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魔導物語 少年の色々な意味で危険な一日 第八話



「薬飲んでっ! 今すぐっ!!」
 アルルが、そしてウイッチが大あわてでシェゾにしがみついて瓶を開けようとする。
「まだいい」
 だが、シェゾはそんな二人をぬいぐるみの様に引き離し、さっさと歩き始める。
「危険と言えば危険だが、この力は使える。『自分』の力だから、魔導探知にもかからないからな」
「そ、それはそうかもしれませんけど…」
「それよりこれから先は二人にやって貰う事がある。仕事を頼むぞ。お前達にしかできない事だ。と言うか、その為に来てもらっているんだからな」
「う、うん」
「いよいよですわね」
「頼むぞ。ウイッチ、特にお前の場合はウイッシュの懇願も背負っている」
「は、はい!」
「失敗したら縁切られるかもな」
「…は、ははははい」
「それと、俺の命もな」
「はいっっっっっ!!」
 ウイッチは腹の底から声を出す。
 二人が見詰めるシェゾの瞳には、力も出していないのに、既に僅かながら奇妙な光が宿っている。
 普段なら前後不覚になってとろけそうになる瞳だが、今のそれからは得体の知れない力を感じる。
 間違っても失敗は出来ない。
 二人は誓った。
 
 夜も更け、曇りだった空が少し晴れ、星空が顔を出す。
 カドゥスの街南側。
 そこには、街の規模にしては厳重な門があった。
 篝火が焚かれ、槍を持った門番二人が立っている。衣装はばらばらなので、自警団、と言うところなのだろう。
「止まれ」
 そのうちの一人、四十代半ばとおぼしき顎髭も逞しい男が旅人を止めた。
「こんな夜更けに何の用だ」
 もう一人の二十代と思われる若い男がややおっくうそうに立ち上がり、尋問する。
「カドゥスの街に、メシアが現れたってのは本当か?」
「ん?」
「あ、あの…ボク…私、この人の病気を治して欲しくて…」
 男が見た二人は、相当の距離を歩いたのか元よりぼろを纏い、疲れ切った旅姿を一層疲弊させた物に見せる。
「う…」
 男が膝を崩して倒れ込む。
「しっかりして!」
 女が男を抱きかかえた。
「大変だったな。しかし、この夜中によくたどり着いたな」
「あ、はい。私達、必死だったから…」
「どこから来た?」
「あ、ええと…」
「そこまで。いつまで病人を夜露にぬらす気ですか?」
 静かな女性の声だった。
 だが、門番達は息をのんで硬直する。
 アルルも、その静かな声に何故か背筋を凍らせる。
「し、失礼しました! 聖女リリーナ様!」
 聖女。
 シェゾから聞いていた救世主だ。
 そして、アルルは声の方向を見て驚く。
 そこに立っていたのは、想像とは大分違っていたから。
「子供…?」
「失礼な事を言うな!」
 男が声を荒げる。
「お黙りなさい」
 美しく静かな、しかし鉛の様に重い声。
 男は後ずさりするほどに狼狽する。
「も、申し訳…」
「交代しなさい」
 男達は脱兎の如く走り出し、闇に消えた。
「あ、あの…ありがとうございました」
「いえ、どうも男の方は血の気が多くて困ります。さぁ、こちらに。普通の宿もありますが、もしも手持ちに不安がありましたら、救いを求める方の為の善根宿もあります」
「はい。さぁ、あなた」
「……」
 ぼろを纏った男は、よろける様に立ち上がった。
「手を貸しましょうか?」
「あ、いえ、この人の事は私が…」
「そう、それで、どちらに?」
「え? あ、ええと、普通の…」
「善根宿で頼む」
 小さな、か細い声。シェゾだ。
「分かりました。お声が弱々しくて…何とお気の毒な」
「いいの? 少しくらい…」
「これ以上、お前の世話になれない」
「そんなのいいよぅ…」
「仲がよろしいのね」
「え? あ、あ、そ、そですか?」
 リリーナは微笑んで、こちらへ、と前を歩き始める。
「奥様、旦那様の具合はどのような風ですか?」
「お?」
 不意に奥様と呼ばれ、アルルは我を忘れる。
