第十五話 Top エピローグ


魔導物語 共に歩みて幸多かれ 最終話
 
 
 
  神なけれども、道失わず
 
「ふっ!」
 気合と共に両手を突き出す。
 山の様なエクトプラズム体の中央に、ぼん、と大穴が開いた。
「……」
 その瞬間、彼は大穴の開いたその中央を睨み付ける。
「…!」
 そこに、何かを見つけた。
 シェゾは弾いた様に飛び出す。
「セイッ!」
 今度は右手を薙ぎ払った。衝撃波が大穴に吸い込まれる。
「これで終わりだ」
 シェゾは、『核』を狙っていた。これだけの巨体になれば、必ず核たる部分がどこかに存在する。脳、中枢たる急所部分だ。
 彼は、そこを発見、速攻で消滅させるつもりだった。
 しかし。
「!」
 間違いなく核と思われた、密度の違う部分に衝撃波は当たった。
 だが、それは水の様に穴になだれ込んだエクトプラズムの濁流にかき消された。
 意外に早いな…。
 急所はわらわらと他のエクトプラズムによって保護された。
 こうなると、近づいた分だけ危険だ。
 ざん、と後ろに下がり、彼はそれならば、と拳を握って思いっきり両手を横に広げる。
 両手に、眩い放電が発生した。
「ふっ!」
 シェゾは突っ込む。
 表面まで二メートルに走り寄ったと思ったが早いか、両手を同時に水平に凪ぐ。
 瞬間、両手の放電が扇の様に広がり、それは五メートル以上も広がった。
「切り裂けぇっ!」
 両手から電気の扇が二重に重なって飛ぶ。
 それは二枚刃の剃刀の如く物体にめり込み、刃はお互いに身を切り裂き、奥深くまで大口を開けさせた。
「…見つけたぜ」
 蝦蟇の口の如く切り口が開いたエクトプラズムに、シェゾは躍り込む。それはまるで、鯨に飲み込まれるピノキオを想像させた。
 驚いた様に開かれた切り口が、崩れる様に閉じ始める。
 だが、遅い。
 彼は見つけた。
 丸裸となった核を。
 それにとどめを刺すのは、石ころを蹴るよりも簡単だった。
 彼にとっては。
 
 それきり動かなくなった物体を後目に、シェゾは振り向いた。
 そして、そこにあるのは悲痛な現実。
「……」
 シェゾは、うつぶせに倒れているリエラを抱き起こした。
『この者、避けなかった。避けられるようにしてやったのだがな。
 ああ、とシェゾは応えた。闇の剣はリエラの手から消える。
 闇の剣に出来るのはあくまでも手助けまで。
 それを受け入れるかどうかは、本人次第なのだ。
「…リエラ」
「ねえ、こういうのって、馬鹿って言うのかな?」
 リエラは弱々しく笑う。
 その声は、気丈なシェゾにして胸の内のもろさをさらけ出すに充分だった。
「…この村はさ、皆は、平気だよね? シェゾ、あのヘンなの、倒してくれたんだよね? もう、あんな力に惑わされる事…無い、よね?」
 リエラはもう頭を上げる事すら出来なかった。
「ああ、平気さ。お前が、お前が剣を取ったから、出来た。お前が守ったんだ。この村は、いや、お前が好きなこの海、森、全てをお前が守った。お前は、この世界を守ったんだ」
 シェゾはリエラを抱きしめた。
 腕に感じる血液の暖かさは、命の灯火と引き替え。
 こんなにリエラの血は暖かいのに、何故彼女の体はこんなに冷たく、重くなるのだ?
 シェゾはさらに抱きしめた。
 
