第六話 Top 最終話


魔導物語  精霊光臨祭前夜 7th
 
 
 
  フロント

 ライラント。
 都市が商業ルートの中継点とは言え、今より遡る事およそ六百年前に至っては、この都市はまだ街道沿いにへばりつく様に宿屋や家が並ぶ程度の宿場町だった。
 その頃、まだ街の名前はライラントではなく、辺境と言う意味のフロントと呼ばれていた。
 これは正式な名称というより俗称に近く、いかにこの街が小さかったかという事を物語る。
 フロントの街は、華やかさこそ無いが、様々な祭、行事には熱心な街だった。
 少ないながらも収穫の時期には収穫を喜ぶ祭。
 季節の変わり目の、豊作や発展を願う祭。
 恋人同士が結婚すれば街を挙げての祭。
 子供が生まれたり、一定の年齢になれば祭、と言う具合にその街は、祭だけは博覧会を開けるほどに多種多様であった。
 当時、街には掘っ立て小屋同然の神聖魔導教会の分所があり、そこの神父は貧しい街の為に無償で中央より送られる物資を分け与えたり、徒歩で二日はかかる近隣の、同じく貧しい村々を廻っては人々の救済に当たっていた。
 とある日、村から帰宅途中だった神父は、街道の脇に広がる森の奥から小さな白い綿が飛ぶのを発見する。
 気にしなければそれまでだったが、神父は胸騒ぎの様な期待の様な不思議な気持ちに後押しされ、慣れない足で森に分け入って行く。
 そして、神父は森の奥に鍬ひとつ入った事のない土地を発見した。
 そして、そこに自生していたある植物を見つける。
 それが野生の綿花だった。
 フロント周辺の土地は、希に見る綿花の栽培に適した土地だったのである。
 神父はその発見を街の者を集めて話した。
 それがやがて、小さな辺境の街を大きな産業地に発展させるきっかけとなる。
 最初の発見より五年。
 ようやく街ぐるみでの綿花栽培が軌道に乗り始めた頃。
 人口も以前より速いペースで増え始め、産業として前途は明るいかに見えた。
 だが、綿花の栽培は周辺の地域でも既に行われている。
 技術が未熟なフロントの綿花では、他の地域で栽培され、軌道に乗っている商品に太刀打ち出来るかどうかは正直不透明だった。
 新しい産業を確実な物とする為にはまず、大々的な生産拡大の為に顔見せが必要である。
 フロントの綿花はその年、まずは名を知って貰う為、そして運が良ければ半分は売れるだろう程度の期待で、フロント産綿花を都市の競りの場に並べた。
 通常、競りの権利を手に入れるにはそれなりの実績が必要だが、運がいいと言うべきか悪いと言うべきか、ろくな産業がなかったフロントという事で半分はお情けで、驚くべき早さで審査をパスすることが出来た。
 そして競りの後。
 街には意外な誤算が待っていた。
 それは、市場での競り開始早々のフロント産綿花全品完売と言う嬉しい誤算。
 フロントで採れる綿花は、他のどの産地よりも質が高かったのである。
 海千山千のバイヤーがそれを逃す筈はなく、それにより、フロントの綿花は卸値を度外視した価格で取引される様になり、街の産業は一気に花開く。
 街が都市へ発展を遂げるのは、それから一世紀と少し後の事だった。

「そっか、それが元でライラントって、綿花の街になったんだ」
「お祭り、そうなる前の昔は元から盛んだったのですね」
「にしても、綿花栽培が始まるきっかけも神父さんって言うのが…」
「この街の神父さん、商人になったら成功するのでは?」
 二人はへぇ、と感心しきりだった。
「だが…え?」
 活字を追っていたアルルが眉をひそめる。
「どうしましたの?」
「う、うん。ええと、その後…」

 街に吉報をもたらしたマクスター神父以後、不思議な事に後任の神父は皆が皆、何故か商才に恵まれていた。
 信仰と共に商業に熱意が注がれ、街は爆発的に発展を続ける。
 マクスター神父の代から数えて三百数十年後。
 街に新しい神父が就任した。
 その神父こそが、街に混乱をもたらす存在になるとは、誰もが、そして神父自身も思ってはいなかった。
 彼は、あくまでも街の為だと思いこんでいたのだから。