「お前だ。お前」
 時を止めているアルルにシェゾはつぶやく。
「え? え、あ、ああ! は、はいはい! ボク奥さん! この人ボクの旦那様! はい!」
 操り人形みたいな動作のアルルを見て、リリーナはくすりと微笑み、シェゾはローブの下に達観にも似たあきらめの表情を作っていた。。
「ふふ、新婚さんですか? 初々しいですわ」
「え、えへへ…。ま、まだ慣れなくって…。え、ええと、この人、街ではそれなりの魔導士なんだけど、少し前に魔導士特有の病気、魔痕種にかかってしまって…」
「魔痕種と言えば、相当魔導を使いこなせる人がかかる病、まぁ、お若く見えますのに、大変な方ですのね」
 魔痕種は実際にある病であり、魔導士に限って多く見られる病である。
 特に熟練した魔導士に多く、その症状は強いて例えるなら癌に似ている。
 体内には本来存在しないエネルギー物質、マナを酷使する事で多数の臓器が慢性的な中毒症状を起こし、しかし物質的に存在しない因子による症状のため血液内の免疫物質が対応できずに異常を起こす。それはやがて正常な臓器を攻撃しはじめ、それにより臓器細胞が異常増殖、変異を起こすというものである。
 そもそもマナに寄り引き起こされるこの病はマナを使用して発生させる魔導、ヒーリングやキュアを受け付けず、一般治療しか有効な手だてはなく、そして治療効果は極めて弱い。
 魔導士にとって死病と恐れられるゆえんである。
「そ、そうですね。それで、魔痕種は発見が送れると死病になると言われていて、それで、この人は、発見が後れて…」
「まぁ…。お察しいたします。でも、あなた達は大変な幸運の持ち主ですわ」
 少女が悲痛そうな顔立ちをぱぁっと明るくして言う。
「え?」
「明日の正午に、一ヶ月に一度の奇跡のミサが行われるのです。本日到着しなかったら、次のミサは一ヶ月後でした。何という幸運でしょう! しかも、魔導を扱う方の病は特に素晴らしい効果があります。今までにも、多数の魔導士の方が救われたのですよ」
「そ、そうだったんですか? いつでも、じゃ無かったんですか?」
「メシアの光は何にもまして尊いもの。人を救うのが使命とはいえ、その力はいつでも使えるものではないのです。逆に言えば、メシアの御光を受けられる時期に来られる方こそ、メシアに選ばれし生きる価値のある方と言えます。あなたのご主人は、きっと選ばれし刀のです。ああ、何という幸運でしょう。そして、そんな方をご案内できる私も幸運ですわ」
「は、はい。ありがとうございます」
「本日はゆっくりお休みになり、明日、教会に要らしてください。私の名を出せば、あなた方は特別にメシア様の側に座らせて差し上げましょう」
「あ、ありがとうございます。あ、あの、でも…ボク達、あなたが、聖女リリーナと言う人がメシアだと聞いていたんですけど…?」
「ふふ、外に情報が流れるとどうしても不確実になってしまいますね。私はメシアに使えるただの使いの者。聖女などと畏れ多い名で呼ばれていますが、それはメシア様の側にいるから、ただそれだけです」
「そうだったんですか…」
「さぁ、夜露は体に毒です。ここが宿屋ですよ」
 聖女リリーナはほほえみ、お大事にと言って去った。
「ありがとうございます」
 アルルはしばらく後ろ姿を見送り、周囲を見渡してから宿屋に入る。
 二人が通された場所は、質素な作りだが大きな宿屋だった。
 受付もメシアに救いを求めてやってくる旅人が多いと見え、手慣れた者である。二人は程なくして三階建ての宿の二階に通される。
 部屋にシェゾを入れ、アルルは扉を閉じた。
 途端、少女は布を勢いよく外し、扉の外をうかがうべく耳を添える。
 それは誰でもない。アルル・ナジャである。
「何やってんだ?」
 同じくぼろ布を脱ぎ捨てた男が声をかける。
 こちらはシェゾである。
「え? いや、一応用心…」
「お前、聞こえるのか?」
「…ぜんぜん」
 なんだよう、とアルルはむくれながらシェゾの隣に座った。
