第九話 Top エピローグ


魔導物語 妬きもち焼きと世話焼きはどちらが苦労するか 最終話



  ドーム 8時40分
 
「…お前…」
 二人は、最早孤立したドームに立っていた。
「ご、ごめんなさい…でも…」
 ウイッチは、息苦しそうにしつつも懸命に立つ。
「わたくし、パートナーです。シェゾにだけ苦労をかけるなんて、嫌です!」
 その瞳の決意は固く、純粋。
「……」
 重力と共に、かなり酸素も薄くなったドームに立つ二人。
 だが、そんな中でもウイッチは彼の役に立つ事だけを考えていた。
「…何かの役には立ちます!」
 ウイッチは必死にシェゾに嘆願する。
 両手を祈る様に組み、シェゾに願う。
 シェゾは、何か不思議な安堵感を覚えて思わず微笑む。
「さっさと、残りの用を済ますぞ」
「は、はい!」
 
「なんでだようっ!」
 アルルは、最早只の壁と化したその天井を憎々しげに叩いた。
「奴ら、今頃はもう空の上か…」
 ラグナスが、窓の外の暗い空を見ながら、深い溜息をつく。
「…ラグナス、ねえ、本当なの? 実は、この上にちゃんと居るって事、無いの?」
 一転して、アルルはおろおろと天井を見詰めながら言う。
「いや、あの文献は本物だ」
「…信じられ、信じられないよ…。この上のほんの少しの隙間が本当の次元壁で、空気も無い高い空間に、宇宙に繋がっているなんて…」
 二人は、ジグラットで対となる塔の文献を見つけた。それは、『宇宙』に思いを馳せた王が作り出した観測施設であり、成層圏の上に今で言う所の宇宙ステーションを作り上げてしまったと言う、剛胆な事実を綴った文献だった。
 地表より高度約一千キロメートル上空に浮かび、時速にして約二万七千キロメートルで地球を楕円に回るそれであった。
 バブ・イルの最上部はそのステーションに繋がる専用次元通路であり、塔の上部を通過する際に、ギリギリまで空間を歪めて通路を繋ぎ、そして成層圏の上まで人を運ぶ。
 そして、何も遮る物の無い宇宙空間で、星の神秘を探ったのだ、と言う。
 アルルとラグナスはジグラットにあった記述でそれを知り、慌ててバブ・イルへ移動した。
 ここの扉まではラグナスに無理矢理転移を使ってもらい、扉を抜けて二人を追いかけた。
 元々扉の奥はラグナスがイメージできない領域であり、更に安定した通路を維持する為に他の魔導を一切除去した魔導不可領域でもある為、どうしても彼は扉の前までしか転移を行なえなかった。
 アルルとラグナスは、扉の先の階段の高さに思わず歯がゆさを覚えたが、それに割く時間は無い。
 かくして二人は、空間が閉じかけるギリギリのリミットでドームの二人に出会ったのだった。
 
「ここが…宇宙?」
「そうだ。この美しい天体図は、『本物』だ」
「…そう言えば、この星は…。それに、私たちの居る大陸では見えない筈の彗星が…動いて…、こんなに、はっきりと…」
 ウイッチは、この時期に夜空に輝く星座の数々を自分の知識と照らし合わせていた。
 シェゾは、解説しながらも一時も手を休める事無く星座版を探し続ける。
「…この星座、この配置…わたくし達の街からは今は、見えない筈ですわ! …そうですわ、これ、この配置は…シェゾ! ここ、『ここ』って、今、一体どこですの?」
 かすかにパニックになるウイッチ。
「これを見ろ」
 周りを探索しているうちに、彼はここの施設のある程度の操作方法を覚えていた。
 ウイッチから少し離れた床が、明るく輝く。
 いや、床が開き、内部の窓、クリスタルが露わになっただけだ。
「…!」
 その灯りは、青い星のもの。
 ウイッチが、ふらりと蹌踉めいた。
 刻一刻と薄くなる酸素、そして、宇宙に居るという想像し得ない現実に。
 今、彼らの居るステーションの下には、まさしく地球が見えていたのだ。
「地球は…青かったのか」
 シェゾがその美しさに呟いた。
「これ、わたくし達が住んでいる…?」
 美しさと、その信じられない光景。ウイッチは、上手く理解できなかった。
「どうやら、新月の時期に合わせて、ここは塔の真上を通過する様になっているらしい。その時、ギリギリまで空間を繋いで、地上と行き来していたそうだ」
 シェゾは、周りの機器に書いてあった取り扱い説明からそれを読み取る。
「ここで、生活していたんですの?」
「昔はな」
 そして。
「…あ…」
 ウイッチが不思議な声を出す。
 彼女の体が、ふわりと浮き始めたのだ。
「や…。な、なに…? シェゾ…シェゾぉぉっ!」
 人が体験し得ない現象。無重力。
 恐怖に彼女は戦く。無意識に彼の名を呼び、泣いた。
「あった!」
 彼は休む事無く何かを探していた手を止め、叫んだ。
「…シェゾ…?」
 ウイッチはゆらりと空に揺らぎながら、彼の動向をただ見守るしか出来なかった。
 星座版。
 これが必要だった。
 依頼達成の為?
 
