第九話 top 最終話


魔導物語 少年の色々な意味で危険な一日 第十話



 今回の冒険の目的はいつもの様なお宝や力を欲してのものではない。
 自分に起きた危機的な変化を修復する、そしてそれを遂げた暁には、こんな事をしてくれた相手をたたきのめす。
 とにかくそれに尽きる。
 だが。
「よく来てくれた。シェゾ君。道には迷わなかったかね?」
 巨大な両開きの扉を開いたその先。
 そこは礼拝堂ではなく、何か別の儀式を行うとおぼしき祭壇だった。
 祭壇中央には巨大な球状の壺があり、その口からは時折黄色い火花の様なものが舞い上がりつつ、激しい炎が燃え上がり続けている。
 その周囲には祭壇を囲む様に奇妙な螺旋模様の描かれた棚が置かれ、その中には異形のドール、形容しがたい姿の壺や道具が並ぶ。
 ストーンサークルの様に祭壇を囲う棚。
 単なる物置だと言うのにそれはまるで、地獄の美術館とでも言えば似合いそうな様相だった。
 むき出しの岩に寄り添う様に柱で天井が組まれ、炎で柱の濃い影を映し出す岩肌は、まるで脈打っているかの様に揺らめく。
 そんじゅそこらの礼拝堂より遙かに巨大なその部屋の中央に、男が立っていた。
「人を、子供扱いするな」
 シェゾは男を睨み付ける。
 漆黒のベルベットの様なマント。
 端から除く裏地は血の色。
 瞳の色。
 それも血だ。
 絵に描いた様な吸血鬼がそこにいた。
「失礼。だが君のその姿、まごう事なき子供の姿なのでね」
 氷の様な声だ。
「誰のせいだよ」
 今、相手の瞳に映っている自分の姿を思い、シェゾは眉をひそめる。
「顔見せろ」
 祭壇の前にいるヴァンパイアは炎の影となり、顔が見えなかった。
 見えるのは紅く光る瞳のみ。
 シェゾは闇の剣を構える。
「その気なら、それはそれで構わんのだが、今の体調でいいのかね?」
「んな事より、お前だな。俺をこんなにしやがったのは。感じるぜ。あの時の感覚だ」
 子供の表情なのでいまいち迫力はない。
 だが、蒼の瞳は静かな怒りの炎に燃えていた。
「悪気は無かったのだがね。仕方ないのだよ。わが復讐の為には、強大な、そして邪悪な力が必要不可欠なのだ。そう、君の持つ、闇の魔導士の力が…」
 他人事の様なあっさりとした口調。
 そしてヴァンパイアが陽炎の様にゆらりと前に出る。
 一歩歩く毎に消えてしまいそうな、そんな錯覚を起こす歩き方だ。
 シェゾは、今の自分にとっては大振りすぎる闇の剣を構え直し、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。
「そう焦らず。闘いたいのであれば、チンピラの喧嘩ではないのだから、互いにきちんと名乗ろうぞ」
「…シェゾ・ウィグィィ」
 シェゾは調子が狂う、と言った苦々しい表情で呟く。
「ご丁寧に。私はガルディア・エバンス伯爵。かつてこの周囲の土地一帯を支配していた領主だ」
 ガルディアの手が、いや、マントがぶわりと広がる。
 マントの裏地は今塗ったかの様な生々しい赤。
「私は、かつてこの土地を、周囲の都市までもを支配していた。父から受け継ぎ、どれほどであったか…そう、四百年程ね」
 蝙蝠が羽を広げたかの様なその姿は恐ろしくもどこか雄々しい。
 そして、赤い裏地が、水面の様に波打ち始める。
 シェゾは床を蹴り、一気に間合いを詰めて剣を心臓めがけて突き刺そうとした。
 その時、マントから血まみれの手が無数に伸びる。
 指を見れば確かに手だが、その腕は蛇の様にのたうつ。
「ちっ!」
 物理的な妨害は逆に予想外。
 シェゾは闇の剣を振るう。
 何本かの手は刃の前に斬り落とされた。
