魔導物語 妬きもち焼きと世話焼きはどちらが苦労するか 第八話 バブ・イル 午後6時21分 「…お前、今、何した?」 「いえ、よろけてしまって、腕をお借りしただけですわ」 「いや、何か今、舌を…」 「気のせいですわ」 しれっと涼しい顔で言うウイッチ。 「言い忘れていましたが、ちゃんとお医者様からの許可も貰いました。ですから、これから先はお気になさらず」 「……」 シェゾは、今はもう遥か彼方であろう扉の向こうがどうなっているのかと、ややラグナスを心配した。 が、その後の彼らをシェゾが知るのは、もう少し後の話である。 二人は、そのまま次元壁の変化を待つ。 「ウイッチ」 「なんですか?」 その声は腕のすぐ傍から聞こえる。 「…で、一人で立てないのか?」 「そんな事はありませんけど、体力の温存ですわ。いざと言う時はキチンとお役に立ちますから、ご心配なく」 にっこりと微笑むウイッチ。 「だから、少しの間腕を貸してくださいまし。だっこなんて言いませんから」 そう言われては、それ以上言う事は無かった。 彼の性格を見据えた上での計画的確信犯的科白と言えよう。 ウイッチは、少しの間彼の腕で心地よい休息を取った。 「…さて、行くか」 月無き夜空がその時を迎えた。 扉が銀色に輝き、その瞬間周囲の空間がぐらりと歪む。 「これで、繋がりましたの?」 ウイッチが興味津々に言う。 「ああ。後は高さで言えば、大した距離は無い。目的は目と鼻の先だ」 シェゾは、両手を扉につける。 瞬間、体に、あたまのなかにじわりと波動の侵入を感じた。 だが、それは本能的に害を及ぼす質のものではないと分かる。彼は、黙ってその侵入を受け入れる。 かすかな時の停滞の後、扉が重々しい音を立てて開いた。 「開いた…」 ウイッチが、感嘆の声を上げた。 「行くぞ」 「はい。後は、どんなガーディアンがいるか、ですわね」 ウイッチは、気合を入れて彼に続いた。 だが、ウイッチのそれは杞憂に終わる。 その後は意外にも妨害は皆無だったのだ。 そもそもこの扉の上自体がこの遺跡にとって聖域であり、次元壁を筆頭として特別な結界に守られている。 そんな場所に、モンスターはそうそう入れなかったのである。 最も、特別な結界を持ち、完全に機能を残していた時限壁の下階に関しては違ったが。 この塔が遺跡となり、時限壁より下の塔を守る防御機構が朽ちると、入れ替わりでモンスターが住み始めた。 全ての遺跡にモンスターが住む訳ではないので、やはりこの等から発する魔導力の波動が彼らに心地よかったのだろう。 そんな彼らが、今は結局塔を盗掘等から守る存在になっているとは、皮肉以外の何者でもない。 「…でも、時期さえ合わせれば入れるのですから、これではおかしいですわよね? いくらモンスターが居るとは言え…」 「今まで、他の奴は時間を知ったとしても入ろうとして入れなかった訳が、何か他にあったと言う事になるだろうな」 「…わたくし達、運がいいのかも知れませんね」 後になって分かる事だが、それは少々違っていた。 実際は、シェゾが単純にその先へ行く許可条件を満たしていただけの事である。 元々、遺跡の最上部へ行く為の正式な条件が一定以上の魔導に関する知識、能力を持っている事であり、シェゾが先程の扉からの能力探知によってそれをクリアしていたと言うだけである。 元々が天文台としての場所であり、作られた際に、時限壁より上に入れるのは学者や魔導師連中でもエリートだけだった。 選ばれた者のみの選別と、セキュリティとしてその様な方法が取られたのである。 そういう事だった。 更に後で知った話だと、潜在能力はともかく、魔導に関する知識的に難のあるアルルは結局まともに開く事が出来ず、様々な試行錯誤を繰り返した後に、結局ラグナスと二人で何とか先へ進んだと言う。言うまでもなく、上へ行く場合と遺跡間を行く場合ではセキュリティの強さが違う。 そしてその行為が、後々試験の減点対象となったのは言う間でも無い。 「お二人は、大丈夫ですかしら?」 「…進めない場合、何かしらの防犯が働く筈だからな」 尚、アルル達はしっかりと味わったが、シェゾ達の扉もアウトの場合は扉に彫られた仁王像が魔導による攻撃を仕掛ける事になっていた。 扉は、次元壁としてのエネルギーだけでなく攻防の為の力も蓄えていたのである。 扉を抜けた後の通路は、今までのモンスターの徘徊する通路とは一変して、美術館の如き装飾美を見る者に楽しませていた。 鏡面仕上げの大理石の床や柱、美しく、そして見る人が見ればその上実用的この上ない天体図が描かれた階段の裏側に当たる天井。 壁も、信じられない事に人の二倍程もあるの大きさの窓ガラスが整然と並ぶ。