「それの何が悪い?」
 暗闇に舞台口調を思わせる雄々しい問いが響いた。
「誰かにゃ悪い事さ」
 闇に一筋の光が走る。
 闇の中に吸い込まれる様にして消えていった光が、奥で一瞬眩く輝いた。
 同時に金属が弾ける様な音が響く。
「こざかしい…私を倒せると思っているのか?」
「今、俺の攻撃、当たっただろ」
 シェゾは強がるな、と鼻で笑い、闇の中を奥へ奥へと進む。
「確かに私のした事は中央からの指示でも、先代のマルコ神父の望んだ事でもない」
 声のみが奥へ奥へと下がって行く。
「最初に街を発展へと導いたマクスター神父の意志を継いだ後継の神父達は、正直に町の発展に力を尽くした。お前もそうすりゃ良かったんだよ」
「したとも! したさ!」
 相変わらず姿は見えない。
 だが、今照明が当たっていたならば、間違いなく舞台劇の様な振り付けが行われていたであろう口調。
「私は更にそれを発展、進歩させようとしたのだ! 事実、私がああしなければ、結局ライラントは周囲の圧力に屈していたかも知れない!」
「おかげでどんなおまけが付いてきたと思ってんだよ」
「多少の、歪みは免れ得ぬ事だ」
「街が滅びかけただろうが」
 シェゾはもう一度闇の剣を十字に凪ぐ。
 衝撃波が闇に飛び、赤い光が弾けた。
 同時に空間が歪み、空気が一瞬突風の様に奥へ吹き抜けた。
『主よ。奴、飛んだぞ。
 左手の、闇の剣が呟く。
「無駄だよ」
 シェゾは左手の闇の剣とは別に右手に何かを握り、それに気を込める。
 次の瞬間、シェゾはその場から消失していた。

「え? 何か言った?」
 不意にアルルが顔を上げる。
「はい? いえ、何も?」
「そう? …ふぅ」
 アルルの声が沈む。
「どうしましたの?」
「あ、ううん。何か、ちょっと疲れた」
「活字を読んで脳がお疲れになりました?」
「ち、違うもん。ウイッチはどうなの?」
「別にわたくしは…? あ、そう言えば…」
 何とはなしの気怠さをほんのりと感じる。
「旅の疲れが出たかな?」
「ですわ。それより続きを」
「あ、うんうん」
 アルルは挟んでいた栞をページの裏にどける。
 その栞がやんわりと緑色に輝いていた事には気付かぬままに。

「手を先に出してきたのは奴らだ」
 再び声が響く。
 次の世界は真っ白だった。
 ならば良く物が見えそうなものだが、これもまた真っ白いだけで自分すらもよく見えない。
「かもしれんが、そのお返しの仕方が問題なんだよ」
 シェゾは足下すらおぼつかぬ白い世界を進みながら言う。
「闇の魔導士たるお前が言う言葉とは思えぬな。敵に容赦などするのか?」
「敵に容赦する気なんざあるか」
 馬鹿な事を、とシェゾは小さく笑う。
「そんなもんは無い。無いが、やり方くらい選ぶぜ」
 シェゾは剣を腰に差し、両の手を眼前に広げる。
 小さく息吹を込めると、手のひらから墨がにじみ出すかの様に黒い波動が生まれ出す。
 それは霧の様に周囲に広がり、白一色だった世界を瞬く間に灰色に変える。
「ぐあっ!」
 灰色の世界に一カ所、かき混ぜた様な渦が生まれる。
「貴様…」
「捕まえた」
 だが、渦はめちゃくちゃに崩れ、消え去り、元の灰色一色に戻る。
「ったく。トカゲの尻尾かよ」
 シェゾもその世界から消える。
 世界に残されていたのは、自らの『躯』の一部を引きちぎった残骸のみだった。
「お前は、やり方を間違えた。ただそれだけさ」
 空間の消滅。
 シェゾの言葉も同時に消滅した。

