魔導物語 妬きもち焼きと世話焼きはどちらが苦労するか 第九話 バブ・イル 最上階 午後8時13分 クリスタルの塔。 今、その頂上に通じる天井が目の前にある。 そこだけが、この塔のどこで見た物とも違う物質で作られていた。階段を構成する大理石とも違う。鉄でもない様だ。 シェゾはその雪の様に白いそれを触る。 滑らかなそれは、不思議な感触だった。 「…磁器? いや、まさかな」 この世界のこの時代、太古より生み出されたものこそ多いが、失われ、忘れられたものも多い。 セラミック。 それも、太古の忘れらされた遺産だった。 階段の終わり、観測所はその上である。 まるで違う構造に変わった階段を登り、二人は今までの光の世界とは一変した真っ暗な世界に包まれる。 身長に歩を進める。 二人は、真っ白な天井の上に登り切る。 そしてその瞬間、二人は奇妙な浮遊感を覚えた。 ウイッチが、びくりとその異質な感覚に反応した。 「…着きましたの?」 シェゾの背中にしがみついたウイッチが辺りを見渡す。今までが眩いばかりの世界だっただけに視界はまるで闇だ。 いや、ふと上を見上げると、そこは眩しいといっても良い光景だった。 「…あ…」 ウイッチが感嘆の声を上げる。 そこは、星空の下。 「ちょっと待て」 シェゾは、真っ暗の中でドームの天井に輝く天体図の明かりを頼りに周囲を見渡す。そして、ウイッチから離れると壁に何かを見つけた。 シェゾの手でなお余る巨大な石のダイヤルをゆっくり回すと、周囲を円周状にオレンジ色の灯りが灯された。 周囲が照らさせる。 「…ここが…」 ウイッチが惚けた様な声で呟く。それくらい美しかった。 彼らの周囲は、円周上に様々な観測機器が設置された美しいプラネタリウムだった。 ドーム状のクリスタルが星々を映し出し、シェゾの目線くらいの高さまでの壁は様々な天体図や解説と思しき文字、何かの観測機器でびっしりと埋め尽くされている。 灯りは、巨大な半円状のクリスタルと壁のつなぎ目から灯されていた。それも、本当に必要最低限のライトであり、出来るだけ星の輝きを殺さない様にと、下向きに光る様になっている。 シェゾは、懐から紙を取り出す。それは、目的となるレリーフが描かれた紙。 それは、楕円形の輪が何重にも重なり合っている何かの図であった。 「ウイッチ、この絵と同じ物が有る筈だ。模写は任せた」 彼が紙を渡すとウイッチは、はい、と返事して作業に取り掛かる。 もう一つ、星座版がある筈だ。それの形も確認して、シェゾは探し始める。 二人は、美しいドーム上の天体図の元で作業を始める。 「……」 シェゾは、先ほどからどうにも気になっていた違和感を無視出来なかった。 ドームに入った瞬間の特殊な感覚。そして今目の前に広がる芸術的な天体図。 「天体…図?」 シェゾはドームを仰ぎ見た。 その星々は、あまりにも精密だ。そして、距離感がある。 「!」 そして気付く。 ゆるりと尾を引く、あれは彗星。 「…動いている」 そして、同時にかすかな地鳴り。 「シェゾ、複製拘呪完了ですわ。この水晶球に完璧に写しました!」 「そうか」 「…シェゾ?」 彼の目は、まるでこれから戦いでも始めるかの様な瞳だった。 「何か、ありますの?」 ウイッチも、シェゾの背中に立ち神経を尖らせる。 そして、ゆっくりと重い地鳴りがまた耳に響いた。 「これって…!?」 苦しげに眉をしかめる。思わず喉を押さえ、シェゾにしがみ付いた。 「息が…」 ドームの地鳴りはだんだん大きくなる。 「!」 シェゾは唯一の脱出口たる階段を見て確信した。 階段がずれて、塞がれかかっている。 「…ここは、『空の上』だ!」 その声と同時に、ドームがひときわ大きく振動する。 そして、声を待っていたかの様にして、霧状の体をもつミストモンスターが沸いたみたいに現れた。 「シェゾ!」 薄墨の様な体は集合し、ヒグマに無数の手が生えているシルエットみたいな姿で立ち上がった。 触手が煙の様に近づく。 「きゃあ!」 シェゾは、闇の剣を出現させて霧を凪いだ。 剣が触れた部分は放電現象を起こし、蒸発する様にして消滅する。 「ウイッチ! 階段に走れ!」 「え?」 