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魔導物語 闇に生きると言うこと 第二部 第六話



  街道 午後4時2分
  
 
「た、ただのドラゴンって…あ、あんたね…」
 当のドラゴンはここまで話してやっと二人の頭上を通り過ぎ、そして二人を見下ろしつつ旋回を始めた。
 どう見ても臨戦態勢だ。
 シェゾの非常識さに文句は言いたいが、万が一にでもそれで機嫌を損ねて捨てられるのは今だけは勘弁していただきたい。
 キャナは言いたい事が言えないやら思い浮かばないやらで口をぱくぱくさせるしか出来なかった。
 ドラゴン。
 その存在は、このように魔界ですらそこに住む者達にとっては畏怖の対象なのだ。
 この世界のそれは、人間界のそれより遙かに純血種であるだけに遙かに恐ろしい存在。
 ドラゴンの体に遮られていた日光が降り注ぐ度に目がくらむ。
「あっち行ってろ」
 シェゾは背中でその言葉を残し、馬から下りる。キャナは急に背中が涼しくなるのを感じた。
「え?」
 そして、いきなりの理解は出来ない。
「行け」
 馬のしりをぺん、と叩く。
 馬は叩かれた事よりも、その意志を感じ取り向こうへと走っていった。
「えええ〜っ?」
 キャナの意志に関係なく。
「シェ、シェゾ〜〜!」
 キャナは、笑ってしまいそうな姿勢で鞍にしがみついたままで、遙か向こうへと消えていった。
 これで、とりあえず戦闘に関する邪魔は無くなる。
 シェゾは別に彼女の命を重視したのではなかった。
 邪魔だから退場させた。
 ただ、それだけの事。
 宙のドラゴンも、まるでそれを確認したかの様にシェゾに向き直り、その紅い瞳で睨み付けていた。
 なんと言う事か。
 魔法生物の一種の頂点たるドラゴンが。
 しかも、魔界に住む純血たるドラゴンが一人の男如きに闘志を剥き出しにするとは。
 シェゾは改めて上空のドラゴンを見る。
 でかいな。
 だが当のシェゾは至ってのんきにそんな事を思っていた。
 多分、体長は尻尾を含めれば三十メートルを超える。
 両翼も、広げればそれくらいか越えるだろう。
 その体は所々に岩の様な光沢を持つ緑色の皮膚。
 かなりの年月を生きている証拠だ。
 皮膚の一部、主に傷付きやすい部分の皮膚がやがて高質化した結果のそれ。
 こうなると、そこらの鉄よりその皮膚は堅い。
 しかも皮膚の性質もある為にしなやかで弾性にも富む。
 滅多に手に入らないが、この皮膚を加工した防具は硬度のみならずドラゴン特有の魔導能力を半永久的に保持する為、相当な高級品となる。
 かの頭には乳白色の角が二本。
 まるで鍾乳石をくっつけたみたいな形だった。
 しかもそれは枝分かれしており、実に優雅に頭を飾る。
 生ける芸術と言われる事が多々あるドラゴンだが、確かにそう思ってもいいだろう。
 シェゾはそんな事を考えた。
 
