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魔導物語 八百万の神の国 第七話



  宿 午前8時7分
 
「……」
 朝だ。
 元から目覚めの良い彼ではないが、今の彼の気分は、悪い等と言うものではない。
 重い…。
 肺が押される…。
 胃も圧迫されている感じだ…。
「…う…」
 彼は唸る。
 彼は夢を見ていた。自分の体の上に、象みたいな大きさのカーバンクルがのしかかって、ぐーぐー歌いながらダンスしている夢を見ていた。しかも、水でも吸っているみたいに段々大きくなり、やがて彼はカーバンクルの足の下に隠れてしまうのだ。
「っ!」
 目が覚めた。
 最悪の目覚め。
「今のは…」
 夢と知ってほっと出来ると思ったが、何故か状態は夢と変わらない。
 実際、体が重いのだ。
 シェゾは嫌な予感がして、恐る恐る視線を体に落とす。
「……」
 シェゾは脱力し、そして情けなくて泣きたくなった。
「…んに…おどろ〜よ〜…」
「しゅ〜と〜…ゃはは〜…」
 彼は、昨夜は確かに二人から少し離れた場所に寝た筈だった。
 なのに今、あろう事かお子様二人はシェゾの体の上に、アザラシの如くどっかりと寝そべって実に気持ちよさそうに寝言を言っていた。
「……」
 今の彼には、溜息をつくしか出来る事は残っていない。
 夢の方がまだ諦めがつくだけマシだと思い、彼は天井を眺めていた。
 
 っつーか、俺は何しにここまで来た?
 
 たった二人の餓鬼の為にここまで自分の行動が狂わされるなど、彼の想像出来る事ではなかった。
 そういう意味で、シェゾは珍しくサタンの計略に感心する。
 最も、それ以上の感情をふまえての事だが。
「くしゅ」
 あーちゃんが小さくくしゃみをする。
 シェゾは腹の上にマグロを二匹抱えつつ、天井を仰ぎながら今日、そして今後の予定を組む事にした。
 
 時は程なくして昼となる。
 遅めの朝食の後に親子は宿を後にし、昨日の祭りが行われていた神社へと向かう。
「またおまつり?」
「ボク、きょうはイカやきたべる!」
「…もう終わってる。今日は別の用事だ」
 いつの間にやら両手とも二人の手でふさがれたシェゾが力無く言う。
「えー? つまんなーい」
「つまんなーい」
「お前らの目的は何だ?」
「…なんだっけ?」
「……」
 瞬間、アーちゃんの手に、シェゾの手から何か冷たいものを感じた。
「…! ゆ、ゆみ! ゆみや!」
 アーちゃんが慌てて目的を思い出す。くりくりと見開いてシェゾを見上げる目は、明らかに恐怖を含んでいた。
「そうだ。これから行くところにその手がかりがある」
「ゆみ、みつかるの?」
「多分、な」
「やったぁ! パノちゃん! ゆみ、みつかるって!」
「わーい!」
 二人はとたんにシェゾから離れてそこらをぐるぐる走り回る。
 彼はそれを見て、思わず群れて遊ぶ子犬を想像した。
 昼も近い神社だが、祭りも終わったので境内は至って静閑としている。
 少し歩けば雑多に人の住む町中だとは思えない。
 シェゾは、この静けさも神社が神社たるゆえんだ、と考えた。ここの空気自体が人、精霊問わず物静かにならざるを得ない雰囲気を生み出しているのだろう。
 現に、子犬二匹すらその静けさにどこか畏怖し、最初の勢いは何処へやらでシェゾにぴったりと張り付いている。
 シェゾは昨日の宴会場へ向かった。
「もももー」
「よう」
 その気の抜けた声は誰でもない。昨夜のもももである。
「あ、もももだー!」
「もももだぁ!」
 二人はその緊張感のない表情と体格に緊張感が解けたのか、シェゾの足から離れると今度はもももに突進する。
 二人に突進されたもももだが、その体格故かどっしりと二人を受け止め、そのふわふわの体で二人を遊ばせていた。
「で、どうだ?」
「もももー。目処がついたのー。今、のほほが確認中なのー。八つ半くらいまで待ってなのー」
「八つ半?」
「あ、えーと、今からだと、二時間程待ってって事なのー」
「そうか」
 それからしばらくの間、二人は境内の周りで遊んでいた。
 子供のエネルギーには所詮静けさなど無力らしい。
 やがて、遊び疲れて境内の縁側で二人は寝てしまった。
 ちょうどそのころ、のほほが戻ってくる。
 カエルのくせにその緑色の顔は意気揚々と紅潮して彼には見えた。
「…いい情報が期待できそうだな」
「みたいなのー」
 
