第九話 Top 最終話


魔導物語 八百万の神の国 第十話



  都 午後4時20分
 
 夜の橋に鬼が現れる。
 
 都はもっぱらその話で持ちきりだ。
 最初は異邦人と警戒していた都の人間も、その話に興味があると知ると急にもの言いたげに彼に寄ってきた。
 こういう噂話は、聞いてくれる人が居てこそ華なのだ。
「…で、もう今月に入ってから五人が食われているって話さ」
「食われる?」
 シェゾは夕方の酒場でいい具合に酔っている男から話半分に噂を聞いていた。
「ああ、鬼の野郎はよ、その姿を見たものを食っちまうらしい。今までに殺られた奴らはよ、みぃんな体の一部しかのこっちゃいねぇらしいんだ」
「斬られた、とかじゃなくか?」
「いんや、みんな千切れたみたいな残骸だとさ。どうみても、でっけぇ口で食い千切ったって感じらしい。おそろしいねぇ…」
 シェゾは、男の空になったお猪口に酒を注ぐ。
「で、何処で事件は起きている?」
「おっとっと…。へへへ…あー、場所ね。あっちこちだが、大体は橋の上だな。お陰で最近、夜は水辺にゃ人が全然集まらねぇよ」
「そうか」
 シェゾは騒がしい酒場を後にする。
 空に三日月が浮かび、風は少し肌寒い。
 シェゾはふらりと街を歩き、何か面白いものはあるか? と散策を始めた。
 同時に、彼は初めて一人になったと考える。
 そう、最初は独り旅を満喫するための旅でもあったのだ。
「やれやれ、だ」
 シェゾはしょうもない、と笑いながら川沿いの道を散策した。
 済んだ水の中から小さな鯉がぱちゃり、と跳ねた。
 
 時は深夜になる。
 ふと周囲を見渡すと、先程までざわざわと人の集団があちこちにあった街がいつの間にかしん、と静まりかえっている。遠くを見ると灯りはあるが、それと対照的にこの周辺はゴーストタウンの如く静まりかえっている。
「……」
 シェゾは自分が何処にいるか確認する。
 そう、ここは川辺。そして、少し向こうになかなか立派な橋が架かっていた。
「!」
 シェゾは背中に尋常ならざる気配を感じる。
 ざわり、と背筋が危険を知らせた。
 そして彼の視界の端をひらり、と真っ白な蝶が通りすぎた。
 蝶?
 シェゾは違和感を隠せない。
 ただの蝶にしては存在感が強すぎる。
 象を見てもこれ程の威圧感は感じないだろう。
「シェゾ殿」
 更に、その気配の元が彼の名を呼ぶ。
 シェゾは振り返った。
 ゆっくりと。
 かくして、そこには晴明がいつの間にか立っていた。
「セイメイか」
「どうですか? この都は」
「割と、いいところだ」
「それはそれは」
 晴明はくすりと笑う。若く整った顔立ちなので、目元だけを見ると一瞬女を想像させるその表情。
 シェゾは、そんな晴明にどこか人外の気配を感じる。
「で?」
 シェゾは話を切り替える。
「はい、出ます。今夜は…」
「聞いた話じゃ、なかなか凶暴な奴らしいな」
「そうですね。凶暴だ、と言う事になってしまうのでしょうね…」
 何故か晴明はどこか困った顔で言う。
「何処に出る?」
「都の外です」
「何故?」
「鬼は、あなたの存在に気付いています。こんな狭い都の中では、その場に相応しくないと思っているのでしょう」
「…随分なお膳立てだな」
 シェゾは訝しげに言う。
「良い役者が揃う場所は、良い舞台と決まっているのですよ」
 晴明は笑いながら言った。
「で、都の外れに大川を繋ぐ橋があります。そこに、気の流れを感じたと言っています」
「誰が?」
「これは失礼。私の式神が、です」
 そう言い、晴明は右手を肩の位置まで挙げる。
 と、その指先に先程の真っ白な蝶が留まった。
 晴明がほんの少し何かの念を発した。
 そして、ふっと軽く息を吹きかける。
「……」
 シェゾはそれを見た。
 たった今まで確かに蝶だったそれが、一枚の折り曲げた和紙に変わったのだ。
 かさりと指から和紙がずり落ち、晴明はそれを掴むと何の事はない、と袂に仕舞う。
「…使い魔、みたいなもんか」
「そう思っていただいて差し支えありません」
 晴明は、それでは、と言ってシェゾの案内を始めた。
 
 先程まで蒼かった月が、何故か今は紅く見える。
 場所は都を外れて数里程。
 もはや人工の灯りと言うものは周囲に存在しない。
 月明かりだけが二人を照らし、どこか不気味な鳥の鳴き声とごうごうと木々を揺らす風の音がBGMとなり、否が応にもただならぬ場所へ近づいているとシェゾに確信させていた。
「……」
 この間、二人は一言も言葉を交わしていない。
 それでも特に気まずくもなければ違和感も無いのは、多分お互いが基本的に無口であるせいだろう。
 これはシェゾにとってむしろ都合がいい。
 
 余計な事はしない。
 
 これは彼の信条だ。
 別段晴明の素性にもその能力にも興味はない。
 興味を覚えるとすれば、それは恐らく彼と剣を交える必要が出来た時だろう。
 何とも色気のない事である。
 ふと、シェゾの耳に微かな水の音が聞こえてきた。視界には月明かりに照らされた橋の影が見える。
「…ここか」
「そうです」
 これだけだった。
 晴明は一歩前を歩いていたその身を今度は一歩後ろに下げる。
 シェゾもその身を一歩前に進める。
 そして、シェゾはそのまま直進を始める。
 橋と言う名の戦場へ向かい、シェゾは進む。
 今彼の耳に聞こえるのは川のざわめきと土を踏みしめる己の足音のみ。
 そして、実際今の世界にそれ以外の音は存在しなかった。
 橋板を、彼が践むまでは…。
「……」
 シェゾは一歩橋を践むと歩みを止めた。
 感じるのだ。
 その気配を。
 毛穴の一つ一つにまで入り込んできそうな程に無遠慮で、そして強力な気の濁流を。
 常人ならば腰を抜かす所か失神しそうなそれが渦巻く橋の上。
 だが、シェゾはそれこそ無遠慮に歩を進め始める。
 その表情は確かに真剣だ。
 しかし、気のせいだろうか。
 どこかで、間違いなく笑っていると感じたのは…。
 
 紅い月の下。
 鬼と、男が出会おうとしていた。
 舞台は檜の大橋の上。
 囃子は川のせせらぎ。
 観客は一人の男。
 今、どんな浄瑠璃も色あせてしまうであろう演舞が始まる。
 
 
 
 

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