魔導物語 共に歩みて幸多かれ 第十話 我なけれど、心失わず 歩いた距離と今の気圧から考えると、地上から地下に潜って既に約四、五十メートル程と言ったところだった。 その頃になると、まるで大聖堂の天井画の如く、いや、この場合は王の墓の壁面に書かれたヒエログラフの如くと言うべき圧倒的情報量で壁面を覆っていた文字が無くなり、別の幾何学的模様が支配し始める。それと同時に、通路が広がり始めた。 その先には、かすかな灯りが見える。 この地下で灯りか…。 シェゾはライトを消した。 相手に気付かれない様にとか、用心の為ではない。光源が手元では、有事の際には眩しくて邪魔になるからだ。 ライトが消滅した途端に、通路の向こうの明かりが眩しい程に良く見える様になる。 そして、音が聞こえる。 地鳴りの様な、うめき声の様な空気の振動が。 シェゾは、上戸の様に突如広くなる通路を歩いた。少し歩くと、さっきまで手を上げれば届きそうだった天井までの高さが、もう十メートルは下らない。 それは、そういうデザインと言うよりも、まるで巨大な岩を通路にぶち当てた跡、と言う方がしっくり来る位に異様だった。 そんな壁にも、何かの儀式とおぼわしき文様が無ければ、そうして作られたのかと、本気で思うところだった。 そして、シェゾは通路から出た。 視界は尚も薄暗いが、その場の全体像は把握できた。 そこは、地下遺跡だ。 天井には、巨大な岩と露出した土が格子模様で頑なに結び合って凝固している。 その天井を支えるのは、これまた太い石柱。天井に突き刺さったその姿、そして、前面に刻まれた文様を見なければ、岩壁と見間違えたかもしれない。 目分量でも周囲が十メートルは下らないそれは、山の様にどっしりと座って天井を支えていた。そして、時折何かの止まり木の様に真横に突き出た柱が無数に生えている。 そんな柱が、地下遺跡の奥まで無数に並んでいた。 それは、まるで巨大な鍾乳石が立ち並ぶ洞窟を連想させた。 巨大な柱がこれだけ並んでも尚、広い空間に見える。 この地下空洞は、一体どれほどの面積を有するのだろう。 そして、ここは熱い。 遺跡の周りには、所々に松明と思しき灯りがあり、それらは地下遺跡をライトアップするかの様に照らす。 それは、この位置の更に地下から湧き上がる溶岩の炎だった。 それ用に円柱に加工された燭台のような岩は、青銅の網で補強されている。 岩の燭台から燃え上がる炎は、神秘的に地下神殿を照らしだす。 地上のそれよりも尚、その神殿は大きく、そして異様だった。 シェゾは、通路から足を踏み出す。 「……」 すると、半ば予想していたが、いきなり粘着質な瘴気が纏わりつく。 この地下空洞は、『それ』の気で充満していた。 いきなりこれだけ濃度が変わると言う事は、あの通路入り口の不可思議な文様は、おそらくそれの流出を防ぐ封印的役割を持たせようとしているのかもしれない。 今までの有様を見ると、あまり役には立っていない様だが。 シェゾは、かすかに己の気を練る。 息を吸い、ふっと軽い息吹を起こすと、もう体の周りの纏わりつきは無くなった。 シェゾは歩き出す。 雄々しくそびえる、地下遺跡に向かって。 熱による息苦しさ。 そして、遺跡自体の威圧感。 ここは『敵』の懐だ。 「…成る程、な」 大物の予感がした。 久しく会わない手ごたえに巡り会えるかも知れない。 シェゾが地下の遺跡本体に進んで既に二十分近く経つ。 「……」 彼は少々イラついていた。 進まないのだ。 まるで遺跡が近づかない。 柱によって入り組んだ地形を歩き、ある程度までは遺跡に近づける。 だが、移動していて何かの拍子で遺跡が柱の陰に隠れると、次に遺跡を目に入れた時、それは遠くへと移動していた。 とても自然にそれは感じた。 異様に巨大で、直角に伸びてはいない柱が微妙に距離感を狂わせ、薄暗い天井は繋がっている筈の壁面の構造を不安定にする。 それだけならいい。不思議なのは、罠による転移等ならば壁や視界にずれが生じる筈だと言うのに、それが無いのだ。 既に三度引き離されているが、そんな視覚的異常は感じていない。進んでいる筈なのだ。それが証拠に、後ろを振り向くと入り口はもはや見えない。後ろの壁は、きちんと進んだ分だけ離れていた。 面白いぞ、おい。 シェゾはいらつきもしたが、楽しくも思えていた。半ばヤケでもあるが。 何もない外の空間や、少々の不自然さが目立たない森等なら、まあ似たような芸当が出来なくは無い。だが、視覚的な不連続がはっきり分かるこの空間でそう言った芸を行うと言うその力が彼には愉快だった。 世の広さを改めて思い知る。 人は成長しないわけだ。 六十や七十生きただけで、世の理が分かるわけが無い。 シェゾはそう思って、とりあえず歩を進めた。 