「ええと、フロントの町が、宿場町から都市ライラントへと変貌した頃、多分に漏れず他の街と貿易、流通経路としての発展を遂げる事で、流通や競争に関するトラブルが多くなり始める…何処の街でもあることだが、それが事の始まりだった…」
 ある年、前任のマルコ神父が転勤となり、入れ替わりでライラントに新しい神父が籍を置く事となった。
 その名をトーマスと言う。
 ライラントの神聖魔導教会はかなり規模も大きくなっており、中央から特にわざわざ推薦によって神父を派遣される程となっていた。
 前任のマルコ神父は、神父としてはおかしな話だが今までの神父の中でも特に商才に長けており、その後任のトーマス神父へ対する街の人々の期待は大きかった。
 その期待、そして時期が、全ての始まりとなる。
 トーマス神父は魔導士としての素質も持っており、事実神学部に入る前は魔導、特に民族的見地から見た呪術、祈祷等の分野に強かった。
 神学部を卒業、神聖魔導教会の実習を経てライラントへ派遣されると聞いた時、彼は心の底から喜んだ。
 ライラントの話は聞いており、力を尽くすに不足はないと、快く承る。
 神父としての能力は元より、街の経済に関する助言を強く求められる傾向がライラントではある事も承知の上であり、事実彼もそろばん勘定は得意とする分野である。
 ここまでは良かった。
 良くなかったのは、彼が来た時期だったのである。
 その頃、ライラントは綿花の栽培権を是が非でも獲得しようとする近隣の軍事都市、ティメイルからの政治的圧力を受けており、辺境の街道交差地点であるライラントと比べてより王都に近いティメイルは、王都への軍事力の提供によって王都へ取り入り、様々な商業、軍事の分野で優位に事を運んでいた。
 ライラントに対する弾圧に近い制裁行動は物資の流通ラインを麻痺させる。
 都市となったライラントは商品の出荷が出来なくなる事による通貨の不足、及び人口の増加による食糧自給バランスの悪さが仇となり、日に日に情勢を悪化させていた。
 それにより、ライラントは今までにない不安と混乱に陥る。
 都市へ成長したとは言え、それはあくまでも農産物による成長。
 商業的能力こそ成長していたが、ライラントは、政治的な外交能力は持っていなかったのである。
 街の人々は日に日に強くなる制裁に覇気を弱め、嘆き悲しんでいた。
 かといって下手に逆らえば国に対する反乱と見られかねず、そうなればティメイルはそれを機に正規軍を鎮圧という名目の元に動かしかねない。
 そして無論、今の今まで都市と農業の発展に一丸となって取り組んでいたライラントには、農作物を守る為程度の自警団はあっても、軍に対抗しうる私設軍などありはしなかった。
 トーマス神父はそんな無慈悲なるティメイルの行動に悲しみ、憤慨する。
 そして何より、自分が派遣された中央神聖魔導教会のある王都が、事実上それを野放しどころか、むしろ加勢していると言う現実が信じられなかった。
 神父は直ちにこの異常事態を解決してもらえる様にと、中央神聖魔導教会に書簡を送る。
 だが、ティメイルを通る道で検閲があるのか、それとも事故なのか、何通送っても中央よりの解答は梨の礫であった。
 住民が日に日に不安を募らせながら過ごしていたとある日、病院に瀕死の重傷を負った綿花農家の主が運び込まれる。
 彼は最も都市から遠い畑の主であり、帰りがけに突如複数の男に襲われたらしい。
 主人は事切れる前に、唐草の紋章の鎧を着た兵士と言って死んだ。
 唐草の紋章。
 それはティメイル軍の紋章である。
 ここにティメイルとライラントの姿勢は決定づけられた。
「これが、神のなさる事なのか…」
 神父は、行動を開始する。
 何の躊躇もなかった。
「……」
「こんな事が…」
 ページが重い。
 アルルとウイッチの額に、うっすらと汗が浮かんでいた。

