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魔導物語  精霊光臨祭前夜 1st
 
 
 
  精霊光臨祭復活

「…と、言う訳でして、この像が我がライラントの街を復興に導いたオーバル神父の銅像です。およそ二世紀前の出来事でした」
 青と白の抜ける様なすがすがしい空の下、饒舌な中年ガイドが、ふくよかなカイゼル髭を揺らしつつ、誇らしげに解説していた。
 場所は役所前の緑地公園。
 なだらかな丘の芝生と石畳が美しい螺旋を描くその丘の上に銅像は建っていた。
 周囲に輪を作る観光客は口々にほう、と感心したり、友人同士であれやこれやと感嘆の言葉を投げかけ合っていた。
 ライラント。
 今では、歴史と共に衰退していた古式ゆかりの祭を幾つも復活させる事で主要な産業を観光へと切り替え、大きく成長した都市である。
「すごいねー。街を復興させた人が、商人さんでも地主さんでもなく、普通の神父さんだったなんて。しかも若いの」
 栗色のポニーテールを揺らした少女が目を丸くしながら、しおりの挿絵とブロンズ像を見比べている。
「その発想の柔軟さ、見習うべきものがありますわ。どんな方でしたのかしら?」
 金の長髪を風に揺らす少女も感心しきりと言った表情で像を見上げている。
「うーん、この銅像、古くなっちゃって全然顔分からないもんねー」
「しかも、何か長髪っぽいですわ」
「いるのかな、そんな神父さん」
 あれこれと話している最中に、ガイドが再び声を上げる。
「では、ここからはしばらく自由行動となります。夕刻の鐘を目処に、一度宿へお戻り頂けます様、お願いいたします。まぁ、街はお祭りですから、絶対などと無粋な事は申しませんのでその点はお気になさらず。何なら、このままこのライラントに住んでくださっても構いませんよ」
 人々から笑い声が響く。
「所在確認の為のホテルのチェックインだけはお忘れ無く」
 ガイドはそこまで言うと、自分からいの一番でそそくさとカーニバルの喧噪の中へ消えてしまった。
 どうやら、解説していた本人自身も祭を心から楽しみにしていたらしい。
 少女達の周りにいた人々も、やがて目星を決めたのか、それぞれ散り散りとなり街のパレードに溶け込んでゆく。
 像の前には、二人の少女が取り残された。
「さて、どうしようか? ウイッチ」
 少女の目の先に立つ少女。
 背は声をかけた少女より幾分小さく、幼さは残るがその表情は凛としており、一見隙がない。
 ウイッチ。
 魔導士の卵にして魔導薬に関するエキスパートである。
「わたくしの観光計画はばっちりですけど、アルルさんは、見たいところありますの?」
 対して、逆に問いかけられた少女は、ウイッチと呼ばれた少女より背は高いが、その顔つきは柔らかく、表情とかではなく、雰囲気そのものに彼女以上の幼さを滲ませていた。
 アルル・ナジャ。
 同じく魔導士の卵であり、勉強嫌いの癖を直せば、もう少し才能の芽が出そうな少女。
「んー…今やっている精霊光臨祭ってさぁ、色々な仮装パレードも有名なんだよね?」
「正確には、本日は前夜祭ですわ。このお祭りは十三年毎の二日間のみですが、毎年今の時期の二ヶ月後に行われる聖体節もなかなかのものらしいです。けど、やはり今日明日の二日間で行われる仮装パレードが一般観光客には一番のイベントですわね。まぁ、わたくしにはもう一つ、メインイベントがありますけど」
 ウイッチは読み込んで角が丸く反ってしまっているパンフレットに視線を落としつつ、周囲を見回す。
 目に飛び込むのは、歴史ある建物と色とりどりの山車や仮装者。
 そして耳に響くはオルガンや弦楽器の、素朴ながら壮大さも併せ持つ深いメロディー。
 更に、それを取り巻く観客の歓声や拍手。
「ああっ! やはり素晴らしいお祭りですわっ! うふふふっ。アルルさん、わたくし、わたくしが生まれた年にこのお祭りがあった事をおばあちゃんに聞きまして、それ以来ずぅっと十三年後を楽しみにしていましたの」
 ウイッチは嬉しさのあまり、ダンスを踊っているかの様にくるくると回る。
 そっか、前回のお祭りは、はボクが幼稚園の時にあったんだ。
 アルルが改めて十三年毎という周期に感心する。
 紫のスカートがパラソルの様に舞い、金の髪が少し遅れてゆったりと渦を巻く。
 その姿はお世辞ではなく妖精のダンスの様に可愛らしく、一瞬芸かと思わせる程であった。
 それを見た街の人から、思わず注目と微笑みを引き出す程に。
「パレード、どこでやっているのかなぁ? 今もあっちこっちに仮装している人が居るから、よくわかんない」
「今はメインストリートを移動中の筈ですから…多分、大騒ぎが起こっている場所がきっとそうですわ」
「うん! 行こう!」
「あ、ちょっとアルルさ…ひ、引っ張ったら危ないですわ!」
 ウイッチはアルルに手を握られ、引きずられる様にして人混みの中に消えてゆく。
 迷惑そうにしつつもきゃあきゃあと楽しげな黄色い声が響き、やがて像から一団が離れていった。
 そして、入れ替わる様にして別の団体が像の前に群を成し、再び団体を引率するガイドが口上を始める。
 オーバル神父の像の頭の上に鳩が一羽とまり、低い声で鳴きはじめた。
 乾いて停滞していた空気に、少し湿り気を含んだ風が心地よく吹く。
 空は、抜ける様に青かった。

