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魔導物語 妬きもち焼きと世話焼きはどちらが苦労するか 第五話



  繁華街  午後12時14分
 
 次の日は至って平和だった。
 この街は、近づきさえしなければ割と安全で、しかも種類的にも珍しい遺跡があると言う事で観光客や学者連中が集まり易く、街の収入の実に四割は観光業からの収益だった。
 最も、観光客が目当てとするのはバブ・イルに至る途中にある中継都市とでも言うべき遺跡だ。バブ・イルに近づこうと言う物好きは、本当の学者連中か俺らの様な『依頼』を受けた者だけだ。
 ここは、小さいながらも観光地なのだ。
 そして、人が多いと言うことは当然、飲食街も繁栄している。
 街の規模の割に繁華街は大きく、都市から見ればここは僻地だが、料理や菓子等のメニューはそれでも新しいものが多かった。
 そして、こう言う場面での女はある意味最も輝く。
「これ! これって、都市でしか見られないと思っていましたわ! 信じられませんわ! ああっ! 素敵っ!」
 俺の周りで蝶々の様にひらひらと舞いながら、ウイッチは周囲の屋台を見回している。
 遊びに出ると言ったら、医者が孫のだと言って白いドレスを貸してくれた。
 ウイッチは、思いがけないおしゃれにはしゃいだ。
 ちなみに、今こいつが歓喜の声を上げたブツは、食パンをアホみたいな厚さで切って、その上にクリームやらシロップやらを掛けたと言う、俺にとっては悪夢みたいな甘さであろう菓子だ。尚、あくまで個人的な意見だが、パンに認めるのは譲ってもママレードまでだ。
 そして、それ以外にもこの通りにはワッフルからたこ焼きまで、様々な店が並ぶ。
 それだけ、女性の旅行者も多いのだ。
「…で、何がいいんだ?」
 明るい陽差しに金髪がきらめき、白いドレスもまぶしく舞い踊るウイッチがこちらを振り向く。少女特有の自然でかわいい踊りは、シェゾを一時幸せな気分にしていた。
「いいんですの?」
 くるくると回っていたウイッチがぴたりと舞を止め、今度はシェゾを不思議なまなざしで見詰めた。
 吸い込まれる様な瞳だった。
「迷っていると、通り過ぎるぞ」
 ウイッチは、うさぎみたいにぴょん、と跳ねて喜ぶ。
「シェゾ! あれがよろしいですわ!」
 その先にあるのは、屋台のクレープ屋。黄色とオレンジのテントが目に眩しい。
「…あれか」
 そこにある物体がどんな味かは想像がつく。このストリート、確かに甘いものを売る店が多いが、その中でも一際甘ったるい香りを振りまいていた店だ。
「…何? バナナにオレンジ、イチゴにマスカット。生クリームに、ジャム、チョコソースに…バニラアイスぅ?」
 トッピングメニューを見ているだけで口の中が甘ったるくなる。
 嫌いじゃないが、それにしても…。
「いったいどれにしましょう…。シェゾも早くお選びになって!」
 対照的にウイッチは瞳を輝かせている。
「…俺、ガレットの方が…」
「駄目ですわ。それはクレープはクレープでもお食事です。そんなに甘いものを食べてとは言いませんから、さあ、シェゾもお選びになって」
「……」
 が、正直どれを見ても彼には五十歩百歩だった。
「…じゃ、ジャム…」
「トッピングはどうなさいます?」
「……」
 塔を登っている方がよほど気が楽だ、と言ったらウイッチとクレープ屋に失礼になるのだろうか?
「おまちどうさん」
 匂いだけで腹いっぱいになりそうな甘い匂いのクレープ屋から離れて歩く。
「おいしいですわ!」
 ウイッチは、小倉餡と生クリーム、マロンを挟み、その上にカラーチョコチップをまぶすと言う、シェゾが見ただけで戦慄を覚えたクレープを一口食み、歓喜の声を上げた。
「…どんな味なんだ?」
「上品に甘くて、すっごく良い味ですわ! 食べます?」
「いい…」
 ウイッチは、こんなに美味しいのに…と、残念そうな顔をしてもう一口食べる。
 生地からはみ出た生クリームが口に収まりきらず、頬に白く残った。
 舌を出してぺろりとそれを舐めとると、ウイッチは心底嬉しそうな顔で微笑んだ。
 そんなウイッチを見て、シェゾもとりあえず一口食べてみる。
「……」
「どうですか?」
 出来るだけ、甘いは甘いでも自然な甘さになる様に選んだ筈だが、その考え自体も甘かったその事実。
 ジャムの甘さも、シロップ付けのミカンも、誉めたくなる様な甘さだった。