 悠長なことだ…。
 
「!」
 シェゾは今、確かに誰かの声を感じた。
「今の『感覚』…」
 忘れもしない。
 あの時の『視線』と同じだ。
 そうか、そう言う事か。
 シェゾは先程までほんの僅か心の中にあった緊張感が解きほぐれた。
 ギャラリーが居るなら、それ相応のアピールくらいしないとな。
 すう、と息を吸う。
 闇の剣が音もなくシェゾの手に現れ、寸分の無駄もなく下段に構えられた。
『落ち着いているな。
 主なら当然だがな、とばかりに闇の剣が呟く。
「ああ」
 汗一つかいていない。
 呼吸も、脈拍も、全ては平常だ。
 ドラゴン相手にそれが出来るのか。
 シェゾよ。
 ドラゴンの赤い瞳が地上にきらりと一瞬、光を確認した。
 闇の剣が太陽の光を反射したのだ。
 そして、それは合図。
 ドラゴンが一声嘶き、落ちたみたいな速度でシェゾに襲いかかった。
 地上では、ドラゴンからすれば石ころみたいな大きさのシェゾが身じろぎもせず構えている。
 その存在感は決してドラゴンに引けを取らなかった。
 ライオンは兎を狩るにも全力を尽くすと言うが、この場合は決して例え話ではない。間違えれば、狩られるのは己。
 ドラゴンは本能でそれを知っていた。
「せいっ!」
 シェゾが剣を下段から振り上げる。
 同時に、剣がぐん、と延びた様な錯覚を見せた。
 ドラゴンはその巨体を持ってして瞬間、その身をよじる。
「ゴオァッ!」
 地鳴りみたいな悲鳴が上がる。
 闇の剣より延びたその黒い一閃が、ドラゴンの羽に穴を開けたのだ。
 思ったより素早いな…。
 シェゾはチッと舌打ちする。
 本当は首を狙ったからだ。
 だが、その傷はドラゴンの体に毒でも塗り込んだ様なショックを与えた。
 ぐらりと巨体が揺れ、失速した凧みたいにみっともなく失速、落下する。
 シェゾは好機を逃がさんとして走る。
 しかし。
「!」
 落下していたと思ったドラゴンが突如バネみたいにぶん、と姿勢を立て直し、その目をらん、と輝かせる。
 シェゾは見くびっていた、と反省する。
 彼の周囲に、雨の様に落雷が降り注いだのはそれと同時だった。
「がぁっ!」
 大岩でも投げつけられ、ぶつけられたかの様な衝撃が体中に走る。
 だが、それでも声を出せた事すら奇跡だ。
 着込んでいた対魔法消滅付与された防具が、ほんの僅かの間だがドラゴンのそれを防ぎ、その瞬きする程度のチャンスを逃さず、シェゾはシールドを発動させた。
 ヒューズが弾けるが如く瞬間的にしか効果はなかったが、ドラゴンの力をそれでも一時押さえた魔導具の質は褒め称えるに値する。
「つっ!」
 シェゾは帯電した体の悲鳴を無視して剣を振りかぶる。
 そして、ドラゴンの額に向かって切っ先をぴたりと合わせた。
 シールドの薄皮一枚向こうは未だ降り注ぐ落雷の雨霰。
 立っているその行動自体が奇跡。
 彼といると、奇跡はバーゲン並によく起こるから恐ろしい。
「せぇいっ!」
 気合いを込めた一声。
 その瞬間、シェゾは地上から姿を消した。
 ドラゴンすら一時その姿を見失う。
 そして、次の瞬間に再び視界にシェゾは現れた。
 ドラゴンの目の前に。
「りゃぁっ!」
 闇の剣が、物理的な硬度、魔法防御による障壁を突き破ってドラゴンの分厚い眉間にその刃を食い込ませた。
「!!!!!!」
 ドラゴンが目を見開き、鼓膜を突き破りそうな悲鳴を上げる。
 体をめちゃくちゃに動かし、その巨体は岩が落ちるみたいな勢いで落下を始めた。
「静まれ!」
 眉間に剣を突き立てたままでシェゾが一括する。
「!」
 と、あろう事かドラゴンがぴくりと身を痙攣させ、次の瞬間には体勢を立て直して宙に静止してしまった。
「よぉーし。いい子だ。さぁ、俺を連れて行け。お前をよこしたヤツの所にな」
 シェゾは言い聞かせる様に話す。
 本来ならあり得ないし、出来る訳がない行動だ。
 高位のドラゴンが人の言葉に耳を傾け、あまつさえ従うなど。
 ドラゴンは時折身をよじらせつつも、結果的にはその言葉に従い、ある場所へ向かって飛び始める。
 ぐん、と巨大な体が方向転換を始め、その行く先を見据えてからドラゴンは一声大きく吼えた。
 その声は、地面で尚びりびりと腹に響く。
「…え? ちょ…シェゾー!」
 離れた場所。
 その一部始終を見ていたキャナが、目が覚めたみたいにはっとして叫ぶ。
「シェゾー!」
 だが、彼はドラゴンの頭に乗ったままで向かう予定だった街の、遙か向こうの空へあっという間に消えてしまった。
「…うそ…」
 キャナは呆然とそれを見送るしか出来なかった。
 馬が一声、置いて行かれたと言わんばかりに嘶く。
 空はわずかに声を木霊させ、それきり元の静かな空に戻る。
 数十秒前までの天変地異の如き騒ぎが、まるで嘘の様だった。
 
「あの男…一体…」
 その現場から遙か彼方の空の下。
 ローブを被った少年が驚愕に目を見開いていた。
「いくら…いくら闇の魔導士とは言え、『スティームマナ』に感化されたドラゴンを操るなど…あり…あり得ない…!」
 その目は驚きと恐怖に見開かれている。
 次の瞬間、びくりとその身が震えた。
「…! は、マスター。…はい。あの男、とんでもない事をやろうと…はい、ドラゴンを利用して…向かおうとしています…」
 その瞳に移る空。その遙か向こうでドラゴンにまたがる男が居る。
 彼は、ある場所へ向かっている。
「はい。向かっています。…マスターの元へ…」
 その瞳は、視界には捉える事の出来ない遙か彼方の空を見ていた。
 やがて再会するであろうその時。
 その時は確実に近づきつつある。
 少年は確信していた。
 その時、彼は敵か。
 それとも…。 
 


 

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