「善根宿っていうからどんなあばら屋かと思っていたが、なかなかどうして立派なもんだ」
「ロビーにも、沢山の人が居たね」
「ああ、人以外もな」
「え?」
「おかしな体温や息づかいを感じた。ありゃ、グールだ」
「ぐ!?」
 アルルが飛び上がる。
「ちょ、ちょっとまって! グールって、グールって、いわゆるひとつのあんでっとでございますマスター!」
「街に入った人間は生きて出てこられない。最初に言ったぞ」
「しし、死ぬだけじゃなくって、グールになるなんて聞いてませんっ!」
「早く気付いて良かったな」
「よくない…。アンデットに囲まれているなんて、気持ち悪いよう…」
「我慢しろ。第一気付かないのもどうかと思うぞ。お前だって仮にも魔導士の卵だろうが」
「でも、見た目は普通の人だったもん。普通のグールと違うよぉ…」
「そうなんだよな。防腐処理でもしているのかね。だから気付かれずにどんどんこうやって来ちまうんだろうな」
「あ、あの外に居た人達も、元は助けを求めに来た人なのかな?」
 アルルはそれでも気の毒そうな目でつぶやく。
「だろうな。なんでこんな風に外に放置しているかね? ま、たぶん人がいると安心するってのを狙ってだな」
 アルルは納得、と頷く。確かに、大勢の人が居ると思うとどことなく安心するものである。
「門番の人は?」
「おそらくまだだろう。それと、今回の騒動の目的も少し分かってきた。奴が欲しいのは、助けを求めに来た連中の精気の様だ。そして、特にやはり魔導を欲しがっている。魔痕種なんて特殊な病気の名前を聞いて、あの女目をきらきらさせやがった。つまり、魔痕種にかかる様な魔導力の持ち主は大歓迎って事だ」
「…一体、犯人って、何をしようとしているの?」
「それを調べるのも目的の一つだ」
「そ、そうなんだけど! あ、それよりシェゾ、どうして善根宿?」
「普通の宿じゃ、変に出入りしたらすぐ怪しまれる。善根宿なら出入り自由だ」
「あ、そうか。だからかぁ」
「個室ってのは想定外のラッキーだったがな。こうして作戦も話せる」
「うんうん」
「さて」
 シェゾはいきなり上着を脱ぎ出す」
 アルルは息をのむ。
「シェ、シェゾ?」
「お前もさっさと着替えろ」
「こ、ここここんなところでこんな時にそういうことはうれしいけどまずいんじゃないかと…え? 着替え?」
「ぼろ布のまま調査する気か」
 そう言ったシェゾは、既に黒の上下とマントを羽織っていた。
「あ、そ、そうか」
 アルルはカーテンの奥に身を隠して着替えをすませる。
 くたびれた旅人姿だった二人は、冒険者のそれに変わっている。
「そう言う訳でアルル、行ってこい」
「にゃ?」
「行ってこい」
「…にゃ、にゃ?」
「にゃ、じゃない。お前の役目を果たしてこいって言っているんだ」
「あ、あの、何を?」
「だから俺のヴァンパイア化を消すための何かだ。俺は教会の奥を調べる。どうせ騒ぎが起きるだろうから、その隙に探せ。そう言う手はずだからお前を連れて来たんだろうが」
「そうなんだけど、具体的なお仕事内容を、何か…」
 シェゾはああ、と話し始める。
「このヴァンパイア化、普通のヴァンパイア化と違う事は確かだ。何かしらの魔導、もしくは科学的な操作を受けた奴が居る。それなら、かならずそれを実験した場所が協会内にある筈だ。あそこが本拠地だからな。お前はそこを探して、その何かを探せ」
「何かって…まぁ、何か?」
「そう」
 シェゾは当然、と頷くとさりげなく期待の視線を注ぐ。
「う゛う゛…今はこの視線が辛いにゃぁ…」
「アルル。行動開始だ。今すぐ」
「待って、荷物整理してから…」
 だが、時間は待ってくれなかった。
 シェゾがアルルの腰を鷲掴みにし、ベッドに放る。
「わぁっ!」
 訳も分からずでんぐり返しでベッドに落下したその時、同時にアルルが立っていた方向の壁を突き破り、物干し竿の様な長さの槍が4本突き出る。
 シェゾは突然壁から生えた槍の一本を鷲掴む。。
 まさか掴むとは思わなかったのだろう。
