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魔導物語 少年の色々な意味で危険な一日 第九話



 教会の裏手から炎が上がる。
 アルルはその光景を教会の二階から目撃した。
「おお、シェゾすごい」
 数分前、教会の裏庭にたどり着いたアルルは、不意に教会内が騒がしくなり始めたのを合図に窓から忍び込む。
 半ば予想はしていたが、そこにいたのは人とうり二つの姿のグールであり、街に居るグールの様に大人しくさせる必要はないのか、目を光らせて襲ってきた。
 よだれを流しながら両腕を振り回す。
 その瞳に劣情の様な嫌悪感を感じたアルルは、反射的に戦闘モードへと入る。
 『試験最低、実技最高』の栄誉ある通り名は伊達ではない。
 アルルは瞬間的に魔導を発動させ、アイスストームをグールに浴びせる。
 グールは声も上げずにその場で氷の彫刻と化し、振り下ろそうと生み出した力のモーメントは凍てつく筋肉の中で無数の反作用点となり、細かな白い罅をグールの体の表面に刻む。
 アルルが軽く足で蹴ると、細かな罅は崩壊し、そのまま倒れて砕け散った。フリーズドライに近いうえに微細に砕けた為、倒れても殆ど音もなく崩れ堕ちた。
 瞬間的な魔導の発動でここまでの効果を上げる。これは流石と言うべきか。
 魔導を使うのはまずいとアルルは思ったのだが、半ば予想通り一分待っても誰も来ない。
 やはり、今教会は裏手の回廊で起きた異変の対応に手一杯なのだろう。
「今のうちに…」
 アルルは、部屋のクローゼットから教徒用のローブを拝借して部屋を出た。
「変な菌とかついてないよね…」
 アルルは廊下を走る。

「千年竜の髄液…水銀草の胚珠…そして、ドラグングラスを四十グラム…」
 街から十キロ程離れた森の中。
 ウイッチは、ほんのミルクパン程度の大きさの鍋を直径三十センチ、高さ二十センチ程の、銀糸の籠を逆さにした様な網籠状の竈の上に置いている。
 見た目は極細の繊維だというのに、液体をいっぱいに満たした鍋を置いて尚変形しないそれは一体どのような技術、素材なのか。
 目の粗いそれの中には、小さな球体の火種が一つ、蒼い炎を上げて揺れていた。
 ウイッチはふと、服のスリットに手を入れると、小さな水晶を取り出す。
 水晶の中はまるで液体であるかの様にゆらゆらと緑色の光が輝いている。
「まだ、材料は…」
 ウイッチは水晶をスリットに戻した。
 ろうそくが明るい程度に見えるが、鍋の煮え具合を見ると相当な熱量なのだろう。
 火球の光がわずかに弱まる。
「こら、ウィスプ、しっかりなさい」
「ぼぉ」
 火種、ウィル・オー・ウィスプは小さく鳴いて、再び発行を強める。
 よし、とウイッシュは火力を確認し、再びマドラーで液体をかき回す。
 ぐつぐつと音を立て、それは怪しげな色を二転三転させていた。
 謎の光を放つ液体は割れた泡から時折レーザーの様な光すら放ち、到底まともな物質には見えない。
 だが、ウイッチは真剣そのものの瞳で調合を続けていた。
 その瞳は普段の彼女からは想像できない程の沈着冷静な輝きを帯び、きりりと結んだ唇には意志の強さと共ににじみ出る女の艶が見て取れる。
 まるで人が変わったかの様な姿だった。
「仇は、とります」
 その声は岩の様に強固な意志だった。