 リエラの体が重くなる。
 
 リエラの体が冷たくなる。
 
 リエラの魂が薄らいでゆく。
 
 シェゾは、今涙を流す事を恥とは思わない。抱きしめる事で、涙を流す事でリエラの心を幾ばくかでも救えるのならば、遠慮などするものか、と思う。
「…嬉しいな。ねえ、こんな半端な巫女に、泣いてくれる人が、いるんだ…」
「……」
 シェゾは抱きしめる事でしかその返答を返せない。
 そして、思う。
 何故、優しさを捨て去った筈の俺がこうも弱い心に揺さぶられるのか、と。
「シェゾ…。見られたく、無かったな。あんな非道いあたし。あんな、鬼みたいなあたし、見られたく、無かったな…」
 もはや、瞼をあけることすら困難な筈のリエラが、シェゾの頭に両腕を回す。
「嫌いになった? 弟を、殺す様なあたしってさ…。」
 シェゾは抱きしめる。それは腕の力ではない。『シェゾ』が、『リエラ』を抱きしめたのだ。
 本当の意味で、二人は全ての垣根を取り払って一つとなっていた。
「…お前を、嫌い? 誰の事だよ?」
 シェゾは笑った。
「ふふ。うん、うん…シェゾ…うん…」
 リエラは幸福に包まれて泣く。
「気のせいだと、思うけど…。アル、手加減してくれた気がするな。気のせい?」
「そうだと思うなら、そうさ」
 リエラは微笑んだ。
「今、村ってどうなっているんだろう? ねえ、教えて…」
 リエラは子供の様にねだる。
 そして、シェゾは無償の優しさで返す。
「教える必要はないさ」
「…え?」
「ほら、見えるだろう…?」
 シェゾは、その瞬間に視界を失った。
「…あ…」
 リエラは、その世界を『見た』。
 シェゾが願った。それだけで、彼の視覚に関する能力はリエラに渡された。
 視界が、上の、崩れかけの遺跡の頂上からの景色を見る。
 その世界は、月明かりと精霊達の光で眩く照らし出される。
 それは、彼女が守った世界。
 好きな人々。
 動物。
 植物。
 風景。
 その世界。
「…嬉しい。シェゾ、大好きだよ。ねえ、もし、観光のお店の主人やってって言ったら、やってくれたのかな?」
「そうだな。お前となら、悪くない」
 傷つく心を知っている者は、無償の優しさを知っている。
「ふふ…うそばっかり…」
 そして、その優しさを受けるべき人間だからこそ、その美しき嘘を知っている。
 報われぬ故の、その美しさよ。
 リエラは、心から幸せそうに笑う。
 シェゾの泣きそうな顔を『見て』、微笑む。
「男の人が、そんな風に簡単に泣いちゃダメだよ」
 リエラは、シェゾの唇に元気の呪文を刻む。
 静かな、わずかな時間。
 だがそれは、彼女の一生分の愛を注ぎ込むに十二分だった。
「シェゾにはさ、ホント、お世話になりっぱなし…。でもさ、嬉しい。ねえ、シェゾにホントに愛されるには、どうすれば良かったの? 教えてよ?」
「…俺を愛する? そんな物好き、いないさ…」
「…そう? うん、そういう事にしてあげるか。羨ましいな…シェゾの中に居る、あの女の子ってさ…」
 リエラには、見えたのだろうか。
「リエラ…」
「あの世で弟に謝るから。きっとあの子は許してくれるから、あたしは大丈夫。お父さんとお母さんにも会えるし…。だから、あたしを引きずらないでね? その子が焼くからさ、こんな美人に好かれていたなんて事を知ったら、怨まれちゃう…」
「おいおい…」
 リエラは笑った。
「ね、シェゾって、結構浮気癖あるんじゃない? こんな風に、あっちこっちで種撒いてない?」
 シェゾは笑う。
「うん…その…笑顔…すき…。それで、ね…。あたしは…あたし達は…『神隠し』で、いいのかな? 下手に…理由つけると、ダメっぽいし。それに、遺跡は…無くなっちゃうんだもん…ね」
「リエラ…」
「ふう…もう…眠いや…おやすみ、シェゾ…」
 リエラは瞳を閉じた。
 眠る様に、微笑む様に。
 かすかな微笑みを浮かべて眠るその寝顔は、彼の心から後悔と言う言葉を消し去る。
 だが、シェゾはまたも孤独を味わった。
 
 一体、今までに何度思った事だろう。
 一緒に死ねてしまえばいいと。
 一体、何度思ったのだろう。
 出会わなければ良かったと。
 
「……」
 だが、死ぬ訳にはいかなかったのだ。
 今は。
 今、シェゾの目の前で、彼女の死にむせび泣く少女に出会った時から。
「…そん、そんな事が…。シェゾ…かわいそう…」
 形容は幼稚だが、アルルがどんな心境でそれを言っているかは分かる。
「俺じゃない。あいつかわいそうなのさ」
 シェゾは噛み締める様に言う。
「身内を殺す…それが、どんな事か。分かりは…いや、アルル、お前は決して分かる様にはなるな」
「…う、うん…」
「いいな」
 シェゾは、曖昧な返事を許さなかった。
「は、はい」
 一瞬、痛いとすら思えた肩を強く抱く手が、優しい感触に戻った。
 アルルの緊張が解け、再び全てをゆだねて彼の胸に顔をうずめる。
 アルルは、悲しみと共に嬉しく、そして、複雑だった。
 最後の願いだからこそだろうが、彼はあっさりと視力を彼女に渡してしまった。
 ほんの僅かの間の時間。その為だけに、彼は躊躇い無く。
 
 恐い、と思った。
 
 もしも、これから先、彼にまたあんな事が起きたら、いつしかシェゾは命すらあっさりと渡してしまう時が来るのではないか、と思う。
 アルルもシェゾを抱きしめた。
 少女は願う。
 彼と共に歩みたい。
 彼と幸を共にしたい。
 ずっと、そうしたいと…。
 その体に自分を刻み付けるかの様にして、アルルはシェゾにまわした腕の爪を立てる。
「痛いぞ」
 だが、アルルは離さない。
「…『置いて』いったら、追いかけちゃうからね」
 アルルは、小さな小さな声で言う。そんな事を『本気で』言えば、怒られると分かっているから、聞いて欲しくないのかもしれない。
「ん?」
「んーん…」
 アルルは、更にぎゅっと手に力を込めた。
「…離れろ」
「え!?」
 予想だにしなかった言葉。アルルは息をのむ。
「あんまりこんな絵は見られたくない」
「へ!?」
 さっきとは別の意味で予想しない言葉。
「出て来いよ。事の経緯は、これで全部だ」
「…いや、あの子は偉かった…」
 しみじみと、そのオヤジ声は暗闇の中から響き、声に続いて男が三人出てきた。
「はい!?」
 アルルはまさか、さっきまでの自分達を見られていたのか? と息をのんだ。
 
 
 

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