 場所は地下。
 小さなランプに照らされたそこは、煉瓦と木の梁が組み合わされた地下教会だった。
 薄暗い礼拝堂内。
 前方には、美しく磨き上げられた大理石の、眠る様な、悲しむ様な表情で赤子を抱いている偶像が鎮座していた。
「ここでお前は一線を越えた」
「越えざるを得なかった!」
 薄闇の中に二人の男が対峙する。
 やっと声の主の姿が目に見えていた。
 くたびれたローブと飾り付け。
 神聖魔導教会の神父の正装だ。
 年の頃は五十代半ばと言うところだろう。
 少しくぼんだ黒い瞳が印象に残る。
「ここで、どれだけの血を流した?」
「数えきれぬな。だが…」
 男には、右腕がなかった。
 千切れた様な袖からすると、先程の空間でのダメージに因るものだろう。
 だが、その腕にはあるべきものがない。
 あるべき血が、一滴も流れてはいなかった。
「まず、贄として捧げたのは私自身だ!」
 トーマスの瞳が赤く光る。
 ローブが血染めのシーツの様に赤く翻り、ピザ生地の様に面積を広げる。
 七メートルも離れていたシェゾが、瞬きする間もなく包み込まれた。
「ここは『閉じられた空間』だが、私には何の関係もない。異空間でも魔界でも、そして天界でもないこの世界、お前は何処まで踏ん張れる?」
 顔から下のローブを液体の様に広げながら、トーマスは勝利宣言の様に笑う。
「私が霊兵を現世に出現させる為にパワーを集めた場所を突き止め、そこからここに入り込んできたその努力は認めてやろう」
 シェゾは、まるで赤い餃子の具の様にローブに包み込まれていた。
「だが、ここは私の世界だ。そして、もうすぐ外の…」
 声が途切れる。
 突如、シェゾを包み込んでいた真っ赤なローブに眩い閃光の線が走った。
 風船が破裂したかの様にローブが弾けかけるが、中のシェゾの顔が見えたか見えないかまで開いたところで、ローブはフィルムの逆戻しの様にぴたりと閉じてしまう。
「無駄だよ。このままでもいいが、君は闇の魔導士。また面倒な事をされては堪らない」
 トーマスが右手を挙げる。
 周囲に白い靄の様な物が浮かび上がった。
 もやは十体程の塊となり、みるみる鎧の兵士に姿を変えた。
「木偶よ、奴に永遠の眠りを与えよ。この閉じられた空間、奴にこそふさわしい。私は、もう少しで現世に復活出来る。そして、復讐を遂げる…。その為に、憎むべき悪鬼であるお前達を残しておいたのだからな」
 血に染まった瞳が、憎々しさと愛おしさをまぜこぜにした様な不可解な輝きで兵士を睨み付けていた。

「トーマス神父は、その魂を魔に引き渡し、黒呪術を最大レベルまで発動させる…」
 アルルが息苦しそうに呟く。
「彼がまず行った行動は、攻め入ろうとしている都市の斥候を捜し出し、捕らえる事から始まった。呪術の発動と引き替えにその躯を捨てたトーマスにとってそれは造作もない事である」
 ウイッチが続けた。
 その時。
「まただ! 今度は…十本はあるぞ!」
「すごい! なにあれ?」
「精霊光臨祭のアトラクション?」
 宵闇の空を美しく彩る光の筋。
 だが、二人にそれを楽しむ余裕はなかった。
 本に挟んだ栞がうっすらと輝く。
 二人は軽い目眩を覚えていた。
 そして、周囲の人々も何故か今一元気がない。
 喫茶店は満員だというのに、まるで葬式の様に人々は疲れていた。

 トーマス神父は闇に乗じ、教会のモルグからまず使えそうな新しい死体を選ぶ。
 それらを呪術によってリビングデッドとして再生し、三体程で一つのチームを作る。
 それをダースも拵えると、次に夜の闇に紛れて街を調べていたティメイル軍の斥候を片っ端から捕らえ始める。
 悲劇の始まりだった。
 その夜の内に斥候は各陣地に戻される。
 そして、次の日の夜に事は起きた。
 捕らえられた斥候は人の皮を被ったゾンビの素として改造されていた。
 日が落ちると共に斥候はゾンビ化し、兵士達を同類と化して行く。
 斥候とはいえゾンビ化した者がそう容易く倒される筈もなく、最前線に構えていたティメイルの軍の半数、三千の兵が一夜でゾンビと化す。
 トーマス神父はそのゾンビ兵を操り、ティメイルを攻める予定だった。
 だが、ゾンビがゾンビを生み出すと言う呪術は、今までどれだけ修行した一流のシャーマン、呪術士ですら、一度も成功例が無い。
 おのが躯と引き替えに得た魔の力により自分にはそれが可能だと思っていたトーマス神父だったが、現実は甘くなかった。
 最初のリビングデッド以降のゾンビは、ゾンビがゾンビを生み出す事でねずみ算式に数を増やす。
 それはいわば劣化コピーであり、ゾンビという性質は受け継いだものの、トーマスの命令を聞くという根本的な部分がぼやけてしまった。
 その結果、トーマスの命令を守る兵士としてのゾンビは三千のゾンビ兵の内、わずか二百体程度に過ぎなかった。