 否。
 
 彼は、生きる為にそれを探す。
「ウイッチ!」
 シェゾは跳ぶ。
「シェゾ!」
 空中で二人はしっかりと抱き合う。既に重力はゼロに近く、そのまま二人は壁にぶつかるまで、衝突による回転が止まらなかった。
 シェゾが壁をゆっくりと蹴り、視界を安定させる。
「ウイッチ、間違っても離すな」
「…は、はい!」
 言う間でもない事だ。
 ただそれだけなら、どこかロマンチックな状況と言えなくもない。
 宇宙での包容など、普通出来る事ではないから。
 が、彼は生還する事に集中する。
 死ぬ訳にも、死なせる訳にもいかないのだ。絶対に。
 空気はもう限界に近い。
 観測所が遺跡となり果ててから、重力や空気を保つ機能は既にその意味を失っている。
 時間と共に残りカスの様に蓄えられていた重力と酸素が消えてゆく。
 衛星として設定された軌道の運行を保てる力が、しかもそれを半永久的に周回させると言う機構が残っている事自体奇跡なのだ。
 本来、絶対領域であったドームにモンスターが居たのも、防衛機構の損壊が原因。
「ウイッチ! お前の力も使うぞ!」
 そう言い、彼はウイッチの手を握る。
「…え。は、はい」
 彼にそう言われては、Yes以外言い様がなかった。例え実際に全ての力を奪われても、文句は言わないであろう。
「!」
 シェゾはありったけの力を込めた。
「きゃ…」
 ウイッチは、二人が眩い光に包まれるのが解った。
 次の瞬間。
「……」
 ウイッチは、耳鳴りがする様な静寂を感じた。
「…シェゾ」
 そっと瞳を開ける。
「!」
 ウイッチは息をのんだ。
「こ、ここは…」
「慌てるな。位置を確認したら、ちゃんと戻る」
「…位置?」
 二人は、身一つで宇宙空間に漂っていた。
 丁度シェゾが地球に背を向ける形となり、ウイッチは正面に地球を見ていた。
 二人の手が合わさったその中には、ラグナスが渡した増幅器たるメダルがある。
 それは、最低限の力で二人の周りにシールドを張り、あらゆる人間の生存に不都合な要素を排除した。
 次は、帰還だ。
 シェゾはウイッチの背中に回した手の先にある星座版と、その背後の星々を見比べる。
 そして、体を時々動かす。
 必要最低限の生存機能しかない。
 息苦しさから余計な話は出来なかったが、彼の動作から、何か移動しているのだと言う事は解った。
 この移動、距離感が無いので分からないが、その速度はマッハを超えていると彼女は知らない。
 十数分の後。
「!」
 シェゾがその瞳を輝かせる。
「…シェゾ?」
 暑いのか寒いのかよく分からない環境、加えての息苦しさから気が遠くなりかけていたウイッチが、彼の表情の変化を見て取る。
「ウイッチ、死んでも俺を離すな」
「は…はい!」
 気力を振り絞って彼にしがみつく。
 二人の姿が、フラッシュと共に消えたのは同時だった。
 
 転移。
 それは、瞬間的な移動と言うのが一般的な意味だが、移動するのは物質である以上、時間軸を無視したそれはあり得ない。
 いや、現在以上の効率を得る方法は、確立されていない。
 それでも瞬間に近いのは事実。真空から成層圏内へ移動した二人の粒子は、魔導力と言う名の器に乗り、目的地へと流れ落ちる。
 夜空に、流れ星が落ちたのを見た人間は幾らでもいる。
 だが、それが星ではなく、転移の際のノイズが空気中の粒子と衝突し、あたかもオーロラのようにプラズマを放出、それが尾を引いたのだと解る者が果たして居ただろうか。
 
「……」
 アルルは、次元壁の前から動かなかった。
 そして、ラグナスもまた彼女を動かそうとは思わない。
 いつまででもそうしている。
 彼らが戻らぬ限り。
 そんな光景だった。
 その時。
 二人の横、吹き抜けの遙か下へ向けて一直線に、一瞬強烈な魔導力のノイズが走る。
 吹き抜けを竜巻みたいな力の奔流が突き抜けた。
 二人は、その強力なノイズに背筋を凍らせる。
 そして、それを追う様にして轟音が下から響いた。
 塔が揺れた気がした。
「!」
 アルルは、それと同時に階段を駆け下りる。
「奴か!」
 ラグナスも一瞬呆けたが、すぐさまアルルの後を追った。
 階段を下りきった場所。
 四方から月明かりを浴びたその塔の吹き抜けの中心に、二人は倒れていた。
「…シェゾ! ウイッチ!」
 宇宙よりの生還者は、悲鳴に近い歓喜で迎えられた。
 
 

 

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