「閉じるぞ!」 「…! シェゾ、シェゾは…?」 「世話焼かすな!」 「は、はい!」 ウイッチは階段に走った。 シェゾは見た。 階段は、確かに『ずれて』いた。 ウイッチが階段に駆け寄る。 だが。 「きゃああ!」 ひとつ、床が大きく揺れて、ウイッチは足をよろめかせて転んだ。 酸欠により足がもつれたのだ。 しかも、重力がおかしくなり始めている。ウイッチは、上手く動けなかった。 「しまった…」 彼ですら視界がやや揺らいでいる。走れと言うのは酷だと気付くべきだった。 ウイッチを、逃がさなければ…。 一気に勝負を掛けようとして、シェゾはだがなぜか攻撃態勢を取ったまま絶句する。 「!?」 ウイッチは、彼の命令を全うしようと踏ん張っていた。 頭をくらくらさせながらも、出口を見るウイッチ。 すると、思いもかけないものを彼女は見た。 「! …ど、どうして!」 それは、ある筈が無いと思っていた塔のずれと、もう一つ。 「シェゾ!」 「なにぃ!?」 シェゾは思わず敵から目を離す。 その声は、アルルだった。 「これ使え!」 更に、ラグナスの声。 声と同時に投げられたのは、何かの魔法付与がなされたメダルだった。 「魔導は無理だ! それを使え!」 「!」 確かにそうだった。確認すべきだったのだろう。シェゾは、先程魔導を使おうとして確かにウイザードロックが掛かっている事実を知ったのだ。 「急げ!」 その通りだ。 シェゾは、メダルを握り締める。すると、かすかに魔導力が伝わってきた。 「Anti lock…いや、増幅か」 彼は、呟くとミストモンスターに向かって剣を向けた。先程の攻撃は、闇の剣の基本的な能力によるもの。そして、それだけでは焼け石に水。 絶対的な殺傷力を持つ一撃が必要だった。 そして、そのスイッチは手に入れた。 闇の剣が青白い稲妻を纏う。 「消えろ」 その威力は絶大であるのに、呟く様なその落ち着いた声だった。 瞬間、眩い閃光がドームを満たす。 「わっ!」 「く!」 「きゃあ!」 その目に焼きついた最後の光景は、剣を構えた鬼神であったかも知れない。 そして、再び地鳴り。 「! 急げ!」 再びラグナスが叫ぶ。 シェゾは、少し前でしゃがみこんで気絶しかけたウイッチを抱きかかえると、そのまま階段へ疾走した。 不思議と軽い。やはり、重力がどうにかなり始めている。 「早く!」 既に階段は三分の二程もずれていた。アルルが体を出すともう、一人分しか隙間は無かった程だ。 そこへ、シェゾはウイッチをやや乱暴に投げた。 「アルル! そいつ下ろして引っ込め!」 「わぁっ!」 ウイッチがアルルの頭上から降る。 シェゾもその隙間に飛び込もうとする。 足を踏み切ろうとした瞬間。 空間に、大きな振動が響く。 「!」 シェゾは一瞬重力が消えた気がした。そして、それは実際彼を十メートルは軽々と押し戻してしまった。 …間に合わない。 シェゾは悟る。 同じ時。 入り口のすぐ下。傍にいたラグナスに、転びかけながらもウイッチを渡すと、再び顔を出すアルル。 「シェゾも、早…」 そこまで言いかけて、アルルは声が出なくなる。 シェゾは、何と背を向けて反対側に駆けていた。 「…なな、何やってんのーーっ!」 地鳴りは続く、階段はもう、人一人分程も無い隙間になっていた。 シェゾは振り向きざまに叫ぶ。 「さっさと首引っ込めろ! 死ぬぞ!」 「…!」 アルルには、シェゾがこんな状態で尚、依頼を完遂しようとしている様に見えた。 アルルには、それがまるで何か意地になっている様にも思える。 「…キミだけを置いて…」 そして、アルルは決意する。 階段に足をかけ、今その身を踊りだそうとしたその瞬間。 「シェゾッ!」 「え!?」 しかし、先に飛び出したのは、金髪の少女であった。 「ウイッチ!」 アルルがそう叫んだ時、ウイッチの顔が見えた気がした。 かすかにだが、またしても舌を出していた。 そんな気がした。 そして。アルルの後ろ髪が、迫る壁に触れた。 「アルルっ!」 ラグナスが、アルルを思いっきり引っ張る。 「わあ!」 アルルとラグナスが階段の数メートル下に落ちるのと、二人の頭上の隙間が『閉じる』のは同時だった。 |