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魔導物語 三月三日の野望 中編
 
 
 
  三月一日
 
 昨日と比べるとやや花曇の日だった。
 しかし、空の雲はそれでも重々しくはない。
 むしろ、これから咲く花を暖めようとでも言いたげな暖かさと、適度な光量に落とした軟らかい日差しを提供している様に思える。
 
 ここはとある遺跡。街からやや離れると、それだけでも空は明るくなっている。
 先祖伝来の秘宝や伝承といった遺産が眠るこの遺跡。
 ある少女は、それを守る巫女として生きている。
 いい加減とか意識が薄いとか言う訳ではないのだが、生来の性格なのか天然なのか、とにかくうっかりが多くて、一族に冷や汗をかかせる事が多々ある。
 そんな少女の名前はチコ。
 彼女が守を勤める遺跡に、ほんのり暖かい風と共に梅の花びらが訪問してきた。
「あ、きれい…」
 遺跡の上、短い草の生い茂る斜面の上で日向ぼっこしていたチコは、たった一枚の梅の花びらに惜しみない賛辞を送る。
 そのたった一枚は、それでも充分に美しかったから。
「えっと、何の花びらだったかな?」
 
 梅だ。
 
「え?」
 チコは辺りを見回した。
 今、確かに誰かが答えてくれた。
 だが、周囲には誰も居ない。
 元々見晴らしのいい丘にある遺跡だ。
 加えてチコは、亜人種特有の感覚の鋭さを持っている。
 普通、狐や狼みたいな気配を隠すのが得意な動物が寄ってきても容易に察知できる程にそれは強力。
 だが今は、声をかけられても尚把握できない。
「…誰?」
 だが、その声に対してチコは特に不安も嫌悪も覚えなかった。
 優しく、穏やかな声だっから。
 そして、どこかで聞いた事がある様な気がするのは気のせいだろうか?
「よっと」
 チコは、視界を広げようとして、遺跡の高みから更に突き出した柱の上に登る。
 天を突けとばかりに伸びるその柱。
 元々何の為に立っていたかは一族でも誰も知らない。
「…あ、あそこだ」
 視界には、大きな紅い森が広がる。
 視界一面の梅だった。
 森で風がなびくたびに、紅い花の海は様々な光を反射して柔らかく輝いた。
「綺麗だな…」
「チコー!」
 足元から声がした。
「あ、アルルさん」
 チコは建物で言えば三階は優にある柱から飛び降りた。
「わ!?」
 アルルは、見慣れているとは言えその大胆なダイブに一瞬目を被う。
 普通は降りられない高さだ。
「よっと! アルルさん、こんにちは!」
 チコは何の事もない、と人懐っこく笑った。
「うん、こんにちは。ちょっと遊びに来たの」
 そんな二人の間に、また花びらが一枚散る。
「あ、そうだ。アルルさん、今って、梅が満開なんですね」
 花びらを手に受け止め、チコは楽しそうに言った。
「うん、ボク昨日、公園に行ってきたんだけど、すっごく綺麗だったよ」
「いいなぁ…。わたし、この遺跡を守る巫女だから、めったに他の所に遊びになんて行けないから…」
「しょっちゅう抜け出してるじゃない」
「あう…」
 チコが身も蓋も無い切り替えしに、ふにゃふにゃと萎える。
「あはは、まあ、それはいいとしてさ、今、お祭最中だけど、チコは行かないの?」
「えーっと…行きます! 今はちょっと無理だけど、折を(隙を)見て」
「うん。ボクもまた行くから、その時会えるといいね」
「はい。…あ、アルルさん」
「ん?」
「さっき、わたしに何か話しかけました? わたしが柱に登る前」
「え? ううん。ボクがチコを見つけたのは、柱に登っていた時だよ」
「…やっぱり、そうですよね」
「ん?」
「いえ、いいんです。空耳かもしれないし」
「誰かに会ったの?」
「…よくわかんない」
 チコは両手で頬を包み込み、うーん、と首をかしげた。
 ふさふさした軟らかい毛の生えた耳がかすかに動く。小動物を連想させるその仕草がアルルは好きだった。
「ふうん…」
 二人は丘の上で不思議な問答をしていた。
 ふと、金属の音が聞こえた。
「ん?」
「あ、ラグナス!」
 アルルは手を振った。
「やあ」
 遺跡の下の街道を彼は歩いていた。アルルの声に気が付くと、道を外れて丘を上がってくる。
「どうしたんだ? こんなところで」
「チコとお話していたの」
「こんにちは」
 チコはぺこりとおじぎした。
「こんにちは」
 ラグナスも軽く挨拶する。
「ラグナス、どこ行って来たの?」
「二つほど離れた街に魔物が現れてな、依頼を受けて退治に行っていた」
「そう、どうだった?」
「もちろん倒した。残念ながら、説得が通用する奴じゃなくてな」
 ラグナスは、ほんの少しだけ瞳に哀しさを含ませて笑った。
「そっか。仕方ないね」
 アルルも何となくそれを感じ取る。
 彼が魔物とは言え倒すのを好む人物ではないのは、誰でも知っている。
「ラグナスさん、あの、今ここを通ったんですよね?」
「ああ」
「この花びら、わかります?」
 チコはさっきの梅の花びらを見せる。
「…えっと、なんだっけ? 桃? 桜、じゃないよな?」
「あ、別にいいんです。質問したかっただけですから」
 やっぱり違う。
 チコは心のどこかでそうだと思っていた自分に自信を持った。
「? そうか?」
 ラグナスは何となく笑った。
「誰だろうね」
 アルルはチコに呟いた。
 
