Top 第二話


魔導物語 闇に生きると言う事 第二部 第一話



  闇に生きるとはどういう事か、特に彼が深く考えた事はなかった。
 なぜなら、自身が闇に生きる者は、それが己の世界だから。
 それが自然な世界だから。

 魚が、水に住む事を疑問に思わぬ様に。
 太陽が輝く事を、太陽の下に住む者が疑問に思わぬ様に。

 そして、その知らぬ世界が果たして自分に相応しいかどうかを判断する事は、その本人には可能なのだろうか。
 魚に、空はどうだと聞かれても答えられはしない様に。
 鳥に、水中はどうだと聞かれても分かりはしない様に。
 彼もまた、その答を導けるほどの経験も年齢も重ねてはいなかった。

 当然である。

 それは、一生をかけて導く答なのだから。



  魔界 街道  午後3時21分

 すこし、顔を上げてみた。
 視界を埋めるのは距離感を失い、ふらりと倒れてしまいそうになる透き通った青と、抜けるような白い雲。
 そして、鮮やかにそれらを彩る太陽が主役の座を我が者として輝いている。
 しかし、今の太陽は見慣れた太陽であって太陽ではない。
 気持ち、やや日差しが強く感じるそれ。

 それは、魔界の太陽だ。

 そんな太陽の下での道中は、割と快適と言えた。
 空はなんら変わりなく青い。
 空気も、別段違うと意識するようなものではない。
 それでもどこかに、世界自体が閉鎖されている様な密閉感を感じるのは、自分が異世界の人間だからだろうか。
 …せいぜい、『これ』に慣れない様に気をつけるか。
 シェゾは、少々変わった姿の馬を歩かせて街道を進んでいた。
 もっとも、街道といっても人と比べて移動手段に富む連中ばかりのこの世界。
 それは、半ば獣道と言ってもいい様な、いい加減な道だった。
 少し遠目から見れば、シェゾは馬に乗って草原を当ても無くさすらっている様にしか見えない。途中の分岐にしても、地図とにらめっこするか朽ちずに残っている標識が無ければ、到底気付かないようなものばかりだった。

 街を出てから既に三時間が経過している。視界には山と森、少し遠くの巨大な湖が見えるだけ。
 他はと言えば、自分が今歩いているこの、踏みしめられた土の街道の歪んだ線だけだ。
 空で鳴く鳥も、よく見るとどこか姿がおかしい。
 シルエットだけなのにそう思ってしまうのは、普通、鳥に角は無いからだろう。
 見ている分には無害な筈だが、その鳥の影はにわかに大きくなり、あっという間に視界を占領する。
 ただの鳥と思っていたそれは、羽を広げると実は全長六メートルにも及ぶ巨鳥だった。しかも、鳥類のクセに乱杭歯までが確認できた。
 シェゾと馬は、その鳥の影にすっぽりと隠れてしまった。
「む!」
 大人の拳より大きい爪が襲い来る。
 それはまるで杭が降って来るかの様だった。
 シェゾは、馬を巧みな手綱さばきで曲がらせ、辛うじて一撃を交わす。だが、それでも風圧で押し倒されそうだった。
 地面に、正しく杭を打ち込んだ様な穴が開いた。
 浮き上がるために鳥が羽ばたくと、それだけで馬ごとよろけそうな程の横風が襲う。
 枯草と土煙が、辺りに舞い上がる。
「埃を…撒き散らすな!」
 うっとおしい、とシェゾの右手が瞬間、フラッシュした様に輝いた。
 土煙の中に、彼の手より放たれた雷が、おかしな軌跡を残像にして突っ込む。
 次の瞬間、鋭い悲鳴が空を劈く。
 土煙の中から次に聞こえたのは、巨大な肉塊が無造作に土に墜落した鈍い、嫌な音。
 そして、苦しげな断末魔。
 少し遅れて、何かが焦げた臭い。
「……」
 シェゾは、雑魚如きに二度も攻撃を許す事は無かった。
 いや、一撃目を許したことすら彼にすれば失態だ。
 哀れなる魔物。その生死を確認しようともせず、再び馬を歩かせてその場を去る。
 既に空には、新鮮な餌を見つけた猛禽類が近付いていた。

