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魔導物語 闇に生きると言うこと 第二部 第八話



 遺跡 午前2時22分
 
『あれほど簡単に主を無に引きずり込むとは…。
「ま、サタンのヤツの考えも杞憂じゃ無かったって事だな」
『納得している場合か。闇の魔導士が闇に飲み込まれたとあっては恥では済まぬ。言うのも馬鹿らしいが、分かっておるであろう。闇とて質も種類も多々ある事を。
「ま、な」
 その時はその時、とばかりにシェゾは歩みを進める。
 ところでここはどこか?
 シェゾは遺跡内部を歩きつつそれを考えた。
 窓一つ無く、灯りもない。
 暗闇に目が慣れたお陰でかすかに道が分かり、シェゾだからこそ壁にぶつかる事もなく歩ける。
 古い。
 それだけは分かる。
 壁、構造物のみならず、ここに流れる空気自体が古い。
 遺跡だから当然なのだが、それを察しても尚古いと言わざるを得ない歴史がありそうだった。
 人間界の時の流れなど、魔界では最初から今までを全て纏めても歴史の一ページ程度に過ぎない。
「一体、いつの時代に作られたのやら…」
 シェゾは壁に手を当てる。
 叩き割った様な作りである岩壁の表面には、足下から天井までびっしりと何かの象形文字らしき文様が書き込まれている。
 無論、古代語の知識が通用する筈もない。
 分かるのは、壁が何かを誰かに伝えようとしてその姿を留めているという事だけ。
 果たして、何の歴史が刻まれているのやら、か…。
 シェゾは何となく壁に手を付きながら歩いた。
「……」
『主よ。
「ああ」
 シェゾは正面の闇を見据える。
 奈落の穴みたいに真っ暗だった闇の中に、ふと小さな灯りが浮かび上がる。
 否。
 それは灯りではない。
 小さな、金と青の双眼。
 光のない混沌たる闇の世界で、何故にそれはかくも美しく輝けるのか。
「…お前に、問う」
 男の声、と言うか少年の声。
 瞳の位置も低い。
「言ってみろ」
 シェゾは平然と聞いた。
「そのまま振り返って、二度とこちらを見ずに歩けばそのまま外だ。そこから一歩でも前に進めば…」
 が、説き伏せるかの様に語る声も終わらせずにシェゾは一歩動く。
 前に。
「……」
 金と青の双眼は別段驚いた風もなく黙る。
「進むと、どうなる?」
「これは、けじめだ」
「けじめ?」
 双眼が迫る。
 シェゾはその瞬間から戦闘態勢へと気を転換した。
 ギィン!
 闇の中にその名の通り、火花という名の花が一瞬咲いた。
 闇の剣を構えたのと金の男の刃を受け止めたのは同時。
「……」
 シェゾは正直、驚いていた。
 力こそ無さそうだが、その刃の軌跡、鋭さは称賛に値する。
 魔界の者とまともにやり合うのは久し振りだ。
 しかも、真剣勝負だろう。
「ふっ!」
 シェゾは気合いを込めて鍔迫り合い状態の剣を振り切った。
 刃を押された男はその反動のままにふわりと後ずさり、羽が舞い降りる様に音もなく着地する。
 そしてその動きは一瞬とて停滞することなく、流れる様に姿勢を整える。
 この男は…。
 シェゾは尋常ならざる『敵』の出現に高揚感を覚えた。
 お前は誰だ?
 闇の男はそう問う代わりに、触れたそれから例外なく、あらゆる命を絶ち斬るその剣を振りかぶった。
 勝ってみせろ。
 そうとでも言いたげに金の瞳の男の剣がうなり、更に闇に火花を散らし続ける。
 相手の剣は、三日月の形に湾曲した業物らしい。
 火花が散る度にその刀身は銀のシルエットを浮かび上がらせる。
 無論、闇の剣の剣戟に耐え得るのだから相当なものだろう。
 相手は、力よりもスピードと技で戦う相手らしい。
 上等だ、とシェゾは考える。
 力任せよりも技術の差が出る。
 そういう戦い方は得意だし、好きだ。
 柳がしなるかの如く優美なラインを描きつつ、シェゾは美しく透明な愛剣、かつ相棒たる闇の剣を存分に振るった。
 剣戟は二つ、三つと無数の火花を闇に生んでは消滅させる。
 その度に、乾いた空間に鋼同士を叩き合わせた様な甲高くも重い音が響く。
 音は闇に反響し、そこに潜む者を恐怖に怯えさせた。
 見た目は優雅さが勝る故にスピードも力強さも感じさせないが、響く音は鼓膜を突き通しそうな程に大きく、荒々しい。
 いかに剣筋が鋭いかと言う事だ。乾いた岩壁は反響を通路の奥の置くまで繰り返し、時折壁からは朽ちかけた岩がぱらりと落ちる。
 そして、最初こそ互角に見えたが、いかんせん影を見るだけでも小柄なそれではやはり体力的に厳しいらしい。
 刃がぶつかり合う毎に、男の剣はやがて少しずつ下がり始めた。
 甲高かった金属音もほんの少し音が下がる。剣筋がずれ始めている。
 拮抗が崩れ始めた証拠だ。
 シェゾは冷静に、かつ一気に畳みかけようと振りかぶる剣に力を込めた。
 岩すら切り裂くであろう剣筋。
 その時、男が素早く切っ先をシェゾに向け、その刃先から青白い放電が飛び出す。
 シェゾは瞬間的に闇の剣を構え、電撃を弾く様にしていなす。
「そろそろ本気か…」
 剣戟の最中も無論魔導力は様々な形で攻撃に、防御に使われている。
 だが、相手は更に直接的な魔法戦に集中し始めた。
 やはり魔導士らしい。
 シェゾも一歩下がるとすう、と息を吸って呼吸を整える。
 途端にざわり、と周囲の空気がどよめいた。
 その気、魔導の源たるマナすらも恐れさせるか。
 シェゾよ。
 恐れたのは空気ばかりではない。
 男も、ほんの数秒前とはまるで次元の違う気の嵐に圧倒されそうだった。
 …これが、『闇』…。
 その金と青の瞳にはまごう事なき恐怖の色が浮かぶ。
 
