魔導物語 闇に生きると言うこと 第二部 第二話 魔界の湖 午後4時11分 魔界の人間、その他生物皆が皆、特殊能力を備えているわけではない。 この場合『特殊能力』と言う言葉もかなり曖昧だが、とりあえず人の言う所の特殊能力、つまり魔導を含む超能力と言っておこう。 そして、それにメロウは驚いたのだろう。 目の前でシェゾが闇の剣を『仕舞った』事に。 この世界ですら、転移関連の魔導を扱える者は少ない。 そもそもそんな事が常習になれば、人間界などひとたまりもないだろう。 今この時間に置いて人間界が繁栄出来るのは、魔界からの訪問者が絶対的に少ない為に他ならない。 シェゾが空間を越える事が出来ると言ったら、彼女はどんな顔をするだろう。 「…どっか、いい生まれの上級悪魔とか? お抱えとかやってるの?」 人間と言う考えなど微塵も無い。 闇の魔導士たるシェゾ。 彼の力は、こちらですら異能だと言う証明だった。 「ただの流れ者さ」 別に、自分は人間だと言う気も無い。 相手が『そう思わない』のであれば、彼は立派な魔族だ。 「どこいくの?」 先程までの畏怖はだいぶ薄れている。 彼女は、シェゾの性格をおおよそ把握したらしかった。 恐怖と危険は根本的に違う。 彼女は彼を怖いとこそ思えど、危険とは判断しなかったらしい。 「さぁな」 「ふうん…。あ、そうだそうだ」 メロウは、ポン、と手を叩いた。 「?」 「あんたの名前は聞いたのに、あたしがまだ名乗ってないよね」 「ああ…」 「あたしはキャナ。今後ともヨロシク」 「そうか。よろしくな」 シェゾは、とりあえずお決まりの返礼を返す。 「しかし、『うろこさかなびと』とは、ちょっと違うんだな…」 シェゾは彼女を見て言う。 メロウは、全体的にシャープな線で体のラインを構成している。ヒレや爪が全体的に鋭いのだ。見た目は、少々硬質な感じを受ける。 「はぁ? 『うろこさかなびと』? ちょっとぉ、やめてよね! あんな人間界に順応した様なひ弱な亜種と一緒にするのはさぁ…」 キャナは、いかにも嫌そうに言った。 「…人間界を例に持ってくるなんて、あんたやっぱり特殊なお仕事かなんかしているんじゃないの?」 「まあ、行き来が多いってのは確かだな」 「やっぱり!」 キャナはほらね、みたいな顔で笑う。 「うろこさかなびとはひ弱か?」 シェゾは、先程のキャナの嫌悪感が気になって聞いてみる。 「でしょうが。出戻りでこっちに来た奴を見た事あるけどさ、体はぶくっとしていて、なんかシャープさに欠けているし、能力も浮遊が関の山。特に、根性がない。怒ると泣くし、落ち込み易いし…やわやわだもん。あーやだやだ」 キャナはべーっと舌を出す。 「ふ…」 シェゾは、そんな仕草が素直なので思わず含み笑いしてしまう。多分、まるで裏表の無い性格なのだろう。このキャナと言うメロウは。 確かに、彼が良く知っているのはセリリだけだが、見た目にトゲトゲしいところは皆無だ。ヒレにさわっても、芯以外の部分はいたってふにゃふにゃしている。 シェゾは、そう言えば、特に腰ヒレを触ると、むずむずすると言って嫌がる仕草が可愛くて、少々意地悪していた自分を思い出す。 「ちょっと」 いつの間にか岸まで来ていたキャナが問う。 「ん?」 「なにニヤニヤしてるの?」 「していたか?」 「してた」 「確かに、うろこさかなびととは違うなって、思っていたのさ」 「でしょ?」 メロウが優れていると言う意味に取ったのか、キャナは笑う。 一呼吸置いて、シェゾは立ち上がった。 「じゃあな」 「あれ? どっか行っちゃうの?」 「休みに来ただけだ。ここに用があるわけじゃない」 「まあ、そうだろうねぇ。