第二話 Top 第四話


魔導物語  精霊光臨祭前夜 3nd
 
 
 
  千夜物語

 夜も尚青い空には、まん丸な月が出ていた。
 二人はあの巨大なベッドの置いてある部屋にどうしても留まる事が出来ず、再び外に出る。
 別行動という選択もあったが、知らぬ街で女一人と言うのも様々な意味で危険。
 結局二人は出来る限りあの事は頭から消し去り、観光を楽しむ事に没頭する。
「でも、もももさんも、あの時わたくしとアルルさんが一緒に行くと目の前で言ったのですから、一言言ってくださればよろしかったのに…」
「もしかして、ももももボク達の事そういう風に見ていたりして」
「やぁん! こまりますわ」
 黄色い笑い声が二人分で街を闊歩する。
 原因に気付いてしまった事で逆に笑い話にする余裕も出来たらしい。
 二人の表情は和らいでいた。
「明日が、メインイベントなんだよね」
「ええ、精霊光臨祭最大の見せ場、オーバル神父様がかつて勤めていらした、ロトリクス神聖魔導教会で夜に行われる精霊光臨の儀式ですわ」
「ろまんちっくだろうなぁ…」
 手に持つパンフレットが、愛の重さにぐしゃりとつぶれる。
「恋人同士はその儀式を見守りながら、永遠の愛を誓い合い…もしくはその絆を更に深めると言わていますわ…」
「永遠の…」
「愛ですわ…」
 お互いがお互いの世界に浸る。
「星と星の間程も離れても…」
「わたくし達の心は一つ」
「二人にとっては一夜の別れも」
「千夜の狂おしさですわ…」
 知らず知らずのうちに手が握り合われ、某黒い男を想いながら二人の体が近付いていた。
「まぁ、やっぱりそうなのね」
「俺みたいないい男がいるのに、もったいないなぁ」
「お前相手ならあの二人がいいよ」
「いつからだろうね?」
「ああいう趣味って、意外に小さい頃からみたいよ」
 ピンク色の世界が破裂した様に消えた。
 二人は息を呑み、今にも心臓が止まりそうになる。
「……」
 周囲には、いつの間にか二人を囲む人だかりが出来ている。
 おもしろがったり、祝福したりしている有象無象の複雑な視線がアルルとウイッチを刺す。
「ご、ごかいですっ!」
「ちがいますわぁっ!」
 二人は脱兎と化してその場を離れた。

