第三話 Top 第五話


魔導物語 闇に生きると言うこと 第二部 第四話



 街道脇の林 午後8時18分
 
「ねー! もうこの辺でキャンプしようよ。あたし疲れたー!」
 彼の駆る馬の鞍の前方、その声はここでは随分場違いな高い声で主張する。
 あれだけの恐怖を抱いた相手に対する声とは思えない。
 彼のなだめ方を誉めるべきか、彼女の立ち直りの早さを誉めるべきか。
「…街に早く行きたいんだが」
「肌に悪いの! 街が逃げる訳無いんだから、今日はお開きにしようよ!」
 主張は一切の妥協を許さない。
 シェゾの前に座ったまま、起用に体をシェゾに向けつつ、彼女は抗議を続ける。
「…言っておくが、まともな寝具なんか無いからな」
「分かっているってば」
 その一言ですべては了承された事になるらしい。
 程なくして、見晴らしのいい草原で馬が止まる。
 キャナは馬から飛び降り、うーん、と背伸びして軽くストレッチする。
 そして、辺りを見回して寝るのに都合のよい場所を探し始める。
 シェゾも馬から下り、それに続いた。
 まぁ確かに、彼もそろそろ尻が痛くなってきたと思っていたのだ。
 
 少しの後、街道から少しそれた林の中に二人はキャンプを構えた。
 キャナは、慣れた手つきでテントを張るのを手伝う。
 今は足があるとは言え、野営になれたメロウってのも妙だな…。
 そんな事を考えているうちに、テントが組みあがる。
 シェゾに手伝えと言う事もなく完成させるあたりは感心して良いだろう。
 最も、彼には火の準備をしろとの命が下っていたのだが。
 テキパキと荷物を中に置き、シェラフを広げた。
「よし! 寝る準備OK!」
 そんなキャナの隣、シェゾは平らな場所で火を起こしていた。
「あんたも慣れたもんだね。もう火を熾しちゃった」
「…よくやるからな」
 魔導士となれば、その気になれば丸太にだって火をおこせるが、シェゾは手持ちの道具だけで正統派なたき火を起こす。
 炎はだんだん大きくなり始める。シェゾは、細い枝から順に太い枝を増やしてゆき、炎を安定させた。
 炎に照らされた顔は、それだけで絵になるから色男は得である。
 キャナはシェゾからやや離れて横に座ると、何気なく彼の横顔を眺めていた。
「ご飯は?」
「…炊き込み御飯位しか作らないぞ」
 ピクニックではない。調理器具は意外に荷物になるし、そもそも次の街まで行ければ良いのだから、腹を満たす為以上の食料は用意していない。
 シェゾが作ろうとしているものも、乾燥米に水を入れ、調味料と乾燥野菜等を加えただけの簡易炊き込み御飯だけだった。
 いや、そもそも来客さえ来なければ、彼は乾燥肉とコーヒーで済ますつもりだった。
「あ、十分十分。好きだよ、そういうの」
 しかし、キャナもそれらにまったく不満を言う事は無かった。
 むしろ、積極的に手を動かし、飯盒に材料を用意している。シェゾに渡したとき、それはもう火にかけるだけになっていた。
「慣れてるな」
「アウトドアの好きなメロウって珍しいかな、やっぱり」
 それは、こちらのメロウの中でも彼女が変わり者の部類だと言う事を物語る。
「普通、お前ら水の中だからな」
 シェゾは思った。
 不思議なものだ…。こっちでも、類友なんて法則があるのかね。
 どこか変わった奴らと知り合ってしまう。良いやら悪いやら…。
 月夜を仰いでシェゾは軽く笑う。
 そんなシェゾを見る。
 キャナは、月に栄える男の美しさに少し見惚れて、感心していた。
 魔界であろうとどこであろうと、美意識と言うものは一定の共通する認識があると確認された瞬間だった。
 