「おじゃましまーす…」
 アルルは物音一つしない静かな、教会の三階、図書室の前で扉に手を添える。
 正確に言えば、現在教会の一階部分は静かとは言えない状況なのだが、それに比べれば三階は静かと言える。
 人、グール、生きていると言えるものは何もおらず、ただ静寂が空気を満たす。
 ランプを持ち、アルルはそっと図書室の扉を開いた。
 図書室を捜索場所に選んだ理由は、あると言えばあるし無いと言えば無い。
 シェゾの行動の邪魔をせず、かつ何らかの情報がありそうな場所という事で選んだのが図書室だった。
 アルルは中が暗い事を確認すると急いで扉を閉じ、足早に奥を目指す。
「…やっぱり、あった!」
 アルルは図書室の奥に見つけた、奇妙な魔力の波動がにじみ出る扉の前に立った。
 あると言えばある、その理由がこの力だった。
 バチカンにはアンフェラーと呼ばれる司教の許可が無くては入れない禁書だらけの図書室があるという。
 おそらくこの部屋もその類なのだろう。
 少し前までは普通の教会であったであろうここが、一体どのような改造を受けこのような禍々しい気を放つ場所となったのか。
 アルルはごくりと喉を鳴らし、扉に手をかけた。

 地下通路をシェゾが走る。
 その位置は既に街の中の教会からは離れていた。
 謎のメシア達は、教会を出入り口として蟻の巣の様に地下にダンジョンを作っていた。
 シェゾの前に、二人の若い男が立つ。
 白いローブ姿のそれは聖職者だが、その瞳の光は邪悪。
 二人は両の手を掲げ、大きく開いた掌から、黄金色の火球を放つ。
 シェゾは闇の剣を構え、三つ目までをたたき落とす。
 黄金の炎はフラッシュの様に瞬いて消えた。
 だが、四つ目を防ぎきれなかった。炎がシェゾの脇腹をかすり、熱による激痛が襲う。
「つぅっ!」
 足がもつれ、たまらず転がった。
 二人の男はつららの様に尖った爪をシェゾに向けて突きおろす。
 マントに爪が突き刺さる。
 だが、手応えは硬質な床のみ。
 次の瞬間、闇の剣が二人の首を切り落とす。
 宙を飛ぶ若い男の二つの首は、みるみる枯れ木の様に瑞々しさを失い、皺と土気色の物体に変化する。
 落下した頭は、衝撃で砂の様に崩れた。
 胴体もそれは同じであり、倒れた途端に崩れ去る。
 シェゾは立ち上がり、やれやれ、と苦い顔で先を見る。
「…大丈夫か? このまま進んで」
 自分の手を見る。
 その手は最早、十歳かそこらの子供のものだった。
 おかげで剣の持ち手が持ちづらくて叶わない。
 そして不便はそれに止まらなかった。
「まったく、革じゃなくて綿にでもしておけば良かったぜ!」
 ぶかぶかになった革のパンツをたくし上あげ、今再び子供の姿になってしまったシェゾは文句を言いながら先に進む。
 切っ先を引き摺りながらすすむその姿、正直可愛いものがあった。