「もーやだぁっ!」
 半泣きのアルル。
「そ、それはこっちの科白ですわ!」
 同じく半泣きのウイッチ。
 祭で賑わうメインストリートを離れ、少し閑散とした通りにたどり着く二人。
 街もこの辺りになると、歴史的建造物を見たいという玄人な観光客こそたまに見かけるが、ほぼ通常の町並みと人通りであり、音楽も遠くに聞こえる程度。
 裏路地に近い通りを挟み、住宅街と自然公園に隣接した並木道が並んでいた。
 公園を背にした道ばたのベンチに腰掛け、二人は何度目かの溜息を付いた。
 風が吹き、自然公園の方から涼しい風が凪がれる。
 火照った顔にはそれが心地よい。
 空には満月が輝き、それが見えている間は驚く程の明るさがあるが、雲に隠されるといきなり周囲は闇となる。
 それを二〜三回も繰り返した頃。
 そろそろ帰ろうか。
 アルルがそう言いかけた時。
 公園の奥から、小さくも甲高い金属音が響いた。
「…?」
 二人は怪訝な顔で後ろを振り向く。
 もう一度金属音。
 先程よりもそれは大きかった。
「剣?」
「う、うん…」
 魔導士(の卵)として実戦経験もある二人。
 剣の弾け合う音と、ただの金属の衝撃音の区別ぐらいは付く。
 しかも、この澄んだ鐘を鳴らした様な剣の音は、特に二人の記憶に残っているあの剣の音に相違なかった。
「うそ!?」
「うそですわよね?」
 だが、それ故に自分の耳を疑わざるを得ない。
 ベンチに乗り、背伸びして奥を見詰める。
 もう一度、更に大きな澄んだ金属音が鳴る。
 今度は本の一瞬だが、闇に弾ける青白い火花も見えた。
 続いて、人かどうかは分からぬが小さな悲鳴が聞こえる。
 期待通りかどうかはともかく、間違いなく戦闘が起きている。
 悲しいかな、実戦に慣れた二人は、人を呼ぶより先に足が戦闘地域に向かって動き出していた。
「マナ精製をお忘れなく!」
「ウイッチこそ、何か持っているの?」
「箒は既に呼び出してありますわ」
 阿吽の呼吸で臨戦態勢を整える二人。
 再び甲高い金属音。
 もう、視界には戦っている現場が見えていた。
「…!」
 戦闘の光景が視線に飛び込み、二人は足を止める。
 戦っているのは、一人の剣士と複数の無骨極まりない鎧に身を包んだ四人の兵士だった。
 兵士は、まるで棍棒の様な巨大な剣を持ち、大砲すら跳ね返しそうな、壁の様なタワーシールドを構えている。
「あれは…」
 だが、それよりも二人は一人の剣士の方に対して問題が、と言うか確信的な疑問がわき起こった。
「あれ…」
「シェゾ!?」
 二人は目を疑った。
 声と同時に月が雲に隠され、世界は彼のものと化す。
「せぇっ!」
 腹に据えた、耳に良く響くシェゾの息吹が更なる確信を呼ぶ。
 生まれ出でたばかりの宵闇に、闇の剣の青白い光が走った。
 横一文字に凪いだ剣はシールドとの摩擦で火花を起こす。
 瞬きする間もなく剣のベクトルが真逆に切り替えされる。
 次の瞬間、滑る様に凪がれた刃は、前に立っていた二人の兵士をタワーシールドごと真っ二つになぎ倒す。
 恐ろしき刃に晒された二人は、体のパーツを倍に増やして地面に崩れ落ちた。
 フラッシュに照らされたかの様な光景は瞼に強烈に焼き付く。
 地面に金属が落ちた鈍い音が響き、それ同士がぶつかり合う音も続けて響く。
 それを見た残り二人の兵士が突如身を引いた。
 犀が二本足で立っている様な屈強極まりない鈍重な外見に反し、その動きは鳥の様に素早い。
 真後ろに滑る様にして身を引き、そのまま闇に紛れた。
 と、シェゾも同様かそれ以上の素早さでそれを追い、闇に飛び込む。
 シェゾを目視確認してから、視界の届かぬ闇夜にその姿を見失うまでの一時。
 二人は、一呼吸する暇もなかった。
「…!」
「え、えっ!?」
 時間が動き出す。
 まるで幻でも見ていたかと思える程の静寂が二人の頬を撫でる。
 このまま瞼を閉じてしまえば、世界を覆う暗闇と共に、先程までの壮絶な光景も夢と化してしまう。
 それ程までに、今は静かだった。
 だが。
 二人が視線を下に向ける。
 二十メートル程向こう。
 そこには、先程ロブスターの様に真っ二つにされた兵士が、頭と足を明後日の方向に向けながら横たわっていた。
 不思議なのは、ろうそくの明かり一つ無い世界だと言うのに、それだけははっきり見えるという事。
 アルルとウイッチは恐る恐るそれに近付く。
「…光っているよ」
「実体ですの?」
 兵士の亡骸は燐が燃えているかの様に青く弱い炎に包まれ、ぼうっと光っていた。
 鎧には、微かにだが唐草をあしらった文様が見える。
 少しするとそれは不意に眩く、白く輝く。
 そして溶ける様に姿を変え、光球となる。
「わぁっ!?
「きゃっ!」
 二人が驚いている最中、今度はそれが突如音もなく花火の様に光の尾を引き、天に向かって飛んで行ってしまった。
「…うわ…」
 アルルが、不可解且つ美しくもある光景に一瞬惚ける。
「これは…?」
 ウイッチはそれをどこかで見た事がある気がしていた。
 長い長い尾を引き、雲に突っ込み、そしてそのまま光の尾を引っ張って、ついには見えなくなったそれを、二人は見送った。
 と、その時、遙か彼方の森が光り、今と同じ様に二筋の細い光が天に向かって飛ぶ。
 雲を突き抜けた光は、やがて同じ様に残像を残して消えた。
 それが何かは、想像する間でもないだろう。
 二人は更に現場に近寄り、ようやく夜目に慣れた瞳で地面を見る。
 複数の乱雑な足跡と、堅い物が落ちた痕跡こそ確認できた。
 だが、肝心のたった今ここに落ちた物は欠片も見あたらない。
 やはり光球と化したのは先程倒れていた兵士らしい。
「マナの残留動体反応は…しっかりとありますわ」
 精霊の悪戯かと思いこむ事も出来たが、ウイッチが懐より取り出した涙のしずく型をした、クリスタルのアトマイザーに入った液体が黄金色に輝いている。
 人為的にマナを消費した際の残留物に反応するそれは自然界の精霊が扱うものとは全く異なる為に、有力な人為的魔導消費感知の証拠となる。
「…一体、何と戦っていたの? 霊体モンスター?」
「その、類だと思うのですけど…」
 霊体モンスター。
 所謂ゴーストやスペクターと言った実体を持たぬ魔物は、魔導士の間ですら希有な存在である。
 そして、何より強力な存在でもある。
 その様な魔物中の魔物相手にこれほど一方的な戦いを行う彼。
 二人は、ついぞ自分達には目もくれずに消え去ったシェゾの方角を見て、驚愕のあまり逆に呆れてしまっていた。
 そして次に気になるのは、彼は自分達に気付いていたのか、それとも気に留めなかったのかと言う事。
 何にせよ、闇に紛れた闇魔導士を追うなど誰にも出来はしない。
 二人はこれ以上この場にいる事が利口な行動とは思えず、仕方なしにホテルへの帰路に
就く。
 今頃になって顔を出した満月は、申し訳なさそうに二人を照らし続けていた。

