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魔導物語 さくらよさくら 第三話



  夢想

 そんな事ないって、分かってますよ。
 ハーピーはシェゾの横に並んで座り、柔らかく微笑んだ。
「助かる」
 シェゾもあらぬ誤解を招いてはたまらない、と胸をなで下ろした。
 でも、かわいいですね。
 座っていたハーピーが目線を下げると、膝の上にはまだ眠っているマンドレイク二人が並んで丸くなっていた。
 隣にはシェゾが座り、同じく膝の上にもう一人のマンドレイクが眠っている。
 でも…
「ん?」
 シェゾさん、実は本当に、どこかにお子さんが居たりしません?
「…あのな」
 思わぬ問いだった。
 だって…
 ハーピーはしおれる様に俯き、もじもじとしながら呟く。
「何だ」
 だって、外の世界では、きっと私以外の…
 悲しい様な、非難する様な瞳でシェゾを見詰めるハーピー。
 シェゾはそんな瞳のハーピーを見るのは初めてだった。
 何故ならその瞳は、その瞳の色は、所謂、嫉妬の瞳だったから。
「…えーと…」
 どうして目を逸らすんですか?
「いや、深い意味は…」
 ハーピーは、また頭を垂れ、寂しそうに言う。
 私は、殆どこの森から出ようとしないから、仕方ありませんけど、でも…。
「まて、それじゃまるで俺が外でやりたい放題みたいな言い方だぞ」
 何か、自分がとんでもない浮気者みたいに思えてきた。
 だって、シェゾさんみたいな素敵な方が、外で何もないなんて、そんな事、考えられません…。
「いや、だから…」
 困り果てるシェゾ。
 …それなら、証拠、ください。
「証拠?」
 約束でも良いです。
「約束?」
 私を、安心させてください。それが、約束です。
「安心って…」
 困ったシェゾをハーピーが見上げる。
 ちょっとで、いいんです。
「ちょっと?」
 その言葉に振り向くと、先程の儚げな表情とは打って変わった妖艶さを漂わせた表情のハーピーが居た。
 お願い、聞いてください。
 触れば消えてしまいそうな儚げな、普段の彼女ではなかった。
 ハーピーは体をすり寄せ、おでこをシェゾのほほにすり寄せる。
 甘い香りが鼻腔をくすぐり、瑞々しく、吸い付く様に艶やかな肌が服の上からでもその感触を伝える。
 今、目の前で甘えた科白を呟くのは、美の女神ではない。
 美の化身。
 美の魔物と言う言葉こそが、恐ろしくも最も似合う、美しき魔性の女だった。
 シェゾさん。
 顔を上げたハーピーはそう言い、そっと瞳を閉じる。
 シェゾの顔の下には、眠る様に瞳を閉じているハーピーの顔。
 まるで全てを任せたかの様な、眠っているかの様な表情。
 吸い寄せられる様な甘い表情だった。
 普段のハーピーからは想像も出来ない、嫉妬の表情、そしてそれが自分に対してであるという事実。
 シェゾはハーピーのその表情、心情にとてつもない魅力を感じていた。
 シェゾはそれに抗う事無く顔を近づける。
 二つの唇が重なった。
 自惚れではないが、彼は人を骨抜きにする事こそあれ、骨抜きにされる事は皆無の筈だった。
 だが、シェゾは正直今、腰が抜けかけている。
 ハーピーの魅力、いや、この場合魔力と言うべきだろうか。
 とにかく、その恐るべきと言える抗えぬ力を、身をもって味わった瞬間だった。
 最も、それは恐るべき『快楽』という名詞が付属するが。
 初めてではないと言うのに、この不慣れ故のぎこちなさ、それを隠そうとする懸命さも、シェゾの感情を巧みに刺激する。
 まるで、そうする事が男を引き寄せるのだと分かっているかの様に。
 必死に唇が離れない様に顔を上げているハーピーの様子が尚の事いじらしくて愛おしく思える。
 シェゾはその露出した肩に、吸い付く様な肌に手を触れ、抱き寄せようとした。
「あ、ちゅーしてる」
 瞬間、シェゾは冷水を被る。
 はっと目を開けたハーピーは、対照的にトマトの様に顔を染めていた。
 二人は、同時に目線を下げる。
「こいびとなんだ」
「…けっこんしているのかな?」
「きっとそうだよ」
「…何時、起きた?」
「ちょっとまえ」
 にっこりと微笑むアウル。
 そこには、三者三様で興味津々に輝く瞳で、二人を熱く見詰めるマンドレイク達がいた。

