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魔導物語 闇に生きると言うこと 第二部 第十三話



 第十三話
  

 人の気配、いや、生き物の気配を感じぬ荒涼とした荒れ地に、一つの人影があった。
 地平線の果てまでも続くかと思われるその広大な土地。
 その中心に人影があった。
 墨で塗った様な漆黒のローブ。
 顔が見える筈のフード部分も、灯りを消したかの様に暗く、黒い。
 性別も分からぬその風貌だが、がたいの良さと大きさからして、多分男と判断して間違いないだろう。
 一体何時間前から居るのかと思う程に、その人物は立ちつくしていた。
 風でフードが揺れる以外、動く気配という物がない。
 まるで、案山子にフードをかぶせているのかと思う程に。
 微風。
 そして次の瞬間。
 地面の僅かな養分を必死に吸いながら地面に張り付く、痩せた草花をごう、と突風が凪いだ。
 だがおかしい。
 平原に吹くその風は、たった今まで吹いていた風とは正反対の方向から吹き始める。
 僅かな微風は、津波の様に押し寄せる突風の前に粉みじんに消え去った。
 突風は、程なくしてローブの男の元まで届く。
 風が男に届いた。
 そう思った刹那、ローブの男が突如姿を消失させる。
 残像も、地面の蹴り跡もない。
 まさしく、跡形もなく消えていた。
 それと同時に、地面が破裂したかの様に土を舞上げる。
 突風が、大砲を撃ち込んだかの如き破壊力で地面を吹き飛ばしたのだ。
 突風はそのままローブの男が立っていた位置に停滞し、周囲を伺うかの如く旋毛を巻き続けた。
 突然、風の真上から冗談の様に巨大な刃が振り落とされる。
 ローブの男が、どこから取り出したのかとまずそちらを考えたくなる程の大きさ。
 斬馬刀と言う言葉があるが、それは馬どころか象すら両断出来そうな剣だった。
 元より風。
 つむじ風は、中心から難なく剣筋を受け入れる。
 男は大上段の構えから振り落とした剣で、風の中心を裂いたのだった。
 相手は空気。
 何も意味はなさぬ筈だった。
 だが、天から地までを貫かれたつむじ風は何とその透明である風のままに二つに分かれ、あろう事か別れたそれぞれが悶え苦しむかの如くめちゃくちゃに風を巻き続ける。
 それはやがて小さな微風となり、元より姿はないのだが、跡形もなく消え去った。
 一応、風としては当然の消え方。
 ローブの男は地面の数ミリ手前で寸止めしたままの剣を下段に持ち替え、風の消失を確認した。
 しかし次の瞬間。
 男を中心に、半径十メートルの円上に再び突風が巻き起こった。
 それは瞬時に竜巻となり、男を竜巻の目に閉じこめる。
 風は周囲の地面を削り取りながらその大きさを狭め、じりじりと男に迫った。
 男は竜巻の上を見上げる。
 風は、上部にゆく程細く、狭く、螺旋状にうねっている。
 見た目は薄い風の壁だが、その様な甘い展開は期待するだけ無駄だろう。
 男は再び剣を構える。
「……」
 初めて男が生きているらしい動作をする。
 声こそ聞こえなかったが、静かに、ゆっくりと深い息吹を流した。
 じりじりと足を広げ、思い切り腰を落としつつ剣を中段と下段の間の位置で構える。
 体は思い切り捻られ、巨大な剣は背中に回る。
 剣の切っ先が剣竜巻に触れそうになったその瞬間、男は竜巻の回転方向と逆回転で、剣を振った。
 ごう、と風切り音が聞こえる。
 轟音を轟かせる竜巻の中にあって尚、耳に聞こえるその音。
 男は自信が竜巻の様に回転し、竜巻のベクトルと正反対の方向に切っ先をたたきつける。
「むぅっ」
 男の体が、勢い余って浮かび上がった。
 竜巻と剣の風の抵抗は反作用によって音速を超え、ソニックブームと共にその衝撃でかき消えた。
 竜巻がかき消えてから、男は妙にゆっくりとした動作で地面に足を戻す。
 同時にふらりと体を揺らがせ、剣を手から落とすと片膝を付いた。
「く…。この俺が…忌々しい…」
 男は頭を振り、地面に落ちた剣を掴んで立ち上がる。
 男が剣を一振りすると、次の瞬間にはその手から剣が消えていた。
 男は空を仰ぐ。
「ここは何層だ?」
 少しの沈黙の後。
『申し訳ありません。未だ、不明です。