 だが、信じられない事に血糊をまき散らしつつ無数に掴みかかるその手は、とうとう刃をその皮膚に食い込ませつつも刀身を素手で掴むに至り、ついには何者をも両断する刃が十近くの手によって握り止められた。
「!?」
 突然の制動にシェゾはたまらずつんのめる。
 鞭の様に撓う血まみれの手は尚も数を増やし、今度はシェゾ自身を掴もうと襲い来る。
 シェゾは闇の剣を放し、大きく後ろへ跳ぶ。
 ガルディアの乾いた笑い声がひびく。
「闇の剣を放してしまったね。これで君は丸腰だ」
「舐めるな。俺は魔導士だぜ」
 シェゾは浅く深呼吸し、右手をサイドスローで振る。
 途端、シェゾの手から青白い光が生まれ、それは振り切った瞬間に青白い光は稲妻となり、ガルディアめがけて怒級の放電を浴びせる。
 またも無数の手が盾となるが、それらはことごとくガラスの様に砕け散り、ついには木の枝よりも太い稲妻が三つ、同時にガルディアの体を撃つ。
 衝撃の音響は部屋を揺らし、稲妻をあびたガルディアは体から火花と爆炎を上げて吹き飛んだ。
 周囲には血の焦げるにおいと煙が沸き立つ。
 打ち砕かれた手から離れた闇の剣はまるでシェゾに引き寄せられる様にして宙を舞い、シェゾは跳んでそれを手に取る。
 何も見えない。
 だが、シェゾは剣を逆手に構え、煙の中へ躊躇無くダイブする。
 シェゾには煙の中で横臥するガルディアが見えていた。
 だが。
 あり得ない距離でガルディアの手が眼前に迫る。
 ほんの一瞬驚愕したシェゾはそのまま喉を鷲掴みにされ、体は宙に浮いた。
「ぐ…う…」
 闇の剣が手から落ちる。
 首に食い込む手から逃れようと両手で手をかきむしるが、子供の手では撫でているだけの様なもの。
 やがて、白煙の中から紅い双眼が見え始め、程なく白煙は収まる。
 その時シェゾは、ガルディアの左手一つで宙に浮いていた。
 ガルディアは立ち上がった場所から一歩も動いてはいない。
 手が伸びたのか、空間を縮めたのか。
「どうしたのかね? まだまだそんなものではないだろう? 神すら恐るる闇の魔導士。その力、まだ君は押さえている。こんな状況だというのに」
「大きな…お世話だ」
「ご立派だが、しかしそれでは私が困る。では、本気になれる様に私が手伝って差し上げよう」
 マントから手が伸び、床に落ちていた闇の剣を拾う。
 ガルディアは右手にそれを持つと、息子を見る父親の様な優しげな瞳で、ねじる様にシェゾの腹を貫いた。

 シェゾがガルディア伯爵と対面する少し前。
「ん?」
 ウイッチは魔導の波動を感じた。
 波動の焦点位置を確定し、懐から緑色の水晶を取り出す。
「こちらも…」
 ウイッチが持つ緑色の水晶、うんぱは緑の輝きを増し、ひときわ強く光った瞬間、その手には深緑の水晶と薬品瓶があった。
「これね」
 ウイッチはりりしく口を結び、先ほどからもう一つ、魔導の波動が収束しつつある点を見つめる。
 場所は地上から三メートル程の高さ。
 その点から五メートル程離れた場所で見上げていると、不意に何もない空間から小さな稲妻が走る。
 波動は空気の揺らめきとなり、水面の様に波打ち、ひときわそれが大きくなったかと思った瞬間、雷が弾ける音と共に、水面に浮き上がる様にして二人の人間が現れた。
 白のローブを被った少女、そしてその腕に抱えられているのは気絶したアルル・ナジャ。
「ヴァンパイア…」
 ウイッチは足を一歩後退させると同時に、両の手を胸の前で開き右手を左手に重ねる様にして構える。
「あなたが薬屋さんですね。申し訳ありませんが、アンチドーテヴァンパイアを精製させる訳にはいきません」
 リリーナは抱きかかえていたアルルを無造作に放す。
 アルルは力なく地面に倒れた。
「貴女は、一体今回の事にどの様に拘わっておいでですか?」
 ウイッチは臆する事無く問う。