「おねえさんがぱーぴー?」
 ルミルが問う。
「ハーピーだ」
「…はーぴー」
 ハーピーはにっこりと微笑み、そうよ、と頷いた。
 満開の桜が舞い散る森。
 その開けた場所でシェゾとハーピー、マンドレイク三人は輪になって座っていた。
「あの、あの、ハーピーさん」
 アウルがおずおずと話しかける。
 エルはアウルの背中にしがみつき、じっとハーピーを見詰めている。
 子供にでもハーピーの美しさは分かるのだろう。
 頬が微かに染まっている。
 そんな様子を見て、ハーピーは何? と首をかしげた。
「わたしたち、この先の…えーと、なんだっけ?」
「たいじゅのもり」
 エルが背中からそっとフォローを入れる。
「あ、あの、たいじゅのもりから、来ました。わたしは…」
「赤い花のくせっ毛がアウル。青い花の黒髪がルミル。ちょっとちっこい白と赤の花の、ボブがエルだ」
 シェゾがさらりと代弁する。
 どうぞよろしく、と微笑み、ハーピーは小鳥の様に首をかしげた。
「……」
 三人があっけにとられてシェゾを見る。
「何だよ」
「なんでしっているの? いま、はじめてじこしょうかい…」
「さっきまであれだけお互いの名前呼び合っていただろうが。さっさと本題に入れ」
「あ、うん…。あのあの」
 今度はシェゾに向かってもじもじと口ごもる。
「ん?」
「お兄ちゃんのなまえは?」
「…シェゾ」
 味も素っ気もない自己紹介。
 だが。
「…しぇぞ。シェゾ」
「しぇぞ」
「シェゾおにいちゃんだ」
 三人は実に満足そうにその名を繰り返していた。
「で?」
 もう目的を忘れかけている三人に、目線で話を促す。
「あ、うん。えと、わたしたちのともだちに、ファルっていう子がいるの。その子の花が…もうすぐ咲きそうで…」
 三人の顔があからさまに曇る。
「いい事だ。マンドレイクの花は咲いてなんぼだろ?」
「うん、わたしたちだけなら…そうなんだけど…」
「ファルって奴もそうじゃないのか?」
「ま、マンドレイクだよ! ファルだって! マンドレイクだけど…ちょっと、ちょっとだけ、ちがうの」
 その声はみるみる力を無くしてゆく。
「何が」
 シェゾの隣で、ハーピーも不思議そうに首をかしげる。
「あの子…あの子、花が咲くと…」
 ルミルとエルが、俯いて堪らず耳を塞ぐ。
「花が咲くと…し、死んじゃうの」
 アウルは絞り出す様な声で呟く。
 シェゾが何? と眉をひそめ、横のハーピーは、はっと息を呑む。
 一陣の風が吹き、桜の花びらを無数に散らせる。
 二人と三人は、誰も動く事なく、淡い桜色の風に髪を揺らしていた。

 数刻後。
 シェゾとハーピーは、マンドレイク三人を連れ、桜の森を歩いていた。
 普段ならば春の命に満ちた世界。
 だが、今だけはこの美しい桜の森に舞い散る花吹雪が切ない情景に見えていた。
 桜の木の下には死が眠っていると言う。
 死は力。
 悲しきその力が桜の木に力を与え、それ故に桜の木は美しく咲くと言う。
 今だけは、苑はなしに頷く事が出来る。
 シェゾは大きく溜息を付きながら、桜の森を歩いていた。
「重くない?」
 シェゾの頭の下から、控えめな口調で問う声が聞こえる。
「…いや」
 遊ぶ時のパワーは無尽蔵とはいえ、険しい山道を歩くのはやはり小さな彼女達には無理があったらしい。
 一番小さなエルをハーピーが抱き、アウルとエミルを、シェゾがだっこにおんぶで運んでいた。
「何時から花が咲き始めた?」
 シェゾが、顔の前にいるアウルに問う。
「えと、四日前。あそんでいる時、気がついたらファルのぐあいがわるくなっていて、それで、その時、あたまのうえのつぼみが、すこし咲きはじめていたの」
「それから?」
「まえから、ちょっとからだは弱かったの。でも、それから…花が開きかけてから、ますます弱くなっているみたい…。前はふつうに走る事はできたのに…。でも、もう、あるくことも大変そうになってきているの」
 切ない声。
 その悲しみは他の二人にも伝染し、いつの間にか三人は縮んでぐずりはじめている。
 シェゾは整理する。
 マンドレイクは普通、花が開いてこそ最も活発になるよな…。
 単なる光合成の点以外にも、精神的な作用が働き、生物として最も絶頂期と言えるのが花の開いている時だ。
