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魔導物語 闇に生きると言うこと 第二部 第十一話



  サタン別荘宅 午後2時23分

「げんきー? って言うか生きてる?」
 アルルはいつもの様にその部屋に入ってきた。
 案内のメイドが幾分おろおろしながら先導している以外はいつも通りの対応。
 そして。
「…お、お前な…」
 対してサタンは流石に渋い声である。
 最も、マリモみたいなアフロヘアで、おまけに顔を煤けさせて真っ黒にしていたのではその声にも威厳は感じられない。
 大穴の空いた壁を早速修理にかかっている部下達をそこに置き、二人は別の部屋に移る事となる。
「…しかし、今回はちょっと遊びが過ぎないか?」
 顔の煤を拭いて焦げた服も着替えた後、サタンが部屋に来ての第一声である。
「仲間はずれにするからだよ」
 アルルは至って真面目な顔で言う。
 相変わらず頭だけはアフロのサタンが、やや渋い顔で笑った。
 サタンの執務室と同じくらいの大きさの客間。
 二人は巨大なローテーブルを挟んで、黒光りする皮のソファーに座って茶を飲みながら話している。
 ちなみにカーバンクルはメイドが二人掛かりで腰を入れて運んできた、巨大なお盆に山盛りの菓子にかぶりついている。
 柔らかに鞣されたその皮ソファーは、よくある柔らかいだけで座りにくい事この上ないソファーと違い、何時間でも同じ体勢でいられそうな快適な座り心地を提供している。
 以前聞いた話だと、皮自体の弾力がすごいのだという。
 何の皮かと聞いたのだが、サタンが何故か知らない方がいいと言ってそのままなので、アルルはその正体を知らない。
 それは生きている皮なのだ、という事実。
 確かに知らない方が彼女の心の平穏の為であろう。
「シェゾがさ、最近おかしいの。サタンは、知っていたんでしょ?」
「奴は元からあーぱーだ。そうそう、珍しい菓子が手に入ったぞ。かすてぃらと言う焼き菓子だが、食うか?」
「真面目な話なの」
 アルルはサタンをじっとりと睨む。
「……」
 サタンは、やっぱり胡麻化すのは無理か、と天井を仰いてコーヒーを飲む。
「闇の魔導士がね、体長悪くする…ううん、魔導力的な事で具合を悪くすることって、どういう時なの?」
「いきなり核心だな」
 アルルは自分やウイッチがシェゾに関して知りうる事を説明する。所々に感情が含まれている場面があるが、それはまぁ、人づての話なら誤差の範囲内だろう。
「成る程」
「で、シェゾ、居なくなったの。ウイッチが聞いたって言う精霊の話と合わせても、シェゾの魔導力って言うかとにかく身体的な所に何かおかしな事が起きているのは間違いないよね? …でしょ?」
 サタンは無論事の顛末をほぼ理解しているが、それでも今のアルルのおかげで新しい収穫を少々得る事が出来た。
 ふむ、とサタンは新しい情報を整理する。
 やはり精霊にも、影響が出始めている。
 それに、シェゾの影響はやはり強いらしいな…。
 しかし、他の魔導士共の影響が殊の外少ない。
 アルルにも、これだけ影響が出始めているのなら、何かしら反応がありそうなものなのだがな…。
「……」
 何やら神妙な顔つきで思案に暮れるサタン。
 アルルは、そんな表情をするサタンは正直ちゃんとかっこいいと思う。
 アフロだけど。
 そしてサタンは、この前シェゾに採取させた奇形ぷよの解析結果にますます興味を沸かせていた。
 何やら手間取っているが、それでもあと四日もあれば結果は出る筈だ。
「で、ちょっと? 聞いてる?」
「うむ」
「ならさぁ、隠してないでボクにも教えてよ。気持ち悪いもん」
 アルルがじと目でサタンを睨め付けつつ、カモミールティーを飲む。
「ふぅむ…」
 サタンは、アルルの願いと言うのに珍しく上の空で考えていた。
「おーい」
 ふと、サタンが切り返す。
「ところでアルル」
「なに?」
 アルルは期待に瞳を輝かせる。
「カーバンクルを貸してくれ」
「…は?」
 耳が腐ったと思った。
「いや、だから、カーバンクルをしばし貸して欲しいのだ」
 アルルはこんな時に何を…、と言う顔でサタンを見るが、ふとある事に気付く。
「…? 『カーバンクル』を?」
「うむ」
 サタンがカーくんをカーバンクルと呼んだ。
 それはつまり、カーバンクル、その個体としての彼に用があると言う事であろうか。
 アルルはこの辺りに今回、サタンがやたらと問題をはぐらかす理由があると踏んだ。
「いいよ」
「おお、それは助か…」「ボク付きならいいよ」
 至極当然な条件を付けてみる。
 サタンは眉をひそめた。
「普段なら…うむ、普段なら、むしろこちらから願いたい位に有り難い申し出なのだが、今回は遠慮願おう」
「……」
 今のサタンにはとりつく島がない。
 冷たいくらいに。
「そう言う、そう言う事言うと…貸さないよ…」
 ジョーカーだと思っていたカードが、あっさりクラブの2になってしまった。
 アルルの最後のあがきのブラフも、もはや何の威力も持たない。
「こちらもこういう言い方をしたくはないのだが、これはシェゾの為だ、と言ったらどうする?」
 今度こそアルルは打ちのめされた。
 ジョーカーを持っていたのはサタンだったのである。
 カードの効果は尚も遺憾なく発揮される。
「アルルよ。奴を、僅かでも本当に案ずる気があるのなら今は…大人しくカーバンクルを貸してくれ。頼む」
 厳として、しかし優しげな物言いのサタン。
 今までになく真面目な物言い。
 アルルはこんな時だというのに、思わずこんな顔もするんだ、とサタンを見た。
 アフロだけど。
「…ボクに、用は無いの? シェゾの為…ボク…がんばるよ…?」
「解ってくれ」
 アルルはうなだれ、暫く言葉を発する事が出来なかった。
 やがて。
「…うん」
 アルルはそう言いうと、俯いたまま立ち上がる。
 そしてのそのそと歩き出し、菓子をかっ食らっていたカーバンクルをひっ掴んだ。
「ぐ、ぐ!?」
 何やら静かなる殺気にも似た気配を漂わせる主に、カーバンクルは背筋を凍らせた。
 カーバンクルは点と線で出来た顔を可能な限り不安に染めてアルルを見上げる。
 ひょい、とカーバンクルはそのまま掴み上げられ、アルルは無造作に、かつ全力でオレンジの物体をサタンに向かってぶん投げた。
「ぐは!」
 何がどうなるという事でもないが、せめて何か一矢報いねばと思って投げたそれは、油断していたサタンの顔にカーバンクルヒットをぶっこかせる。
 だが、それでもカーバンクルとの厚い包容には変わりないので、サタンは実に満足げに顔を赤くして、はらりと顔からずりおちたカーバンクルを受け取った。
「うむ、確かに」
 何やら不可思議な空気の中。
 カーバンクルは何となく逆らう事が出来ずにいた。
「……」
 アルルは言い様のない不満のオーラを放ちつつもソファーに座る。
 少しの間黙った後。
「ここに、居てもいい? カーくんが帰ってくるまで…。で、結果ぐらい教えてよ」
 これだけは。
 正に懇願を絵に描いた様な表情だった。
「そうだな…いいだろう。部屋はメイドに言ってくれ。どこでもいいぞ」
「うん…」
 アルルはほんの指先ほどの抵抗をかろうじて成功させた。
 そして。
「ねぇ、サタン」
「なんだ?」
「アフロはやめた方がいいよ」
 アルルは部屋を出る。
「……」
 サタンは流石にやりきれないこの憤り、一体どうしたものかと暫くその場に立ちすくんで悩んでいた。