「聞いてどうするの?」
 リリーナは小柄な自分より尚小さなウイッチへ、子供に語りかける様に問う。
 だが。
「聞いているのは私です」
 ウイッチの瞳は冷たく輝いていた。

 祭壇の周りに飾られていた棚へ、シェゾは弾丸の様な勢いで突っ込む。
 ガラス、木のオブジェが勢いよく散乱し、砕ける音が空間に響いた。
 無論、シェゾが好んで突っ込んだのではない。
 突っ込まされた、いや、吹き飛ばされたのだ。
 一呼吸遅れ、棚がシェゾを収納したまま倒れる。
「起きなさい。まだ君は眠れない」
 倒れた棚からはシェゾの足が見える。
 少し間をおき、棚の隙間からはゆっくりと鮮血が流れ始めていた。
「…ぐ…ぅ…」
 うめき声。
 それは虫の息の様にか細く、今にも事切れそうな声。
「俺は…やられやしないぜ…。お前の為に死ぬなんざ、ごめんだ…」
 胸から血を流しながら苦しげに膝で立つ。
「勿論」
 ガルディアは涼しげに言う。
「私の目的は復讐、破壊。君にはそれを手伝って貰いたいのだよ。だからさぁ、そんな傷を負っていては、手加減する余裕は無いだろう?」
「だから、お前の手になんざ乗って…」
「辛抱強いね」
「貴様の目的は何だ…」
「聞きたそうだね」
「ここまでされて、理由も分からずにお前を殺せるか」
 ガルディアはおやおや、と微笑む。
「そうだね…では、ブルームーンの悪魔事件を君は存じているかな?」
「…四百年前の…くだらない事件だ」
「まぁまぁ。あれは、書物に因ればだが、狂った吸血鬼によって街の住民の半数以上が殺され、吸血鬼排除の為に近隣から魔導士や戦死が集まり、血みどろの闘いの後に吸血鬼を倒した。そう言う話になっている」
「……」
「実は、あの事件の中心人物、例の吸血鬼。あれが私なのだよ。その頃、この辺りは今よりも人口の多い、辺境にしては豊かな都市だった。まぁ、私は都市どころか村が出来るか出来ないかの千年は前から既にその土地に住んでいたがね。まぁでも、ある意味私達と人間達は共存していた。襲われる人間は運が悪い、それでもしグール、ヴァンパイア化した人間が居たならば、それは人間の手で滅ぼす。言うなれば私達は自然災害のようなものとして受け入れられていた。気紛れでだが、血の見返りとして時々農耕技術や魔導を与えたせいもあるがね」
 ガルディアは血を流しながらうなだれるシェゾを無視するかの様に話を続ける。
「ブルームーンの悪魔事件の五十年程前、その頃、私には娘が生まれてね。他の土地から来たヴァンパイアに生ませたのだが、これがなかなか器量よしだった。だが、ヴァンパイアというものは遺伝子に異常が起きやすい。娘も、年頃になるにつれて何故か血を受け付けない体になっていった。吸血鬼が血を飲めない。これがどんなに辛い事か理解できるかね? 娘は年中苦しんでいた」
 ガルディアは天井を長めながら、懐かしそうな、悲しそうな瞳に憂いを帯びさせていた。
「私も親だ。娘の為に頑張ったさ。実験材料が豊富だったからね」
「…それが人、か」
「そう、薬品、魔導、様々な事に使った。結果、娘は再び血を受け付ける体となり、存在能力も底上げに成功した。まったく、あの子は自慢の娘だよ。だが、人工の三分の二だったかを使ってしまった為、人々が流石に怒りはじめてね。近隣からも流石に胸囲を感じたのか、一流どころの魔導士や魔導騎士が押し寄せ、私に襲いかかって来たのだよ」
「書物では、聖騎士達の獅子奮迅の働きで…犠牲こそ出たが…わずか四日で倒された事に…なってい…が…実際…は…闘いは半月に及び…結局…お前と…娘を…倒す事は出来なかったが…この城の地下に…封印…した…」
「半端に閉じこめられたので、それはもう地獄の様な苦しみだった。非道いと思うだろう? やっと元気になった娘まで、これからと言うときに封じられてしまったのだから」
