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魔導物語 三月三日の野望 後編
 
 
 
   三月三日
 
「…恐ろしく場違いな組み合わせだ」
 シェゾは溜息と一緒に呟いた。
「まあ、な。梅の花が満開のこの時期、男二人で花吹雪の中を歩くってのはかなり勇気が居る」
 ラグナスも、そう言って空を仰ぐ。
「…って、第一お前が俺を誘ったんだろうが」
 ラグナスは基本的な疑問をもって、一応シェゾを問い詰める。
「まあ、意図しない人生ってのはよくある事だ」
「……」
 ラグナスは納得いかなかった。
「で、シェゾ。どこに俺をつれて行こうってんだ? まさか、本当に俺と二人で花見をしたいなんて言うなよ?」
「つれないな…。嫌か?」
 ラグナスの顔から血の気がひいた。
「冗談だ」
 シェゾは口元を吊り上げて皮肉めいた笑いを浮かべる。
「…お前、真面目じゃあ無いけど、嘘つきでも無いから恐いんだよ」
 ラグナスはやや距離をおいて、並んで歩く。
「さて本題だ。ラグナス、この祭はどうだ?」
「どうって?」
「立派な祭だろ。しかし、去年は無かった。今年、いきなり開催された祭だ」
「そうか。こんなすごい規模の祭をいきなり開くなんて、物好きが居るもんだな」
「俺は一人、祭好きで馬鹿な物好きを知っている。多分、お前もだ」
「……」
 ラグナスはちょっと考え、某暇大魔王を思い出した。
「おい、まさか…」
「でだ、皆でなんかぱーっとやろう、とさ」
「嫌な予感がするんだが…」
「そうか?」
 シェゾこそが最もそういう事に敏感に反応しそうなものなのだが、意外にも彼は平然としている。
「…何か、知っているのか?」
 ラグナスは怪しいとばかりに聞く。
「まあ、今日の服装の通り、普段着で済む程度の事だ。そう言えば、お前って鎧取ると意外になで肩だよな」
 シェゾはからかう様に言う。
「かんけーないだろ」
 ラグナスはふん、とそっぽを向いた。
「あそこだ」
 少しして、シェゾは宴もたけなわとなった会場を指差す。
「…ずいぶんいるな」
 喧騒を離れて少し歩いた場所。静かで、目を奪われるような梅の花咲く広場。
「よう」
 最初に二人に気付いたのはブラック。
「おう」
 シェゾも応じる。
 皆も気付いたようだ。口々に声をかける。
 アルル、ウイッチ、ドラコ、セリリ、キキ、チコが居た。
「シェ…」
 アルルが声を掛けようとしたところ、意識してかせずか、ブラックが割り込んで話し始める。
 それだけなら文句の一つも言って前に進めるのだが、シェゾも申し合わせたかの様に自然に会話を始めてしまう。
「……」
 アルルは、なんとなく身を引いた。
 見ていたウイッチがここぞとばかりに進むが、アルルに話の邪魔しちゃ駄目、と半ば八つ当たりのように引っ張られて、女同士の向こうの話の輪に加わる。
 セリリやチコは久々に知り合いに囲まれ、楽しそうに笑っている。
 そんな中で、ドラコは花見酒をチコに勧めようとしてキキに怒られていた。
 楽しい一時だった。
 と。
「やーやーやー! 諸君、良く来てくれた! 私の祭へようこそ!」
 そこへ、颯爽とサタンが登場した。
 しかし。
「? なにが?」
 とアルル。
「は?」
「あ、サタン様。サタン様もこのお祭気に入ったんですか?」
 ドラコが言う。
「あら、あなたも物好きですわね」
 そしてウイッチ。
 その他も、似たような返事。
「…ブ、ブラック…?」
 サタンは、シェゾと話していたブラックの肩を掴んで引き寄せる。
「気安く触るな」
「あだぁっ!」
 思いっきりサタンの手の甲をつねるブラック。遠慮無く爪が手に食い込んでいた。
「てて…。そ、それより、何で皆知らんのだ?」
 サタンはこそこそとブラックに耳打ちする。
「俺は言われた通りにやったよ。ここに連中を集めただろ。あんたが宴会やるからって」
「え、宴会はいいが…。この祭は私が…わ、私が開いたお祭と知らなければ、有り難味がイマイチ無いではないか…」
「自分で言えば?」
「んなアホ偽善者みたいなマネが…。まあいい。とにかく、多少『効果』は落ちるが、少なくともアルルに例の効果は出ているのだろう?」
「ん、まあ、ね。充分、最近の行動に疑問が出ている筈だよ」
「うむ。よし。では、準備を…」
 そんな二人の会話を傍から見て、何か不敵な笑みを浮かべるシェゾ。
「…シェゾ?」
 ラグナスは、何か妖しい裏を感じた。なぜ、シェゾは知っていたのか。そしてブラックこそ何を知っている?
 
