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魔導物語 闇に生きると言うこと 第二部 第十二話



  街道 午後1時2分

「けっこう可愛かったね」
「あ?」
 声はシェゾの前方、胸の辺りから聞こえる。
「カーバンクルだよ。あたし、初めて見たもん」
「奴が…?」
 可愛い、か。
 シェゾはふっと笑う。
「えー、可愛いよ。なのにさ、シェゾってばあのおじさんにさっさと返しちゃうんだもん。ひどいなぁ」
 キャナはヘンな笑い方をするシェゾを見て言う。
 どうやら相当気に入っていたらしい。
「可愛い、ね…」
「? 可愛くない?」
 ん? と言う顔で振り向き、シェゾの顔をのぞき込むキャナ。
 二人は今、馬上で会話していた。
 本来は手綱さばきの邪魔になるので後ろに乗れと言ったのだが、前が何も見えない、とキャナはシェゾの前に陣取って動かない。
 結局折れたシェゾは仕方なしにキャナを抱きかかえる格好で馬を歩かせていた。
「こーんな形で、柔らかかったねー」
 キャナはカーバンクルの抱き心地を思い出して笑う。
 シェゾはカーバンクルの姿を思い出して考える。
 まぁ、本当に見た目で言うなら可愛い部類に入るのかもしれない。
 だが、外見とか能力以前に、奴の食欲を見たら彼女の考えも変わるだろう。
「かもな」
 シェゾはネタとしてでもカーバンクルを受け取っておいて良かったか、と笑った。
「でしょ? でさ、シェゾはどこ行くの?」
「まずはこの先の街だ。周囲の情報も欲しい」
「案内するのに」
 言ったでしょ、とキャナがシェゾの顔を下からのぞき込む。
「俺が知っておきたいんだよ。ずっと旅に付き合う訳じゃ無いだろ」
「あたしはずっとでもいいんだけどなー」
「そう思っても出来ない場合がある」
 それは意志である場合、事故の場合、そうなり得る理由は様々だ。
「ま、それもそうだね」
 キャナもうん、と頷いた。
 でも、と彼女が腕にかじりついた。
「それはね、どうしようもない場合だけだからね」
「…そうだな」
 二人は馬上で街を目指し続けていた。

「せぇいっ!」
 輝く白刃からカミソリの様な光が飛ぶ。
 それは前方で渦巻いていた土煙の中に飛び込み、ほぼ同時に重厚な悲鳴が聞こえた。
 光を放った男は空中で今の動作を行ったらしい。
 悲鳴から少し遅れて、男の両足が石の床に音を立てて着地した。
 土煙の中から、十を超える蔦の様な触手が飛び出す。
 先端は銛の様に尖り、しかもささくれだっている。
 それぞれの速度は速い。
 体に当たれば、先端の鋭さから見ても簡単に体を突き通してしまうだろう。
 形状からしても、その痛みは想像に難くない。
 ラグナスは冗談でもそれを想像するのは御免だ、とやや大げさな回避運動で攻撃を避け、蔦はむなしく空を斬った。
 だが、その蔦は先端をぐるりと回転させ、今度は背中からラグナスを襲う。
「なっ!?」
 直線以外の行動は予想外だった。
 ほんの僅か振り返るのが遅れていれば、その先端は今度こそ間違いなく彼を貫いていただろう。
 しかし。
「ぬんっ!」
 ラグナスは光の剣を中段に構え、そこから素早く円形に刃を振るう。
 瞬間、その軌跡をトレースしてやや黄色がかった光の円が生み出された。
 まるで、闇を白く切り抜いたかの様にそれは輝く。
 恐ろしげな蔦が光に突っ込む。
 それはそのまま光の円を終点として、突っ込んだ分だけ光に飲み込まれ、そして消滅していった。
 ライトシールド。
 聖なる光を以て魔をはね除け、消滅させるエネルギーの盾。
 ラグナスを貫かんと迫り来た蔦は消滅した。
 彼はそれを確認するや否や、少しずつクリアになった視界の奥に蠢く敵を再確認する。
「意外に固かったか」
 ラグナスはもう一度気合いを込め、眩く光る刃を振りかぶりつつ突進した。
「せぁっ!」
 敵は何も出来なかった。
 奇妙な触手を生やした巨大なウニを連想させていたそれは、真っ二つに切り裂かれつつ、そのまま崩壊して姿を消す。
 完全に土煙が消え、周囲が完全に静寂を取り戻す。
 ラグナスはようやく大きな溜息をついた。
「…どういう場所だよ、ここは」
 やれやれ、と頭を振って周囲を見渡す。
 明かりこそ消えているが、それでも一目で壮大と分かる巨大な建物の内部。
 どれ程の間、人が通っていないのだろうか。
 壁、天井の装飾は所々が剥がれ落ち、ひびを巡らせている。
 だがそれでも尚美しいそこは、ロココ調の装飾で彩られた巨大な回廊だった。
 ラグナスがここに来たのは半日程前の事である。
 彼は魔界に来る前に聞かされた情報により、意識的にこの場所を目指していた。
「嵌められたって事は…無いだろうな」
 そう言ってから彼は自分に驚く。
 あの人に対して、俺は今何と言った…!?