「よく…出られたな…」
「そこはヴァンパイアの面目躍如だよ。知識があったのが幸いし、結界を破る方法を見つけた。あとは実行に移すのみ。そして、私は決めた。私達を閉じこめた人間は最早居なくとも、その子孫を皆殺しにしてやりたいと、そして忌々しい思い出の残る今のこの土地から全ての生物を消そうとね」
「そうか、お前ら…単に魔導士狙いかと思っていたが…そいつら、その時の、子孫…か…」
「私達を倒す為に使った力、今度は私が使わせて貰う。当然報いを受けつつね。ただ、それだけの事だ。有史以来ごく普通に行われてきた復讐と報復の輪廻ですよ。人、魔物に限らないね。リリーナも献身的に動いてくれている。あの子もそれは非道い目に遭ったのだ。当然だろう」
「俺は…関係ないだろうが…」
「有能なる存在は積極的にスカウトするべきだ。さて、今の御気分は?」
 シェゾの瞳がかすむ。
「…至って健康さ…」
 だがシェゾは感じていた。
 自分の体の中からおぞましい程に熱く、だが鳥肌が立ちそうな程に細胞を凍り付かせる何かが、体の芯から湧き上がりつつあるのを感じていた。

「…ェリーク、アンナ、マリー、サーシャ、ジェーン、ハナ、パリエ、リプリー、シンシア、それから、リサ…」
 ウイッチは祈りの言葉の様にゆっくりと名を呼んだ。
「…う…ウイッチ…」
 途中、気絶から目を覚ましたアルルは隣に立っていたリリーナを見て驚くが、自分が動いても何をする気配も無く、アルルは恐る恐るウイッチの側へ戻る。
 アルルが側へ来たとき、名前の詠唱はようやく終わる。
「アルルさん、ご無事ですか? 薬はいただきましたよ」
「う、うん、ボクは大丈夫。薬、あれで良かった?」
「探していたものです。合格」
 ウイッチは悲しげな瞳のままで微笑む。
 アルルはその瞳に非道い孤独を見た。
「今の名前って…」
「尊い犠牲者達です」
 それは、あの時の犠牲者全ての名。
「…みんな、殺された。魔女として黄金の資質を持っている子が沢山いたのに…」
 アルルはその言葉に胸を締め付けられた。
「魔女。と言う事は、森の魔女ですね。あそこは良い場所でした。結構力が溜まりましたよ」
「…もう一度聞きます。貴女は、どの程度この件に関わり、そして貴女の後ろにいる者は、何をしようとしているのですか?」
「私は導く者。ただそれだけです」
「それは、地獄へ導く外道と言う意味ですね」
 ウイッチが氷の様な表情で呟く。
 恐ろしく冷淡な言葉だった。
「ウイッチ?」
 アルルは普段からは考えられない物言いに顔をのぞき込む。
「アルルさん、手出しは無用です」
「む、無用って! キミだけじゃ…! ボクの方が、薬学じゃなくて、実践的な魔導なら、なんとか上だよ!」
 ウイッチの口元がゆるむ。
「あら、ふふふ…。私、おしめが取れたばかりの子供には負けませんよ」
「え?」
 ウイッチの姿が突如ガラスに映り込んだそれの様に薄らいだ。
 向こうが見える程に薄らいだ色素は砂の様に、煙の様に密度を減らして膨張し、そのまま姿が変化する。
「ウイッチ!?」
 アルル、そしてリリーナも同様に驚愕する。
 ほんの数回の瞬きの間に、ウイッチの姿は背を伸ばし、髪の色を変え、服装も輝く様なグレーのローブへと変わる。
 色素が再び濃くなり、透けなくなった。
 銀の長髪。
 ウイッチよりやや青みが強い瞳。
 その時そこに立っていた人物。
 それは。
「ウイッシュさん?」
 アルルが目をまんまるにして驚く。
「あなたは…森の魔女?」
 流石にリリーナが身構える。
「…分が悪いようです」
 リリーナは瞬時に撤退を試みる。
 だが、何の魔導も発動しない。
 その事実にリリーナは再び目をむいて驚愕した。
