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魔導物語 八百万の神の国 第一話



  朽ち果てた遺跡の書庫  七日前 午前11時2分
 
「…ほう」
 俺は思わず声を上げた。
 それくらい珍しい国がある。
「闇をおそれない国、闇すらあがめる国、か…」
 外見は殆どが土に埋もれた遺跡だというのに、通路から何まで今にも崩れそうな朽ち果てたその遺跡だと言うのに、この図書館だけはそれでもなお原型を留めていた。
 恐らく、この場所だけはあと何百年だって保つだろう。
「…いい図書館を見つけた」
 そして、彼は一冊の興味深い本を発見する。
 その書には、闇も神聖なものとしてあがめる風習が記されていた。死者への礼があり、そんな死者が向かう国とされている黄泉の世界は、いわゆる地獄などの恐ろしい世界ではなく、静かなる、聖なる国である、と言うのだ。
 俺は、そんな国に興味がわいた。崇められ、奉られる。それはつまりそういった力に対しても進んだ研究がなされていると言って間違いない。
 忌み嫌われて、阻害されて蚊帳の外ではその力に対しての理解も研究も進まない。
 まあ、だからこそ、俺がいるこの大陸では未だに闇魔導は禁呪であり恐怖であり、なによりも嫌われ、恐れられているものなのだが。
 嫌われたいとは言わなくても、人々に崇められたり頼りにされたりするよりはよっぽどいいと思っていた。
 そんな大陸では、やはりある程度調べつくしてしまうとなかなかそれ以上の研究に進めない。自身の力にして、未知なものである闇魔導は、使いこなせこそすれども、理解は自分にだって難しいものなのだ。
「こんな裏歴史がね…」
 国自体は知っている。小さな国の割にプライドだけは高い島国。そう思っていたが、意外に奥がありそうだ。
「…場所は、今なら船で充分いけるな。この頃のあっちの気候は…」
 彼は、その次の日にはもう船の手配を済ませていた。
 その後。シェゾは夕飯でもと思って歩いていた街で、またと言うかやっぱりと言うか、アルルにばったり出くわした。
「あ、シェゾ」
 彼女は買い物篭を持っている。夕はんの食材を買った帰りと言うところだ。
「よう」
「…ねぇ? どっか、行くの?」
「よく分かったな」
「それだけの荷物持っているんだもん」
 確かに、俺は久々の海を渡る旅と言う事で少々多めの荷物を買い込んでいた。
 背中にはももも印の大きな麻袋がある。
「どこ行くの?」
「東の大陸だ」
「大陸ぅ!?」
 アルルが驚く。
「何を泡食っているんだ?」
「大陸って…。海の向こうだよね?」
「地続きの所に行くのに大陸なんて言わないぜ」
「…そんなに、遠いところに行くの? どれくらい?」
「知らん。今回の旅はギルドの依頼でも何でもない。俺の自主的な旅だ。全ては自由さ」
「…長く、なるの?」
「かもな。結構な旅になるかも知れん」
「……」
 アルルは目に見えるようにしぼんでゆく。
「土産くらいは覚えておいてやるから、心配するな」
「そんなんじゃないもん…」
 無神経な慰めにムッとするも、悲しみがそれを上回る。
 でも…。
「…ちゃんと帰って来るんだもんね。シェゾ?」
 アルルがシェゾを見詰める。
「ああ」
 特に深い意味も考えずに頷くシェゾ。
「そうだよね…シェゾは…」
「ん?」
「ううん、いってらっしゃい! うん、お土産、忘れちゃイヤだよ!」
 アルルはそう言って明るく笑う。
 シェゾは、取り合えずいつものアルルである事が確認できた。それだけでも、何故か少し心が軽くなったような気がする。
「あ、そうだ!」
「ん?」
「ご飯、作ってあげる!」
「だから、俺は明日から…」
「今夜」
「今夜?」
「そう」
「そうなのか?」
「何食べたい?」
「何がいいか…」
「まずは材料見に行こ」
「手に持っているのはなんだよ」
「これは一人前(ブラスカーくん)なの。それにただのポークカレーの材料だもん」
 アルルはシェゾの腕を取ると、並んで商店街を歩き始めた。
 シェゾと腕を組み、反対側の腕にカゴを携えたアルルと言う二人の姿は、どう見ても新婚夫婦の夕飯の買い出しだった。
 実際、商店街では旦那だの奥さんだの声をかけられたのは一回や二回ではなかった。
 シェゾはもう、こういう勘違いにいちいち突っ込む神経は残っておらず、アルルもアルルで、まったくそれを楽しんでいた。
 その空気にシェゾは半ば本当にそうなってしまったかの様なおかしな気分になるが、アルルがどうにも幼いのでかろうじて冷静でいられた。
 色々な意味で幼い少女である。
 そのくせ、そんな彼女にどこかで知り合い以上の感情を持っていると認めざるを得ない自分に対して、シェゾは自嘲する様に唇をゆがめた。
「ん? 何かおかしい?」
「気にするな」
「そ?」
 夕時で商店街が当然込んでいるせいもあるが、アルルは妙にピッタリとシェゾにくっついて歩く。
 …だって暫くの間は、シェゾの顔も見られなくなるんだもん。
 アルルは、時々人に押されるふりをしてはシェゾの腕の感覚を頬に染み込ませていた。
 布越しにも、腕の筋肉の感触と彼の匂いが感じられる。
 不思議な安息感を得られるそれが、アルルは好きだった。
「そろそろ戻らないと。俺の家は遠いぞ」
 一通りの材料が揃った頃。日はもう落ち、月が煌々と輝き始めていた。
「何言ってるの? ボクがあんな遠いところまでこれから行くわけないでしょ? 第一、夕ご飯じゃなくて夜食になっちゃう」
「んじゃ、どうすんだ?」
「勿論、ボクんちね。でないと、リードできないもん」
「リード?」
「…ヒ、ヒトの家の台所じゃやっぱりイマイチ使いにくいの。それに、ボクがお呼ばれしてるみたいだし」
「……」
 まあ、反論する程の内容ではない。シェゾは半ば定番となった通り道をなぞってアルルの家へと向かった。
 アルルがドアを開けると、シェゾは一抱えもある食材をごく自然に台所へ運んで野菜やら肉類、調味料やドリンクを所定の場所に置く。
 シェゾは、まったく自然に場所をおぼえている自分にそれが終わってから驚いた。
 