 焚き火がゆらゆらと揺らめき、枝がパチリと爆ぜた。
 そして、飯盒からグツグツと音がし始め、微かに香ばしい湯気が漂い始める。
 二人は特に話す事もなく、火の傍に並んで座っていた。
 先程と違うと言えば二人の距離が縮んでいる事だろうか。
「ねえ…」
「ああ」
 キャナはよし、と手に布を巻いて飯盒を掴もうとする。
 その時。
 突き刺さる様な冷たい気が、すぐ隣からゆらりと漂った。
 キャナは心臓が止まりそうなそれに驚き、掴んだ瞬間に飯盒を火の中に落とす。
 彼は音も無く立ち上がり、いつの間にかその手には闇の剣を携えていた。
「…シェゾ?」
 彼はふっと後ろに下がり、遮るもの一つ無い草原の宙を睨んだ。
 キャナはとりあえず火の元で黙って彼を見守る。何かが起き、何らかの危険な状態になっている。
 それだけは分かった。
 ついでに、今の彼に話しかける事はやめておいた方が良いとも思う。
 風は微塵も無い。
 静けさがひっきりなしにキャナの耳を襲う。
 そして、不意に風切り音が響いた。
「何か…来るよ」
 そう言ってシェゾに振り向いたとき、そこに彼は居なかった。
 代わりに、その場から三十メートルは離れた場所から金属音が響いた。
 閃光がフラッシュの様に瞬く。
「……」
 非常識な移動をしてみせる彼にキャナは声もない。
 そして、彼は何かと戦っているのだと、当然と言えば当然の状況に今頃気付いた。
 相手は一体?
 キャナは白煙を上げた焚き火に土をかけて消し、向こうの闇に煌く金属の火花と音に集中した。
 平和な世界ではない。
 今、動くべきではないと彼女は察した。
 飯盒が落ちたお陰で火も早々と燻り、不必要な灯りをその場から消してくれた。
 光は、絶好の標的となる。
 キャナは目を闇に慣らして何が起こっているかを確認しようとするが、それは無駄な事だった。彼が、そんなにのうのうと戦闘を続ける訳が無い。
 一際大きな閃光の後、それに続けて悲鳴が聞こえた。
 それは、アウルベアのそれ。
「死ね」
 シェゾは、満身創痍となったアウルベアの首に剣を深々と突き刺した。
 筋肉、骨、どれをとっても生物とは思えぬ硬度を持つそれに、闇の剣はパンを切るみたいに易々と貫通する。
 びくりと痙攣が手に伝わり、アウルベアは仰向けに倒れた。
 草原に重々しい倒壊音が響く。
「終わったぞ」
 彼は何の事は無しに帰ってくると灰の中の飯盒を取り出して、燻った火を再び燃え上がらせる。
 キャナは、薄暗い向こうでかろうじてシルエットを確認出来た。
「…アウルベア、だよね?」
 肉塊となって生きる事を諦めたモンスターを見ながら問う。
 流石に、あそこに死体があると思うと少々顔をしかめる。
 そして、躊躇無くそれを倒した者は目の前にいる。
「ああ。少々凶暴になっていた奴だがな」
「凶暴?」
「お前も、ここらに住むならわかる筈だろう? 空気が、マナの状態が変わってきている事に」
「!…本当なんだ。そういう話は聞いた事あるし、気のせいかなーって思っていたけど…やっぱり、そうなんだ」
「今の奴は、たまたま気に弱かった奴だろう。半ば狂っていた。お陰で、少し倒すのに梃子摺ったぜ」
「…あれで?」
 思い出せば、彼が闇に飛び込んでからアウルベアが倒れるまで、十秒程度。アウルベアと言えば魔法はともかく肉弾戦ではかなりの強さを持つモンスターだ。それを十秒で倒しておいて、梃子摺ったとはどう言う事か。
「…シェゾが、人間のシェゾがここに来たのって、やっぱりそれに関係しているの?」
「まあな」
 どうやら、サタンは必要な事以外は話していないらしい。
 自分で判断しろ、と言う事か。
「飯盒、大丈夫か?」
 そして、そんな事を考えているキャナも気にせず、シェゾは飯の事を心配する。
「あ、うん。食欲、あるワケ?」
「腹は減っている」
「あたし、胃が縮んじゃったよ…」
「この飯、携帯食だが結構いけるらしいぞ」
「いや、味じゃなくて…」
 キャナは、彼と会ってから何度目かの世界観の違いを見せ付けられた。
「そう言えばあいつ、一応半分熊なら、食えないこと無いかもな」
「…やめようよぉ」
「そうか?」
 キャナは、彼が度胸が良いのやら何も考えていないのやら、判断に困っていた。
 そしてその後、その夜は特に問題が起きる事も無かった。
 時折、遠い空に不気味な呻き声が聞こえる以外は。
 この世界を知っているキャナはともかく、シェゾすらもそれを子守歌代わりにするあたり、一体何と言えばいいのか。
 まるで自分よりこの世界に馴染んでいる様な顔で寝るシェゾを見て、キャナは感心したりあきれたりしていた。
 
 

 

第三話 Top 第五話