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魔導物語 八百万の神の国 第二話



  アルル自宅 居間  次の日 午後1時2分

「後二時間で船が出る」
 ダイニングでコーヒーを飲みながらくつろいでいたシェゾが頷く。
「そろそろ、行くの?」
 台所でエプロン姿のアルルが問う。
「世話になった」
 素直に礼を言うシェゾ。
「んーん。ボクが誘ったんだから、気にしないで」
 丁度洗い物も終わったアルルが、エプロンを外してシェゾの隣に座る。
「土産は奮発しないとな」
 珍しく、隠す事もなく微笑むシェゾ。
 アルルはこの笑顔が好きだった。
 本当にたまにだが、こうして彼は時折無防備になる事がある。
 そんな時に見せてくれる表情が、アルルは好きだった。
 自分に対して警戒心を解いた、そんな彼の笑顔が。
 
 愛おしさが溢れそうになる程に。
 
「……」
 アルルは彼を見詰めたくて仕方なかった。
「なんだよ?」
「んーん。…あ、そうだ! お守りあげる」
「お守り?」
「ちょっとまっててね。用意するから」
 アルルは部屋から消えた。
「…用意?」
 シェゾははて、と首をかしげる。
「…まさかカー公とか持たせないよな?」
 今、アルルが向った先、彼女の部屋で、カーバンクルはまだ寝ている筈だ。
 そんな奴を連れたら、旅どころか食費で行き倒れる。
 が、カーバンクルは一匹でこちらにやって来た。どうも、無理矢理起こされて追い出された、と言った感じだ。
「ぐ〜」
 カーバンクルは眠たそうな顔でシェゾによじ登り、シェゾの体の匂いをくんくんとかぐと納得したみたいに一声鳴いてから、膝の上で二度寝を始めた。
「…見境の無い奴だ」
 少しして、アルルは戻ってくる。
「お待たせ! はい! 絶対ご利益のあるお守り!」
 アルルはにこにこしながらそれを持ってきた。
 えっへん、とシェゾの隣に座る。
「…何だ? これ?」
 それは、ミニチュアのスカーフといった感じの白い布だった。何かを切り取ったものらしく、裁断面が所々ほころびている。見た感じ、とてもご利益云々と言った有難さがあるとは思えなかった。
 訝しげなシェゾを見て、それでもアルルは不敵に微笑む。
「まー、見た目はただの布だけどー、ボクの気持ちはこれ以上ないっ! ってくらいに篭っているんだよ! ご利益ありまくりだからさ!」
 アルルは自慢げにシェゾに布の説明をする。
「…ああ、有難う」
 だがやはり、見た目はただの布だ。
 シェゾは、何かの付与効果でもあるのか、と簡単なチェックを入れる。
 普段から不可思議なマジックアイテムを見慣れているから、どうしても一通りチェックを入れる癖が出てしまう。
 手触りは…木綿、か?
 少し引っ張ると…随分と伸縮性に富むようだ。
 そんなシェゾを、アルルは何故かちょっと緊張して見ている。
「そ、そんなにいじらなくても…」
 ふむ、やわらかく、肌触りがいい。
 おもしろい布だ。
 …匂いはするか? 安息効果って事も…。
 シェゾが顔を近づける。
「わあああ!!!」
 アルルが突然大慌てで叫ぶ。
「な、何だ?」
 カーバンクルは意に介さず寝ている。
 アルルが口を押さえておろおろしていた。
「なな…何でも…。あの、えっと、そ、それ自体はただの布だからさ、あの、手首に巻くとかしておいて欲しいな…」
 何か、真っ赤になりながら早くそうしろと懇願するアルル。
「さっき、ご利益どうのこうのと大層な布めいた事を言っていただろうが」
 シェゾが怪訝な顔をする。
「だ、だから、ボクが念を込めているってコト! 見た事も無いどっかの神様よりは、知っている人のお願いの方が有り難味ってない?」
「まあ、そうか。…分かった」
 シェゾは、左手首にその布を巻いてみる。
「これでいいのか?」
 シェゾの左手には、自称、大層なご利益のある布が巻かれた。純白の布は、シェゾを守るようにしてその白さを際正せた。
「う、うん、それでいいの。あの、出来ればずっとそうしていてね」
 一安心、と言った感じで胸をなでおろすアルル。
「ああ」
 布を眺めながらシェゾは約束した。
 
 少し後、シェゾは荷物をまとめて出発した。アルルは港まで見送ると言い、ポーチを持って一緒に出る。
 出がけにシェゾの荷物を一つ持とうと申し出たのだが、試しに一つ渡された荷物を持ってみて、アルルは素直に諦めた。
「その大陸って、熱いの? 寒いの?」
「今の時期は肌寒いそうだ。だが、暑い時期から寒い時期まで満遍なくめぐる所らしい」
「へー、面白いね」
 そんな会話をしながら、二人は歩く。ぱっと見には、一緒に旅行に出かける前の二人に見えなくもなかった。
 