 そんな三人の周りには、風で運ばれてきた梅の花びらがちらちらと舞う。
 春頃には、今は寂しいこの丘も新緑が青々と茂るだろう。
 それに備えて、今は土の下で力を蓄えている草達。
 そんな草達を応援したい、とでも言う様にして、花びらは舞っていた。



  三月二日
 
 季節を感じるのは、何も地面から上ばかりではない。
 水の中にも、季節の移り変わりは敏感に伝わっていた。
「甘い香り…。梅の香りね。もう、そんな季節なんだわ…」
 澄んだ湖面の様に青く美しい髪を持つうろこさかなびと。セリリは、清流が運んでくる梅の花の香りを感じて微笑んだ。
 ぱちゃりと水面が波紋を作る。セリリは、清流から顔を上げた。
「…わあ」
 視界に広がるのは、紅い綿の様に花を咲かせる梅の道。そして、雪のように舞い散る花びら。
 川沿いに並木道となって列を成す梅の木は、視界から消えるまでずっと同じ風景を繰り返していた。
 それでいて同じシルエットの木はただ一つとて無く、無限且つ唯一の木々の波は滑らかに融合して景色を飾っていた。
「すごい…」
 セリリは、しばらくの間川の流れに身を任せてみた。
 
「…今日もいいお天気ですわ」
 大きな梅の木の根本。
 そこに背をもたれて本を読む少女がいた。
 周囲も見渡す限りの梅の木の林。
 少女の周囲は人気もなく静かだが、よく耳を澄ませば遠くで梅を肴に楽しんでいる人々の声も聞こえる。
「ホントは、まったく静かなほうが好きですけど…仕方ないですわね」
 そう言って金髪の少女、ウイッチはくすりと笑った。
 と、突然強い風が吹く。
「あ」
 ウイッチは髪とスカートを押さえて目を瞑る。
 いたずらな突風はすぐに去り、やがてウイッチは目を開けた。
「…あっ!」
 本の間に差していたしおりが無くなっていた。
「…飛ばされてしまいましたの? お気に入りでしたのに…」
 それは少し前に、魔導実験によって自分で作り出した薄いガラス質の板を加工したしおり。
 偶然の産物だったのだが、柔らかくて、少しひねると偏光で七色に輝くそれはウイッチのお気に入りだった。
「同じ物、作れますかしら…」
 がっくりするウイッチ。
 と、頭に何かがぽとり、と落ちた。
「え?」
 ウイッチはきめ細やかな金髪に着地したそれを手に取る。
「あ!」
 それはしおり。
「うそ…」
 ウイッチは喜びと驚きでいっぱいだ。
 そして、同時に何かを感じる。
「?」
 誰かが、去っていく様な気配を感じたと思った。
 しおりに、不思議な暖かみを感じた気がした。
「…妖精さん?」
 ウイッチが不思議で嬉しい経験に幸せな気持ちになる。
 微笑んだ顔の頬は、梅に負けないくらい、ほんのりと染まっていた。
 
