第八話 Top 第十話


魔導物語 八百万の神の国 第九話



  宿 午後2時7分
 
「……」
「いっしゅくいっぱんのおんぎをわすれるほど、はくじょうじゃないもんね!」
「ねー! アーちゃん!」
 意味を知っているのか知らないのか、二人はそう言ってうんうんと頷いた。
 恩を感じるのならこのまま消えてくれるのが一番助かる…。
「いや、お前ら、大人しく帰…」「やだ」
 シェゾはめまいを覚えた。
「いや、その、これから先は危険だぞ?」
「ゆみがあるもん」
「ぼくのふえも、ぶきになるもん」
「「ねー」」
 二人はハモって言う。
「…俺は、独り旅の予定で来たんだよな…?」
 シェゾは宿の天井を仰いで何度目かの確認を嘆いた。
 
 二日後の昼。
 シェゾと二人は、昼食を済ませてから宿を後にする。
 一日間が空くのは、シェゾの目的を確実なものにする為、その情報収集に時間を割いたからだ。
 例によってお得意となった商人へ本来の情報を依頼しつつ、自分も街の書庫を調べたり、多くの老人達に話を聞いて回った。
 商人達はもう、シェゾをお得意リストに入れている。
 こうなるとこの国ではほぼ何処に行っても名を名乗れば優遇が効くだろう。
 彼らのネットワークは、距離を超え、時には次元を超える程のものなのだ。
 シェゾは、アーちゃんとパノッティについては、いざとなればまた無理矢理魔界に連れ帰ってしまえばいいと思って二人の好きにさせていたが、二人の同行は思わぬ効果を生む。
 この国の老人は人見知りする者が多いと聞いていたが、意外に老人達との会話は滞りなく行う事が出来たのだ。
 それは、他の誰でもないアーちゃんとパノッティのお陰である。
 二人の愛らしい笑顔や仕草に老人達は揃って骨を抜かれ、嬉しそうに二人をだっこしたりお菓子や民芸品のおもちゃをあげたりしつつ、ついでに舌の滑りも良くしてくれた。
 シェゾはその絶大なる効果に正直舌を巻いた。
 まず間違いなく、彼だけではこうも多くの話を聞き出す事は出来なかっただろう。
「えへへっ」
「へへへー」
 二人はその夜、特に言葉こそかけられないが、何とは無しに自分達を認めてくれていると分かるシェゾの顔を見て、いつまでも嬉しそうに笑っていた。
 