 街の港。
 大きさは街の規模同様に並だが、船舶の交通は割と多い。
 寄港中の数隻の船を見回し、彼は自分の船を見つける。
 シェゾの予約した船は奥の方で掛け橋を渡して港に横たわっていた。
「そんな大きくないね? 大丈夫なの?」
 少し心配なアルル。大陸間を渡る船と聞いていたから、もっと巨大な帆船かと思っていたのだが、その船はマストが二本で済む程度のクラスの船だった。
「大丈夫?」
 思わず心配するアルル。
「船は見た目よりしっかりしている。それに、何よりも船長はベテランだ。心配は要らないさ」
「なら、いいんだケド…」
 まだ出向までは時間がある。
 先に荷物を船に積んでしまい、その後、二人で港を散歩した。
 
 海猫が遠くでみゃあみゃあと鳴く。
 潮風が独特な海の匂いを港に運び、水面には時折小魚の群が巨大な影となって回遊している。
 と、海を背にしてアイスクリームを売っているふふふが居た。
 港で商売する金魚ってのもこれまた異様だな…。
 シェゾは、とっくに慣れた筈の光景に新たな感動(?)を覚える。
「ね、あれ食べよ」
 言うと思った。
 それは、ビスケットでバニラアイスを挟んだ、定番のアイスだ。シンプルかつ、飽きがこない不思議な味わい。
「ふたっつちょうだい!」
「ふふふ」
「…あの、もしもし」
「ふふふ」
 ふふふは不気味に笑うだけ。
「…勝手にやれってか?」
「ふふふ」
 ふふふは頷く。
「あ、そういうこと?」
 考えてみればあの手(?)で作業など出来る筈も無い。
 俺たちは勝手にアイスを拵えて、金を置いていった。
 あんな状況でも盗人に狙われないのは、偏にやつの異様な存在感の賜物だな。
「シェゾ、一口ちょうだい」
 アルルが少し唇にバニラをつけたまま、おねだりしてきた。
「早…」
 俺、まだ二口しか食ってないぞ。
「ね? いいでしょ?」
「もう一度買って来い」
「や。それがいい」
 腕に絡み付いてイヤイヤするアルル。
「…ほれ」
 アイスをお子様の口に近づける。
「あーん」
 アルルはがぶりとアイスに噛み付く。
 唇が指に触った。
 そのまま少しの間を置いて、アルルが口を離す。
「ん」
 満足そうに飲みこむ。
「えへ」
 アルルは笑った。よくも笑顔一つでこんなにバリエーションを持つものだ。
「後は食べていいからね」
「当たり前だ」
 俺は残りを一口で頬張る。
 アルルは、それをじーっと見てから、満足そうにもう一度笑った。
 
 やがて、出航の時間が来た。
 出航を知らせる銅鑼が鳴る。
 シェゾはぎしぎしと音がする橋を渡り、船に乗り込む。
 もう、アルルの頭は足の下だ。
「シェゾー! いってらっしゃーい!」
 ぶんぶんと手を振るアルル。
「ああ、行ってくる」
 なんとも素っ気ない挨拶だが、実にシェゾらしい、とアルルは笑った。
 やがて掛け橋が外され、二人の間に空間ができた。
 半鐘がなり、船は、ゆっくりと港を離れる。
 アルルは少しずつ小さくなっていくシェゾに向かって大きく両手を振っていた。
 シェゾも、手こそ振らないがその瞳はアルルを見ている。
 やがて、船はごま粒の様に小さくなった。
「……」
 アルルは、小さく溜息をついた。
「お守り…。大丈夫だよね。絶対、効くよね…」
 アルルは名残惜しそうに背を向け、今日の夕飯はまた独りなのだ、と当然の事を寂しく思いながら帰っていった。無論、カーバンクルは対象外として。
 
 彼に渡した『お守り』。
 アルルは、本でそれを見たことがあった。
 遥か昔、ある地方での事。戦場へ行く夫に、妻が身に付けるものの一部を割いてそれを夫に渡し、無事帰ってくるためのお守りとしたと言う。
 そしてそれは、肌に近いほど効果があるとも。
 風習は、今も形や意味を時代と共に変化させつつも、ネクタイと言う形で生きている、と書いてあった。
「…夫、じゃあないけど、無事を祈る意味なんだから、関係ないよね」
 アルルは、分からなければ意味が無い気がするが、やっぱりそれそのものが何の布なのかには気付いて欲しくないような気もして、何かと複雑だった。
 ただ、とにかく効果だけはあると信じて、もう一度振り向くと、いよいよ水平線へ消えようとするシェゾの船に向けて、彼の旅の無事を願った。
「大丈夫だよね。おんなじ空の下だもん」
 遥か彼方にある大地の空。それでも、同じ空に変わりは無かった。
 
 
 

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