「料理、上手くなっているな」
 その日、アルルは流石にカレー以外の料理を作る。
 最近覚えたと言うフレンチを中心に、赤ワインが合う食事が振舞われる。
「本当? 初めて作ったお料理もあるから、口に合うかどうか、心配だったんだけど…」
 白身魚のソテーを頬張りつつ、彼女は恥かしそうに言う。
 正直、気取った料理は疲れるのだが、幸いシェゾもアルルも見苦しくなければ、さしてマナーを気にしない。
 思いの外、彼はリラックスして味を楽しめた。
 …ところでよ、確かにカレー以外の料理だ。それはいいんだが…唐揚げにカレー粉がまぶしてあるのは…もうこれは呪いか?
 シェゾは、だがその味でほっとする自分の舌に、やれやれ、と笑った。
 尚、カーバンクルはバケツみたいな鍋でカレーを食った後、棚の上で鼻ちょうちんを膨らませている。
 いつもながら、食う寝る遊ぶのお手本だな…。
 少々ワインが入ったせいもあるのか、アルルは頬を染めながらやんわりと、ふわふわと微笑んでいる。
 オリーブたっぷりのフォカッチャをかじったせいか唇がすこし光沢を持っていた。
 肩口の広いシャツから覗く白い首筋とほんのり赤い頬が対照的になり、幼い彼女ながらも微かに色気をかもし出す。
「ねぇ?」
「ん?」
「デザート、どうする?」
「何があるんだ?」
「えーと、キウイシャーベットでしょ、季節のフルーツ盛り合わせでしょ、ティラミスとぉ…あと、ボクは?」
 アルルは酔った瞳でなんちゃって、と笑って言った。
「お前」
 シェゾは即答した。
 どがちゃ!
 アルルが椅子の上で器用にコケる。
「…え、えぇっ!?」
「冗談だ」
 シェゾはくっと笑う。からかっただけの様だ。
「あ、あは、あははは…」
 アルルは、そんなシェゾの笑顔を見て複雑な気持ちで笑った。
 からかわれてほっとしたのか、がっかりしたのか。
 
 そしてその夜、彼は暖かい風呂、そして柔らかな心地よい眠りもご馳走になる。
 ベッドはやや小さめだが、それでも寝心地は良かった。
 最も、ちゃんと『眠らせてくれた』時間はむしろ普段より少なかったのだが。
 
 
 

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