 翌日。
 巨大なベッドの端と端、互いにずり落ちそうな場所で寝ていた二人は、疲れた様な顔で朝を迎える。
 ゾンビが墓場から起きあがったかのようにのそのそと二人は起きあがった。
「…寝た?」
 自分が寝ているかの様な瞳でアルルが問う。
「…確か、窓の外が白けて来たのを覚えて…あふ…」
「シェゾの事…いっそ気にしない方が良かったのかなぁ…」
「わたくしも、今頃言っても遅いのですけど…そう…思い…ふあぁ…ん…」
 気怠げにうん、と背伸びするウイッチ。
「出る?」
「その為に来たのですわ。今日が本祭ですもの。夜に教会で行われる精霊光臨の儀式は絶対に見逃せません」
 旅の目的を思い出し、奮起するウイッチ。
 アルルもせっかくの旅行をへこんだままで終わらすものか、と同調する。
 この後、ホテルを出て雑踏へ紛れるまで、寝不足によってまたもあらぬ誤解を受けまくる事になるとは、今の二人が気付く道理は無かった。

 都市の中央よりやや離れた場所。
 そこにジェンツァーノ美術館と双璧の観光名所となっており、本日のメインイベント会場ともなっている、かの有名なロトリクス神聖魔導教会がある。
 かつてオーバル神父が勤めていた教会は今も美術館と並ぶ街のシンボルであり、特にこの時期前後の観光客は数知れない。
 それ故、観光都市の定めとはいえ元々の礼拝者がいつもの時間に人が多すぎてミサを行えないと言う弊害があり、普段なら今は朝のミサの時間なのだが、礼拝堂内に今居るのは案内の牧師やガイドを除いて皆観光客ばかりである。
 最も祈りを捧げるべき精霊光臨祭の期間に満足に祈りを捧げられないとは、正に皮肉以外の何者でもない。
 今の時期、本当のミサは、一時出入りが閉められる午後から大急ぎで行われるのが苦肉の通例だった。
 教会関係者は、町の発展に尽くした神父を今に褒め称えると共に、思わぬ弊害を生み出してしまった人物として、仕方のない事とはいえ、手放しで喜べぬジレンマに悩まされ続けていた。
 そんな教会内に、一般どころか職員達でさえ非公開、立ち入り禁止となっている地下礼拝堂がある。
 入り口は教会の中庭に設えられた、井戸を模した急な階段のみ。
 昔はまともな入り口があったらしいが、元の階段は埋め立てられ、今はこの様に隠す様な作りの入り口があるに過ぎない。
 そこは、聖域と呼ぶにはあまりにも異質な場所だった。
 雨でも降った日にはまともに降りる事も叶わぬ様な急な階段を十メートル近くも下りる。
 やっとの思いで床を踏んだかと思えば、その先にあるのは坑道の様なゆがんだ作りの廊下が一本のみ。
 そして、でこぼこの岩壁を更に二十メートルは進んだ場所に礼拝堂はあった。
 蝋燭の灯り一つだけが視界の頼りとなるその礼拝堂。
 広さは祭壇側の壁が十メートルに、礼拝者の座る椅子が並ぶ方向に十五メートル程と意外に広かった。
 天井の高さは六メートル程。
 暗くてよく見えないが、天井の梁は相当しっかりした作りらしい。
 そんな礼拝堂に、男が居た。
 壁に設えられた燭台の灯りは弱く、男のシルエットは辛うじてしか確認出来ない。
 だが、どうやら男は祭壇に腰をかけている様に見えた。
 礼拝堂ならば椅子はいくらでもあるだろうに、よりによってそこに座るとは何とも信仰心の厚い男らしい。
 神の像に背を預け、眠るような表情で物音一つ立てずに居たその男が、不意に瞳を開いた。
 蛍の光の様な弱い灯りの中にあって、その瞳の蒼は空の様に輝く。
 扉の開く音が闇に響き、続けてランプの灯りが一つ部屋に入ってきた。
 蒼い瞳がランプの炎を映し出し、ランプの灯りが大きく揺らいだ。