「…ここ…ここが…ラボ?」
 扉をくぐったアルルは、地下一階まで降りたかと思う距離でもう一度扉にあたる。
 そっと開いた扉の先は、まるで時代を間違えたかと思う様な設備がひしめく研究室だった。
 中央にややくぼみがあり、そこには巨大なベッドらしきものがある。
 が、なぜかそれぞれのベッドの端からは明らかに使用目的の怪しげな四本の革のベルトが伸びている。
 そしてそれを取り囲む様にして、高さ三メートルはあるであろう巨大な棚が並ぶ。その中には、所狭しとビーカーやら器具やらが並んでいた。
「…わぁっ!」
 アルルは更に部屋の奥へ進み、そして思わず悲鳴を上げた。
 そこには、巨大な円筒のガラスケースが並んでおり、液が緑や青、紫などに濁ってよく見えないが、その中には間違いなく人体の一部と思わしきものが浮かんでいたのだ。
 思わず口を押さえ、奥から離れる。
「…う…こ、ここ…一体何?」
 頭を振って気分が悪いのを我慢するアルル。
 心臓に悪い光景は暫く頭から離れないだろう。
 だが、気分を気にしている暇はない。
 深呼吸し、アルルは戸棚の方を見る。
 幸い、戸棚には目を覆いたくなる様なものは並んでおらず、アルルはこれ幸いと探索に集中する事が出来た。
 だが問題は知識である。
 魔法薬は魔法の中でも人を選ぶ分野であり、単純な知識は元より薬品、素材を知る為の言語知識が必要不可欠である。
 実際棚に並んでいる薬品瓶、ラベル、本の文字は見た事もないようなものばかり。
 アルルは、一夜漬けだがウイッチから習っておいた魔導薬の専門用語、文字を必死に脳の中から絞り出しつつ、おぼつかない手つきで関連がありそうな何かを探す。
「うう…何このみみずがのたくった様な文字は…。でも、でも絶対、見つけるから!」
 言うまでもなく、アルルは意地でもシェゾのヴァンパイア化を止める薬品か何かを探さなければならないのだ。
 でなければ彼の末路は確実な死。
 陽の光で消滅するか、杭を打たれて消滅するか、溺れるか、神聖魔法で焼き殺されるか、早い遅いの差はあれ、とにかく生きる望みは無に等しい。
「あのヴァンパイア化が実験で生み出された特殊なものなら…、何かアンチポーションみたいなのがある筈って事なんだよね…それは、当然ヴァンパイア化する薬が作られた場所の側にある筈で、もしくはその材料が…」
 ふと、アルルの目に小さな宝箱の様な箱が映る。
「鍵、かかっているし…」
 だが、アルルは周囲を見渡して壁に飾られている剣を抜き、そのままためらうことなく鍵に向けて思い切り振り下ろす。
「んにゃっ!」
 二度、三度と剣が振り下ろされ、硬質な音がひびく。
 五度目、床に鍵が落ちた。
「や、やった!」
 アルルは痺れる手から剣を捨て、箱を開いた。
 中には、多くの本と共に古い布でくるまれた瓶が入っていた。
 アルルは布を開き、瓶のラベルを見る。
「ええと…アンチ…ヴァンパイ…」
 目が光る。
「こ、これをっ!」
「もって行かれては困ります」
 耳元で囁く声。
 アルルは心臓が凍り付くという珍しい経験を実地出た。

 まずいぞおい。
 そのころ、シェゾも似た様な経験を実地していた。
 自分の体の変化を感じていたのだ。
 薬を飲んだ事でヴァンパイア化が押さえられ、それの副作用で体が小さくなる。
 そこまでは理解している。
 だが、今自分の体にはそれでも尚ヴァンパイア化による変化が起きている事が分かる。
 体が、どうにも押さえきれない血への衝動を吹き出しているのが分かる。
 事実、己の口元には伸び始めた乱杭歯がはっきりと見て取れるのだ。
 そして、心臓の動きが鈍っているのがわかる。血は流れている。心臓は動いている。だが、止まりかけている。
 心臓が、まるでシャーベットでも送り出している。
 そんなおぞましい感覚が体中の血管を駆けめぐっていたのだ。
 シェゾは残りの一本も一気に飲んだ。
 視界が回転したみたいに揺らいだが、それはあっさりと消え、体の中からは尚、得も言われぬ高揚感が突き上げてくる。
 それは性欲や食欲等、兎に角何かをどん欲に欲する体の乾き、魂の乾きとなってシェゾの理性を凌駕する。
 駄目だ。
 シェゾは瞳を金色に光らせ、風となって通路を進む。
 途中に何人かヴァンパイアが現れたが、シェゾは一時も止まることなく、闇の剣を一閃するだけで通り過ぎて行く。
 疾風の通り過ぎた後には、砂の様に崩れ、灰と化したヴァンパイアの残骸だけが残る。
 その姿が一瞬自分に重なり、シェゾは頭を振って鈍った速度を上げる。
 目的、敵がいる場所は近い。
 それは直感だった。
 嫌な事に、自分をヴァンパイア化したそれに体が近づいている事で、互いの存在が無意識に関知でき始めていたのだ。