 二人は程なくして鼓笛隊の音を頼りに仮装パレードを発見する。
 十三名程の太鼓、笛、ラッパによる賑やかな音楽に続き、姿も形も色も、実に様々な仮装に身を包んだ人々がぞろぞろと続いていた。
「うわ、すごいね…」
「何と言いますか、人とか魔物とか、そう言う区切りが意味無い程の雑多さですわ。感動ですわ…」
 仮装パレードにはマスクを付けただけのお手軽仮装から、衣装、メイクに至るまで何時間掛かったのか分からないものまで様々。
 更には、数は少ないが亜人種や魔物までもが人々に混じって仮装を行っている。
 この祭の規模の大きさを物語る光景だ。
 その時。
「闇の魔導士様だぞ〜!」
「ゑ!?」
 二人は息を呑み、弾く様に振り返る。
 だが、そこにいるのはガーゴイルの様なマスクをすっぽりと頭から被って、両の手には剣と杖を持ち、そして体にはぼろぼろにすり切れさせたローブを着込んだ仮装者だけだった。
「今…」
「あの方?」
 声と共に仮装者はパレードから外れ、見物していた子供達に向かってふらふらとよろめきながら、大げさな身振りで襲いかかる真似をする。
 ある子供はきゃあきゃあと喜びながら逃げ、回り、またある子供は本気で泣きながら親に向かって一目散に逃げ出す。
 周囲は笑いに包まれた。
 そして闇の魔導士は程なくして仮装パレードの一部へと戻り、雑多な仮装者達に紛れ、消えた。
 二人が、まるで時を止めたかの様にそれを見送り続ける。
「…闇の魔導士って、そんな有名だっけ?」
「さ、さぁ…? で、でも、確か違うと思いましたわ…」
 二人はきょとんとして、パレードに紛れ消えた仮装者を目で追っていた。

 自分達が住む街が、世界で一番闇の魔導士の名を聞ける街と思っていた。

 そう思うのは当然である。
 闇の魔導士とは、一般に言えばマイナーなおとぎ話に出てくる悪い魔女よりも知名度が低く、逆にその存在を認知している識者は識者で、揃ってその名を口に出すのも恐れる。
 闇の魔導士とは、極端にその存在意識が分かれる存在なのである。
 闇の魔導士の存在が祭のパレードに出る程に公になっている街など、二人は見た事も聞いた事も無い。
 今見た仮装者の姿こそただの悪魔だったが、その名は間違いなく聞いた。
 しかも、単なる名前の偶然ではないと確信出来た理由は仮装者が持っていた剣。
 それは、ただの切り出しでこそあったが、きちんと刀身がガラス製だったのだ。
 古今東西を見回しても、闇の魔導士の名とクリスタルの剣、この二つがペアになった存在など、他に有りはしない。
「…ウイッチ」
「ええ、アルルさん…」
 二人は、この街に自分達が来たのは偶然ではない、そう確信してにわかに沸き立っていた。