「ようやく現れてくださったのです。間違っても逃しはいたしません」
 ウイザードロック。
 先ほどリリーナがアルルにかけたそれより、遙かに強力なアンチマジックパワーが空間を満たしていた。
「記憶でも頂けば事が分かるかしら?」
 ウイッシュはさらりと恐ろしげな事を呟く。
 その手が、恐怖に竦むリリーナへ向けられた。
 リリーナにとってその手はまるで大口を開いて迫るドラゴンの様にすら見えていた。
 突如リリーナの姿が消えた。
 ウイッシュは瞬時に空を見上げる。
 アルルもそれを見てから何事、と空を見る。
 月の輝く夜空。
 リリーナは、示し合わせたかの様に月をバックに跳び上がっていた。
 魔導的なものではない。
 肉体的な能力で跳んだ。
 ヴァンパイアのそれで。
 リリーナの小さな影は瞬きする間もなくウイッシュの頭上に影を落とし、巨大化する。
 近づくにつれ、シルエットから浮かび上がる様にリリーナの体の輪郭、表情が見え始める。
 その瞳は燃える様に赤く、口は大きく裂け、乱杭歯が口の上下に二本ずつ、これでもかと前にせり出して白い光沢を見せつける。
 右手を振りかぶり、ローブをはためかせる。
 翻ったと思ったローブは突如墨でもぶちまけたかの様に真っ黒になり、しかも内側は赤い。
 ローブだと思っていたそれはマントに変わっていた。
 マントがクラゲの様に広がり、落下速度より尚早くウイッシュに襲いかかる。
 マントと言うには滑稽な程に、それは広がり、触手の様にばらけ、そして伸びる。
 触手は投網の様にウイッシュを囲み、蛸が食物を補食するかの様な動きで封じる。
「ウイッ…」
 叫ぶ間もない。
 巨大な茸の傘となったそれが完全にウイッシュを閉じこめた。
 そう思った次の瞬間。
 黒い傘が、白い発光、そして轟音と共に散りじりになって吹き飛ぶ。
 まるで黒い風船が爆発したかの様に。
 アルルは轟音に混じって悲鳴を聞いたと思った。
 焼き付きを起こした網膜で必死にその光景を見る。
 数秒後。
 ウイッシュの立つ場所後方に何かが落ちた。
 鈍い音を立てて落ちたそれにウイッシュは振り返る。
「ウ、ウイッシュさん! 肩から血が!」
「かすり傷です」
 マントを網の様に広げて襲いかかってきたリリーナ、彼女はその中で手の爪をナイフの様に伸ばして襲いかかろうとしていた。
 魔導ではなく、ヴァンパイアとしての超常的能力である。
 だが、その攻撃もウイッシュの肩をわずかに斬るにとどまり、仕掛けた本人は灼熱の爆炎に身を焦がされ、衝撃に骨を砕かれ、為す術もなく倒れていた。
 普段ならば一応は温厚なウイッシュである。ここで攻撃の手を休めるところだが、何と逆に彼女は両の手をリリーナにかざすと、その間から人の腕程もある氷柱を作り出し、何の躊躇もなく胸に落とす。
 気絶しかけていたリリーナは改めて悲鳴を上げる。
 アルルは凄惨な光景に堪らず耳を塞いだ。
「さぁ、そろそろ答えて貰います。まだこの氷柱は心臓を貫通してはいませんよ。喋れますね?」
 表情のない声だった。
 アルルは正直言って失禁寸前だった。
 今はただ、ウイッシュを見つめる事しかできない。
 アルルの視線に気付いたウイッシュは冷静に、言い聞かせる様に語る。
「恐ろしいと、残酷と思いますか? でも、魔女の歴史は魔女以外の人には理解出来ない程の凄惨な歴史の積み重ねなのです。ここ数百年になってやっと安定してきたその歴史に波を起こす真似などされれば、例え相手が利用されているだけの赤子であろうとも、腹を切り裂き臓物を引き抜き、目玉をえぐり出す事厭いません。ましてやこの者、自分の意志で行った様子。そんな奴…」
 冷静な声の中に、押さえきれぬ怒気が湧き出す。
