 同時に爆発音も。
 部屋がびりびりと振動し、キャナは流石に異常事態だと理解する。
「な、何?」
 大急ぎで床に落ちた服をかき集め、身支度を調える。
 シェゾは時折爆発の破片や魔導攻撃の流れ弾が飛んでくるのも構わず、身を乗り出して周囲を見回し続けていた。
「シェゾ」
 やや髪が乱れているが、一通りの身支度を調えたキャナが隣に来た。
 シェゾの脇の下に潜り込み、そっと顔を出す。
「うわ…」
 昨日の夜まで、街はそれなりに美しく、そして栄えていた。
 しかし。
「何? 何があったの? ここ、けっこう治安がいいって言うか、騒動はそうそう無い街だよ?」
「騒動で済むなら問題ない」
「それ…」
 キャナが言いかけた時、シェゾは突然闇の剣を亜空間より手中に出現させ、クリスタルの剣を横一線に凪いだ。
 甲高い金属っぽい音と閃光が瞬き、キャナは小さく悲鳴を上げてしゃがみ込む。
「なな、なになに…?」
 左右を見回すと、窓枠に黒く炭化した穴が空き、ガラス部分は溶解していた。
 キャナは理解出来た。
 シェゾは、どこからか飛来した光線のベクトルをねじ曲げたのだ、と。
 更によく見ると、窓枠の穴の先、部屋の壁にもそのままの穴が空いている。
 ねじ曲げられた光線が、それでも尚拡散せずに壁を貫通したらしい。
「…き、強力な光線っぽいけど…」
「だな。出るぞ。多分、ここに誰か居ると気付いた」
「だ、誰が?」
「誰でも同じだ。少なくとも、ここに来る奴は敵だ」
「この街…どうなっているの?」
「後で話す。最低限でいい。荷物持って着いて来い」
 更に奇妙な鳴き声や爆発音が響く通りを一別してから、シェゾは廊下へ通じるドアへ手をかけようとして、突然足でそれを蹴破る。
 安物ではないはずのそれは、ベニヤ板の様にあっけなく外れ、丁度外にいた魔物を直撃する。
 おかしな悲鳴を上げてドアの下敷きとなった魔物はそのまま気を失い、シェゾは見向きもせず廊下へ出た。
 それに続いてキャナが恐る恐る廊下へ続き、ドアの下敷きとなった哀れな魔物をちらりと見る。
 その手から無骨な剣が落ちている所を見ると、シェゾが言っていた事は確からしい。
「わぁ! 待って!」
 通路の曲がり角まで行ってしまったシェゾを見て、キャナは慌てて走り出した。
「さっさと来い。置いていくぞ」
「はくじょうものー!」
 ナップサックの口も締めず、キャナは慌ててシェゾを追いかけた。
 街のあちこちからは今も爆音と黒煙が立ち上り、剣と魔法の発動音がそこかしこから響き続ける。
 街は戦乱の渦と化していた。
「嘘…」
 知らぬ街ではない。
 数年に一度しか来られなかったが、お気に入りの喫茶店もあった。
 甘い菓子屋もあった。
 好みのブティックも。
 それが今は、全てが炎と瓦礫に包まれていた。
「おじさん!」
 キャナは燃えさかる店先にうずくまる物体を見つけ、シェゾの背中から離れて駆け寄る。
「おい!」
 シェゾの制止も構わず通りを走り抜け、背中を飛ぶファイアーボールをものともせず、キャナはうずくまるそれを抱き起こした。
「おじさん!」
「…あんたか?」
 黒こげの男は弱々しく目を開け、キャナの顔を見上げた。
 黒こげの髭もじゃな豚を連想させる容姿。
 焦げてはいるがパティシエ服を着ているところを見ると、どうやらコックらしい。
 シェゾが店だった瓦礫を見上げると、屋根には焼けこげ、半分燃え尽きてしまってはいるが、確かに看板があった。
「今日、行こうと…思って…」
「すまな…いなぁ。自慢の特注小麦も、先祖伝来の釜も…みんな…」
 男から力が抜けた。
「おじさんっ! おじさんっ!」
 キャナは情けない声で泣いた。
 シェゾは思い出す。