 ぶん、と頭を振り、ラグナスは進む。
 信じること。
 それが今の自分に出来ることなのだ。
 あの日、人間界で彼は『二人』と話をした。
 一人。
 それはかつて対峙した事もある男。
 ルーン・ロード。
 自分が知る限りではシェゾともう一人、本物の闇の魔導士だ。

『彼は旅立ちました。
 突然、背中からの声だった。
 まばらな木立の中、ラグナスはいつもの様に剣の稽古をしていた。
 稽古とはいえ、神経は実戦さながらに張り詰めさせていた筈だった。
 その自分が、実体がない相手とは言えまともに背後を取られたのだ。
 その事実。
 驚愕と言うか落胆というか、とにかくショックだった事だけは覚えている。
「…彼って、あいつの事か?」
 距離を取りつつラグナスは問う。
 視線の先に、まるで実体がいるかの如くルーンは立っていた。
 涼やかな表情、見た目より大柄だが、それを感じさせないスリムな体のライン。
 いつもの事だが、外見からすると到底破壊を司る闇の魔導士とは思えない。
 ルーンは静かに頷く。
『今回の事は、彼にとってもなかなかの重荷となるでしょう。もしかしたら…。
 妙に口調が涼やかなので、ラグナスは逆に嫌悪感を覚える。
「何だよ?」
『いえ、友が居なくなると言うのは、寂しいものだと言う事ですよ。親しければ親しい程、ね。
「俺があいつの? …誰がそんな」
『あ、そうだったんですか。
「!」
 ラグナスは馬鹿みたいな引っかけに掛かった事で真っ赤になる。
「っつ…そんな事聞きに来たんじゃ無いだろ! 忘れるな! 俺はお前の敵だ! いつでも本気でやるぞ!」
『はいはい。まぁ、そんな事よりも聞いてください。
「……」
 ラグナスは居心地の悪さにむず痒さを覚えつつも、まずは従う事とした。
「で、シェゾが何なんだよ? 魔界とのいざこざなら、いつもじゃないけどよくある事だろ?」
 ラグナスは木の根本にどっかりと腰を下ろして問う。
『ま、それだけならいつもの事なのですがね。
 姿はない。
 代わりに声はラグナスの頭上から聞こえた。
 相変わらず悪趣味な、とラグナスは眉をひそめた。
『相手が問題なのですよ。今回は。
「相手? それ言うなら、あのサタン相手だっていつもの事なんだぜ?」
『どういう意図があれ、好意的かそうでないか。これは大切です。サタンは例外中の例外なのですよ。分かっているでしょう。
「…まぁ、な」
 元よりサタン達魔族と闇の魔導士は、一般的にこそ同類と見なされているが、事実はそうでもない。
 大雑把に言えば、自分の様な光の存在よりも闇の魔導士の方が魔族には嫌われていると言っていいのだ。
「近親憎悪って言葉もあったな」
『そんな感じです。闇魔導とは、扱いによってはそこらの魔界の魔力、から天界の聖魔導すらも足元にも及ばなくなる事があるのですから。
 こちらになびけば良しだが、そんな可愛い連中でもないから問題なのだ。
「危険なブツだ。闇魔導ってのは…まったく」
 ラグナスは心底そう思った。
『あなたにどうこうしろとは言いません。言っても従う気は無いでしょ。
「…内容による」
 そうだ、とは言えないところがラグナスの基本的によい子な所である。
『では好都合。ラグナス、魔界へ行ってくれませんか? シェゾは、あなたをきっと必要としています。間違っても口にはしないでしょうがね。
「だろうな」
 ラグナスは思わず失笑する。
「っつったく、これだけ闇魔導士とくっちゃべる光の者なんて歴史に存在するのかね」
 ふぅ、とため息。
「で、質問だ」
『何です?