 男の頭の中に声が聞こえた。
「急げ。いつまでも好き勝手させる程、俺は寛大じゃない」
『はい。急ぎます。
「奴は動き出したか?」
『はい。
「何かあれば報告しろ」
『はい。
「俺は探す」
『御武運をお祈りし……
 声は消えた。
 男はほんの僅かの間、言葉を待つ。
 だが、それきり言葉は途絶えた。
 いや、もう応えられなくなった、が正しいのかもしれない。
「奴の力でも、十秒持つか持たぬか、か」
 見渡す限りの荒れ野原。
 黒のローブの男は、再び歩き始める。
 何処へともなく。
 何の為とも知れずに。

「それぞれ、我ら四大実力者は得意な分野という物がある」
 シェゾはいつかサタンが言っていた言葉を思い出す。
「え? 何か言った?」
「いや…」
 シェゾ、そしてキャナは次の宿泊地であり、目的であるはずの四大実力者の一人、ベールゼブブが支配する地域の街にたどり着いていた。
「コーヒー」
「ん」
 シェゾはベッドに座り、古ぼけた本を読みふけっている。
 キャナも隣に座り、頭をシェゾの肩に預けると、何となく外を眺めてぼーっとしていた。
 場所は小さな宿屋。
 シェゾは今日の寝床と決めた宿で、食事もそこそこにサタンから受け取った本を読んでいた。
 それは言うなれば魔界の歴史書。
 しかも、サタンの蔵書の中でも特に貴重な部類となる、数少ない原本のうちの一冊だった。
「で、それなに?」
「難しい本」
「…バカにしている?」
 じと目で睨むキャナに、シェゾはほれ、と手渡そうとする。
 キャナはそれを手に取ろうと手を差し出す。
 途端。
「わぁっ!」
 触れた指先にしびれが走る。
 本は床に落ちた。
「おい、乱暴に扱うな。これでも、本当に大切な本だぞ」
「な、なな…何? 今の…?」
「あ?」
「手、しびれた…」
 キャナは今も微かに震える指をシェゾに向けた。
「…ああ」
 シェゾはそれを見て納得する。
「そうかそうか」
 そう言って本を拾うと、何事もなかったかの様に再び本を読み始める。
「あの」
「ん?」
「りゆうっ!」
 無視するな、とシェゾの頭をぽかぽかと叩く。
「痛い」
「うそっ!」
 実際嘘だが、鬱陶しいのは確か。
「この本な、古いだけじゃなくて、力が宿っているんだよ」
 頭を撫でる手をどけ、シェゾが説明する。
「ちから?」
「マジックアイテムは知っているだろ。この本には、えらい昔からの魔界の歴史や、普通は書かれていない様な事まで記されている。所謂、裏の歴史ってやつとかもだ」
「…そんなすごい本なの?」
「すごい本だ。で、書いた奴もまたすごい。今の四大実力者なんかよりずっと前に魔界を支配していた奴が最初の著者で、それ以降魔界を支配してきた連中が次々と書き足していった本だ」
「……」
 キャナはベッドに上がり、そのまま反対側まで後ずさる。
「何だ?」
 警戒した猫みたいな仕草に、シェゾは思わず笑って問う。
「ホント、あんたが分からないわ」
 シェゾを見つめて、キャナが本気で不思議そうに呟いた。
「だから何がだよ」
「あたしたち下っ端の魔族にとっては、一級悪魔でもう近寄りがたい存在なのよ。それが魔王様となればもうそれだけでお話の存在。四大実力者様なんていったら、その名前、公の場じゃ畏れ多いどころか口に出す事も憚られる存在よ」
「そこまでのもんか?」
「まぁ、これは本当に正しい…って言うか教科書通りに誠実に述べた場合だけど。無論、不躾な連中はそこまで偉いと思ってないのも居るわ。でも、おおむね一般論よ」
「…へぇ」
「あんたは人間だからそこまでの意識は無いんだろうけど、とにかくそう言う存在なの。四大実力者様は、そしてそれ以前の支配者様は」
 普段は大雑把な性格だが、ここだけは本気で神妙な語り口のキャナ。
 シェゾはそんな存在の一人であるサタンにちょっと感心する
「じゃ、もしもお目にかかれたらどうする?」
「死んじゃうよ!」
 身を竦ませ、ぷるぷると頭を振る。
「そんなもんかね」
「そんなもんなの! 怖い事言わないで!」
 シェゾはそんなキャナを見て笑った。
 お前、その四大実力者様の一人に会って話して、用事頼まれて、しかもそいつの事おっさんって言ったぞ。
 これを話したら一体彼女はどうなるのだろう?