 ランプの持ち主が、闇に輝くその蒼い瞳に一瞬怯えたのだ。
「お待たせしました。闇魔導士殿」
 ランプを持つのは、五十代程度と見られる神父だった。
 彼はロトリクス教会の現在の神父であり、名をステイラルと言う。
 就任したのは二十年ほども前だった。
 ランプの灯りが近付くに連れ、男も照らし出される。
 そこにいたのは他の他の誰でもない。
 闇魔導士、シェゾ・ウィグィィだった。
「…遅いぜ」
 不機嫌そうな声。
 シェゾは結構な時間ここに居たらしい。
「申し訳ありません。ここに入る為の元老院の許可に手間取りまして」
「勝手に入ればいいだろう」
「ここに自由に出入り出来るのは、あの方とあなたのみです。ここは、教会にして教会ではない場所なのです」
「『自業自得』だ」
 的を得た皮肉に神父は苦笑いを浮かべる。
「この礼拝堂は未だ血にまみれている」
 不意にシェゾは呟く。
「…は、はい」
「お前らもだろうが、俺も不本意だ。だが、やらなきゃならないから付き合っている。今年こそ、確かな情報を持ってきてもらう。でなきゃ、もう隠密行動はお仕舞いだ。例え、奴の尻ふきだとしても、な」
「で、では…お話に移りましょう」
 ステイラルの額に冷や汗が伝う。
 シェゾの眼光に晒されたのだ。
「我が教会のテンプルナイト、並びに中央から派遣された精鋭の情報処理部隊と上位聖騎士隊により、確実と思われる場所とその構成が確認されました」
「信頼度は?」
「それは…」
 ステイラルが顔を曇らせる。
 シェゾはその表情を見て眉をひそめる。
「またガセじゃないだろうな?」
 ステイラルは逆です、と俯いて首を振る。
「…尊い犠牲が、何よりの証明です」
「どれくらいだ?」
「総数十七名の探索部隊が、一名を残して殉職しました。情報を持ち帰った一名も、現在意識不明です。長くは…無いでしょう」
 シェゾはふむ、と顎を撫でた。
「今までの情報よりはまし、と見て良さそうだな」
「そうでなければ、中央より派遣され、勇敢な最期を遂げた騎士達が浮かばれませぬ」
 流石に悔しげな感情が声に交じる。
「やられた奴ら、強かったんだろうな?」
「それは…?」
「弱い奴がまとめてやられても、『そいつ』かどうか分からん」
 ステイラルは容赦のない言葉に感情を逆撫でされるも、正論に反論は出来なかった。
「…此度中央より召還された騎士達は、中央の中でも精鋭です。法王を守る最上位聖騎士と比べても、決して遜色のない勇者でした」
「情報をよこせ」
 ステイラルは懐から羊皮紙の巻物を取り出した。
「現時点で最も信頼出来る情報です」
「今日が精霊光臨祭、か」
「はい」
「精霊は聖なる存在にあらず。ただ昇華するのみ。地に降りる事は無い。決して、な」
「? それは…」
 密室に突如風が吹いた。
 風に蝋燭が揺らめき、ランプの灯りも同時に消えかける。
 辛うじて炎は持ちこたえ、暗転しかけた視界が戻る。
 人が歩いた気配も、扉を開いた気配も無い。
 だがその時礼拝堂には、もう神父しか居なかった。
「神よ…。どうか、どうか、過去の過ちを、お許しください…」
 ステイラルは闇に紛れた神像に跪き、深く深く頭を垂れ続ける。
 ランプの炎が偶像を照らし出す。
 傷だらけの大理石の像。
 赤子を抱いた聖母像。
 そのシルエットには首がない。
 真っ白な大理石、台座のブロンズを赤黒く染めた、首のない偶像が闇に浮かび上がっていた。




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