「そいつらの目的は何だ?」
『そこまでは分かりません。ただ、何にしても人間界、天界にとって影響のある行為には違いないでしょう。
「…自分で探せ、か」
『今回の事で行動を起こす場合、大抵の者は敵と思った方が良いでしょう。たとえ、貴方のクライアントでもね。
「どういう事だ」
 ラグナスの眉がぴくりとつり上がる。
 対してルーンはにこりと眉を下げた。
『今回の件、仕掛けたのは、はたしてどちら側でしょうね?」
「…何だと?」
『魔界にとって天界は邪魔。それは、天界にとっても同じ。
「…お前の言う事を、そんな簡単に…」
 天界にとっても、魔界にとっても、人間という存在は結局…
「…黙れ…黙れ!」
 ラグナスはその場を逃げる様にして離れた。
「…くそ! あの野郎…」
 ラグナスは石ころを蹴り、忌々しげに悪態を付く。
 だが、逃げた自分が何よりも忌々しかった。
 何故、まともに否定しようとしなかったのか。

「……」
 気がつくと、窓の外にはもうすぐ太陽が昇ろうとしていた。
 自分でも何時家に帰ったのか分からなかったが、いつの間にかラグナスは自室のベッドに突っ伏していた。
 何度目か分からない大きなため息。
 考えるべき事は山程ある筈だというのに、どうしてもそれを考える気になれない。
 五月蠅く感じる程の静寂におぼれながら、ラグナスはとにかく眠ってしまいたかった。
 昨日、ルーンに出会ったその後。
 自分は街に向かっていた。
 あの時は、確かに自分は待ちに向かおうと思っていた。
 だが、途中でもう一人、ある意味最も会いたくない人物に会ってしまう。
 そのお陰でラグナスはすっかりくさってしまっていた。
 一晩経っても気分は良くならず、彼にしては随分とマイナスな気持ちを引きずり続けていた。
 次に気がつくと、窓の外には太陽が輝いていた。
 ラグナスは着替えもせずに寝ていた自分にため息をつき、だるそうに起きあがる。
「…行くか」
 わだかまりはまだ消えない。
 だが、確信している事もある。
 自分は、行かなければならないという事。
 それだけは、誰に何を言われようと買える気はない。
 たとえ、誰であろうと。
「誰だろうと、俺は俺だ…」
 ラグナスは頭を振って街に向かいだした。
 街に着いた頃には、ちょうど昼時だった。
 にわかに人々の動きは活発となり、それぞれが心なし愉しそうにしながら、どこかへと食事に向かおうとしていた。
 俺も何か食うか。
 ラグナスは昨日から何も食べていない事を思い出し、割となじみの店へ向かう。
 そして、飯など食わずさっさと用を済ませば良かったと後悔する。
「ラグナス」
「……」
 ラグナスは店で相席を頼まれた。
 それはよくある事。
 だが、相手が悪かった。
「やぁ、アルル…」
 ラグナスは実に分かりやすい、ぎくしゃくとした態度で挨拶しながら席に着いた。
 既にアルルは食事を終えていたらしい。
 今は紅茶とケーキで食後のデザートを楽しんでいる様だった。
 それと、何か柔らかい物を踏んでしまったので気付いたのだが、バケツジュースを足下で飲むカーバンクルも居た。
「……」
「……」
 ウエイターに日替わりランチを頼んだ後、二人は何となく黙ってしまう。
 二人の脳裏には、お互いがシェゾを最後に見たあの時の情景が鮮明に映し出されていた。
 対峙し、力にねじ伏せられたラグナス。
 救いを差し伸べようとして、拒否されたアルル。
 二人は共通する男の顔を思い出し、深くため息をついた。
「あー、あいつはな、ちょっと季節の変わり目で具合悪くして、湯治に…」
 自分でも間抜けすぎると思う良い訳。