 昨夜、自分は要らないと言っているのに、絶対美味しいと思うケーキ屋があるから行こう、と言っていた事を。
 店の事を話すキャナが心の底から楽しげだった事を。
「いいオヤジだったのか?」
 側に立つシェゾ。
「とっても…いい人なんだよ。強そうなのにケンカは嫌いでさ、あたしより甘い物大好きで…この前行ったのは二年前なのに、覚えていてくれて…いい人なん…いい人…だったんだよ…」
 キャナはいい人だったものを抱きしめ、大粒の涙をこぼし続けた。
「行くぞ。来い」
 シェゾは間髪入れずに命ずる。
「!?」
 キャナは流石に驚愕した。
「ま、待って…せめて、お墓…ううん、埋めるだけでも…」
「今来ないなら、ここで別れる」
 シェゾはそう言い残し、キャナの顔を見ようともせず、そして何のためらいもなく歩き出した。
 その時、魔法弾の流れ弾がキャナに直撃しようとする。
「!」
 キャナの目の前に迫る光弾。
 シェゾは闇の剣を振り、それを弾き消した。
「シェゾ…」
「最後のサービスだ」
 シェゾは再び歩き出す。
 キャナは絶望的な瞳でシェゾの背中を見詰めた。
「冷たいよ…。シェゾ」
 キャナはそう呟き、少しの間躊躇ってからそっとパティシエの頭を地面に降ろす。
「ごめんなさい。きっと、きっと戻ってくるから…」
 キャナは泣きながらその場を離れた。
 シェゾは既にホテルから遠く離れている。
 それを追って走り始めた時、背中で大きな爆発音と突風が起きた。
 驚いて後ろを振り向くと、大好きだったあの店が、ついさっき見取ったばかりのパティシエが、瓦礫と業火に包まれていた。
 もう、何も見えない。
 ここに、何があったかも分からないだろう。
「…!」
 息が止まりそうだった。
 キャナは今度こそ振り返らず、シェゾの元まで走り続ける。
 頬を伝い続ける涙をぬぐう事もなく。
 シェゾの背中が近付く。
 まず、とりあえず、とにかく背中にパンチ。
 キャナは歯を食いしばりながら、シェゾの背中を追った。

「そろそろ、被害が出始めているようだ」
 サタンは冷たい空気と朝靄に包まれながら呟いた。
「お前は何と見る?」
 虫一匹見えぬ空間。
 サタンはきわめて真剣なまなざしで問いかけていた。
「ルーンよ」
 しばしの沈黙。
 その後。
『お久しぶりですね。サタン。
 場所は森。
 シェゾが、ラグナスと対峙したあの場所に近い、開けた場所だった。
 樹木の上から尾の長い鳥が羽ばたき、一声鳴くと青い空の上に消える。
「何を考えている?」
 姿無き声に問う。
『突然ですね。私はいつでも愛と平和の事で頭が一杯ですよ。
「冗談言っている場合ではないのだろう?」
 サタンは乗らなかった。
『…まぁ、そうなんですけどね。
 そこまで言い終えた時、サタンの前に白い靄が染み出る様に浮かぶ。
 それは人の形を作り出し、色と厚みを生み出し、そして密度を増す。
 数秒とせず、それは完全な人型となった。
 ほんの僅か、光の偏光を透き通す以外は、どう見ても人だった。
 ルーン・ロード。
 現、闇の魔導士、シェゾ・ウィグィィへ、その証に等しい剣、闇の剣を受け継がせるその日まで、闇の魔導士であった男。
「少し前、悪いがお前の行動を覗かせてもらった。まったく、この非常時になにをやっとるんだか」
『あの時、ほんの微かな気配でしたが、『目』を感じてはいました。なるほど、あなたでしたか。なら良かった
 ルーンは、サタンが水晶球を通して千里眼を使用した気配を僅かながら感じていたらしい。
「良いとかそう言う問題か」
『まぁまぁ。しかし、よく私を追えましたね。ぎりぎりの領域だった筈ですが…
「そんなところに行ったから気になったのだ。今回の件、お前にも無関係とは言えぬぞ」
