魔導物語 闇に生きると言うこと 第二部 第五話 街道脇の草原 午前6時13分 どんな世界でも明け方の空は美しい。巨大な猛禽類が目覚めぬうちに食事を済ませようと小さな鳥が控えめに囀りながら空を飛ぶ。 「…ん、朝ぁ…?」 キャナは朝日に頬をたたかれて、ぼんやりと意識を目覚めさせる。 「…んー…?」 鼻腔に、香ばしい香りが柔らかな刺激を送る。 パチリ、と小さく木の爆ぜる音がした。 「…あさの…こーひー…」 キャナは、のっそりと体を起こした。 ぼーっとした目で周囲を見る。 少し離れた場所で小さく火が焚かれ、火にかざした網の上に置かれた、ややすすけたポットがしゅんしゅんと音を出す。 すう、と鼻で息を吸うと、朝の空気と共に先程のコーヒーの香りが確認できた。 「…こーひーはっけーん」 火の側には、簡易式のドリップが置かれていた。豆の香りが香ばしい。 「…あれ? シェゾ?」 キャナはシェラフからもそもそと這い出し、大きく背伸びする。 「ん…ふぁぁ…あ…」 大あくびしながら辺りを見る。と、少し向こうにシェゾが立っていた。 「…げ」 何かと思ってよく見れば、昨夜倒したアウルベアを観察していたのだ。触る様子こそ無いが、しげしげと見詰めるそれは、まるで獲物を見詰め、どこから喰おうかとうっとりしている肉食獣を連想させる。 無論、彼の目は真剣なものだが。 と、もう用は済んだのか、それともキャナの視線に気付いたからなのか、シェゾが戻ってきた。 「起きたか」 「…あ、朝っぱらから見るモノじゃあないと思うな、あたし…」 「だが収穫はあった」 シェゾは火の傍に座り、満足して口元を緩める。 そしてマグカップにコーヒーを注ぎ、香りを楽しみつつゆっくりと飲む。 とても美味しそうだ。 「あたしには?」 キャナが思わず要求する。 「砂糖は無いぞ」 「うそっ!?」 彼女は驚く。どうやら甘党らしい。 「ブラックだけだ」 「…いいや。ちょうだい」 シェゾは時分が持っていたカップをキャナに渡す。 「…飲みかけ…」 「元から一人旅の予定だっつうの」 「…ま、いいか」 彼女の着眼点が今ひとつずれている気がする。 キャナは香ばしい香りを放つマグカップをそっと傾けた。 香りは嫌いじゃないんだけどねー…。 そして、そっと口にそれを含む。 「…にが」 すらりとした顔立ちのキャナだが、うっとなる表情はどこか子供っぽい。 そんなキャナの顔を見て、シェゾはくすりと笑う。 こう言う些細な事が、何度『自分』を助けてくれた事か…。 そして、乾燥肉をひとかじりした。 「お前も喰うか?」 「…今は、いい…」 キャナは、あれだけ死体を眺めた後に、乾燥しているとは言え肉を食べる事が出来る彼の神経を感心していいものかどうかと、ちょっと悩んだ。 「ねぇ、それで収穫って?」 とりあえず話題をふる。 シェゾは少しだけ、うーんと考えた。 珍しい事だ。 彼が、言う言葉に躊躇うなど。 「マナは物質だ」 「は?」 シェゾは一口コーヒーを飲んでから話す。 「言い方は時代、場所、考えによって変わるが、それを使って俺達は魔法を使う。自分の精神力を炎とするなら、マナは空気だ。それが無ければ、それが良くなければ、魔導の発動は上手くいかない。まぁ、これは一般論に近い。マナを否定する連中もいれば、他の物質の存在を挙げる奴も居る。現在の知識から推測できる論に過ぎない」 「う、うん」 「で、とりあえずエネルギーって事なんだから、マナは物質だ。物質であれば、変質もする。魔導を使用できる生物、まぁ、精霊でも何でもそうだが、そういう奴は体内のそれも変質する。エネルギーであったそれが何らかの影響で変質した場合、今回の場合、それはどうやらエネルギー体から実体を持つ物質化する様だ」 「あの、あたし、そんな頭良くないんだケドな…」 半ば自棄になったキャナがふてくされて言う。 「奴の体内に、結晶化したマナらしい物質があった」 「え?」 「砂粒より小さいがな。体組織のあらゆるところにある。血管の中にも、恐らく、脳の中にもな…」 「? ? どう、どう言うイメージ…?」 キャナはいまいち状況が理解できない。 「…体の中にガラス片が満遍なく散りばめられている、とでも思え」 「……。う…うぅわ…」 キャナは背中をぞわりと凍らせた。理解さえ及べば、想像力は豊からしい。 「それ、イタイよね?」 