第七話 Top エピローグ


魔導物語  精霊光臨祭前夜 final
 
 
 
  精霊光臨祭本祭

「おお! 見ろよ!」
「また光が! 今度は三つよ!」
「ロトリクス教会から飛んだぞ!」
 外からの声にアルルとウイッチも振り向く。
 既に夕闇も暗い雲の中へ残像を残して消えかけていたが、確かにあの光が三つ、天に向かって飛んでいた。
 時間はもう精霊光臨祭本祭開始時間である。
 だが、二人は本を読み続けた。

「奴によって私は封印された。だが、その封印ももうすぐ解ける。闇魔導士の封印など何するものぞ! 霊兵も、先兵としてこの閉じられた空間から次々と出せるまでになった! パワーの集中が必要故にお前の進入を許しこそしたが、それはまぁ仕方のない事。いやむしろ、復習されるが為に飛び込んだ愚かな羽虫よ。闇呪術こそ至高の魔術! 復活の力として、力不足故に私を半端に封印した浅ましくも忌々しい闇の魔導士の次代を、今こそ喰らおうぞ! 貴様も、私と違い最早この空間ではその身体を維持する事で精一杯であろう。あまり痩せては美味くない。さっさと…」
 トーマスは雄々しく片腕を上げ、歓喜の声を上げかけ、その身体を止める。
 周囲に気を感じたのだ。
 冷たく、身体の隅々を締め付ける様にざわざわと這い回る気を。
「貴様…!」
「そう言う事か…」
 トーマスの声よりも、シェゾの方が苛つきを禁じ得ぬ声だった。
「野郎、どこまで暇人なんだか…」
 シェゾは唇を噛み締め、唸る様に呟いた。
「やっと分かった。これでやっと…」
 揺らぐ様にシェゾが歩き出す。
 トーマスの目にはそれがまるで首を刈りにやって来た死神に見えていた。
「あ、足掻きおって!」
 シェゾの周囲に、突如数十の霊兵が現れた。
 礼拝堂内のみでその数は五十を超えたが、更に壁からはみ出て具現化している霊兵もいる。
 壁の中にも、何十と言う兵が出現しているのだろう。
「ここで具現化を果たせば、『現世』の同じ場所で実体化する。貴様の血と力で、私は復活する! この場所で、今のこの場所で!」
「復活してどうするってんだよ? 今はもう平和だぜ」
「だが、過去の清算は済んでいない。ティメイルは今も尚存続している。ティメイル、滅ぶべし!」
 霊兵が音もなく、風の様にシェゾに向かって動き出した。剣を抜き、槍を構え、弓矢が引かれる。
 トーマスの狂った様な笑い声が響く中、シェゾはまるで無関係の様に涼しげな顔だった。
「五月蠅い…」
 鬼気迫る状況にしてすっかりリラックスしているシェゾは、溜息を付きながら闇の剣を構える。
 まるで、茶番に飽きたと言わんばかりの表情で。
 そしてぼそりと一言呟く。
「悪いな。もうちょっと借りるぞ」
 その言葉。
 この場とはまるで関係ない場所に居る二人に向けて、それは呟かれていた。

「精霊の御霊はこの日、今を持って空に還ります。全ての生命に祝福を…」
 ロトリクス神聖魔導教会。
 現神父、ステイラルが教典最後の一章を読み終えた。
 礼拝堂は信者と観光客で芋洗い状態であり、所々で熱気に当てられた子供の鳴き声やら、失神して運び出される人の姿が見えていた。
 神聖さは欠くが、祭のとりとしては成功である。
 ステイラル神父が額に汗を掻きながら溜息を付いたその時。
 礼拝堂の偶像の後ろから、一筋の光が天井を突き抜けて天に昇った。
 礼拝者や観光客から驚きの声が上がる。
 光はやがてふたつみっつと数を増し、また同時に現れ始める。
 それは祭壇付近を中心に礼拝堂全体から昇り始め、礼拝者たちの身体をも突き抜け、それこそ無数に輝き始めていた。
「おお…」
 ステイラルが呟く。
「これは…もしや…」
 その時、横にいた教会職員建ちが思い出した様に言った。
「これは、伝説の精霊昇華…」
「二百年前、紛争時に争いの終わりを告げたあの伝説の精霊昇華…」
「昨日から目撃があったのは、今日の幾つかの光も、やはり本当…」
 職員達、礼拝者達は歓声を上げたり、むせび泣いたりしながら口々に賛美の声を上げた。
 観光客達も、まさか二世紀前に一度見られただけと言われていた精霊昇華の光を見られるとは思わず、違う宗教の者までも感涙にむせぶ。
 教会は奇跡の場と化していた。
「…ありがとうございます。二百年の時を越え…教会は、やっと…やっと許されます…」
 未だ収まる事のない光の奇跡の中、歓喜と歓声、賛美の声が渦巻く教会。
 その中で、神父ステイラルだけが、まったく別の意味で涙を流していた。