『無関係などと。私はむしろ彼の為に尽力しているのですよ。
 心外ですね、とルーンは演技する様に非難する。
「そういうところが怪しいのだ。まぁ、そうだと言うのなら、それはそれでいいだろう。で、何をしていた?」
『ちょっと、裏技を模索していまして。
「何をたくらんでいる?」
『真面目な話です。私にも、出来る事があるんじゃないか、とね。
 目はやんわりと微笑んでいる。だが、その瞳は笑ってはいないとサタンには分かる。
「お前の企みは怪しすぎるんじゃ」
『至って真面目ですよ。今回は。
「そう言って笑う笑顔が信じられん。シェゾのあほよりよっぽど扱い辛いわ。お前は」
『二人揃って光栄な扱いですね。
 飄々とした表情のままでルーンが笑いながら言う。
「で、結局何をする気だ? これ以上事態をかき回す様な真似だけはするな」
『ですから、先程から言っている様に、至って前向きな行動をしようとしているのですよ、私は。
「それは、元闇の魔導士としてか? それとも、ルーン・ロードとしてか?」
『ええと…どうでしょうねぇ? 単に私の為かもしれないし、彼の為かも知れません。
「それ自体は、何も構わんがな。何度も言うが、私の行動の邪魔さえしなければ」
『では、やはり問題ないでしょう。あなたの為には、きっとなります。
「激しく不安な未然形だな」
 どうでも動く気だ。
 サタンは確信していた。

 シェゾの背中に何かが当たった。
 それがパンチだと気付くまでに数秒かかったが、とりあえずシェゾはキャナが側に来たのだと理解する。
 背中をぽすぽすと撫でる感触は何度も繰り返され、一向に収まる気配がない。
「おい」
「ぅるさいっ!」
 歩きながら背中を撫で続けるとは器用だ。
「叩いているの!」
「分かっている」
「なら黙って叩かれろぉっ!」
 声はまるで涙声だ。
 背中のマッサージはもう少しの間続く。
 シェゾは悲鳴や怒号、爆発音が響き続け、今も燃えさかる街の中を、やれやれと溜息をつきながら進んだ。
 時折死体が転がっているという難点はあるが、比較的人気のない狭い路地を進んでいるので、シェゾはこのまま街を抜け出られるかと思った。
 しかし、時折降りかかる火の粉を振り払いつつ路地を抜けると、そこは大きな通り。
 しかも、巨大な物体が丸太の様な棍棒を元気に振り回していた。
「…やれやれ」
 二人の止まった宿から街へ抜け出るには、どうしてもこの通りを抜けなくてはならない。
 通った道は既に崩壊しているか、狂ったモンスターで覆われている。
「何? 一体何なの? あの大きなトロール、この町の自警団じゃない…。今戦っているのは…同じだよ。街じゃ有名なガーディアンの、サーペント…」
 呆然と呟くキャナ。
 大きな通りの真ん中で対峙している二体の巨大モンスターは、周囲で混戦に明け暮れる魔物達を棍棒の一振り、しっぽの一振り毎に、木っ端の様にはじき飛ばしつつ戦っていた。
 はじき飛ばされたミノタウロスが、丁度シェゾの方向に向かって飛んでくる。
「きゃぁっ!」
 キャナが悲鳴を上げ、頭を抱える。
 シェゾは右手をかざし、その手に青い気を纏う。
「ふっ!」
 肉塊と化したミノタウロスが衝突する寸前、その手を横一文字に素早く凪ぐと、気が青い残像を残してラインを描く。
 それに触れたミノタウロスはピンボールの鉄球の様に弾け、ほぼ同じルートをたどって大通りに帰ってゆく。
 出戻ったミノタウロスは、サーペントの背中に当たって落ちた。
「あ」
 シェゾは気の抜ける様な声を出す。
 背中に違和感を感じたサーペントが、顔を前に向けたままでぎろりと通りの奥に立つシェゾを睨み付けた。
「やべ」
