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魔導物語 闇に生きると言うこと 第二部 第九話



 診療所 午前11時20分
 
「……」
 シェゾは最悪の気分で目を覚ます。
 不幸中の幸いと言えば、目覚めた場所が堅くて冷たい岩の上ではなく、布団の上だった事くらいだろう。
 だが、それは毛先程も彼の不機嫌を和らげる材料とはなり得なかった。
 自分が、例の症状に犯されてしまったのだから。
「…くそ」
「目覚めの第一声がそれか?」
 頭の上から声がした。
 シェゾは気を抜いていたのだろう。
 珍しくぎょっとして頭を声の方に向ける。
「よう」
 頭の上にはラグナスが居た。
「……」
 ちらりと一瞥すると、シェゾはそのまま天井に視線を移す。
「何していた? あんな場所の、あんなバカみたいに深いところに倒れているなんて」
 無愛想この上ないシェゾの態度をものともしないのは、偏に付き合いの長さ故だ。
「ま、寝ていろ」
 ラグナスは椅子から立ち上がり、どうせ答はない、と部屋から出てしまう。
「……」
 シェゾは深く息を吐くと、改めて自分の状況を確認する。
 場所は、どこかの街の部屋だろう。
 周囲を見るとやや怪しげな道具やら薬瓶やらが見える。
 どうやら、ここは病室らしい。
 人間界でも魔界でも、そういった場所特有の匂いは変わらないものなのだな、とシェゾは変な共通点に何となく安心した。
 そして、自分を見ると腕や胴体に巻かれた包帯がある。
 が、痛みも殆ど感じないので大した怪我などは無いらしい。
 その代わりに、どうにも体がだるい。
 そして同時に体全体にどこか妙な火照りっぽい熱さを感じる。
 シェゾは改めて自分が危(やば)くなったのだと再確認し、正直がっかりした。
「シェゾ! 起きた!?」
 キャナがバタバタと部屋に入ってきた。
「…よう」
 魔界で数少ない知り合いだ。
 シェゾはその顔を見て、心のどこかが落ち着いたのを感じる。
「あんた、上級悪魔だってそうそう入らない様なあの地下遺跡に潜り込むなんて、何考えて行動している訳? どこか他に痛いところない? あ、お腹空いてない?」
 目が覚めてほっとしたのと、状況が状況だっただけに呆れ顔も混ざったキャナ。
 言葉にも叱咤と安堵と気遣いがごちゃ混ぜとなる。
「…俺はご招待食らっただけだ」
「誰にさ?」
「知らん」
「……」
 キャナはやれやれ、と溜息をつくと、身を乗り出してシェゾの両頬を両手で包んだ。
「おい」
「んー。やっぱ熱いね」
 そのままぺたぺたと両手は顔中を撫で回しながらキャナは問う。
「あのさ、シェゾ…。あの、例のおかしなマナに…やられたの?」
「らしい」
 シェゾはあっさりと言う。
「そうなると、どうなるの? まさか簡単に死んだりしないよね?」
「わからん。こんな症例っつーか現象、初めてなんだからな」
「…だよね」
 キャナは発狂の末に彼に倒された哀れなアウルベアを思い出す。
「明日には発狂するかも知れないし、もしかしたらその前に死んじまうかも知れんしな」
「そーいう事冗談でも言うなぁっ!」
 キャナは反射的に怒鳴った。
 簡単に死を受け入れた様な科白に、瞬間的に頭が沸く。
 そして、そもそもそれと戦ったのは彼自身だというのに、このあっけらかんとした態度はどうしたものか、とキャナは何度目か分からない溜息を吐いた。
「肝が据わっているんだか、何も考えていないんだか…」
「ほっとけ」
「そーもいかないのよ。これだけヒトに心配かけて少しは罪悪感とか無い訳?」
 キャナはシェゾの鼻に自分の鼻がくっつきそうなほど近づいて言う。
「気にかけろなんざ一言も言ってない」
「気にかかる様になっちゃったんだからしょうがないでしょう」
「そうしないようにしろ」
「無理!」
「知るか」
「……」
 取り付く島もない返答。
 キャナは身を離すとジト目で朴念仁の御大将を非難する。
「じゃ、知って!」
 そして言うが早いか、キャナはベッドにずん、と乗りかかるとそのままシェゾの唇を強引に塞いでしまった。
「……」
 キスで驚く男ではないが、不意に違いはない。
 少し長めのキス。
 唇を甘がみする動作は本人の気分とは関係無しに、心地よい感触を脳に与える。
「ん」
 キャナは分かった? と言う顔をしながら唇を離した。
 それに対して当のシェゾはむしろぽかんとしている。
「…あによぉ」
 自分の誠意に対しての表情に不満げな顔のキャナ。
「なにっつうか…」
「自分の気持ちを伝えただけよ」
「俺は人間だぞ」
「フツーの人間じゃないよね」
「だからって、こう簡単に…」
「簡単に惚れる程、尻軽くないよ。覚悟してね」
「覚悟はお前だろ」
 シェゾは意外な事を言う。
「え?」
「どういった原因かも分からないモノに憑かれているってのによ、感染でもしたらどうする気だって言ったんだ」
「……」
 キャナが一瞬蒼白になる。
「す…するの?」
「空気中のそれからすら感染するっぽいんだ。経口感染なんて一番メジャーだろうが」
「そう…か。あたしも、もう感染したんだ…」
「したかも、だがな」
 謎の男との勝負、そして敗れた時に何かを埋め込まれた様な異物感。
 その感覚は今もじわじわとシェゾの髪の先から足の指まで隙間無く浸透しているのが分かる。
 見ていないとは言え、そんな状態の後に発見された自分にそういう事をするとは、まったく困った奴だ、とシェゾは思う。
「うーん…」
 不安げな表情のキャナを見て、シェゾは、思った通り後先考えない性格だった、と溜息をつく。
「じゃ、ますますこれからも付き合わないとね」
 たった今までの困り顔が嘘みたいにぱっと表情を明るくしてキャナが言う。
「……」
 ある意味正論である。
 先ほどまでの不安げな表情も何処へやらと笑うキャナがいた。
 シェゾは思う。
 どうしてこう、色々な意味でやっかいな連中とばかり会うのだろう、と。
「もういいか?」
 シェゾはその声にもうっかり不意をつかれる。
「…なんだ?」
 シェゾの視線の先には、顔にこそ出さないが、この女殺しが、と言う目線のラグナスがいた。
「これからの話だ。いろいろあるとは思うが、余裕はないぞ」
「だろうな…ってお前離れろ」
「えー?」
 ラグナスに見られているにも限らず、首根っこにかじりついたままのキャナ。
 慌てるどころか、むしろ見ろと言わんばかりの行動は、青髪の人魚とは似ても似つかない大胆さだ。
 