「さて、みんな聞いてくれるか?」
 サタンが持ち寄った重箱や飲み物で、みんなは豪華な花見を楽しんでいる。そんな時に声がかけられた。
「今日はそもそも雛の節句! とくれば、何か祝い事をしなくてはなぁ?」
 サタンは改めてアピールする。
「あ、だから皆を呼んだの?」
 幸いと言うか、一番軟らかい言葉で言ってくれるアルルが質問する。サタンは嬉しい。
「そ、そーそー! やっぱりこう、女の子のお祭なのだから、こう、『特別な出来事』がないとなあ、と思ってな」
 サタンはやたらとにこにこして言う。
「そう、かな…」
 そもそも、親と住んで居る様な奴らのほうが珍しい世界。でかいわ面倒だわの雛人形を飾って楽しむと言う行動は意識されていなかった。
「……」
 サタンは、ちらりとブラックを見る。
 みんなと酒盛りをしていたブラックは、面倒くさそうに、しかし、一応自然な動きでアルルを呼んだ。
「アルル〜。ちょっと来な」
「う、うん」
 なんか場違いな雰囲気を感じるアルル。
「まあ、あれね。雛祭は女の子の幸せな将来を願う祭。こんな日は、普段はあまり意識しなかったヒトの意外な面を知って、ちょっとココロがくらりってな出来事もあるらしいよ」
「雛祭って、そんな日だっけ?」
「そんなもんだよ。でさ、あんたには、そういうのってないの?」
「そういう…」
 アルルは、ふと最近の身の回りの事を思い出す。
「……」
 アルルの瞳が、ぴくりと動く。
 遠巻きに見ていたサタンはそれを見逃さない。地獄耳を感度マックスにながら、そうそうそこだ! と念を飛ばしていた。
「うん…ある。周りに、なんか優しい人がいるのかもしれない…。でも、でも、ボクにはそういうの、無いみたいなの」
 サタンは予定通りの展開に踊り出しそうになる。
「それはね、きっとあんたが特に大切だからだよ。あんたがそう思っていいヒト、近くに居ない」
「え?」
 アルルはここ数日を思い返す。
 必ず梅の花が絡む出来事。
 
 思い出して。
 
 梅はそう言わんばかりに、二人の周りに花吹雪を煌かせた。
 アルルは少し心臓が早くなったのを感じる。
「何となくは分かるだろ? 男ってのは子供なんだよ。…アルル。俺、知っているかも。そのヒト。心当たり、あるんだ」
 普段のブラックとは何処か違う優しい雰囲気で語る。
「!?」
 アルルは驚いて興味を示す。
 ブラックは、ちょい、と手をこまねいてアルルの耳を寄せる。
 アルルは、少しためらってから、耳を寄せた。
 そうだ! それだ! その為に、為にいいいぃぃぃっ!!!!
 サタンは思い出す。この為に、今一瞬の為に、忙しい臣下に無理を言って、時空を越えたこの街に盛大な梅祭を開かせたのだ。代償として、山の様なお小言と、自分の仕事を倍以上に膨れ上がらせた。
 お陰で自由に動ける時間は無いに等しくなってしまう。
 だから自分は城から動けず、ブラックに『大事な仕込み』を託した。
 それが、今、身を身を結ぼうとして…。
 サタンは感慨に咽ぶ。
 ああ、あの本見つけてよかった…。
 