 魔界の男。
 
 人間からすれば神とも悪魔ともなれるその者が畏怖する男。
 それがシェゾだ。
 人であり、人でなき者よ。
 彼の青い瞳に、金の瞳の男のシルエットが浮かび上がった。
 魔導発動の波動により、周囲のマナが反応して蛍光灯のように帯電したからだ。
 白いローブをすっぽりとかぶり、見えるのはフードから除く艶やかな黒髪と金の瞳。そして、突き出した両の手。
 細い腕はやはり少年だと確信させる。
 無論、ただの少年である筈が無い事は先程までの戦闘が物語る。
 シェゾも気を練る。
 魔導。
 それこそ一撃必殺の代名詞なのだ。
 シェゾの体も魔導発動のエネルギー上昇により発光現象が起こる。
 普通は目に見える様な強さではないが、この闇の中では眩いばかりにそれは光った。
 いい調子だ。
 シェゾはそう思う。
 気の練り具合、収縮率、精度がいい。
 闇の剣を中段に構え、シェゾは魔導発動準備を終えた。
 金と青の瞳の男も動きを止める。
 撃鉄は上がった。
 あとは引き金を引くのみ。
「勝ったら色々教えてもらうぞ。生きていたら、な」
「……」
 どちらかがした一呼吸。
 それが合図だった。
「!」
 二人の体が瞬間眩く光り、男の剣から雷撃が。
 シェゾの剣から、真っ白に輝く炎の固まりが打ち出された。
『!! 待て…
 闇の剣がその瞬間何かを喋ったのを、シェゾは辛うじて聞いた。
 
「!」
 ラグナスはやや風変わりな鳥の香草焼きランチが並ぶテーブルの前で目を見開いた。
 その気の張り詰め方はキャナはハッとする。
「…ど、どしたの?」
 シェルパスタのグラタンを食べかけたキャナが、ただ事ではない彼の表情を見て何事かと問う。
「……」
 ラグナスは感じた。
 覚えのあるその気を。
 しかし、それだけならここまで驚きはしない。
 何かが、違っていた。
「…シェゾ…か?」
「え? シェゾ!? 何? 何か分かったの?」
 ラグナスは手を頭に添えて、飛び込んできた情報を整理しようとする。
「いや…奴が…何が力を使ったみたいだが…」
 どうにもスッキリしない。
「解るの? そんなのが? あ、で、どうなの? あたし、あいつに付き合うって約束したんだから、もし何か分かるなら教えてよ!」
「キャナ、周りの地理には明るいか?」
「えー…。大体は…」
「分かるだけでもいい。来てくれ」
 ラグナスは席を立つ。
 胸騒ぎが治まらなかった。
「あ、うん。その前に」
「ん?」
「おっちゃーん! これ何かに包んでー。持ち帰るからさー!」
 声に反応して、厨房から豚みたいな顔のコックが顔を出して頷いた。
「……」
 ラグナスは、男など到底及ばないであろう女性特有の堅実さに舌を巻いた。
 
 倒れていた。
 一人の男が。
 場所は漆黒より漆黒たる深淵の闇生まれし地底。
 倒れている男の前に立つは金と青の眼の少年。
『やってくれるな…。まったく、こうもあっさり不覚を取られたとあっては、主の機嫌を直すのが大変だ。
「私も運が良かった。それに、まだこやつは若い」
 そう言う男を見ると、その左腕が失われていた。
 ローブが鮮血に染まったその姿は、少年の顔の美しさ故にグロテスク。
 これで、運がいいというのか。
 シェゾとの戦いにおいては。
 闇の剣が続ける。
『しかも、困った事になった。これで本当に後戻りは出来ぬな。満足か? アガリアレプトよ…。
 アガリアレプト。
 サタンやベール、アスタロト、そして今シェゾが対面しようとしているベールゼブブら魔界の四大実力者に仕える、魔王の一人の名だ。
「だが、大したものだ。この男、私に手傷を負わせおった」
 そう言ったその声は、先程までの少年の声とはまるで違っていた。口調も違う。
 姿だけは変わらぬだけに、底知れぬ恐怖感が周囲に渦巻いていた。
 そして肩口の布が裂け、そこからは赤黒い色がにじむ。
 やや黒みがかっている以外は人のそれと変わらぬそれだった。
「こうでもしなければこの男、いつまでたっても真面目に行動を起こそうとしないようだったからな」
『…しかし、今回は何を考えて、いや、何を言いつけられている? お前は中立だが、実質サタンの側近と言って良かった。それが、そんな若造の様な姿になってまでベールゼブブに付くとは…。
「魔界にも色々あるのだ」
 そう言ってアガリアレプトは背を向けた。
「後は自分で考える事だ。言うまでもないが、この男の背負うそれは『重い』。誰にも、それは代われぬ」
『……。
 言われるまでもない、と闇の剣は黙る。
 当然だ。
 その歴史を見守ってきたのは他の誰でもない。
 今目の前にいる、闇の剣本人なのだから。
 闇の剣はそれきり黙り、アガリアレプトもいつの間にか、闇の中にかき消えた。
 その場は、それきり誰もいないみたいにしんと静まりかえる。
 そして、死んだみたいに倒れたままのシェゾを次に発見するのは誰でもない、光の勇者とその道案内係だった。
 
 

 

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