 たった今まで死闘を繰り広げていたサーペントとトロールは、まるでタッグチームの様に肩を並べてシェゾを睨め付ける。
「…うそだろ」
 シェゾは力無く頭を振ると、亜空間から闇の剣を生み出した。
『主よ。厄介な事になっているな。
「まぁ、な」
 本当に厄介だ。
 本当に。
「キャナ」
「え、え?」
 半ば放心状態のキャナに向かい、シェゾは自分が背負っていたサックを投げ渡す。
「わっ! …とと」」
 突然の重量の増加に足をふらつかせつつ、辛うじて体勢を立て直す。
「それ持って通りを突っ切れ。この先はもう町外れの筈だろ」
「え、え…う、うん。そうだけど…。あ、あたし一人で!?」
 狼狽するキャナ。
「ここで待たせてよ! シェゾと一緒じゃなきゃ、今の街を走るなんて自殺行為!」
「後ろ見てもそう思うか?」
「え?」
 キャナははっと振り向く。
「…わぁ」
 素っ頓狂な脳天気声が出る。
 二人が走ってきた通路は、見事に障気を失った魔物で埋め尽くされていた。
 そして魔物は今も二人に向かってふらふらと迫る。
「……」
 キャナは腰を抜かしそうになりつつ、シェゾの横にくっつく。
 よく見ると、魔物達は誰も彼も焦点を失った瞳をしており、体もいびつに変形している者が少なくない。
 魔物たるキャナが見ても、異形と思わざるを得ないその姿だった。
「行け」
 前からも大物が迫っている。
 シェゾはキャナの尻を平手ではたき、大通りに踊り出させる。
「わぁっ!」
 太陽の下に出た途端、視界は重量級モンスター二体でほぼ埋め尽くされる。
 トロールの棍棒が振り下ろされた瞬間、闇の剣が青白い稲妻を放ち、トロールは怯んだ。
「行け!」
「!」
 キャナは走り出した。
 が、すぐに顔だけをシェゾに向けて叫ぶ。
「…東の、森の中! そこに…!」
 足下をふらつかせ、何とか後ろを振り向きつつキャナはシェゾに伝える。
 キャナは、顔を前に戻す直前に、辛うじてシェゾが口元を緩めたのを確認する。
 シェゾは大丈夫だ。
 絶対に来てくれる。
 確信を得る。
 キャナはやっと本気で走り出す事が出来た。
 そしてシェゾも。
「せいっ!」
 キャナの背中も消えぬうちに、シェゾは闇の剣を振り回さねばならなかった。
 再び振り下ろされた棍棒と闇の剣の刃がほぼ水平に合わさり、刃が棍棒の表面を削ぎとる。
 棍棒は軌道をずらされ、石畳の地面にめり込んだ。
「せっかちだぜ!」
 息継ぎの暇もなく、サーペントの石柱を連想させる尻尾がシェゾを横殴りに吹き飛ばそうとする。
 その身を後ろに引くも、僅かに動作が遅れた。
 巨大な鋼のおろし金の様な鱗がシェゾの顔に迫る。
 闇の剣を斜めに構え、鱗がそれに衝突する。
 火花が散り、シェゾは吹っ飛ばされた。
 宙を舞った体はそのまま建物の窓ガラスを突き破り、室内の着物をなぎ倒しながら床に落ちた。
「ぐ…」
『なんという無様な。受け身の一つも取らぬなどとは。
 異様に冷静な物言い。
 頭の中で鐘が鳴っている。
 視界も白と銀が交互に瞬き、めまいを通り越して吐き気がしていた。
「五月蠅い…」
 しかし、その物言いのお陰で混乱が少し静まる。
 と、その途端、真っ白から色彩を取り戻し始めていた視界が暗黒に染まる。
「うぉっ!」
 シェゾは殆ど本能のみでその身を宙に飛ばした。
 同時に、先程まで彼が横臥していた場所に棍棒が突き刺さる。
 それは窓の外から振り下ろされたものだった。
 天を突くが勢いで振り上げられ、そして振り下ろされたそれはまず屋根を破壊し、そのまま壁を突き破り、天井もまとめて貫通した後に、室内へと侵入。
 最終的にその一撃は遠慮無く床にめり込む事となる。
「…殺す気かよ」
 飛び跳ねた後、棚にしこたま背中を打ちつけた。
 お陰で意識が正常に戻る。