 しかも、店のオヤジときたら可愛いお嬢ちゃんにおまけだとか言って、ウイッチだけにしておけばいいものを、この俺にまで増量サービスしやがった。
 手に持って重いクレープなんて初めてだ。
 ふと、ウイッチを見る。
 すると、ウイッチはこんなものを喰っている最中と言うのに、眉をしかめている。
 俺は改めて確認した。
 ウイッチは怪我人なのだ。
「ウイッチ…」
 シェゾは、優しく語り掛ける様に言う。
「…あ、何でもありませんわ。少し…きゃっ!」
 俺は、何も考えずにウイッチを抱き上げていた。しかも、その抱え方は赤ん坊を抱き上げるみたいなしっかりとした抱え方。
 お姫様抱っこの上級とでも言うのか?
「シェゾ!?」
 突如、彼の胸に収まったウイッチは慌てる。手に持ったクレープがこぼれそうだ。
「戻るぞ」
「え…」
 シェゾの瞳、それでウイッチは分かった。
「あ…。ばれまし…た?」
 眉を下げ、観念した顔のウイッチ。
「ウイッチ、頼むから無理しないでくれ。背中だろ。そんなところにもし傷跡でも残ったらどうする気だ」
「…水着が、着にくいですわね」
「真面目に言っているんだ」
 シェゾの目は本気。
「…傷ものにした責任、とってくださいます?」
「ウイッチ」
「冗談ですわ…」
 そう言って、やや残念そうな顔をしてからウイッチは体の力を抜く。
 やはり、無理をしていたのだ。
 彼は、考えられるだけのやり方でウイッチを優しく抱く。
「シェゾって、本当に気が利きますわ。闇の魔導士なんて、嘘ではありませんこと?」
「失礼だな」
「だって、この抱き方だって、わたくしの背中に障らないように、ですわよね」
 この抱きかかえ方は、確かに背中が空いている。
 そこに傷があるウイッチには最適な抱え方だろう。
「いいから、とにかく帰るぞ」
「わかりましたわ。十分楽しめましたし、おまけもつきましたわ」
「おまけ?」
「分からなければいいのですわ」
 ウイッチは笑う。
 危なっかしく持っていたシェゾのクレープも受け取り、ウイッチは臨時ながらも専用の椅子に収まり、優雅にクレープを食む。
「シェゾ」
「ん?」
「はい、あーんしてください」
 ウイッチは、よりによって自分が食べていた甘い方のクレープを、シェゾの口元に持ってくる。
「…あ」
 シェゾは意外にも素直にそれに応じた。
「ふふ…」
 そして、然してそれを意外に思わないウイッチ。
 シェゾのかじったクレープをウイッチも食む。
 自然にそんな事が出来た自分と、自然に応じてくれた彼が嬉しかった。
 立っているだけでもその容姿で目立つシェゾ。彼が女の子をだっこしているのだから、それで目立たない訳が無かった。
 その気が無くとも、周囲の注目を集めてしまう二人。
 真っ白なドレスを来た、金髪の小さくて可愛いお姫様、そして、そのお姫様を抱きかかえる銀髪の美しく、逞しいナイト。
 絵本の1ページを切り出し、そこに実現させた様な風景だった。
 周囲の人々、とりわけ女性陣が二人をこっそりと視線で追う。
 若い女性はその光景に憧れ、瞳を輝かせる。
 年を重ねた婦人達は、自分の事の様に幸せそうに微笑む。
 絵になる、とはこう言う事だと誰もが納得したその情景だった。
 そして、雰囲気は本人達をも変える。
 帰りの道中、シェゾとウイッチはクレープを二人で食べあいながら、街を楽しんだ。
 ふと、シェゾの口元に生クリームがついてしまう。
 …チャンス!
 ウイッチは勢いに任せて、ずっと憧れている、ある方法を使って彼の口元を綺麗にしようとする。
 自分の場所は彼の胸の中。顔と顔の距離は三十センチに満たない。そして、今なら許してくれそうな気がする。
「……」
 ウイッチは即実行と、くっと首を伸ばしかけた。
 その時。
 本当に口元だったのが不幸だった。
 シェゾは、自分で生クリームをペロリと舐めてしまう。
「甘」
「……」
「? どうした」
「い、いえ…。いい街ですわね」
 ふにゃりと力が抜け、ばつが悪そうに視線をそらすウイッチ。
「そうかもな」
「これだけの人を呼べる遺跡のある街ですもの。薬だって需要がある筈ですわね。わたくしも、こう言うところでお店をやれば、今よりもう少しは人が来ますのかしら…?」
 ウイッチは自棄になって話題を変える。
「まあ、沢山作って沢山失敗すれば、今より上達するから、人も来るかもな」
 シェゾが笑う。
「なんですの! もぉ…」
 シェゾが笑い、ウイッチがぷう、とふくれる。
 …しかし、随分と呑気な事だ。
 シェゾは、自分の事なのに何故か否定する気が起きなかった。
 