 最も、マンドレイクの花は開いたらもう、死ぬまで普通は枯れる事は無いのだから、開いていると絶好調、と言う表現は少々語弊があるけどな。
 だが、こいつらと同じ年で、未だ花が咲かないマンドレイク。
 普通はありえない。
 個人差を考慮しても異常だ。
 そして、咲いたら咲いたで今度はそれが原因で死ぬと言う。
「……」
 花が咲く事で宿主、っつーか本体が死んだと言う例…。
 今まで、マンドレイク自身の病気や虚弱体質によって、花を咲かす事叶わず死んだと言う例なら知っている。
 だが、それとは違うらしい。
「…同い年か?」
「え?」
「一緒に生まれたのか?」
「……」
 アウルは頭を横に振る。
「小さいときからずっと一緒だったけど、でも、最初は違った。いつの間にか、一緒にいたの」
「そうか」
「でも! みんな仲良しだよ! ルミルも、ヴァルも、エルも、ミルも! みんな仲良しなんだよ!」
 言葉に熱がこもる。
 シェゾはその意味を知っていた。
 モンスターの世界にも、無論の事ルールがある。
 一族以外の者は、例え子供でも一緒に生きてゆく事は難しいのだ。
 例え、彼女達幼きマンドレイク同士と言えども。
 だが、彼女達はファルを受け入れた。
 それは珍しいケースだ。
 シェゾには何となくその理由が分かっていた。
 一つは、単純に彼女達の仲の良さ故の優しさから。
 そしてもう一つは、それこそ彼女がある日、突然現れた存在だから。
 特別だからこそなのだろう。
 そして、その特別の理由は…。
「着いたよ!」
 アウルがシェゾの胸にかじりついたままで指を指す。
「ほう」
 シェゾは思わず感嘆の声を上げる。
 そこは一見、やや窮屈に木々が生い茂る森に見えていた。
 そこだけが周囲の森と比べて密度が高かった。
 木々の生える密度が特別濃い訳ではない。
 だが、木々の間の空気は、まるで陽炎の様にうっすらと揺らぎ、奥の風景を揺らがせる。
 更に木々の間には網目の様に蔦が絡まり、尚の事木々の奥を目隠しする。
「なかなか、だな」
「でしょ?」
 自慢げなアウル。
 シェゾさん?
 ハーピーが問う。
「何だ?」
 あの、ここは…どうして…。
 不思議そうな顔のハーピー。
「分かるか」
 ハーピーはこくりと頷く。
 それが何かは分からない。
 だが、彼女の感性には確かにそれが感じられた。
「ハーピーもわかるんだ!」
 ハーピーの胸に抱かれたエルが嬉しそうに言う。
「確かに、見事な結界だ」
 シェゾは感心した、と言う声で言った。
 森の一角。
 その場所は、木々による強力な結界に守られている場所だった。
「このおくが、わたしたちの住んでいるところだよ」
 アウルは嬉しそうに言った。
「じゃ、行くか」
「あ、待って」
 アウルは歩を進めようとしたシェゾから飛び降り、柵の様に立ち並ぶ木々の前に立つ。
「このままじゃ入れないよ。わたしが通れるようにするから、待ってね。でないと、むりだよ。こんなにおっきなまものだってはいれないんだから」
 自分の事の様に自慢げなアウル。
「成る程。『こいつら』に森の内部の生き物は守られているって訳か」
 あの、こいつら、とは?
 一人納得しているシェゾに、ハーピーが耳打ちする。
 声を出している訳でもないのについついそう言った仕草をしてしまう辺りにハーピーの素直さ、そしてせめて仕草だけでも普通にしたいという切なさが伝わる。
 歌えぬ歌姫。
 どれ程の胸の苦しみがあるかは、凡俗である自分には分からない。
「こいつらさ」
 シェゾは立ち並ぶ木々に目配せする。
「こいつらはそこらの木とは違う。一種のモンスターと言っていい」
 え?
 ハーピーは訳が分からない、と言った顔で立ち並ぶ木々を眺める。
 …ほんとうですか?
「ああ。すぐに分かる」
 シェゾは木に向かって何やら語りかけているアウルを顎で指さしながら言う。
 少しの後。
 あ…
 ハーピーが異変を感じる。
 木々が、気を放ち始める。
 目を覚ましたのだ。
「たいじゅのみんな、かえってきたよ。とびらをあけて!」
 短い両手をいっぱいに開き、アウルは声を響かせる。
 木々が揺らいだ。
 その時。
 シェゾがハーピーを抱きかかえ、後ろに跳ぶ。
 同時に、シェゾが立っていた位置に見えない何かが飛び、落ち葉が激しく飛び散った。
 きゃっ!