『冗談が言えるなら大丈夫だ。
「やかましい」
 床を突き抜け、土台をも破壊し、地面に深くめり込んだ棍棒。
「どういう力だ?」
 驚異、と言うより呆れた表情でシェゾは言う。
「この状況、やばいよなぁ…」
 大きく溜息を吐き出すシェゾ。
 棍棒が再び動き出したと同時に、シェゾは青の瞳をらん、と輝かせる。
 流れる様な動作で、不思議な事にあれだけ大騒ぎをした後でも手からこぼれ落ちる事の無かった闇の剣を構え直し、瓦礫と化した壁から一転、外の世界へ鳥の様に飛び出す。
「せぁっ!」
 闇に染まりし剣が、しかし眩く輝く。
 真横一文字に凪がれるそれに対しトロールは微動だに出来なかった。
 目に映るは眩き光。
 太陽が突っ込んできたかと思っていたかもしれない。
 そして、闇の波動により体は無数のワイヤーで縛り付けられたかの様に硬直する。
 まばゆさと同時に迫り来る、魔物をもってしてもを竦ませる程に恐れさせる、おぞましき闇の波動。
 思わず瞼を閉じたトロールが、次に瞼を開く機会は無かった。
 永遠に。
 巨大な肉塊と化したトロールは、倒れながら崩壊する。
 シェゾはそれを見て少しだけ眉をひそめた。
「ふっ!」
 息吹と共に、再びシェゾは跳躍する。
 サーペントはしばし躊躇するも、再び凶器以外の何物でもない尾を振り回し、シェゾをミンチにしようと襲いかかる。
 跳躍した筈のシェゾが、瞬きする間もなく地面に足をつけていた。
 その頭上を、虚しく空を切りながら尾が旋回する。
 頭上を越えようとしたその瞬間。
 闇の剣が下段から振り上げられる。
 岩にハンマーを打ちつけた様な音が響く。
 とても生物に斬りつけた音とは思えまい。
 その剣は、鉄の鱗をみるみるバナナの様にあっさりと断ち斬る。
 鮮やかな切り口は僅かの間斬られた事に気付かなかったのだろうか。
 それが地面に落ちてから、ようやく地を吹き出す。
 無論、本体側の切り口も。
「悪く思うな」
 そう言いつつも、微塵の躊躇のない剣筋が宙に舞い上がり、サーペントの額を割る。
 シェゾが地面に降り立つのと、サーペントが勢いよく地面に横臥するのは同時だった。
「……」
 今倒したサーペントも、先程のトロールと同じく、みるみる細胞を崩壊させ、ミンチより細かく崩れてゆく。
 それをよく見ると、血の反射以外に、小さなガラス粒を連想させる鋭い光の反射が確認出来る。
 シェゾは少しの間それを眺め、もう一度大きく溜息をつく。
『どうした?
「いや、な」
 それ以上何も言わず、シェゾはその場を離れる。
 後ろから、同じく狂気に満ちた連中が迫っている。
 ここにこれ以上留まるのはどう考えても得策ではなかった。
「あいつは、何処に行ったっけかな…」
 頭がぐらぐらする。
 歩くのも面倒くさく思える程に頭が痛い。
 気のせいか、体も重い。
 そのくせ、体内の気は変に充実して感じる。
 有限である精神力が泉の如く湧いているかの様な感覚がにわかにある。
 自分はこの感覚が意味するところを知っている。
「…冗談だろ」
 小さく呟き、頭を振る。
 二人は、街の外へ向かって歩き出した。

 森に、二つの銅像が並んでいた。
 微動だにしなかったそれがようやく動き出す。
 サタンは暫くの間ルーンをまじまじと、睨み付ける様に、値踏みする様に見詰めていた。
「…では、具体的に言ってみろ」
 何をする気だ?
 サタンは問うた。
『早い話、私、魔界に行こうと思います。
 さらりとにこやかに宣言するルーン。
「…は?」
 サタンは、あんぐりと口を開けていた。




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