「ウイッチ…」
「ええ…」
 本を閉じ、光のシャワーを見守る二人。
 教会の方角が、まるで朝日が昇ったかの様に輝いていた。
 天に向かい、無数の光の柱が昇る。
 周囲の観客も感動しきりである。
「そうだったのですわ。あの光、本で読んだ、精霊昇華の光だったのですわ…」
 ウイッチは記憶の片隅にあった現象を思い出す。
 これこそ、自分が最も見たかった物だ。
「うん、でも、あの光は…本当は…」
 全てを知ってしまった二人には、その光は美しいと思う心より、悲しみが先に立つ。
「う…」
 アルルは少し目眩を感じる。
「シェゾ、ルーンさんの後始末をつけたのですわね」
 ウイッチは閉じた本を愛おしげ撫でる。
 最後に、やや大きな光が天に向かって昇る。
 それを見届けたと同時に、二人は眠る様に気を失った。

「…とにかく、二度とこんな事御免だぜ」
 ぼんやりとした意識の中、声が耳に届いていた。
 この声は…シェゾ…。
 誰かに言い聞かせる様なシェゾの声が聞こえる。
 部屋…?
 瞼に明かりを感じるし、身体が柔らかい布団に包まれている。
 足に何かが絡んでいる。
 嫌、足だけじゃない
 身体全体になにか柔らかいものが絡んでいる…。
 あったかい…。
 それと、アルルは覚えのある香りを感じていた。
 ランプの明かりらしいそれの灯火は小さく、意識を集中せねば眠ってしまいそうになる。
 うーん…。
 アルルは頑張り、少しだけ瞼を開く。
 視界の先は空だった。
 窓の外には満月が輝き、窓から差し込む月光の方が部屋の明かりより、よほど明るい。
『まぁそんな事言わずに。あなたにとってもずいぶん修行になったでしょう?
 もう一人の声が聞こえた。
 瞼はなかなか開かないし、身体もだるい。
 それでもなんとか寝返りの様にして声のする方を見ると、人が一人立ってはいる様だが、どうにもその姿ははっきりしなかった。
「やかましい。第一、どういう理由であんなややこしい封印しやがったんだ」
 シェゾはベッドを背にする形で椅子に座っていた。
 今度は視線を下に落とす。
 すると、そこには金髪が見える。
 ああ、これ、ウイッチだ。
 どうやら自分達の状況が飲み込めてきた。
 ボクとウイッチ、ベッドに寝かされているんだ…。
 二人はベッドの上で絡まる様にしてぐっすりと寝ていた。
 寝方が少々妖しいけど、疲れているし眠いし、気持ちいいから、まあいいか…。
 場所は件のホテル。
 アルル達の部屋だった。
『分かっているでしょう?
「俺が考えている答えが当たっているのなら、迷惑もいいところだ…」
 シェゾは脱力して呟く。
『ふふふ、しかし君は本当に期待を裏切らない。いやむしろ、良い意味で期待を裏切ってくれると言った方が良いでしょうね。
 そう言い、もう一人の男、ルーン・ロードは二人が眠るベッドに近づいた。
『可愛い寝顔ですね。
「成り行きだが、こいつらには悪い事した」
『だが、そうしなければいかに君と言えども、あの世界では一時間と存在を保つ事は出来なかったでしょう。そう、私も同じです。あの、ライラント歴史書の世界に封印したトーマスを倒すには、その中に入らねばならない。そこで行動するには、外からの力の供給が必要だったのですから。
「ええーっ!?」
「本の中にぃ?」
 突如声が響いた。
 椅子に座っていたシェゾが、一瞬ずり落ちそうになる程の素っ頓狂な声。
「…目、覚めていたか」
 驚いた、と言う顔でシェゾは二人を見た。
「シェゾ、そうだったの?」
「トーマス神父と戦った場所は、教会ではなく、あのわたくし達が読んでいた本の中でしたの?」
「そうなの?」
「そうだったの?」
 シェゾはやれやれ、と頭を掻いた。
「いつから起きていた?」
「この部屋のお香の匂いなんか嗅いでいたら、いやでも目が覚めるよ」
「ですわ」
「…ああ、この匂いね」
 シェゾは鼻をつまんだ。
『では、私はこのへんで。とても楽しい祭でしたよ。
 ルーンはそそくさと霧の様に消えて退散してしまった。
「あ、お前! 待て!」
「待つのはキミ!」
「ですわ!」
 立ち上がろうとしたシェゾは後ろから羽交い締めにされる。
「さて、ゆっくりお話を聞かせて頂きますわ」
「もしかして、ボク達が気を失うくらい疲れちゃった事も、何か関係している?」
「…あー…それは、まぁ、な」
「とりあえず、今回はシェゾ、わたくし達にに感謝するべき情状がある筈ですわね」
「あの栞、もしかして…」
「私達の力を…」
「いや、一時的だぞ」
「そう言う問題ではありませんわ。納得させて頂けますのよね?」
「今日の夜は長いよ」
「……」
 シェゾは溜息をこぼした。