「お陰でティメイルの軍はめちゃくちゃになったが、ライラントまでぐちゃぐちゃになったじゃねぇか。しかも、ゾンビの軍が他の都市まで襲いだして、この周囲がまるまる紛争地帯になっちまった。ゾンビと人の紛争なんて悪趣味もいいところだ」
 同じ場所。
 シェゾは何事もなかったかの様に立ち、吐き捨てていた。
 身体を縛り付けていたローブも既に端切れと化して床に落ちている。
「だが、それをやらねばライラントはとうに滅びていた! ティメイルの軍勢は事実フロントラインを都市から最も遠い畑まで近づけていた。その為、一人の農場主が命を失ったのだ!」
 ローブの裾をぼろぼろにしたトーマスが口惜しそうに叫ぶ。
「どうせそのあと結局ゾンビに滅ぼされていたっつーの。そう言う意味じゃ、感謝して欲しいもんだな。奴に」
 そう言ってシェゾは少々考え込みながら言う。
「…俺としては今一納得いかないけどな。あいつが、こんな事したなんて」
 シェゾは苦み走った顔で言った。

「危機的状況は、聖騎士隊でも光の勇者でもなく、まったく信じられない者が救った」
 ウイッチは噛み締める様に呟く。
「誰? 何て書いてあるの?」
 アルルは本をのぞき込む。
「ええと…その者は、光に背向きし、呪われた運命を背負う魔導士である。その名を…ええっ!?」
 目で先を追ったウイッチが声を上げ、思わず立ち上がる。
「な、何? どしたの?」
「こ、これ…」
 ウイッチが指さした部分をアルルが読む。
「…ええええっ!?」
 思わずアルルも立ち上がる。
 喫茶店内に悲鳴が響いた。
 と同時に、アルルとウイッチが続けて、ふらりと立ちくらみを起こす。
 へなへなと座り込んだ二人は、改めてその一文を凝視した。

「思い出すのも忌々しい…。私は、この地下教会で我が意に従う兵士を集め、街を守る為に策を練っていた」
「飯、食いながらな。赤い飯を」
 シェゾは闇の剣を構えた。
「動く者にはすべからく栄養が必要だ。ゾンビとて例外ではない。街を発展させる為には、仕方あるまい。第一、それを解消する為の大いなる行動だったのだ」
「ゾンビを、霊的モンスターに昇華させる為に、一体、一匹に何人の命をつぎ込んだ?」
「全ては成功していた! それによってもう、エサは要らぬ。なのに、半分の数も昇華させぬうちにあやつが…闇の魔導士、ルーンがっ! 私と、霊兵を…!」
 血を吐きそうな絶叫が響く。
「エサとか言っているし」
 トーマスの瞳が黒に染まる。
 黒いマントが翻り、黒鳥が闇を飛んでいた。

「ルーン・ロード!?」
「ルーンって、シェゾのお師匠さんの?」
 師匠と言うには微妙に違うのだが、誤差の範囲と言える言葉がアルルの口から出た。
「…だからですのね」
「うん…一つ、謎が解けたね」
「この街は、過去にどういう理由であれ、闇の魔導士に助けられたのですわ。だから、こうやって闇の歴史として封印されようとも、どこからか話が漏れ、そして…ああやって、祭に出るくらいに名前が定着しているのですわ」
「うん…そして、きっとそれは今も…」
 アルル、そしてウイッチは宙を見ながら、無意識にシェゾの無事を祈る。
 胸に抱いていた栞はそれに呼応するかの如く、淡く輝いていた。

 眼前に浮かび上がった兵士三人が、藁の束の様に胴を真っ二つに割られた。
 目の前に張ったバリケードは瞬きする間もなく崩壊し、刃が自分の首に飛ぶ。
 刃が肉に食い込み、骨を断つ。
 トーマスの首が宙に飛んだかに見えた。
 だが。
「ちっ」
 シェゾが忌々しげに飛び退いた。
 トーマスの首は、確かに闇の剣によって分断された。
 だが首は吹き飛ばず、その場に留まった。
 見よ、今切断したその断面が、クリームの様にみるみる溶着したではないか。
「二度も遅れは取らぬよ」
 トーマス神父はほんの少しだけ、いがらっぽい声を出して笑った。
 そしてその声も普通に戻る。
 切断は最早無かった事になったのである。




第六話 Top 最終話