 槍の向こうからびくりと驚きを伝える震えを感じた。
 シェゾはふん、と気合いを入れ、そのまま思い切り槍を引く。
 壁の向こう側に堅い物がぶつかる音。それと同時に、煉瓦の壁は勢いよく崩れ去る。
 壁の向こうから現れた、巨大な鎧姿の兵士を引き連れて。
「きゃああっ!」
 豪快な音と共に鎧の兵士は倒れ、たまらず槍の手を離す。
 シェゾの手に渡った槍は、次の瞬間には兵士の鎧を紙の様に突き抜け、首筋から胸へと貫通、床ごと貫いていた。
 恐るべき力。だが、今のシェゾにとっては特にどうという事はない。
 手に、痙攣する筋肉の感触が伝わる。
 槍を引き抜くと同時に、穿った穴から同じ姿の三人の鎧兵士がなだれ込む。
 シェゾは泡を食っているアルルを脇に抱える。そして、体から引き抜いた槍を窓に向けて投げ、割れた窓からそのまま街に飛び出した。
 無論、ここは二階である。
 アルルはパニックだった。
「う、うわわっ!」
 落下したと思ったら、次の瞬間には視界が横に流れる。
 自分の体は地面に届かず、それでいて周囲の風景は飛んでいるかの様に流れ続ける。
 人の走る速さではない。
 それは、狼か何かが失踪する速度に匹敵するか、もしくは凌駕している。
 それがやがて突然の落下という形で終わった。
 体が宙に浮いているのは、時間に直せば2分と無かった。だが、視界は既に街の反対側辺りへ移動している。
 人気のない、廃墟が並ぶ場所だった。
「痛っ!」
 いきなり石畳に放り投げられ、アルルは遠慮無く体を地面に転がらせる。
「あ、あいたた…」
 腰を押さえながら立ち上がると、周囲には誰も居ない。
「…つつ…シェゾ?」
 足元を見る。
「…わぁっ!」
 そこには、だらしのない格好で横臥しているシェゾが居た。
 一緒に転んでいるらしく、服はアルルと同じく砂埃である。
 苦しげに呻き、そしてその口元にはわずかだが鋭く伸びかけた犬歯が見えていた。
 アルルの背筋が凍る。
「飲んでっ!」
 アルルは抱き起こし、懐に仕舞っておいた
 薬瓶を開け、シェゾの口に入れようとする。
 だが、苦しげに歯を食いしばるシェゾの口は開かず、口の中に注ぐ事を試したが、液はそのまま口元を流れ落ちる。
「シェゾ!」
 アルルは自分の口に薬を含み、シェゾの口に自分の唇を重ねた。
 手で口元を押さえつつ人工呼吸の要領で必死に液を口の中に吹き込む。
 自分の口に含んだ薬の味は正直気が遠くなりそうな不味さだったが、それでもアルルはシェゾの唇を噛む様にして隙間無く塞ぎ、唇で歯を開かせ、わずかに開いた隙間から液を流し込んだ。
 シェゾの喉が鳴り、びくり、と大きな痙攣を起こして体から力が抜けた。
 アルルはシェゾの唇の感触を楽しむ暇など微塵もないままに、口移しを三度程繰り返す。
 ようやく、かかしの様に硬直していたシェゾの体がぐにゃりと柔らかくなり、大きく息を吸い、そして目を開けた。
 いつも通りの瞳がアルルを映し出す。
「…ふぅ、シェゾ…分かる?」
「半端魔導士」
 瞳は蒼い。
「…だいじょぶだね」
 アルルはシェゾの頭を抱きしめた。
「行くぞ」
 シェゾが立ち上がる。
「あ、うん。ボク、教会の中を調べるね」
「俺は裏から行く。ま、ばれてるけどな」
「でも、ボクが調べる間の囮になってくれるんだよね?」
「結果的に」
「…シェゾ、気をつけてね」
「薬、まずかっただろ」
「へ、平気!」
 アルルはまっかになってべっと舌を出す。
「気をつけろ。いざとなったら逃げてかまわん」
「そんなこと、出来ないよーだ」
 アルルはシェゾが指さした方向へ向かって走り出す。
 少し走り、振り向く。
 その時、シェゾは通りの向こうへ向かって走っていた。。
 気をつけて、シェゾ。
 そう言って走り出すアルルは、しかしその時シェゾの手が袖の中に隠れている事に気付いてはいなかった。



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