 次の日。
 街は精霊光臨祭後だが、あと数日は出店も出ており、本祭と変わらぬ活気に満ちていた。
 そんな中。
「しっかりしろ。今日の午後には帰るんだろ」
「…だって、ねむい…」
 アルルはシェゾの腕に掴まりながら、夢遊病の様に歩いている。
「お前らが望んだんだ」
「だ、だけど…」
 反対側。
 同じく足をふらつかせたウイッチが反論する。
「本当に一晩講釈されるとは思いませんでしたわ…しかも…」
「う、うん…」
 二人は顔を見合わせて頬を染める。
「お祭りの趣旨通りになっちゃったし…」
「わ、わたくしは控えようと…」
「ほー、キミの一族ではあれを控えたと言うと?」
「……」
 ウイッチが更に頬を染める。
 一体、どのような講釈がなされたと言うのか。
「そんなに眠いなら、ホテルで寝るか?」
 シェゾが無責任に呟く。
「だめっ!」
 反射的にウイッチが叫ぶ。
「今回を逃したら、次回は十三年後です。絶対に悔いを残しはしませんわ!」
 半ば寝ぼけまなこだが、それでも意志を貫こうとするウイッチ。
「ま、頑張れ」
 シェゾは何を言っても聞かぬ、と気のないエールを送る。
「十三年後かぁ…。その時って、またこうやってボク達、一緒に見られるのかな?」
 ふとアルルが呟いた。
「あ?」
 シェゾは知らんよ、と天を仰ぐ。
「勿論ですわ」
 と、ウイッチが意外と言えば意外な返答をする。
「シェゾとわたくしで同じ様にここに立ち、そして思い出して差し上げますわ。ああ、アルルさんと一緒にお祭りを見たかったなぁ…って」
 遠い瞳のウイッチ。
「何でボクが亡き者扱いかぁっ」
「きゃー」
「こらー!」
「こちらですわぁ」
 二人は笑って追いかけっこをしながら人混みの中に紛れる。
「…猫みたいだな」
 シェゾは笑ってベンチに座る。

 図書館。
 書庫の机に一人、男が座っている。
 返された歴史書を机に広げ、しみじみと活字を眺める男。
『…お久しぶりですね。
 不意に呟く。
「ルーン殿」
 声と共に、彼の後ろに人影が浮き出る。
「ようやく厄災は消えたのですね。ありがとうございます。本当に…」
『まぁ、あまり感謝されないように。私は、私なりに利があると思ってやった事ですから。
 ルーンは本を捲りながらまぁまぁ、と手を振る。
「ですが、あなたはこの街には何の恩も無いのに、街を救っただけではなく、霊体となったトーマスがみだりに復活せぬ様、気力を振り絞って歴史書に彼と霊兵の魂を封印されました。おかげで、彼は精霊光臨祭時の精霊エネルギーが活発になる時期しか力を発揮出来なくなりました。だからこそ、ここまで彼の復活を遅める事が出来たのです。しかも、今回の状態で戦う事を見越し、本の内部空間へ魔導力転移を行うアイテムまで用意するとは、見事です」
 神父は頭を下げた。
『たまたまですよ。それより、これであなたもようやく眠りにつけますか? 申し訳ありませんでしたね。元はと言えば私があんな時期だったが故に力が無く、封印のタイミングを逃したが為、就任直前のあなたが、後任を認めぬと襲いかかった彼に殺されてしまったのですから。
「いえ、これはどうにもならなかった事です。しかも、おかげで街の復興に祭をと言うアイディアを言っていただけたのです。これは流石に、誰も気付かないでしょうね。あの提案をしたオーバルは、私ではなくあなただったなんて…」
『でしょうね。
 二人は小さく笑った。
「やはり、本に書き加えましょう。私が、実際は街にすらたどり着けなかった事、あなたが街の復興の、本当の立役者なのだと。私には、それくらいしかお礼が…」
『そこまで遡らなくて結構。これはあなたの頭の中に止めてください。私達って、世間的に言って基本は悪人ですから。
 もう一度、図書館内に小さな笑い声が響いた。