じゃ、またね」 キャナは、形ばかりに手を上げて湖を去っていく無愛想な男の背中を見送った。 「…変わった奴だったねぇ」 空を見上げ、そのままのけぞる様にして水に沈む。 湖には、もう波紋しか残っていなかった。 夕暮れ。 空は紅く染まり、太陽が濃いオレンジ色に輝きを落としながら地平線の向こうへ沈むその黄昏の光景。 シェゾは、素直に美しいと思った。 視界には己以外の人間はいない。 動物の姿も、精霊も見ない。 山に反射する風の音が地鳴りの様に低く響き、その雄大な音が自分自身の小ささをより意識させる。 彼が、自分でさびしいと感じたのは、随分久し振りに思えた。 氷のないツンドラの様な草原が広がるこの世界に、おあつらえ向きの巨岩が突き刺さっていた。 まるで、巨人の剣の切っ先が折れて突き刺さったみたいだった。 シェゾは、そこをキャンプ地に決めた。 やがて空は色を失い、空の向こうの星々が顔を出し始める。 見本の様に蘚苔類や地衣類が茂る土地。 魔界に明確な四季があるかどうかは知らないが、この辺りは寒い時期は多分そうとう寒くなるのだろう。 遠くの山を飾る緑は、そう言えば針葉樹ばかりだ。 美しい土地だ。 しかし、さびしい土地だ。 シェゾは、何か自分以外の人間は居ないであろうこの世界に、子供みたいな寂しさを覚えて苦笑した。 その時。 「!」 背中に、凍った針でも突き刺された様な感覚が沸いた。 同時にシェゾは、背中を預けていた岩の頂上へ跳ぶ。 岩の上までは四メートルはある。降りるなら分かるが、彼は跳びあがった。 センスと言う名の魔導力が合わさってなせる技ではあるが、それは十分に魔性と呼ぶに相応しい動き。 マントが羽の様にはためいたその姿は、黒い羽の悪魔が跳びあがった、そんな想像をさせる動きだった。 「……」 岩の上。 仁王立ちするその姿は雄々しく、美しい。 マントは意志を持つかの様にはためき、翼となりてアンテナの役目を果たす。 暗い夜に尚、その漆黒のシルエットを浮かび上がらせる男よ。 夜空にあふるる無限の光すら、吸い込み、消し去るのか。 シェゾよ。 闇に生きる男よ。 その蒼い瞳は輝く。 触れたものは全て生かさぬとばかりに。 今のシェゾに死角は無かった。 視覚、聴覚、全ての感覚と更に第六感までも操り、彼は全周囲を索敵する。 研ぎ澄まされた神経が、体毛を逆立てさせる。 氷の様な緊張が、約一分続いた。 普通の人ならば、精神力の枯渇で干からびてしまいそうな緊張感。 ふと、シェゾはその緊張を解いた。 「…く」 膝が崩れた。 土下座するかの様に四肢で体を支え、肺が空気をむさぼる。 一気に額から汗が噴出し、膝や腕はガクガクと痙攣していた。 恐怖ではない。 極度の疲労によるものだ。 「…殺されるかと、思ったぜ…」 けっして広いとはいえないその岩の上に、シェゾはごろりと仰向けに横臥する。 一体、何があったのか。 星は、変わらず輝きつづけた。 「一体、何が?」 ベールゼブブの城。 声は、その城から不自然に伸びる塔の最上階から聞こえた。 「まさか…。マスターともあろうお方の『目』を感じるなど」 かしずく黒髪の少年は、顔も上げずに言う。 「…ま、まさか、ご冗談を…。マスターが行動を誤るなどと…」 空気が揺れた。 「! 失言でした! お許しを…!」 少年は心臓が凍りつきそうだった。 万が一にでもこの場に『人間』がいた日には、今の空気の流れ一つで卒倒し、命を落としていたであろう。 そんな空間であった。 「…は、はい。分かりました。直ちに向かいます。はい、仰せのままに…」 少年は影となって消えた。 夜の闇は、その塔の窓の外に夜景を映し出す。 今、夜空を仰ぎ見るシェゾの頭上の景色も、それと同じだった。 |