 シェゾはそれを想像すると笑いが止まらなかった。
「な、なによぉ!」
 隅で小さくなっていたキャナが、今度はシェゾに向かって突進する。
 躊躇無く、猫が頭突きをする様に迫ってきたので、シェゾはついそれを受け入れてします。
 タックルを受けたシェゾはそのままベッドに倒れ、キャナもそのまま倒れ込む。
 二人はベッドの上で寝ころんだまま、いつの間にか一緒に笑っていた。

「いや、んな事しとる場合違うのだが…」
 人間界。
 サタンが薄暗い部屋でぼそりと呟いた。
「何がでございますか?」
 背後からそっと問う声。
「こっちの話だ」
 ほんの僅か、蛍の灯り程度に輝いていた水晶玉の光が消え、うっすらと移っていた何かの風景が消える。
 たった今まで、この部屋にはサタンしか居なかった。
 執事は、闇の中から浮き出た様に現れる。
「は、失礼いたしました」
 ややいびつなはげ頭から小さな一本角を生やした、初老と思わしき執事が丁寧に頭を下げる。
「で、何だ? 用がなければ入るなと言ってあるだろう」
「はい、あの者がまた…返しますか?」
 一歩前に進み、困った様に進言する。
「あの?」
「例の魔女でございます。お目通りを、などと言っておりますが」
 一時考え、ああ、と頷く。
「あそ」
 興味も何もない返答。
「いかが致します?」
「んー…。まぁいいだろう。なにやら掴んだのやもしれん。一応、話を聞く。知らぬ仲でもないしな」
 客間に通せ、と指示を出す。
 執事が、承知しました、と部屋を後にした。
「人間界にも、大分影響が現れて来た、と言う事か…」
 サタンは小さくため息を吐くと、ゆっくり席を立ち、部屋を後にした。
 部屋に残された水晶は、ほんの僅かに停滞した紫の灯りを薄く、小さく灯し続けていた。

「お久しぶりです、サタン」
 数多く用意された客室の内でも広い方に当たる一室。
 サタンが部屋に入ると、そこには銀髪のロングヘアも美しい、見た目は妙齢の女性が座っていた。
「久しぶりだな」
 サタンは部屋に入る。
 女性はそっと席を立ち、テーブルの対面まで近付いたサタンにそっと一礼した。
「うむ、楽にしろ。ところで、一体何の用だ? 名にしおう純粋たる魔女の血族が神祖と並び称される偉大な長、ウイッシュよ」
 ウイッシュ。
 ウイッチの祖母にしてウイッチの一族の長を務める女性。
 無論の事魔導には長け、数ある魔女の一族の中でも、特に潜在能力に長ける。
 その能力故か、彼女は実年齢に対して実に若い外見を持つ。
 一般的に魔女の年齢を見極めるのは難しいとされるが、その代表こそがウイッシュだろう。
「随分褒めてくださるのね。でも、今程その通り名が重荷に感じる時はありません」
 その言葉に、覇気は感じられなかった。
「それは何故?」
「それは、知っていらしているのでしょう?」
 ウイッシュはサタンに座れと進められると、力無く革張りの椅子に腰掛けた。
「少し前、うちの孫が、倒れました」
「それは災難だ」
「まだ孫は、魔女としては半人前ですが、魔女としての感覚、気質は充分に備わっていた事が逆に災いしたのでしょう。下手に異質な感覚を鋭敏に感知してしまったが為、その感覚に飲み込まれかけてしまったのです」
「症状は?」
「肉体的には、微熱と頭痛。締め付けられる様な体の気怠さ。それと、少々意識が混濁し、時折記憶の混乱が見える様子です」
「魔導的には?」
「…波がありますが、全体的に体内の魔導力が上昇しています。しかも、かなり上質に能力が上がっています」
「ふむ」
「ただ、それは本人の意志とは無関係に、です。本人の意志、能力を無視した魔導力の上昇は、過酸素吸入と同じ。しかも、魔導力の不具合や損失で済めばまだ良いのですが、下手をすればその負荷が脳に達し、精神的に病み、そして、最悪は…」
「ふむ」
 典型的な症状だ。
 サタンは確信した。
「いつ頃だ?」
「二日程前に発症しました。多分、その少し前から潜伏期間の様な物はあったと思います」
「ふむ」
 とりあえず新しいデータだ、とサタンは頷いた。
 その表情、特にウイッシュの孫に対する気遣いは見えなかった。
「ところで、いいのか? お前がこんな所にいると知れたら、他の魔女の一族がここぞとばかりに騒ぎ立てるぞ?」