 …のだが。
「おまちどおさま」
 白のブラウスに青いタイトスカートの制服を着たウェイトレスが、二人が座るテーブルの前に、ごとり、と嫌に重量感のある音を上げた豪華なパフェを置く。
「とは言ってもさぁ」
 時刻は三時を回っている。
 二人はオープンカフェで精霊光臨祭期間限定特製パフェ・オ・ショコラに楽しく舌鼓を打ちつつも、その表情を微かながら落胆させていた。
「わたくしたちに、特に何が出来るという事も無いのですわ」
 溜息が二つ流れる。
「ね、ウイッチは他に何を見たいの?」
 パフェに刺さったウェハースをパリパリとかじりながらアルルが問う。
 アーモンド入りで香ばしいそれがアルルは気に入った。
「えーと、この地図の歴史博物館に、ライラントのものでは無いのですけど、七百年も前に寄贈された素晴らしいステンドグラスを初めとした、様々なガラス工芸品があるらしいですわ。それも見たいですわね」
 ウイッチは真っ赤なチェリーを口で転がしながら答えた。
 無駄と悟った事に時間を割くのは愚かと、二人は気分を切り替える。
「へー、それって綺麗?」
「勿論ですわ」
 その時。
「!?」
 二人の意識が一瞬、頭の外に飛ぶ。
 不意に二人が振り向いた先。
 道行く人々の雑踏の中に一瞬、背の高い銀髪の青年が見えた気がした。
 だが、瞬きする間にもうその姿は見えなくなってしまう。
 雑踏は一瞬の停滞もなく続いていた。
「…気のせい、だよね? さっきの仮装のせい、だよね?」
「…ですわ。これは聖なるお祭り。失礼ですけど、あの人の職業とは対極ですもの」
「だよ、ね」
 二人は再びパンフレットに目を落とし、改めて気分を切り替えてあれやこれやと行動の予定を立て始める。
 結局それ以後、二人には日が落ち始めるまで祭や珍味、大道芸を楽しむ以外、特にこれと言った事象は起きなかった。
 時折、何故か人々に不思議な視線で見られる事以外は。

「おめでとうございまぁすなのー!」
 ハンドベルの甲高い音と、もももの声が空に響く。
「え? え? 何? もしかして、カレー一年分、当たった?」
 ハンドルを握りしめたままアルルが目を丸くする。
「ちがうのー。特賞大当たりなのー! 誰もが一度は行きたい有名観光都市、ライラントで十三年に一度しか行われない精霊光臨祭ご招待大当たりなのー! すごいのー!」
 申し訳程度に付いている手をぶんぶんと振り、もももが当選を祝う。
「ふふふ…おめでとうなの…ふふふ…」
 もももの祝福に続き、ふふふも表情のない瞳でアルルを祝った。
 周囲の人々からはおお、と歓声が沸く。
「えええっ!?」
 その日、アルルは街の商店街で福引きを引いていた。
 毎年恒例、商人ギルド主催バーゲンセールに付随するイベントであり、商品の安さも手伝い、いつも福引きは大盛況である。
 参加賞はらっきょう一粒から、特賞は豪華ペア旅行といかにも福引きらしい商品。
 だが、アルルは特賞の旅行よりも、三等の商人組合特製『お店に出るより美味しいまかないカレールー』一年分を狙っていた。
 何故なら、今も自宅で寝ているか踊っているかしているであろう、オレンジ色をした軟体生物の食料としてそれは最適であり、第一例え特賞を貰ってもペアでは多分行けないと自分で分かっている為である。
 あの朴念仁が、一緒に行くって頷くとは思えないもんねぇ…。
 アルルは溜息を付きながら、真っ赤なドラムのハンドルを回し始めたのだった。
 少し後。
 福引き所の喧噪から離れたアルルの手には、買い物袋と一緒に、達筆で書かれた熨斗紙が収まっていた。
 ブラウンの瞳が空を仰ぐ。
 さてどうしようかな。
 雲一つ無い青い空は、意味もなく勇気を胸に抱かせてくれる。
 貰ったからには行かなきゃいけないし、どうせ行くなら楽しまなくちゃ。
 楽しむ為にはやはり…。
「……」
 アルルは意を決し、かじり付いてでも首に縄を掛けてでも一緒に行こうと心に決め、某闇の魔導士が住む家へと向かった。




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