 空の青と梅の紅が美しい景色となって視界を奪う。
 ゆっくりと流れてゆくと、無限に移り変わるコントラストが自然のなしえる芸術となり、どんな偉人でも描けない様な世界を惜しげも無く提供し続ける。
「……」
 セリリは、夢うつつだった。
 水面に落ちた花びらを指ですくう。
 水に濡れ、色を濃くしてより存在感を増した花びらは、髪につけるだけで上等なアクセサリーになりそうだった。
 と、彼方から人の声がし始める。
「!」
 セリリは、ばしゃっと身を起こす。
穏やかだった水面が慌しく波紋を作った。
「…ひ、人」
 その声は、音程の外れた歌だったり、何を言っているか分からない怒鳴り声だったり、笑い声だったりした。
 セリリは、本能的に身をすくめる。
 セリリ達魔物の領域たる森の奥から大分外れてしまったらしい。
 よく見ると周囲の木々も先程よりまばらになり、川は流れを微かに緩ませている。
 ここは丁度人と魔物の生活圏の境目だろう。
 セリリの心臓は怯えを表すかの様に心拍数を上げ、水の中に居ると言うのに、妙に喉が渇いた気がした。
「…で、でも、逃げてばっかりじゃ駄目…」
 セリリは、怯えて心のひだに逃げ込んだ勇気を押し出す。
「ふ、普通に…。普通にしていれば…。それに、何か言われても、そういうのって口から出任せの他愛のない事だって…」
 とある朴念仁が言った言葉を勇気の源に、必死に今と対峙するセリリ。
 彼女は、流れに逆らわずにゆっくりと川を下る。
 声は、もう間近だ。
「…も、もしかしたら、そんなに恐くないかも…」
 セリリは、何とかいい方向に転びますようにと願う。
 やがて、川辺で宴会を開く十名程の人が見えてきた。
 それにあわせて、向こうもセリリに気付く。
「お?」
「ん? なんだよ?」
「あら!」
 数名が気付く。
「!!…」
 セリリは、水に潜ってしまいたい感情を必死に押さえた。
「…あ、あの、こ、こんにちは…」
 自分から挨拶する。これだけでも成長だ。
 宴会連中から、女性が一人前に出た。
「こんにちは。こんなところで人魚さんに会えるなんて思わなかったわ」
「あ、は、はい。そうですね…」
 セリリはおずおずと、しかし、一生懸命に応対する。
 幸い、他の連中は最初に感心を示したきり特にどうともなかった。
 セリリは、このまま帰れるかと思っていたのだが。
「おう、そこのねーちゃんよ、こっち来てのまねーか?」
 一番酒が入っていると思われるビールっ腹の中年オヤジが、声を投げかけてきた。
「え、ええ? わ、私ですか…」
「他に水の中に誰がいるっての」
 周りの男は、よせ、と言いつつなだめようとしているが、当のオヤジはまったく道徳観念を見せよう等とは思っていない。
「ほら、こいって。おめー、なんか踊れねーのか? あん?」
 本当に典型的な酔ったオヤジだ。飲んで(しかも下劣な方面の)トラになると言うオヤジだった。
「わ、わた、私…ご、ごめんなさい、出来ません…」
 ふと、セリリの近くに酒の瓶が飛んできた。
 ばちゃり、と無粋な水音が立つ。
「きゃっ!」
 セリリは頭を抱えて怯えた。
 周りの男達は流石にもうよせ、と抑えようとしている。だが、所詮は同類かあまり力は入れていない。
「魔物のくせに…」
 オヤジは、人として許されざる科白を吐き出した。
「……」
 絶句。
 セリリは心臓が止まるかと思った。
 次の瞬間。
 突風が吹いた。いや、そこにあった物が無くなり、穴埋めにと空気が吹き込んだのだ。
 その衝撃も手伝い、セリリは頬に光るものを残して気を失った。
 
「セリリさん!」
 気が付くと、目の前にはウイッチが居た。
「…ウイッチさん」
 セリリは、尾ひれを水に浸して、上半身はウイッチの膝に抱かれていた。
「良かったですわ」
「あ、あの、ありがとうございます」
 セリリはまだ意識が朦朧としているが、とりあえず礼だけは言えた。
「いえ。当然ですわ」
「…すいません、あんな事までしていただいて…。あ、あの人たち、どこへ?」
「はい?」
 キョトンとするウイッチ。
「…あの、私に絡んできた方を、どこかに飛ばしていただけたんじゃ…?」
「わたくしは、魔導力を感じてここに来たのですわ。そしたら、あなたが岸辺にもたれかかる様にして倒れていたんですのよ」
「…?」
 セリリは、川の真ん中で気を失った筈だった。
 セリリはもちろん、ウイッチも訳がわからずに、お互いただ謎で頭を埋めるしか出来なかった。
「…まあ、あなたを誰かが守ってくれた。それで良しとしましょう」
「そ、そうですね…」
 強烈な力を感じた。
 しかし、それは守る為の力。
 暖かな力。
 セリリはそれを感じた。
「ウイッチ! セリリ! なんかあったの?」
 アルルがやって来た。同じく、力を感じたらしい。
 二人は、事の経緯を話す。
「それって…」
 アルルは、数キロ先の大川に、いきなり人が十人程降ってきたらしいというおかしなニュースを話す。
 怪我もないとの事で、セリリは何となくホッとした。
 その上で。
「…ふーん。君たちもかぁ…」
「え?」
「んーん。別に大した事じゃないけどさ…」
 自分には無いのに、周りの子は確かに感じている。何かに見守られている。
 妖しいと言うより何より、自分には? と言う感覚が優先した。
 どうして…だろう…?
 自分の中の何かが、疑念よりも寂しさを訴えている。
「……」
 アルルは何となく、彼女達から意識的な疎外感を覚えた。
 
 川の周りでは永遠の時があるかの如く満開の梅がほころぶ。
 三人は、何か不思議な空間に自分達が迷い込んだ様な錯覚に陥る気がした。
 そよそよとした柔らかな風が笑い、梅の花びらは彼女達への微笑みを代行するかの様に空を泳いでいる。
 明日は、雛の節句だった。
 
 
 

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