「で、おじいちゃんたち、なんていっていたの?」
「そうそう、シェゾにいちゃんって、なにしにきていたんだっけ?」
「…分かり易く言えば、ある密教の総本山に行き、そこの本尊を拝む為さ…。その思想と、あがめている魔導力って言うか、その力の源を知る事だ」
「…なにそれ?」
「それなに…?」
「…分からないならいい」
 どうせ分かるとは思っていなかったし、そもそも密教だの本尊だのもそれに当てはまるかどうか怪しいのだから。
 それから二時間程経ち、街道はやがて山道へと変わる。
 周囲の開けた風景は木々と草、遠くのもやへと変貌し、頭上から降り注ぐ弱々しい太陽光以外に頼れる光源は見あたらなくなる。
「なんか、きたことあるみたい」
「うん、そうだね」
 二人は怖がるどころか、むしろ嬉々としている。
 ここらへんは、二人が魔族という証明だろう。
「……」
 シェゾも『それ』は確かに感じていた。
 この周辺、ただならぬ魔力が満ちている。
 ふと。
「そこな方。何用ですかな?」
「きゃあっ!」
「わぁっ!」
 二人はその声に反射的にシェゾにしがみついた。
「……」
 シェゾだけは、その気配を先に感じていた。
「貴方はお気付きでしたな。我らが社へようこそ」
「ああ」
 シェゾは淡々と応じる。
 そこに立っていたのは、簡素ながらも高位を容易に想像させる着物姿の男。
 頭髪もあり、別に僧と言う風にも見えない。
「以外に、開放的だな」
「それがとりえゆえ…」
 目的地へ来たというのに、いささか淡泊と言わざるを得ないシェゾの対応だ。
「……」
 そんな二人の大人の対応に、シェゾの足下の二人だけが、訳が分からない、と頭をひねっていた。
 シェゾ達はやがて杉の林道の果てにある屋敷へと辿り着いた。
 森の奥深くにそびえ立つそれは場所としてはいささか不釣り合いな程に大きく、確かに目の前にそれはあるのに、微かにもやがかかっている為か、まるで写し絵の如く不安定なその姿だった。
「ここが、我らの修行の地に御座ります」
「…俺の名は、シェゾ・ウィグィィだ」
「私、晴明と申す。若輩ながら、陰陽をたしなみ申す者。お見知り置きを…」
 晴明と名乗った若者はシェゾを屋敷へと導いた。
 地面に根付いている様な大門が音もなく開き、その奥は陽の光を嫌うかの如く暗い。
 一歩踏み入れれば、左右どころか上下すら見失ってしまいそうなその闇。
「…こちらへ」
 そんな闇へ晴明はシェゾ達を導く。
 シェゾは無論臆する事もないが、いかんせん足下で貝みたいにしがみついている二人はそうもいかない。
 このままでは歩きにくいので、シェゾは仕方なしに二人を両手に抱いて進む事とした。
 二人は正しく『齧り付く』の言葉通りにシェゾの首にしがみついた。
 どれ程歩いたのだろう。
 屋敷の中だというのに、まるで闇の荒野を延々と歩いていたかの様な錯覚すら覚えさせる距離を歩き、ふと、前を歩く晴明が振り返った。
「こちらへ。ただいま、茶をお持ちします」
「…ああ」
 シェゾは何気なく座る。
 と、尻の下には藁を編んだ座布団が見据えた様に敷いてあった。
「……」
 シェゾは妙に感慨深げに口元を歪める。
「ほら、お前らそろそろ降りろ」
 蛸でも引きはがすみたいに二人を首もとから引きはがすと、そのまま両脇に座らせる。
 何も考えずに二人を座らせたのに、なぜかそこに同じく座布団があったのは奇妙としか言いようがない。
 晴明が闇に消え、代わりにいつの間にか周囲にろうそくの明かりが三つ、四つ、と弱々しく灯る。
 闇になれていた性もあり、その明かりでシェゾはここが広い板の間だと分かった。
 壁にも、床にも、天井にも何の装飾もない。
 正しく、木の板と柱だけの間だ。
「お茶に御座ります」
 ふと、シェゾの後ろから声が聞こえた。
 シェゾを除いて二人がまたわっと驚く。
「これは失礼を…」
 振り向いた先に立っていたのは、若い女だった。
 艶やかな黒髪が腰まで伸び、落ち着いた朱色の着物が女の奥ゆかしさを引き立てる。
 まだ妙齢と思われるその女は、白い手で茶を盆から下ろし始めた。
「どうぞ…」
 木の盆から茶を下ろすと、女はそのまま灯りの届かぬ闇へ消える。足音どころか、衣擦れの音一つさせずに女は消えた。
「…お、おにいちゃん…恐い…」
「う、うん、ボクも…」
 ふたりはコアラみたいにシェゾにしがみつく。
「おまえら、役に立つっつってここまで来たんだろ?」
「だ、だけどぉ…」
 二人はどうしようもなくうにうにと目を潤ませるばかりだ。
 最初から分かっていたが、あからさまにこうだと流石に気が抜ける。
 早いところ、『用』を済まさないとな…。
 そう思いつつ茶をすする。
 少しして、再び闇の向こうより誰かが現れた。
 今はシェゾの正面からである。
 二人は、それでも身を震わせていた。
「お初にお目に掛かる。陰の者よ。儂の名は道満と申す」
 その声は老人。
 そして、明かりの下へ現れたその姿も、死に装束の如き真っ白な着物姿に真っ白な髭、真っ白な頭髪を携えた小さな老人であった。
 どこまでも白いその姿にして、瞳だけが濡れた様に黒く輝いていた。
「あんたが、ここの主か。俺はシェゾだ」
「うむ、卦によって並はずれた陰の力を持つ者が現れるのは承知しておったが、まさか異国の者であったとはのう…。道理で、卦が不安定になる筈じゃ」
 老人は、さして驚いてもいない様な口振りでほっほっと小さく笑う。
「しかも、物の怪付きじゃ」
 老人はアーちゃんとパノッティをちらりと目に留め、笑う。
「ひ…」
「うわ…」
 見た目は小さな老人だというのに、二人はその圧倒的な存在感に畏怖する。
 老人らしい優しげな微笑みだったのに、その笑みは二人に突き刺さる様な威圧感を感じさせた。
 もはや、二人はその老人を見る事すら出来ずにひたすらシェゾにしがみついている。
「こいつらは気にするな。ご老体、俺は求めたくてここに来た」
 ぐい、と残りの茶を飲み干してシェゾが語る。
 珍しいと言えば珍しい。
 シェゾが『求め』をあからさまに口に出すなど。
「ふむ」
 老人はシェゾから二丈程離れた場所に座る。
 そして、シェゾの目を見てしばし黙りこくった。
 シェゾも同じだった。
 同時に。
 アーちゃんとパノッティはその瞬間、まるで自分達が闇の中に放り込まれた様な錯覚を感じた。
 目の前にシェゾはいる。
 だが、まるで存在感を感じられない。
 その肌の体温も、その微かな肌の匂いも、今触って感じる腕の鼓動も、それらが全て虚偽に思えてしまう。
 二人は、寂しさと怖さでまた泣きたくなった。
「お、おにいちゃん…?」
「ねぇ、ねぇ…?」
 まるで体温を持つ石像に抱かれているかと思う程だった。
 二人は何が起きているのか理解出来ず、ただ沸き上がる恐怖感のみが現実味を増す。
 シェゾ、そして老人は微動だにしない。
「シェ…シェゾにいちゃん…」
「ふぇ…」
 二人の恐怖は絶頂に達しようとしていた。
 その時。
 思わずシェゾからずり落ちてしまっていた二人を、背中からそっと抱き寄せる何かがあった。
「!」
 二人は瞬間驚くも、それが人の手と分かり急速に緊張を解く。
 動けぬままにその何かに抱かれると、二人の耳元でそっと声がした。
「大丈夫よ。あのお二人は今、とても大切な事を語り合っています。それが終わるまでは、私がお相手しますよ」
「…え」
 振り向くアーちゃん。
 その声の主は、先程茶を運んできた女だった。
 少しの後。
 どうやって出たのかが何故か二人には分からなかったが、アーちゃんとパノッティはいつの間にか屋敷の外にいた。
 外は天を突く様な高さの見事な杉の森であり、木々の間を野鳥が様々な鳴き声で飛び交っている。
 そして、どうやら少し先には滝があるらしい。
 耳を澄ますと、水が何か堅いものに当たって弾ける音がどうどうと響いていた。
 唯一の拠り所たるシェゾから離れた二人は寂しさと不安をどうにも隠せないが、それでも優しく微笑んでくれる女性のお陰で、まだ外の自然を楽しめる余裕は持てていた。
「ねぇ、おねえちゃん」
 アーちゃんが恐る恐るながら問いかける。
「なぁに?」
 女性は柔らかく微笑む。
 アーちゃんに合わせて頭を下げると、背中の黒髪が流れるようにさらりと垂れた。
「えっと、あたし、アーちゃん。お姉ちゃんは?」
「あら、そうだったわね。ありがとう。私は蜜虫よ」
「ミツムシ…?」
「好きに呼んで頂戴」
「じゃ、おねえちゃん、ここって、なに?」
「うん、ここって、なに?」
 パノッティも興味深げに密虫に詰め寄る。
 二人にとっては本気の本気なのだが、傍から見た目には幼稚園の先生と内緒話をしている園児にしか見えない。
 密虫は、まるでそんな光景が自分で見えているかの様に微笑んで、そして語った。
「そうね…何て言えばいいのかしら? ここは…」
「ここは?」
「お勉強するところ、かしらね。ちょっと難しいお勉強をする処…」
「がっこう? なんの? ボク、まどうがっこうしかしらない」
「魔導…。そうね、魔導学校が『力』を学ぶと言う言い方をすれば、ここは、『心』を学ぶ処、かしら」
「こころ?」
 