 その気迫はヴァンパイアをして鳥肌立たせるに十分たるもの。
 リリーナは今の自分が掌の虫だと理解した。
 ほんの一握りすれば潰されてしまう、そんな状況なのだと。
「は、伯爵さま…お助けを…」
 リリーナはかすれる声でその名を呟く。
 声と同時に、周囲がぴりぴりとした静電気の様な光に包まれる。
 ウイッシュはアルルから受け取った薬を放電現象の起きている空間の外へ放り出す。
 参人の姿がそこから消えたのはそれと同時だった。

 まばゆい光に包まれた。
 そう思った次の瞬間、瞳はたった今まで見ていた光景とははまるで違う光景を見る事になる。
 重力を一瞬失い、そしてすぐに戻る。
 ウイッシュは蹌踉けつつも立ち、アルルは何とか踏ん張るもしりもちをつく。
 リリーナは、胸に氷柱を突き刺したままで、受け身一つ取らずに黒ずくめの男の足下に落ちた。
 衝撃で氷柱は抜け落ち、穴から血が噴水の様に沸き出した。
「ようこそ、お客人」
 黒ずくめの男、ガルディア伯爵は恭しく丁寧に頭を下げる。
「さて、起きたまえ」
 ガルディアは血の吹き出す穴へ手をかざす。
 蛇口を閉める様に血の流れは収まり、リリーナの体が軽く痙攣したかと思った次には、リリーナの目が開かれた。
「…伯爵様」
 眠りから覚めたかの様な表情でリリーナは立ち上がる。
 服の穴から覗く胸の傷は既に痕すら無く、その表情は青白くも精気に満ち、そして瞳は燃える様に赤い。
 全ては元通りだった。
「あなたが、この忌まわしい行いの元凶ですね」
「いかにもその通り。私が」
 言いかけたガルディアの首が、喉仏のあたりから首の半分程も裂け、鮮血が吹き出し、首はぱっくりと口を開けて頭は空を仰いでいる。
 ウイッシュである。
 ガルディアに向けて翳した両手から陽炎の様なものが揺らいでいる。強力なかまいたちの様な現象を起こしたらしい。
 更に間髪入れず、かまいたちが飛び、ガルディアの服が数十カ所で裂ける。
 肉が弾け、血や骨の一部が飛び散った。
 ガルディアは瞬きする間もなく、その名の通り血達磨となる。
 ぐらりと揺れるガルディアの未だ繋がった首を吹き飛ばそうとウイッシュは渾身の力でかまいたちを飛ばそうとした。
 だが、ほんのわずか、ほんのわずか呼吸を整えたその瞬間、散り散りになっていたマントが液体の様に伸び、ウイッシュをがんじがらめに捕らえる。
「うっ…!」
 突然の締め付けは手足、首に食い込む。
 ウイッシュは一瞬で呼吸困難に陥った。
 普通ならばヴァンパイア相手として様々な攻撃を想定する故、今の攻撃をかわせぬとは思えない。その為、ウイッシュは様々な反撃を魔導的に防御する策を高じていた。
 だがガルディアは、そのような策を必要としなかった。
 今、ウイッシュを絡めているマント。それは単純に力で魔導壁を突き抜け、力でウイッシュを締め付けているのだ。
「単純な力こそ、もっとも策を弄しにくいものなのだよ」
 ガルディアは千切れかけた頭のままで、顔に付いた血を指で拭い、それを舐める。
 己の血だと言うのに、ガルディアの目は欲情とも言える赤い光を放ち、乱杭歯は目に見える程にめきめきと伸びていた。
「吸血鬼を血まみれにするとは、君は正気かね?」
 ガルディアは哀れむ様な目で言う。
 何と言う事か、この男は、己の血ですら糧と出来るのだ。
 体中の傷がふさがりつつある。
 首も切り口が癒着し始め、じわじわと頭が戻り始めていた。
 その時。
「ええいっ!」
 声と共に空気の振動が空を走る。そしてガルディアの首が完全に千切れた。
「伯爵様!」
 リリーナの悲鳴が響く。
 ウイッシュは青くなった顔で横を見る。
 アルルが、肩を大きく上下させながら、両手から白い煙を上げていた。
「や…やった…」