歩きながら考える。先に進む方法を。 そして敵の正体、目的を。 その時、またしても彼は感じた。 あの、二度に渡って関知した、『気』の感覚だ。 「まさか、今度は俺をってんじゃないだろうな…」 今までの感覚から言えば、あの気は何かの対象に対して働きかける。その個体の意志は無視するが…。 だから、今あの気が飛来するとすると対象が周りにいない以上、自分という事になってしまう。 シェゾは、とりあえず構えてそれを待つ。 まさか取り込まれるとも思わないが、未知の力を相手にして過信は出来ないのだ。 そして、三度それは飛来した。 シェゾから十メートル程前の地面に、それはめり込んだ。 同時に、少し地鳴りが響く。 「……」 シェゾは察知した。 突如、地面から湯気が立つみたいにして灰色や青、黄色っぽい煙の様な気体が湧きあがり始める。 それは『Ectoplasm』。 ゴースト系のモンスターだ。 …霊体系にまで影響があるのかよ。 シェゾは感心した。普通、こう言ったものは肉体を持つ生物に対しては絶大な効果をもつが、精神体等の実体を持たない存在に対しては効果が無いのが普通だ。 それは、攻撃魔法等の破壊を目的としたエネルギーではなく、肉体に作用させる精神的支配を主とする為だ。 精神による支配で動く肉体は、言わば精神の入れ物。その為、精神自体は至って弱い。 その為、外的要素に拠る変化に弱く、それらを操る事は難しい事ではない。 だが、ゴースト系は言わば精神の進化した姿。思考のみの存在で済む肉体内の精神が、視覚的のみとは言え、姿形を持つに至り、あまつさえ純然たる精神体にして肉体的部分と思考的部分を分離している。 そんな奴らを操るとは、伊達に封印されてきた訳では無い様だ。 かくして、敵の腹の中に於いてシェゾは三度戦闘を始める。 だが。 「く!」 今回、流石に少々シェゾの部が悪い。それ程狭くないとは言え、あちこちから突き出した柱が、嫌な感じで死角を生み出す。 存分に剣を振ろうとすると柱に当たりそうになり、結果ちまちまと振るう事しか出来ないのだ。 ゴースト達は、逆に地面や柱と同化して隠れたり現れたりし、しかも『気』によって能力を増しているのか、柱やその突起物と同化して、自在にそれを操り、物理的な攻撃も仕掛ける。燭台にも同化し、溶岩の炎も四方からシェゾに襲い掛かった。 「!」 シェゾは、剣やシールドでそれを防ぎつつ、攻撃の機会を伺う。 だが、なかなか効果的なその時は来ない。『気』によって、精神が触れたかの様に攻撃的になっているゴーストは、同化による物理的攻撃以外にも当然、魔導に因る攻撃も仕掛けているのだ。 しかも、とどめと言わんばかりにその数が半端ではない。元々この場所はゴースト達の温床となっていたのだろうか。先程の気に因って湧き出たその数は、実に五十を超えていたのだ。 「四十…四!」 体の端々に攻撃を受けつつも、大よそで五分の四を片付けた頃。 「くそ…」 シェゾが、息をあげ始めた。 あまりにも環境が悪いのだ。息苦しい熱くて乾燥した空気、常人なら、一呼吸どころか触れただけで吐き気を催すその瘴気。 そしてもう一つ、気分を悪くする『何か』がある。 おそらく、それは視線。どこかから、いや、あらゆる方向から見られている。そんな舐めまわす様な視線を感じる。 それが、最も彼を不機嫌かつ、体調を不安定にする。 …俺が、視線如きで…。 そして、ゴーストが残り数体となったとき、彼の疲労はかなりのものになっていた。 疲労は隙を生み、隙は命を危機に晒す。 雨粒が落ちてくるかの様にして、気配無く頭上より襲い掛かる青白く光る爪が、シェゾの頚動脈に微かに触れる。 「つ!」 被害は皮膚一枚。 動脈には達していない。 だが、爪が触れた。 シェゾは視界がぐらりと揺らぐのを感じた。 霊体、エクトプラズムは只でさえ他のそれとの相性は悪い。 言ってみれば、全員が全員違う血液型を持っている様なものだ。同じ種族ならまだしも、人間と霊体ではそれは決定的となる。 振り向きざまにゴーストを一閃、消滅させるも、シェゾは初めて方膝を着いた。 残りカウントは二。 ゴーストが、地面から半身を晒して背後より襲い掛かる。 それは、まるで水面でもがく獲物を狙う鮫の様だった。 次の瞬間、視界が白く反転した。 一瞬遅れて、空を劈く音が響く。 ゴーストが、己の体を構成するエクトプラズムを電気分解によって崩壊させられる。 規則正しい配列を崩されたエクトプラズムは突如透過能力を失い、地面に埋められたみたいにもがき出し、すぐに動かなくなり、そしてそのまま風化して、崩壊した。 「……」 後一匹。 だが、『シェゾのカウント』は追加されなかった。 今の攻撃は、シェゾではなかったから。 |