 あの本。
 サタンは六日前、書庫で一冊の古い文献を見つけた。『キュートな恋のおまじない大全』と言う本を。
 何故魔王の書庫にそんな本があるのかはさておき、サタンはとあるおまじないに目を付ける。
『自分のことを好きな女の子が居るけど、なかなか告白してくれない時。
 お雛祭限定!
 彼女が好きって言ってくれないのは、彼女に自信がないから。
 だから、キミは何時だって彼から守られているんだよってこっそりアピールしよう!
 まず、彼女の周りのお友達に対して、さりげなく優しさを見せてあげよう。
 彼女はそれを知ると、周りに優しい人がいる、と思うはず。
 彼女が不思議がってきたらチャンス!
 信用できる友達に、さりげなくキミの存在をアピールしてもらおう。
 彼女は、自分をいつでも守ってくれて、しかも周りの人まで安心させてくれるキミに気付いてくれるね♪』
 サタンは、目を皿の様にして読んだ。
 
 文章の一字一句を思い出しながら、サタンは芸術的な百面相を披露している。
 今なら、顔芸だけでオペラハウスにも立てるだろう。
 そして、そんな大道芸の行われている最中。
 ブラックがそっとアルルに何かを耳うつ。
「…!」
 アルルが目を見開いた。そして少しの間を置いて、今度は顔を赤らめる。
「……」
 ほんの少し、『……』と言う顔でアルルはサタンをちらりと見た。、サタンに気付かれないように。
 O・K!!!!!
 サタンは後ろを向いて、帽子を空に投げ飛ばしたくなった。
 よし、今こそ、仕上げの愛のおまじない(呪い)を…。
「ん、んんん…。ゴホン! アルル?」
 サタンは、人形みたいに歩いてきた。
「な、なに?」
 アルルも何処かぎこちない。かすかに染まる頬。サタンは嬉しさで泣きそうだった。
「こ、ここに、珍しい銀板写真機と言うものがある。同じ物を写し続ける鏡のようなものだ。これで、皆で雛祭に並んで、写真をとろうではないか」
 やたらと紳士な口調で離すサタン。
「ん…。い、いいよ…」
「みんな並ぶぇーーーい!!」
 サタンは神技の如き手際のよさで、皆を並ばせた。
 位置については多少女性陣がもめたが、サタンが恐ろしい程に卓越した話術で見事に丸め込む。
 アルルをお雛様に置き、お内裏様の位置を空けて、近場の丘に皆が並んだ。
 サタンはベテランツアーも真っ青の手際で写真機をセットする。
 
 サタンは再び本の一節をフラッシュバックさせる。
『そんな照れ屋さんなところを知った女の子は逆に優しく、強くなるんだ。
 さあ、次はおまじない本編だよ!
 少なくともお雛様、お内裏様を覗いて、三人官女、五人囃子分は前の方法でアピールしたら、キミが主催したパーティにみんなを呼ぼう。
 周りの人がキミのリーダーシップを認識する事が大切だよ。
 さぁ、準備は出来た?
 お雛様に習って、彼女と写真をとりましょう。
 ここで周りに並べるのは、彼女以外にアピールしていたみんなだよ。
 写真を撮るだけで二人は充分ドキドキだけど、このあと、巻末の恋の秘術を唱えると…きゃーっ!』
 後の文章を思い出すサタンの体からは、異様なオーラが立ち昇っている。
 
 銀板セット完了!
 ピント合わせ、フレーム確認!
 城には既に『魔法陣』も『薬』も用意済みだ!
「よし! …ん?」
 サタンはふと止まる。
 …どうやって自分が入ろう?
 今他に、この写真機を扱えるような奴は居ない。
「もももー。おだんごにアタリメ、ポン酒にお茶なのー」
 そこへ突如現れる商人ももも。
「!! も、もももっ! お前ならわかるな! このシャッター押せ! 命令だ!! 駄賃は弾むぞっ!」
「も、ももっ?」
 問答無用とばかりにもももをカメラに縛り付け、シャッターの位置を教える。
「とうっ!」
 サタンはデビルウイングを翻して雄々しく宙を飛んだ。
 そして、アルルの隣に、隣の空間に座って…座って…。
「え?」
 自分が鎮座する筈の空間。そこに居たのは誰でもない。
 