 苦痛に顔をゆがめながら、アルルは呟く。
「アルルさん」
 ウイッシュは理解する。
 アルルは、己に残った魔導力を総動員し、自分が一度に扱える力を超えて練り、そして魔導を放ったのだと。
 己の力量を超えて練る魔導は暴発する危険もあるし、撃てたとしても余剰なエネルギーが自分に跳ね返る。
 今、アルルの腕は中度の火傷を負ったのと同じような症状を起こしていた。
「お父様!」
「え?」
「よくもお父様をぉっ!」
 リリーナが飛びかかる。
 お父様。その言葉にアルルがぎょっとする。
 リリーナはアルルに向かって一直線に飛ぶも、マントの呪縛から逃れたウイッシュが止めとばかりの巨大な氷柱を飛ばす。
 我を失っていたリリーナは避ける事も忘れたまま胸を貫かれ、尚かつそのまま壁まで吹き飛ばされ、氷の柱だというのに砕ける事もなく壁に突き刺さる。
 リリーナは壁に縫いつけられた。
 寒気のする様な悲鳴にアルルは耳を塞ぐ。
 悲鳴がかすれ声となった。
 そして声が途切れる。
 その時、リリーナの皮膚は土色に変わり、水分の消えた土の様にひび割れ、肉も骨も区別無く崩壊し、そして服だけを残して床に積もっていった。
「…親子、だったんですね」
 アルルは真っ青になり体を震わせる。
「アルルさん、恐ろしいと思うでしょうが…しかし、魔女の世界は彼らを許す訳にはいきません。どの様に残酷な方法を取ろうとも」
 ウイッシュはアルルの手にヒーリングをかけながら、説く様にして語りかける。
 アルルはただただ機械的に頷く。
「許せぬのは私も同じでね」
 二人ははっとして振り向いた。
 そこには、倒れたままのガルディア。
 そして離れた場所に転がる頭からの声。
「私達は私達の食料を食料として食べていただけだ。私は科学者としての趣味もあったので、少々その為に食料を利用したりもしたがね」
「あなたには、何を言っても蛙の面に小便、というやつなのでしょうね」
 ウイッシュは己が持つ最高級の破壊魔導、メテオを撃とうと気を練る。
 流石は手練れの練気。
 マナの精製は空気を流す程に多量で早く、ウイッシュの周りには渦巻く様な風が吹き始める。
「倒すべきは私かな?」
 ガルディアは己の首を床に転がらせたままで、爽やかとすら言える笑い声をあげる。口からは血泡がごぼごぼと湧き出し、顔は既に土気色を通り越して砂の様になっている。
 笑う度に顔がさらさらと、ぼろぼろとくずれてゆく。
 今やガルディアは骸骨に皮が付いているだけの様な状態だった。二人は、尚高らかに笑うその声に、、驚きよりも背筋の凍る戦慄を覚え、ウイッシュと言えど一瞬気の練りを鈍らせる。
「私の目的は…あくまでも…復讐、破壊なの…だよ」
「あなたが居なくなれば全て終わりよ」
 練気は終了している。いつでもメテオ最上級の魔導、メテオストリームを天から振らせる準備が出来ていた。
「ははは…分からない人だ…。私の願いは、もうすぐ叶うのだ。叶えたい、ではなく叶うのだよ…。私ではなく、そして私の為に…身を…挺して、働いてくれた…リリーナによってでも…なく…最強……最悪の力によって……ね……はぁっは」
 最後に笑おうとして、頭蓋が粉々に砕けた。
 胴体も同様の姿となり、ほぼ崩れ去っている。
 全ては終わった。
 普通ならそうなる。
 だが、まるで終わってはいない。
 ウイッシュとアルルは気付いていた。
 まだ、会っていない。
 まだ、無事を確認していない。
 そしてまだ、味方のままかどうか、確認していない。
 ガルディアの残した言葉はどのような呪いの言葉より恐ろしい。
 シェゾはどこ?
 二人は祈る様な気持ちだった。



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