 さて、シェゾは猫を首から引きはがすと、空腹だったこともあり食堂へ場所を移す。
 シェゾ、ラグナス、そしてキャナと、宿の誰もが一度は目を移す美男美女トリオが食堂で席を並べた。
 会話の内容はそれでいて実に味気なく、二人は今までのいきさつを語る事となる。
「裏には、多分四大実力者が最低一人絡んでいる。俺は既に一発食らった」
「お前…四大実力者って言うと普通一生会わないか、会ったらその場で死んでるぞ」
「だが、影は見た、気がする。そして、そいつの犬にやられた」
 シェゾはいまいましい、とコーヒーを流し込む。
「お前の体にでている変調の事か」
「お前は何を知った? そもそも何でお前がここにいる? ここは、お前の絶対なるご主人様の天敵の、腹ん中もいいところだぞ」
「俺に主人はいない」
 皮肉めいた質問にラグナスが眉をひそめる。
 正直、一昔前のラグナスなら今の科白など考えもしなかっただろう。
 天の使い。
 光の勇者。
 ラグナス・ビシャシ。
 彼はその名を、使命を至上の喜びとしていたのだから。
 いつからだろう。
 否定こそ無いが、僅かにわだかまりを持つ様になったのは。
 答はわかっている。
 目の前の男が原因だ。
 ラグナスはだがそれを気づかせたろくでなしを憎んではいない。
 だから彼は成長したのだ。
 だから、昔よりも『生きている』と思える様になったのだ。
「だが、情報は貰うさ。それを通じて知った。お前の事と、それに関した事を」
「目的は? そして、『これ』は一体なんなんだ? 魔界だけに及ばず、人間界にすら滲み出しているこの違和感、これは一体なんなんだ?」
「あのさ、あんた達…さっきから何語話している訳?」
 我慢できずにキャナが口を挟む。
「あん?」
「あ、今のは分かった」
「俺たちが今何を言っていたかって?」
 ラグナスがああ、と頷く。
「そうそう、何語だったの?」
「魔界では聞けない言葉だ」
 シェゾが言う。
 たった今まで二人は、キャナはおろか魔界の誰が聞いても理解は出来ぬであろう言葉で会話を交わしていたのだ。
「そういう事」
「…なんで? 普通に喋ってよ」
「壁に耳あり障子に目ありってね」
 ラグナスが言う。
「…ショージってなに?」
「fields have eyes, and woods have ears.でもいい」
「あ、なるほどね。…って、あたしも信用しないの?」
「だから、お前に聞こえる様に話したら誰でも聞けるだろうが」
「むー」
 つまんない、とキャナがむくれる。
「でだ、とにかく誰にとってかはともかく、よくない事が起きているから、人間の世界を守る為にも動けって事だ」
「何が起きているかは知らんのか?」
「お前が知っているかと思っていた」
「振出だな」
「サタンに会ったんだろ? 何を言われた?」
「面倒を押しつけて消えたよ。偉いお方はそうそう手が出せないとさ」
「…『人』にやらせるかね? 魔界の有事を」
「俺は、ベールゼブブの元へ行く。多分、そいつがクロだ」
「そうか」
 シェゾは言うだけ。
 誘う事はない。
 ラグナスも応えるだけ。
 ついて行こう等と言う事はない。
 最終的な目的は同じやも知れぬが、アプローチの方法は百八十度異なるのだ。
「コーヒーお代わりいる?」
 会話に口を挟めないキャナが、せめてとシェゾに問う。
「ああ」
 幸い、分かる言葉で返答してくれたので、ホッとしたキャナがカウンターからサイフォンコーヒーのフラスコを持ってくる。
「ほい」
 キャナがウェイトレスよろしくサイフォンを差し出す。
 シェゾは空になったカップを手に取る。
 手に取った、と思った。
 だが、カップはそのまま音を立てて床に落ちる。
 ラグナスが、シェゾがコーヒーを飲む代わりに息をのんだ。
 
 
 

 

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