「いや、おそらく痛みは感じていないだろうな」 「なんで?」 「詳しくは調べないと分からないが、何か一種の興奮作用を起こしているかも知れん」 「興奮作用って、どんな?」 「簡単に言えばドーパミンの類だ。あの興奮状態、力の増加から見ての単純な予測だが…多分、そんなところだ」 「……」 キャナは、これ以上質問するのは何となく悔しいと思ったので、ふぅん、と分かった素振りをする。そして、頭の中では必死に理解しようと寝ぼけた脳を回転させつつブラックコーヒーを飲んだ。 もう、コーヒーの苦味などに気を取られる脳の容量は無かった。 そんなキャナをよそに、シェゾはぼそりと呟く。 「…現状は、だがな…」 二人がコーヒーを飲む。 少し先に嫌な物体が転がっているが、それさえ目に入れなければ清々しい風が吹く、気持ちのいい朝だった。 「で、街に行くの?」 「ああ」 「その先も、一緒に行ってもいいでしょ?」 「……」 コーヒーとは別の苦い顔をするシェゾ。 「まぁまぁ。あたし、この先の街の事より先も知っているからさ。役に立つよ? 色々便利だよ? あたしみたいなのが居るとさ」 何処の世界、時代、場所にも変わり者は存在する様だ。 何の利益も保証されていないと言うのに。それどころか、命の危険すら伴うのだ。 「そこまではあいつに頼まれていないだろう? お前には何の得もない。それに、この先は危険になるぞ」 「じゃ、シェゾがあたしを守って。それでチャラって事でOK?」 「……」 シェゾはこう言う問答を苦手とする。 「返答無しは了承と見なすよ。よろしく!」 キャナはにっと笑った。 そして、シェゾの手を取って無理矢理握手する。 「…ああ」 シェゾはそう返すのが精一杯な自分を呪った。 「せいやっ!」 朽ちてから何世紀経ったかも分からない遺跡の奥から、気合の入った声が響く。 同時に、何かを切り裂く音が聞こえ、さらに続けて顔をしかめたくなる野太い悲鳴が石の壁に反射して木霊する。 透き通った気合いの声と、くぐもった悲鳴が異様なハーモニーで反響した。 木霊が消え、それを最後に、遺跡は静かになる。目を瞑れば、まるで遺跡自体が存在し得ないかのごとき静寂。 それだけなら、まぁそこらに無い話ではない。 だがまず、この遺跡は全体的にオーバースケールだ。 扉がはめ込まれていたらしき石組みを見ても、その高さは五メートル近い。廊下など、象ですら五〜六頭は並んで歩ける広さだ。 「ったく…。これだから魔界ってのは…」 声が近づくと、金属音も近づいてくる。音だけの存在だったそれは、やがて姿を現す。 それは、鎧。 しかも、金色に輝くそれだった。 黒髪に青のサークレットを輝かせ、その男は遺跡の中から現れる。 空を見上げ、青いは青いがどこかに違和感を覚えるその空に眉をしかめる。 「…さて、奴は何処をほっつき歩いているのやら…」 そう言った瞬間、彼は弾けた様に振り向いて、芸術品の様に輝く剣を突き出した。 堅いゼリーに杭を打った様な感触でそれは貫かれる。 目の位置、と言うか顔が全体的に位置をずらしている不細工なゴーストがずるりと体を崩壊させ、岩の地面に水溜りの様な亡骸を晒した。 「邪悪なる魂よ…。消え去れ」 半ば作業的に邪を浄解する言葉を呟き、光の勇者たる男、ラグナス・ビシャシはその場を後にした。 遺跡は、まるで彼が去った事を喜ぶかの様にほっと静まり返った。 良い舞台には、やはり良い役者が集まるらしい。 開演は遠くないだろう。 「えーとね、あと一時間くらいで街に着くよ。あ、今は馬だから半分かな?」 「そうか」 あれから二人はのんびりした馬上の旅。 その見た目は、これからの事さえなければ実に優雅な旅路と言えただろう。 「……」 シェゾの顔がやや曇る。 「…ん?」 キャナもそれに気付く。 「どしたの?」 そう言いつつシェゾのあごを自分の頭でこづく。 「黙ってろ。客だ」 「客? …わっ!」 突如、視界を黒い物体がよぎる。 キャナは最初、それをよく見る巨鳥だと思った。 だが、おかしい事になかなか影が終わらない。 「…え?」 キャナは上を見上げた。 「うわぁっ!」 そして続けて大声が出る。 「五月蠅い」 「だだ…だっ…だって…あああアレって…」 キャナが声もおろおろと振るわせて焦るアレ。 「見りゃわかるだろ。ただのドラゴンだ」 |