 医院に帰り、ウイッチがベッドに横になったのを確認してシェゾは医者を呼ぶ。
 その後、検査が終わり、医者の話を聞いた後、彼は再び部屋を訪れた。
「化膿もないし、傷はかさぶたになってきている。もう、後は体力の回復だけだそうだ。良かったな」
 この辺りの回復の速さはひとえに魔導と言う名の現実的奇跡の成せる技だ。
 こう言う治療は、魔導を扱える者と扱えない者でも差がある。扱える者は、その効果もずば抜けて高い。
「…ええ、そうですわね」
 シェゾがベッドの傍の椅子から立ち上がろうとして、視線に気付く。
「どうした?」
 ウイッチは、何かしゅんとしている。
 訴える様な瞳の彼女がそこにいた。
「…だって、ここ、考えれば知らない土地ですもの…」
 先程までの彼女が嘘の様に気の弱い声だった。
「大丈夫だ。俺も明日までは出ない。あっちの部屋に居るから、安心しろ」
「…でも、この部屋からは居なくなってしまいますわ…」
「おいおい、駄々をこねるなよ」
「駄々をこねる女って、お嫌い…?」
「…答えるのに困る質問はよせ」
「わたくしの事、きらい…?」
「ウイッチ…」
 横になった安心感か、医者に検査してもらうと言う怪我の現実感か、途端に子供みたいにぐずりだしたウイッチ。
「大丈夫だ。俺はここにいる」
「いつまでですの?」
「お前が眠るまで、ここにいるよ」
 ベッドの横に座り、優しく頭を撫でる。その柔らかい髪を撫でる。
 ウイッチは、猫の様に気持ちよさげに微笑んだ。
「…手、握ってていいですか?」
「ああ」
 シェゾは右手を差し出す。
 ウイッチが、両手でシェゾの手を掴んだ。男と女、と言うよりも大人と子供みたいな差があるその二つの手。
 その感触に安心したのか、ウイッチは大人しくなった。
「……」
 その手を引き寄せ、頬にそっと当てる。
 実際は街の喧噪や風の音がかすかに聞こえている筈なのに、二人の周りには何の音もない感じがした。気分の良い無音が二人を支配する。
 やがて、そんな世界に小さな寝息が聞こえ始めた。
 まだ子供だ。
 怪我云々より、遠い街に居ると言う現実に心細くなっていたのかも知れない。
 シェゾは、しばらくそのままでいた。
 頼りなげなウイッチの細い指の感触が、今は心地よかった。
 求め、握りしめるその手の感触が。
 心細さを感じているのは、むしろ彼の方なのだろうか。
 
 少し後。
 医院内、シェゾの部屋。
 窓の外、ふと空を見上げる。
 星が、青空に代わり夜の主役を務める。だが、本来の主役は既に袖に引っ込んでいる。
 彼は今朝、夜空の代わりに朝の空に、美しく映える主役の姿を見た。
 蔓の様に細い月。
 明日もやはり、その姿を夜空に見る事はない。
 新月。
 月の上がらぬ夜空は、冒険の終わりを意味する。
 月が痩せながらじわじわと夜空から遠のけば、代わりにバブ・イルが、時限壁が冒険者達にとっての主役となる。
 扉の向こうに待つのは何か?
 シェゾは、本来の主役不在の夜空を見て考えていた。
 
 
 

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