 二日後。
「あれ? カーくん…」
「ぐー」
 黄色い生物は何事も無かったかの様に脳天気な顔でアルルの元へ戻った。
 渋い顔をしているサタン。
「サタン…シェゾ、は? もういいの?」
 アルルは万が一にも、と思いつつも不安の混じった声で問う。
「あー…いや、それがな…」
 サタンは大きくため息をついた。
「あのアホ、わっざわざこの私が規約ぎりぎりの線でカーバンクルを触媒として使わせてやろうと送ったのに…この私が自らの足で送ったというのに! いらんと抜かして放り投げて返しよったわ!」
「……」
 よく状況は飲み込めないが、とにかくシェゾは元気らしい。
 アルルはここ数日の精神的緊迫が解け、その場にへたり込んでしまった。
「シェゾ…元気、なんだ」
 意識したつもりはなかったが、シェゾに異変が起きたと知ったあの瞬間からアルルは寝ても覚めても、一時とて弛む瞬間の無い極度の緊張状態だった。
 それが今、ようやくぷっつりと途切れた。
 床にぽつり、と濃い色が塗られ、それは二つ三つと数を増やす。
「ぐー?」
 顔を両手で多い肩を震わせる主人を見て、カーバンクルは珍しく心配そうな顔をする。
 そんな一人と一匹を遠くで見守るサタンは、何とも幸せな阿呆たれ小僧を思い浮かべ、うらやましいやらねたましいやらで殺意を押さえるのに必死だった。
 ついでに、どうせ返されたなら一日くらいカーくんと遊んでても良かったかな? とかも思ったりしていたのは内緒である。
 その夜。
 サタンは早々に引き上げてしまったアルルを見送った後の夜空を見ていた。
「シェゾよ、つくづく危険を好む男だな…」
 そんな言葉を呟くサタンの口元は緩やかに弛んでいた。
 まるで、シェゾのこれからを予言するかの如く。
 事は一時とて停滞せずに進む。
 シェゾが動き出す時期も近いようであった。




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