 アルルは思考停止していた脳をたたき起こし、反射的に振り向く。
 同時に、魔導を唱えつつ。
 びんたの要領で振り回した手から火球が飛ぶ。それは、多分真後ろに立っていたであろう誰かの顔を直撃、運が良ければそのまま倒す筈だった。
 だが。
「!?」
 手は振り切った。
 だが、火球が、ファイアーボールが発動しない。
 その手は空を切るのみ。
 振り向いて分かった事だが、攻撃目標としていた相手は、実はアルルより頭一つ以上小さかったのだ。
「キミは!」
 そこに立っていた声の主。
 それは先ほど聖女と呼ばれ、自分達を宿まで案内してくれた少女、リリーナだった。
「騒がないでください。騒ぐと、あなたにとって面倒なだけでしょう?」
 少女はくすくすと笑いながら、しっ、と口元に指をあててジェスチャーする。
 別にそれ自体に匿おうとか助けようといった意志は見えず、単に状況を楽しんでいるだけにも見える。
 アルルは思わず息をのみ、今目の前に立つリリーナを見つめた。
 その姿は前に見たときと変わらぬローブ姿であり、その瞳も静かだった。
 おそらく重要な場所へ忍び込んだであろう自分に対しての瞳とは思えない程に。
「あなた、シェゾさんのお連れの方ですよね?」
 何故その名を知っているのか。
 やはりシェゾを襲ったのは偶然ではない。
 アルルの、収まったと思った心臓が再び飛び跳ねる。
「…ぜ、ぜったいに、し、知らない」
「ふふ」
 リリーナは、まるで子猫でもまなでるかのような優しげな瞳で、くすりと微笑んだ。
「うぅ…」
 目の前にいるのは背が小さい方である自分より尚小さな少女。
 その瞳はつぶらだ。
 だが、この少女もまた多分ヴァンパイアである筈。
 上目遣いの愛らしい瞳に見つめられているだけだと言うのに、アルルは空腹の虎の前に立つより恐ろしかった。
「あなたって、可愛い人ですね。裏表が無くって…まっすぐで…」
「と、取り柄だもん!」
 素直に愚直と言ってくれ。
 アルルは半ば自棄だった。
「な、何でシェゾの名前知っているの? やっぱり、シェゾ自身が狙いなの!?」
 リリーナは慈愛に満ちた微笑みを崩さず、ゆっくりと口を開く。
「彼の力があれば、今までの様に砂粒で海を埋める様な真似をせずに済むのです。邪魔は、あの人が決して許しません」
「!」
 アルルは金縛りの様に動けなくなっていた眼力の呪縛を気合いで振り解く。
 やおら箱の中から瓶を掴み取ると、スリットの中から深緑の水晶を取り出し、水晶と重ねる。
「どんぱっ!」
 アルルの叫びと同時に、深緑の水晶と瓶は軽い破裂音の様な、甲高い音を残してかき消えた。
「どんぱうんぱ、ですね。魔導を殆ど必要としない簡易空間転移魔導器、でしたね。珍しいものを…でも」
 逃がしません、と言いかけたとき。
「ええぃっ!」
 アルルは両の手をリリーナに向けてかざす。
 瞬きする間もなく、その手から爆炎魔法、エクスプロージョンが発生した。
 しかもその威力は生半可ではない。
 瞬間的に練った魔導とは思えぬその力。
 リリーナが初めて驚愕の表情で目を見開く。
 アルルは、リリーナと目を合わせたその瞬間から体の中で密かに魔導力を練り続けていたのだ。
 死んだらごめんなさい。
 正直その気持ちで放った魔導であり、そもそもこの状況ではその覚悟がなければならない。
 だが。
 爆炎が熱風を吹き上げつつ消滅した。
 その時、まともに爆風を浴びた筈のリリーナは、まるでそよ風にでも吹かれたかの様な涼しげな顔でその場に立っていた。
 自慢ではないが筆記を除けば魔導には自信がある。
 アルルは人外が相手とはいえ、驚きと失望を感じていた。
「アンチマナの許容範囲を超えるマナを練る事が出来るとは、流石ここに忍び込む度胸をお持ちの方ですね。どんぱうんぱの使用方法もお見事です。今頃、薬は誰かの手の中…。魔導薬に特に詳しい人なら、多分…」
 でも、と呟く少女の声が変わる。
 少女から風が吹く。
 いや、風が吹いたかの様な気が湧き上がった。
 その瞳は紅。
 目の光が、一直線に自分を貫いた。
 そんな錯覚を覚えさせる程の眼光。
 アルルは、自分が気絶したと気付いただろうか。



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