 場所はシェゾ達が滞在していた町から二十里ほど離れる。
 彼にとっては何の事はない道なのだが、お子さま二人が居るせいで丸二日かかってしまった。
 まったく、転移するかと言えばパノッティは酔うから嫌いだと抜かし、アーちゃんの奴は元からいい思い出が無いだけにぐずるし…。餓鬼ってやつは…。
 シェゾは何度目かの記憶の再生を思い浮かべながら、街道を歩いた。
「……」
 いきなり、二人が先へ進む事をためらいはじめる。
「どうした?」
「…あ、あたし…」
「ボクも…」
 今までの二人からは想像の出来ない怯え方だ。
 シェゾは、道の先を仰ぎ見る。
 峠、目的の街へ入るための街道が続く山道に関所があった。
「関所、か。それがどうした?」
「……」
 二人は子猫の様に抱き合って身を縮める。
 ふと、シェゾが立ち止まる。
 否、立ち止まらされたのだ。
「何者だ」
 巨大な木の門の前に立つ門番が二人。
 そのうちの一人が手に持っていた貧相な槍をシェゾの前に置く。
 まるで爪楊枝だ。
 命知らずもいいところだが、幸いその門番は命を取り留める事が出来た。
 山奥の関所とは言え、やっかいを起こすと面倒だと言う計算もある。
 そして、意識している筈はないが、二人の前で『そういう事』をするのはどうか、と言う考えもあったのかもしれない。
「…ただの旅人だ。この先にある都、キョートに用がある」
 大人しめに言ったつもりだが、どうやら彼の声には畏怖と言う名の言霊が潜んでいるらしい。
 門番は風でも吹いたみたいによろよろと後ずさってしまう。
 もう一人も、笛でも鳴らして応援を呼ぼうものなら、多分二度と年老いた母親に好物の吉備団子を買って里帰り出来なくなる。母親が、泣きながら粗末な自分の墓に団子を添えている、とヤケに具体的な悲劇を想像した。
「……」
「どうした? 通すのか? 通さないのか?」
 シェゾは一歩進む。
 二人の兵士は一歩下がる。
 その光景に、アーちゃんとパノッティは初めて(アーちゃんは知っているが)シェゾの奥底に潜む恐ろしさを、子供ながらに垣間見たと思った。
「つ…通行手形を、持って…持っているのか? この先はお膝元だ…怪しい輩を…」
 最早命令と言うより懇願に近い。だが、逃げもせず必死に理由を話す所を見ると、どうやら多少は自分の勤めに責任感があるらしい。
 
 斬っちまうか。
 
 普段なら考える前にそうしているかもしれないが、生憎とコブ付きだ。
 そして、そもそもそんな面倒な物をシェゾが持っている筈もない。
 シェゾはやれやれ、とかるくため息をつくと、懐から山吹色も美しい楕円形の硬貨を一枚取り出す。
「これで美味い物食って全部忘れるか、はらわたを山犬に喰われてあの世で後悔するか、どっちか好きなの、選べ…」
 静かな口調の提案。
 だが、その選択は天国と地獄を意味する。
 阿修羅に槍を突きつけられてもこうはなるまい、と思われる程に二人は滝の様な冷や汗を流した。
「…!!!」
 二人は魚みたいに口をぱくぱくさせながら、喜劇みたいな動作で門を開ける。
 そして、まるで石地蔵みたいに両脇に並んで直立不動の姿勢を取った。
 精一杯のしらんぷりだ。
「行くぞ」
 シェゾは二人をうながす。
 アーちゃんとパノッティは、慌ててシェゾのマントを掴み、両脇の兵をびくびくと横目で見送りながら門を通過する。
 柵の向こうから黄金色の光が投げ込まれ、貧相な兜に当たって地面に落ちた。
 しかし、破裂しそうな程の早鐘と化した心臓が無事に治まり、二人がようやく腰を抜かせる様になるのは、鬼の足音が消えてから実に五分以上も経った後の事だった。
 
 
 

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