「そんな陳腐な問答しに来た訳じゃ無いんだがな…」
「じゃが、陰陽とはそう言うものじゃ。動的な心と静的な心、この二つをいい塩梅に操って道理を正す。これが陰陽の極意じゃ。簡単じゃろ?」
「…だけど、よ」
「ほほほ。お前さんの事は先程の『挨拶』で大体分かったつもりじゃったが、意の外にまだまだ俗物よのう。あからさまな力を求めるとは」
「……」
 シェゾは何かばつが悪くなり、首をこき、とならした。
「まぁ、お主まだまだ若いしのう。それに、陰と陽の力は確かに『それ』として存在する。どうじゃ? そう言う事をお望みなら、一丁鬼と戦ってみるか?」
「オニ?」
「最近、この界隈に出没する物の怪じゃよ。この国の魔物と戦ってみれば、お前さんの陰がどういう意味を持つのか、万分の一位は分かるかもしれんぞ」
「……」
 あからさまに馬鹿にされているのだが、何故か憤慨も癪にも障らない。
「儂の弟子の晴明に、修行がてらに倒させる気じゃったが、お前さんに譲るわ」
「…ありがとよ」
「晴明に案内させる。早々に行くが良い。でないと、お前さんじゃ手に負えなくなるわ」
「……」
 最後まで口の減らない男だ。
 シェゾはそれだけをかろうじて非難出来た。
 
 シェゾは少しの後、屋敷から出てきた。
 扉の外には密虫が立っている。
「ご用はお済みですか?」
「ああ。で、あいつらは?」
「はい、今はあちらの方で遊ばれています」
「……」
 耳を澄ますと、木々の間から二人のきゃーきゃー騒ぐ声が聞こえる。
 先程までの不安は何処へやら、今やここは絶好の遊び場の様だ。
 そこへ、先程の男、晴明が現れる。
「セイメイ。ドウマンからオニの話を聞いた」
「承っております。鬼が出るのは丑三つ時が最も多いのですが、待たれますか?」
「無論だ」
「では、それまでは下の街を御散策されるのが宜しいでしょう」
「ああ」
「その時が来ましたら、シェゾ殿の元へ参ります。ここへ戻るなり、街でお呑みになるなり、それまではどうぞご自由に」
「ああ、それと…」
「はい、シェゾ殿のお子様はこの密虫が責任を持ってお預かりいたします」
「誰が俺の子だ」
 シェゾはきびすを返すとずんずんと森を抜け、都へと下っていった。
 
 
 

第八話 Top 第十話