魔導物語 闇に生きると言うこと 第二部 第七話 街道 午後6時4分 一人の男が歩いていた。 「…腹減ったな」 そのぶっきらぼうな科白には相応しくない上品な金の鎧を纏った男は、遠くの山脈以外にまるで景色の変わらない平原を歩いていた。 ふと、少し遠い空を見る。 異様な姿の羽を持つ生物が飛んでいた。 「……」 食えないよな、と鼻で笑い、男はとりあえず進む。 ここは魔界。 彼は、職業柄(?)この世界に来た事が無い訳ではないが、それでもこの場所は初めてだった。 ラグナス・ビシャシ。 祝福されるべき光の男が、魔界に何用か。 時間は進み、場所は移る。 魔界の、何処かの街。 「さてどうしましょうか」 馬上からぼんやりとつぶやくその声の主はキャナ。 ここは、あのままであれば彼と一緒に辿り着く予定だった街だ。 様々な姿の連中が居るが、街自体は人間界のそれと変わらぬ街。 シェゾが居たら胸をなで下ろしていた事だろう。 キャナはとりあえず宿でも取ろうと馬を歩かせる。 「あいつ、どこまで行っちゃったのかなぁ…」 そう考えつつ、ふと周囲に目を向けると、そこには妙に派手な男が一人、これ見よがしに視界に入ってくる。 「……」 さして目立つ物もない街において、それはまるで大道芸人の如くその瞳に映った。 「なに? アレ…」 キャナは興味の赴くままにそれに近づいた。 そして。 「…何か、用かい?」 その男、ラグナスはキャナに問う。 馬上からじーっと見つめられたのでは、流石に問いたくもなるだろう。 「ううん。ただ、目立つなーって思って…」 「そう、かな?」 「目立つって。そんな金ピカの鎧着てちゃさ」 そこまで言ってキャナは馬から下りた。 「あたしはキャナ。あんたは?」 「俺は…ラグナスだ」 どうやら彼も、彼女に名乗る事に躊躇は感じなかったらしい。 「ふぅん。…この辺、『ヨソ者』には物騒かも知れないよ。気を付けてね」 キャナはそう言うと雑踏に消えていった。 「気を付けるよ」 ラグナスは親切な忠告に素直に礼を言う。 ここは魔界。 自分が住んでいる世界ではないのだから。 歩き出そうとして、背中に影を感じる。 「ん?」 振り向くと、そこにはさっきの馬上の主が戻って来ていた。 「あんた、シェゾって知ってる?」 ラグナスはその青い瞳をまんまるにした。 街の一角。 ラグナスとキャナは通りのベンチに腰を下ろして話していた。 既に日は落ちているが、妖しげな街灯が真っ赤な炎を吐き出すので視界は良い。 「…そうか、奴が、ね。しかし…シェゾは何処へ行ったんだ?」 「分かんないよぉ。あたしだってまさか、あいつがドラゴンに乗ってどっか行っちゃうなんて予想外だったもん」 「ま、普通予想しないよな…。だが、あいつが俺の登場も予想していた、とはな…。何とも今回ばかりは恐れ入るぜ」 「見た目があのおっちゃんから聞いたとおりだったから、もしかしてって思ったんだ」 「成る程ね」 彼女は、まだ角付きのおっちゃんの正体がサタンだとは気付いていないと知り、それは伏せておく事にした。 多分、それを知ったら卒倒するだろう。 言ってはなんだが、雑魚の前に魔王たるサタンが立つなど、それこそ世界がひっくり返ってもあり得ない筈なのだ。 ラグナスはふぅ、と溜息をつく。 …まぁ、どうやら手探りで一から考える手間は省けそうだな。いい事だ。 「でもさぁ、あたしも色々知らない事は多いんだけどねー。って言うか、街案内以外殆ど出来ないし知らないと思ってね。シェゾ居ないから」 「……」 ラグナスはそうでもないか、とさっきとは別の意味の溜息をつく。 「奴はどこに行ったのやら…」 「ホント。ね、ところであたしちょっとお腹減っているんだ。なんか食べようよ」 キャナは人ごとみたいに同調し、欲求を訴えた。 「…いってぇ…」 同時刻。 シェゾはどこかの遺跡らしき建物内で足止めを食らっていた。 目が覚めてまだ間がない。 ずきずきと痛む頭を押さえ、ふらりと立ち上がると周囲を確認する。 