 今を遡る事約百七十年前。
 ライラント、及び周辺の都市を襲ったゾンビ軍団を一掃したのはルーンであった。
 兵士のゾンビ化によって勃発した紛争は、命令を聞く事すら出来ず、バーサーカーと化した兵士が全滅した事で終結する。
 選りすぐりの兵を根こそぎ失ったティメイルは、その後更にお抱えの魔導師達の魔導力までが何故かまるまる失われるという異常事態に見舞われ、二度と元通りの軍事的繁栄を復興させる事の無いまま、その後近隣の都市と合併、その名を消滅させた。
 そして呪術という少々毛色の違う魔導に手を焼いたルーンは、寸手のところでトーマスと霊兵を取り逃がす。
 呪術は儀式を行った場所からそう遠くへは離れられないと言う特色を持つ。
 トーマスも例外ではない。
 教会で呪術を行ったが故にそこを中心とした一定地域以上外へは行けぬという束縛からは逃れられなかったが、一定地域とは言えその距離は都市の外遙かの、ティメイル軍最前線まで及んでいたのである。
 霊体となってその身を潜めたトーマスを探す事は、闇魔導士の力を持ってしても困難を極めた。
 そこでルーンは、歴史を刻み続け、それにより霊力を持つに至っていた歴史書に目をつける。
 事細かに記された史実。そしてそれを記したのは歴代の霊的魔導力を持つ神父、そして並びに実力を持つ魔導師達。
 これによって歴史書はそれ自体が強力なマジックアイテムと化していたのである。
 幾人もの力と気の具現化と言っても良いそれは、恰好のキーピングアイテムとなる。
 それにルーンの力が加わり、本は現実の場所と記述された場所を結界により接続、そして固定、封印したのである。
 これにより、トーマスとその配下である霊兵は、実体が無い故に霊的に力が濃くなる結界の中心、歴史書へ長い時間をかけて定着。
 魂を本の中、そしてその本に記されている実際の場所に精神的に分離されて封じられる事となる。
 本の中でトーマスが結界を解除する事で、現実の場所で霊兵が現れる。
 それは、この為である。
 シェゾは闇魔導士としてルーンによって覚醒を受けた直後から、この件を宿題として受け継いでいた。
 殆どの情報を伏せられたままに。
 その理由、それは彼の心技共々の成長の為と言われているが、いかんせん掴み所のないルーンの事である。
 本当にそうかも知れないし、違うかも知れない。
 解決してしまった今となっては知る由もないが、シェゾは暫くそれを気にする事となる。
 もしそうなら、この件は彼を今まで様々な方面から成長させてきた題材であり、つまりシェゾは彼に借りを作った事になるのだから。
 ルーンはきっとそれを聞いたら、可愛い弟子の成長に貸し借りなど無い、と笑うだろう。
 そしてむしろそれをシェゾは気にするのだ、と知りながら。
 歴史書には、後に現ロトリクス教会神父ステイラルにより、今回の精霊光臨祭の事象が事細かに書き加えられるだろう。
 祭の成功、二百年近く引きずってきた負の歴史が閉じられた事実。そしてそれに関する闇魔導士の活躍も。
 幾つかの、更に奥深い事実はついに書き込まれぬままに。

 歴史書。

 誰の目から見ても正しいものなど、何一つ存在はしないのかも知れない。
 人が己の歴史を自ら綴る限り。




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