アールデコ調のそれは飾りも美しく、そしてそこから差し込む星空の光が乱反射を起こし、それがまた美しく光を交差させる。 その輝きを不思議に思ってシェゾがそれを良く見ると、彼は驚いた。 「…どうしましたの?」 「これは、水晶の窓だ」 「え!?」 大理石で飾られた窓にはめ込まれたガラスと思われていたそれは、全て厚さが五センチにも及ぶ、極めて透明度の高い水晶であった。 大きさ、透明度、そしてその加工技術共に、驚嘆の一言に尽きる。 「…こんな、大きな…。しかも、これは質自体が大変なものですわ! 水晶球にしたら、一体どんなものが出来ますかしら?」 ウイッチは、魔女としての素直な興味を最優先させる。 「…大きくなくてもいいですわ。せめてこの材料を使った水晶球が一個あれば、どんなに素敵でしょう…」 ぽーっとした表情で『窓』を見る。 「割るなよ」 「そ、そんな事しません! この遺跡自体が美術品みたいなものですわ!」 そもそも割る事自体難しい事は言う間でも無いが、とりあえず反論はする。 「結構」 シェゾは先に歩を進めた。 ウイッチは、騒然と並ぶ窓を、宝石を見るような視線で眺めつつ、彼の後を歩いた。 一段一段の踏面の広さは、縦に二メートル、横に至っては七メートルもあるなだらかな螺旋状の階段。もはや、階段と言うよりも床が段に並んでいると言った方がいい。それを登りつつ、二人は頂上を目指す。 教会の鐘楼へ続く尖塔にいたる階段の如く、いや、真円に近いその造りは、巨大な灯台と言うべきだろうか。 中央を吹き抜けにした螺旋状に続く階段は、乳白色の大理石と巨大な窓が階段に並んで共に広がり、四方から外の光を取り込み、まんべんなく中に注いでいた。 夕方の太陽にしてこの明るさ。それはクリスタルの窓に七色の光を振りまき、塔の内部は美しい光線に神秘的に照らし出される。塔自体がクリスタルで出来るている。そんな錯覚を生み出す程に内部は眩かった。 何より、その吹き抜けが巨大だった。船だって入りそうなその大きさが、より光線を自由に遊ばせている。 それは、つい先程まで、モンスターと戦っていた場所のすぐ上だと言っても本人ですら、にわかには信じられないその荘厳な世界だった。 星明かりでこれである。昼日中のこの塔は、どのように輝くのだろう。 ロマンなど楽しむ趣味は無いと思っているシェゾすら、それを想像して、見てみたくなっていた。 「…綺麗」 ウイッチは、素直に今のその美しさに心を奪われていた。 魔女にとって夜空の美しさを知る事は至上の喜びと言っていい。 そして、こんな綺麗な世界にシェゾと二人で居られる現実に感謝していた。 ウイッチは、シェゾの横について歩いた。 それは、彼女にまるでチャペルの通路を花と光、祝福に包まれて歩く新郎新婦を想像させていた。 誰が何の役かは、言う間でも無い事である。 彼女のなめらかな金髪が光を反射し、花飾りをつけているかの様に輝いた。 やがて、螺旋の直径が三十メートルは超えていたであろう塔の経が、だんだん狭くなり始めた。階段も先程の大きさの三分の一程度になり、頂上が近い事を物語る。 更に十数分も歩いた頃、もう、螺旋の間の吹き抜けも五メートル程度になっていた。 「…何か、まるでクリスタルの塔に登っている見たいですわ」 そう、ウイッチが言った様に、少し前は大理石の壁だったそれはやがて、壁一面がクリスタルになっていた。階段以外は、彼女が言った通りまさしく、クリスタルの塔であった。 遠めに見れば、階段が浮いて天に延びている。そうも見えたであろう。 「高いな…」 シェゾは吹き抜けを覗き込んで言う。 「え?」 ウイッチもつられて覗いた。 「…!」 途端にウイッチはめまいを起こす。 高さと、息苦しさに。 扉を抜けてからの高さの換算のみにしてそれは実に非常識な高さの吹き抜けであり、その恐怖感に加えてウイッチは軽い高山病の様な症状を起こしていた。 通常は早くても二、三千メートル以上程度からがその圏内だが、この塔はどうも次元壁を越えた辺りから気圧がおかしい。登り切っても五百メートルに満たない筈が、シェゾすら実際は軽い息苦しさを覚えていた。 「やっぱりな」 シェゾがそれを予測して腕を掴んでいなければ、今頃当然の様にウイッチは転落していたであろう。 「…シェゾ…」 ウイッチは、たった今までの夢心地も忘れて、シェゾにしがみつく。 自分が居る場所は、景色の良い山の上でも展望台でもない。 魔導力により結界を張られた遺跡、バブ・イルだと思い出した。 「ウイッチ、さっさと終わらせて降りるぞ」 「はい」 ウイッチは、シェゾにしがみつきながら、こくりと頷く。 だが、その目眩は期せずして彼におぶってもらう良い契機となった。 |