 シェゾだった。
 
 隣では、アルルがややぎこちなくもそっと寄り添う。
「!!!!!!!」
「あんたはここ」
 失速したサタンをブラックが引きずり落し、五人囃子の端に押し込んだ。
 更に、動けない様に後頭部を足の裏で押さえつける。
 簡単に言えば踏んづけていた。
「ももも!」
 ブラックは合図した。
「もももー」
「Waaaaaaait!!!!」
 絶叫とシャッター音は同時だった。
 
 数分後。サタンは真っ白になって大地に倒れている。風が吹いたら崩壊しそうだ。
 他のみんなは、とっくにその場を離れ、再び宴会に興じていた。
「サタン、邪魔だよ」
 ブラックは一升瓶を両手に持って向こうに行こうとして、足下に倒れていた物体に当たると無碍に言い放つ。
「…ブラック、何故…裏切っ…た…。それに、何故、シェゾ…」
 怒り心頭の筈が、敗北感がそれを遙かに上回っていた。
 声を出す度に精気が口から抜けてゆくみたいだった。
「裏切ってないよ。あんたが言わな過ぎるだけ。『アルルの身の回りで気付かれないように足長おじさんやれ、関わった連中で八人は集めろ。アルルにそれとなく私がやったと思わせろ』じゃあねぇ…。あ、おかしいと思ってさ、俺もあんたが見ていた本、見たからね。勝手に」
「…な、なら…なぜ、シェゾが隣に…。お前だって…それは…嫌じゃ…ないの…か…?」
 今にも息が止まりそうなサタンのつぶやき。
「妖しげな企みで落とそうなんて気に入らないのさ。だから今はアルルに譲ってやる。今はね。それに、俺は『仕込み』してないよ。頼んだんだ」
「…なに…?」
「シェゾにね。あいつ、恩着せがましくなく、そういうのやるの得意だからさ。快く協力してくれたよ。あんた絡みって言ったら喜んでた。で、さっきアルルに言ったのさ。シェゾの事を。これで、アルルのハートはシェゾのもの?」
「…! で、では…さっきのアルルの私に対する視線は…?」
 ふるふると気力を振り絞ってサタンが顔を上げる。
「いかがわしいホテル予約して、連れ込もうとしてるから注意しろって言ってやった」
「は、謀ったなぁぁぁ…」
 と、むくりと顔を上げようとするが。
「すけべ!」
 スカートの女性の足下で顔を上げようとするとこうなる。
 サタンは地面と熱いキスを交わした。
 と、そこへどこからとも無くサタンの家臣が現れた。
 人間界に波風を立てぬ様に地味なローブを頭から被っているが、そこから覗いている瞳は魔物のそれだ。
「サタン様。お時間は終わりです。たまったお勤めをこなしていただく」
「あ、いや、もう少し…」
 セリフも満足に喋らせず、家臣はサタンを地面から引きはがすと空間を転移した。
 哀しげな絶叫を残して。
「諸行無常」
 ブラックは、哀れそうに言いつつも目では笑って言う。
 残ったカメラを開き、銀板を取り出すブラック。
 魔法陣と薬によって両思いを達成する為に必要な要だ。
「…カーバンクル」
「ぐ?」
 並べられていたご馳走を食べ続けているカーバンクルが振り向く。
 ブラックは、銀板をお盆にして料理を山盛りにすると、カーバンクルに丸ごと投げる。
「ぐぐーーっ!」
 大喜びでブラックホールみたいな大口を開けるカーバンクル。
 次の瞬間、口をもぐもぐさせる音と、豪快に粉砕される金属音が響いた。
「これで、万が一にもおまじないは完成なしっと」
 ブラックはここで初めてふう、と大きく息を吐く。
 意外だが、おまじないの魔力はこれでけっこう信じている彼女なのだ。
 