 ハーピーはその衝撃に目を瞑る。
 舞い降りる様に着地したその時、ハーピーを抱きかかえた反対の手には、既に闇の剣が構えられていた。
「た、たいじゅさん! どうしたの!?」
 初めて見る自体に、三人のマンドレイクが慌てふためく。
 応えはなく、シェゾに向かい、再び気が飛んだ。
 若くとも千年を越える樹木が放つその気。
 並の人物には手に負えまい。
 だがシェゾは、闇の剣を横に凪ぐだけでそれを跡形もなく消滅させた。
 シェゾの表情には、驚きも怒りの気配もない。
 何となくそうなりそうな気はしていたのだ。
「無駄だ」
 シェゾはハーピーを後ろにやり、一歩前に出る。
「あ…ま、待って!」
 三人が慌ててシェゾの前に出る。
「待って!」
「いたいことしないで!」
「やめて!」
 竦む足を必死に奮い立たせ、三人がシェゾに立ちはだかる。
「別に、おかしな事はしない」
「…で、でも…」
「たいじゅが、しぇぞにいたいことしようとしたから、しかえし、するんじゃ…」
「ごめんなさい…」
 大樹を守りたい気持ちと、大樹が行った行為の板挟みとなった三人は、やや頭を混乱させていた。
「俺は悪い奴だからな。大樹が、反射的にやったんだろう」
「わるいひと?」
「うそ」
「うそでしょ?」
 マンドレイク達の顔が僅かに曇る。
 ハーピーは思わぬ言葉に息を呑んだ。
 確かに、自分にとってはかけがえのない人だが、彼が闇の魔導士、つまり世間一般にとってと言う意味でだが、いい人とは思われていないのだ。
 そんな事は言って欲しくない。
 だが。
「本当だ。俺は、闇の魔導士だ」
 シェゾはさらりと呟く。
「…やみの…」
「まどうし…」
 三人は顔を見合わせ、少しの間お互いを見つめ合っていた。
 が、その顔には畏怖よりも疑問が湧いていた。
「それ、なに?」
「しらない」
「なんだろ?」
「……」
 考えてみれば、このような場所のモンスターである。
 知らなくて当然と言えた。
「それってわるいひとなの?」
「おにいちゃんって、わるいひと?」
「おにいちゃんが?」
 三人は時折シェゾの顔をちらりと見ながら、お互いの顔を見合わせた。
 やがて。
「うそだぁー」
 思わずこけそうになる陽気な声で三人が言い切る。
「そんなこと、しんじないもん」
「うん、たいじゅさん、かんちがいしているだけだよ」
「かんちがいだよぉ」
 にこやかに全否定しきってしまう三人。
「……」
 シェゾは自分を真っ直ぐに見詰める瞳と、真っ直ぐすぎるその言動に軽い目眩、併せてほんの少し罪悪感を覚えた。
「待ってね。今度こそちゃんと開くから」
 再び結界を解こうとするアウル。
 だが。
「?」
 言葉を紡ごうとして、アウルが首をかしげる。
「あれ?」
 二人が続き、そしてシェゾとハーピーも続いた。
 結界が、開いたのだ。
「まだ、何もして…」
 木々の間に網目の様に張り巡らされた蔦がゆるまり、視覚的に奥が見え始める。
 続けて、空気がまるで水面に起きた波紋の様に揺らぎ、透明な何かが薄氷の様に割れた。
 結界は解けたのだ。
「何で?」
 三人で顔を見合わせていたとき、大樹達の奥から小さな人影が姿を現す。
「はぁ…はぁ…」
 息を切らせて走ってきたそれの頭には、小さな花が見える。
「はぁ…はぁ…。たいへん…たいへ…」
 森の奥から現れたそれ。
 小さなマンドレイクが、アウル達に気付いた。
「…アウル! ルミル! エルぅっ!」
 途端に声は鳴き声に変わり、大声で泣きながら三人に駆け寄る。
「!? ヴァル!?」
 ただ事では無い、と三人は駆け寄り、ヴァルと呼ばれたマンドレイクを囲む。
 三人に抱き寄せられたヴァルは、緊張の糸が切れたのか大声で泣き出した。
「どうしたの? ヴァル!」
「どうしたの?」
「ねぇ! なにがあったの?」
「うう…ごめんなさい…ごめんなさい…」
「おこらないから…ね?」
 ひたすら泣きじゃくるヴァルだったが、アウルの言葉に、少しづつ嗚咽が治まる。
「…ファルが…」
「ファル!?」
「ファルがなに?」
「どうしたの?」
 思わず三人が詰め寄る。
 ヴァルは再び身を強張らせてしまう。
「あ、ごめん…とにかく、何?」
 お願いだから、とアウルが再び問う。
「…ファルが…ファルが…」
 ヴァルの瞳からは、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれ続ける。
「わたしがいけないの…! わたしがちゃんとしていれば…」
「ファルが…どうしたの?」
 アウルがそっと問う。
「ファルが…いな…いなくなった…」
 ヴァルは泣き崩れた。





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