 これなら言わない方が良いと言ってから思ってしまった。
 そして無論、アルルも予想を裏切らぬ返答をする。
「そういうの良くないよ」
「いや…すまん。だが…」
 正直な事をっても、それもアルルの為となるかどうかは怪しい。
 ラグナスは足下のクッションを手持ちぶさたにぐりぐりと踏んづけつつ困惑した。
「サタンに会ったの」
「!?」
「シェゾは今どこか遠くにいて、とにかく色々大変な状況だって、それだけは教えてくれた」
「……」
「でも、今はとにかく、今は元気だって教えてくれた。でも…」
「そうか」
「ラグナス、教えて。シェゾは、今どこにいるの? ボク、やっぱり逢いたい! 荷物持ちでもお料理でも何か絶対役に立つ! 魔導力が必要ならあげるよ! だから…教えて…」
 アルルはしおれる様にうなだれ、小さな方を震わせていた。
 今も足下で音を立ててジュースを飲むオレンジの物体を思い切り踏んづけて雑音んを消すと、ラグナスは呟いた。
「アルル」
 ラグナスが、今までに聞いた事もない無い様な低い声で言う。
「…何」
 得体の知れぬ迫力を感じたアルルは、何か悪い事でもした様な表情でラグナスを見る。
「あいつは、今…魔界にいる筈だ」
「え!?」
 ケーキ皿から、生クリームをたっぷり纏ったフォークが、乾いた音を立てて床に落ちた。
「ぐー」
 床の下で何か堅い物が砕ける音が聞こえたが、もうこの際それは無視しておく。
「なん、で…? シェゾが、どうして? あんなに体調悪かったのに…危険だよ!」
「体調が悪いから、行ったんだ」
「それって…」
「魔界に、原因がある」
「…!」
 アルルは直感的に思い当たる節を探しだし、納得したくなかった納得をする。
「ボク…あの人の側に行く事も出来ない…」
 アルルはいよいよ机に突っ伏しそうな程に頭を下げた。
「アルル」
 ラグナスは静かにその名を呼ぶ。
「……」
「あいつを信じろ。俺には、それしか言えない」
 端的な、しかし最も確実な答え。
 ラグナスはその言葉しか思いつかない。
「ラグナス…」
 アルルが顔を上げる。
「ラグナスは、どうするの?」
「どうって?」
「シェゾを助けに、行ってくれないの?」
「さてな?」
 わざと無関心に呟く。
「……」
 てっきり罵声の一つも来るかと思いきや、アルルはじっとラグナスの顔を見たまま押し黙る。
 何か違うな、と思いつつラグナスもアルルを見た。
「そう言う所って…男の子同士には叶わないところ、あるんだもん…ずるい…」
「え?」
 ラグナスは一瞬、心の奥底まで見透かされたかの様に思え、ぎょっとする。
「いや、アルル? えーと…」
「いいんだ。ボクは、それでもきっと…だから、頑張ってね」
 すこし、明るい笑顔を取り戻して笑うアルル。
「あ、ああ」
「もしも、もしもさ」
「ん?」
「無神経な朴念仁のお馬鹿に会ったら言ってね」
「……」
 ラグナスは顔を引きつらせる。
「そうそう諦めないって」
「…分かった。誰の事かは知らんが、伝える」
「ん。ありがと」
 アルルは立ち上がり、またね、と言い残して店の外に消えた。
「…まいったね」
 それでも少し気が楽になったラグナスは、リラックスした表情で頬を緩める事が出来た。
 何か、良い方向に進めそうな気がする。
 そう思った矢先。
「ぐー」
 心なし、怒った様な鳴き声と共にオレンジ色の光線がラグナスの視界を埋め尽くし、それがそのまま店内に鮮やかな爆発を起こしたのは同時だった。




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