「普段なら、そうですけど…」
「事実、過去にはお前の曾祖母も一時、北の魔女一族に覇権を奪われかけたではないか。私と関わっていたと言うだけでな」
 ウイッシュの一族をはじめとする魔女の一族。
 彼女達は、人間界に置いてサタンの正体を知る数少ない人々である。
 その経緯はあまりにも過去に遡る故に定かではない。
 主だった考えられる理由として上げられるのは、やはり亜人ならばともかく、生物的には間違いなく人間でありながら、一般人とは比べ物にならぬ魔導力の潜在的能力の高さが上げられる。
 一説には遺伝子レベルまで遡るが、太古に魔族と交わった人間の末裔ではとも言われ、また一説にはそもそも人間とは、実は源流の異なる進化を遂げた種族ではとも言われている。
 ウイッシュ達魔女の一族が、細々とはいえ魔族との交流があるのも、こういった特殊な背景がある故である。
「予想通り、いや、今はまだ予想範囲内と言っていいか…今しばらくは安心しろ」
「サタン、この件に関して何か一家言あるのですか? よろしければ、教えてください」
「そんな大層な物ではない。ただの実験と症例から導き出した結果だ」
「それすら、私達には理解出来ないのです。お願いします」
 ウイッシュは切な表情で訴える。
「あー、言うのは構わんが、今のところプラスの情報はないぞ。言ってもがっかりする内容ばかりだ。症状の悪化具合とか余命がどれくらいとか…」
「余命!?」
 がたりと椅子から飛び上がる。
 物腰柔らかなウイッシュと言えど、流石に声が高くなっていた。
「まさか? そこまで…?」
 思わぬ解答に両の手が震える。
「だから言っただろうが。今のところこの…何というか、仮に病気としておくが、これは死病だ。しかも感染した者はほぼ間違いなく死ぬ。人間も、人間とは比べ物にならぬ魔導耐性を持つ魔族すらも、だ」
 ウイッシュは顔色を失った。
 思わず立ち上がった体を、崩れる様に椅子に落とす。
「そんな…」
「事実、多少マナに中てられても平気な精神力を持つアウルベアにも、発狂後に死亡という実例が報告されている。まぁ、魔物の場合は元よりマナと魔導力の相性がよい故に症状も進みやすかったのだろうがな」
「で、では…人の場合は? まさか、何かもう他の症例が…」
「まぁ、今のところだが、人の場合は元からマナとの相性は最悪だからな。発症したとしても、暫くの間はちょっと重いインフルエンザと思っていい。暫くは、な」
「その、発症例は一体…出来れば、会いたいのですが…」
 ウイッシュは両の手を胸の前で握りしめて問う。
 今の今までウイッチの世話をしていたというのに、何も分かっていない。
 その人物に会ったところで、結局何も分からないかも知れない。
 しかし、それでもその人に会う事で、今までは分からなかった何かが分かるかも知れない。
 ウイッシュは藁をも掴む思いだった。
「無理」
「え?」
 だが、サタンはそれこそにべもなく可能性を否定する。
「何故ですか?」
「私の意志ではない。具体的に会う事は無理だ、と言っているのだ」
「どういう…?」
「まず一つ。その者は、魔界に居る」
「!?」
 瞬間的にウイッシュの顔に絶望が影を落とす。
 魔界、すなわち異次元。
 魔女とはいえ一介の人間にどうなるものではない。
 無論、サタンに頼んだところで無駄なのは分かり切った事。
 人に次元を越えさせるなど、たとえサタンに自分の命を差し出しても実現には遠く及ばぬ話なのだ。
 無理なのではない。
 やろうとしないのだ。
 絶対に。
「そしてもう一つ」
「まだ、何か…?」
 一つ目で既に止めは刺されている。
 もう、ウイッシュにとって二つ目は堂でも良い事。
「その者、多分お前が一番孫に会わせたくない奴だ」
「え?」
「奴は今、原因を突き止め、その元を絶つ為に動いている。いつ、悪化するとも知れん体でな」
「私が会わせたく…?」
「シェゾだ。シェゾ・ウィグィィだよ。あの、あほたれ闇魔導士だ」
 ウイッシュは、子供の様に目を丸くした。




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