 厄災は去り、少し離れた場所。
 シェゾとアルルは何となく二人で歩いていた。
「…じゃあ、このお祭も、最近のも、サタンの差し金…?」
 黙っておけば良いモノを、シェゾはあらかた喋ってしまった。
「ああ」
「なんで…? なんで? シェゾ…ボクに…サタンの事、好きになって欲しいの…?」
 その声はどこか震えている。
「こうやってちゃんとぶっ壊しただろ。奴をはめる為に乗ってやっただけだ。第一、そんな事間違ってもさせるかよ」
「それって…ボクを絶対に渡さないって意味?」
 アルルの表情がぱぁっと晴れる。
「……」
 何気なく言った科白だが、アルルは語意を敏感に読みとっていた。
 まずい、と思ってさっさと消えようとシェゾは思うが、その腕をつかんで離さないアルルがいる。
 
 男ってのは子供。
 
 アルルは思い出す。
 ブラックの先程の言葉、ここだけは彼女の本心だった気がする。
 今なら、頷ける。アルルはそう思った。
「ねえ、ボクも一つ、素敵なおまじない知っているよ」
 アルルは普段の明るさに戻って言う。
「どうせ奴のと同じレベルだろ? ほら、相手の背中を見詰めておかしな呪文で呪うとか、髪拾って呪詛かけるとか言う…」
「シェゾ、ちょーっとヘンケン入っているよ」
「そうか?」
「まあ、男の子から見たら他愛のない気休めなのかもしれないけどね…。でも、そこまでして女の子に想われるのって嬉しくない? それに、女の子自身も結構楽しいんだよ」
「楽しい?」
「そう、もちろん意中の男の子に向けてのおまじないが本体だけど、そういう不思議な力っていうもの自体に、女の子ってあこがれるんだ」
「…そういうもんかね」
「うん、ボクもそうだよ。魔女って憧れるじゃない?」
 お前は事実『魔導士(の卵)』だろうが、とは言わないでおいた。
「でね、ボクの知っているのはね、やっぱりこの季節用のなの」
「春用、か」
「そ。梅とか桜とか。まあ、まったく知らない人だと駄目なって言うか出来ない方法なんだけどね。これは、ある程度知り合い用のおまじない」
「条件付きか…面倒だな」
 おまじないの類とは言え、制限が入ると途端に現実味を帯びる気がする。
 シェゾはむしろ耳を傾ける気になった。
 魔導と同じで、なんでもありでは面白くないと彼が思っているからかも知れない。
「でね、えっと…梅の花びらって、一応食べても大丈夫だよね? ほら、お茶とか、お酒に浮かべたりとかするでしょ?」
「ああ」
「…だから、平気だからね?」
 アルルは、もじもじとうつむきながら言う。
「何がだよ」
 アルルは、周りを見渡すと、丁度近くを舞っていた梅の花びらを一つ、手にとる。
 それはふわりとした控えめで美しい桃色。
「梅の、花の…花びらの色はね…女の子の、唇の色なんだよ…」
 呪文を唱えるみたいな、唄うような口調のアルル。
「で、こうやって…」
 アルルは、花びらを自分の唇にそっと押し付ける。
「?」
 シェゾは何が始まるのかと興味深そうに静観する。
 と、アルルはシェゾが身を屈めたのを見計らって、突然花びらと一緒に自分の唇をシェゾの唇に押し当てた。
 
 二人の時間が止まる。
 
 舞い散る花びらすら、一瞬動きを止めた様な気がした。
 シェゾの両腕にしがみつくみたいにしていたアルルが、ゆっくりと唇を離した。
 シェゾの唇には、アルルの唇から離れた花びらがくっついている。
「で…でね、それ、ぺろってして…」
 シェゾは思わず言う通りにする。
 唇に張り付いていた花びらはもう彼の口の中だ。
「これで…ね? もう、ボクは…ボクの唇はね…シェゾのものなんだよ…」
 アルルは真っ赤になってそう言うと、一目散に走り去ってしまった。
「……」
 シェゾは花びらを飲み込んだ自分を確認した。
 まじないで大切なのは、効果よりも何よりもまず、信じる心だという。
 彼は、おまじないのもつ力の大きさが少し理解出来た気がした。
 そんなシェゾの周り、花吹雪は妬き餅を妬いたみたいに周囲を舞っていた。
 
「つーか、あれって『おまじない』かい?」
 ブラックは少し離れた木の陰で、今のやりとりをしっかり見ていたりする。
 
 
  三月三日の野望 完
 
 

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