 暫くの後。
 シェゾは、湖のほとりで休んでいた。
 無論、疲れたのではない。
 汚れた服を綺麗にする為だ。
 これから先はまともな町になど出会えるかどうかは分からない。出来る事はやっておいた方がいい。
 サバイバルの鉄則だ。
 しかも、恐らくは命を賭したそれとなるだろう。
 暫くして用が済むと、シェゾは湖面の岸に仰向けで横臥した。
 馬は、近くで草を食んでいる。喉は渇いていない様だ。
 空の青と風が心地よい。
 午後のそよ風は、どこの世界も変わらない様だ。

 その時。

 鏡の様に美しい、青い湖面が薄い波紋に揺れた。小さな水音が聞こえる。
 疲れてもいないし、気を抜いてもいない。
 シェゾがそれに気付かぬ訳は無かった筈だ。
 だが。
「あなた、だれ?」
「!」
 シェゾは、問われるまでそれに気付かなかった。
 体を跳ね起こす。
 問い掛けた声の方向を、三半規管全開で解析して上半身を起こす。
 と、同時に出現させた闇の剣を声の方向に突き出した。
 普段のシェゾから考えると、随分臆病な対応だ。
 だが、ここは魔界なのだ。
 そして、自分はこの世界の理を知らない。
 無知が何よりも恐ろしい事はよく知っている。
 そういう奴が生き残るには、用心が必要な事も。
 かくして正体不明の声に向けられたのは、絶対的破壊をもたらす氷の様に冷たいその切っ先。
 愛想よく笑う事など微塵も考える事の無い、その闇の剣。
「…わぁっ!」
 剣が静止してから、三秒も経ってやっと声がした。
 何が起きたか理解するのが困難だった様だ。
 シェゾは無論、三秒より少し前に『それ』を見た。そして、その仕草を見てちょっと警戒心を弱める。
 そこに居たのは、メロウだった。
 淡い桃色の長髪に、深緑の鱗に包まれた下半身。
 シェゾは、瞬間セリリを思い出した。
 だが、顔つきは随分違う。
 そして。
「…お、驚いたぁ。ちょっと! 初対面にはいつもそうしているワケ?」
 性格も違う。
「誰だお前は」
 命令でも詰問でもない。が、答えない事を許さぬその声。
 メロウの口から、意志と無関係に勝手に声が出た。
「あ、あたしは…。ここに住んでいるただのメロウよ。な、名前…」
「別にいい」
 シェゾは彼女の答を遮った。
 もう、興味が失せたのだ。
「ちょ…ひ、人に言わせておいて『いい』はないでしょっ!」
 もしもこれがセリリなら、まず剣を向けられた時点で気絶しているな。
 シェゾはそんな事を考えて微笑した。
 メロウは、それが馬鹿にされたと取ったらしい。
「あ、あのねー! どれだけあんたが強いか知らないけど、それなら尚更弱いものいじめするなんてカッコ悪いんだからね! あんたみたいなのが女の子を泣かせるタイプっておばあちゃん言っていたんだから! だから笑うなぁ!」
 剣のせいで近づく事こそ出来ないでいるが、恐らく素手であればつかみ掛かっていたやも知れぬ剣幕でわめくメロウ。
 やっぱり違う…。
 シェゾはもう一度失笑した。
「…! あんた、何様!?」
 メロウは更に頭に血を上らせる。
「くく…。いや、すまん。こっちの事さ」
 シェゾは剣を空間に仕舞い、両手でオーバーにまぁまぁ、とジェスチャーした。
 剣を仕舞った事で、半ば掴みかかってくるのではないかと予想していたのだが、意外にも彼女は逆に押し黙る。
「どうした? 武器は仕舞ったぞ」
 シェゾは逆に挑発する様な口調で言う。
「……」
 だが、メロウはますますおとなしくなり、水にちゃぷ、と波紋を作って後ずさる。
 さっきまでの威勢は無い。
 怯えを含んだ目の色は、やはりセリリを想像させた。
「あ、あんた…誰なのよ…」
 何故か、いきなり神妙になるメロウ。
「…シェゾ・ウィグィィだ。シェゾでいい」
 この世界に来て、始めて名乗ったその名だった。




Top 第二話