「素直に行かせてくれる訳が無い、か…」 ここがどこかも、どの様な構造かも分からぬその場所。 だが、シェゾはまるで頭の中に地図でもあるかの様に迷い無く歩き出す。 無論分かる筈はない。 ただ、漠然としているが何か確信があるのだ。こちらに何かがある、と。 その建物は密かに、異物たる侵入者を迎える準備を始めていた。 時はシェゾがドラゴンに飛び乗り、そのまま空の向こうに消えた頃に戻る。 「……」 シェゾはまるで馬を操るが如くドラゴンを操り、空を飛ぶ。 魔界の悪魔とてなかなか出来ない技である。 高度が少々上がってきた様だ。空気が涼しくなり始める。 シェゾはやおら呪文を唱え、自分の周囲に温度のバリアを張る。 これ一つで、成層圏まで飛んだとて空気と体温を地上の如く保持出来るだろう。 「で、何処まで高く飛ぶ気だ? お前が持たないぜ」 このままでは冗談ではなく宇宙へ飛び出してしまいそうだ。 「苦手なんだよな、あそこは…」 この男、生身で宇宙を舞った事があると言うのか。 「さて、『奴』の住処はどこなのやら…」 ドラゴンが果たして素直に連れて行ってくれるかは正直解ったものではない。 ただ、刺客をとして送られてきたからには、その可能性があると言う事で賭けてみただけの事。 そして今や、雲は目の下である。 どうやら駄目だったか、と思い始めていた矢先。 薄くなっていた周囲の空気が突然様相を変える。 「!」 シェゾを取り囲む空間に、膨大な帯電が発生した。 それは空気の摩擦で無数の火花を美しくも危険に輝かせ、ドラゴンすらもその痛みに身をよじらせた。 それはシェゾとて同じ。 先程張った結界はごく単純な物なのだ。 「…!」 その衝撃はひりひりする所ではない。 全方向からの超高電圧の電撃は、シェゾは勿論ドラゴンすらも気絶させかけている。 「…この…」 魔導発生の方向を何とか見抜き、反撃に転じようとするも体が既に言う事を聞かない。 痛みに麻痺した体は石になったみたいに重く、そして感覚が無かった。 そこへ、とどめとばかりに天空から衝撃波が降り注いだ。 「うぉっ!」 ドラゴンはつい先程までの雄々しい飛翔が嘘みたいに無惨に落下を始める。 それはまるで、蝋の羽を溶かされたイカロスの落下にも重なって見えていた。 シェゾとドラゴンは既にその体を離している。 巨大な影と、ひとつまみ程度の小さな影。それらが薄い空から落下していた。 「…やっぱ居るのか?」 シェゾは落ちている事などどうでもいい、とでもいう感じで呟く。 まさか雲の上に城という訳でもないだろう。 そう思っていたのだが、この攻撃を見るとあながちそうとも言えない。 「……」 シェゾはこのまま数十キロくらい先まで転移してみようかと考える。 それを繰り返せば、もしかしたら例の男の居場所へたどり着けるかも、と思った。 だが。 突然シェゾの視界は遮られた。 いや、視界というか周囲の色を奪われた、と言うイメージだろう。 同時にそれは重力、嗅覚、聴覚、あらゆる感覚を奪う。 自分の心臓の音も体温も消え去った。 『主よ…こ… 闇の剣が何か言おうとして、その『声』すら遮られる。 最早シェゾの存在はシェゾ本人にすら確かめる手段はない。 自分がここにいると確認出来る感覚は全て奪われた。 己の意志すらも飲み込む闇。 シェゾは絶望的なその状況にすら、何か安堵感を覚えていた。 …いや、まだだ。 まだ、俺は飲み込まれる訳にはいかない。 この感覚は最後までとっておけ。 『これ』は、最後のデザートでいい。 俺に唯一許された『甘え』。 それは最後の最後でいい。 その意志が、シェゾ自身を闇の中に形造る。 そうだ…今は、それでいい。 闇は既にシェゾを支配する力を失う。 当然である。 彼は、闇の魔導士。闇は彼の世界なのだから。 …ん? 『主よ、戻ってきたか…。 闇の中に声が聞こえる。 ただいまってか。 シェゾが冷たい石畳の上で目を覚ましたのは次の瞬間だった。 |