魔導物語 少年の色々な意味で危険な一日 第七話 「…そんな事が…」 「ウイッチ、知らなかったの?」 「わ、わたくし、普段はご承知の通り一人暮らしですから、何かご用があるとき以外は特に連絡も取っておりません。それに、手紙や伝書鳩にしても、大切なご用はむしろ運びません。途中で行方が分からなくなる危険がありますから…」 「そう、か。こんな大変な事、逆に言えないよね」 「…おばあちゃん、昨夜の修行の最中、シェゾから何を聞いても冷静に、と言われていました。…これの事、でしたのね」 ウイッチが身を縮ませて項垂れる。 「…心構え、しているつもりでしたが…そんな非道い事が…」 滅多に帰らぬとは言え、知り合いが居ない訳ではない。 誰か自分の知り合いが巻き込まれていたら。 漠然とした不安と恐れはウイッチの足に震えを起こさせていた。 「辛いだろうが、続きは聞いてもらう」 静かに告げるシェゾ。 その言葉に、ウイッチは反射的にシェゾの手を強く握った。 「事件の事自体は、およそ半年前から情報としては知っていました。ですが、特にギルドからもどこかの国の機関からも、何かしろとの依頼がある訳でも無し、被害も実際はどの程度かも知られていませんから、軽い調査程度にとどめていました。ですが、とある村で神隠しが起こり、住民が誰一人居なくなった現場で調査していた子から一つ、気がかりな残留魔導波を検出したとの報告がありました」 「それが、闇魔導の波動、か」 ウイッシュはうなずき、様々な鉱石や瓶の並ぶ戸棚から一つの石を取り出す。 「これが、波動を封じた石です。持ち帰らせ、調べたところでは、闇魔導の波動とはいえノイズが多く、とうていあなたのそれには及びませんでした。闇魔導のもどきが存在する事は無論知っていますから、そういった関係の厄介事だと分かった以外は、特に手を打ちませんでした。不純物の多いそれらは、往々にして自然消滅する事が殆どですからね。だから、波動の分析と、それらしき現場を探す様に、そう初めはしたの。でも…その程度の認識…それが甘かった」 シェゾは棚に近づき、一通りを見回すと一つの水晶玉を取り出す。 形こそ完璧な球体だが、通常は無色透明な筈の水晶は、どす黒い色に染まり、尚かつその色が鉱物である水晶球の中で蠢いている様にすら見えた。 「奴らは、消滅どころか少しずつ純度を上げていった。そして、こうして魔導吸収球でも吸いきれない程に力を付けていたそれは、里を狙った…」 「森に入ったとき、その力は流石に危険な物と感じ得る程に成長していました。私たちは、直ちに討伐隊を編成、修行場にも足の速い使い魔を飛ばしました。でも…」 「討伐隊は間に合わず、使い魔も…無駄死にか」 机を拳で打ち付ける音が響いた。 「…今のお前にこう言っては何だが、少々不用心だったな」 「…返す言葉もないわ」 「だが、奴らの隠蔽の仕方は完璧だった。依頼された訳でもない噂に、お前達が本気で動かないのは当然だ。闇魔導の波動を発見したときはもう、遅かったって訳だ。…対応は完全じゃなかった、だがこの事象、お前の責だけでもない」 「シェゾ…」 決して思ってはいけない、しかし心のどこかで、嘘でもいいから誰かに言って欲しかった言葉。 ウイッシュはシェゾの背中にもたれ、泣いた。 夜は更けていた。 周囲を森に囲まれたこの里は、耳を澄ませば風と共に枝葉の揺れる音、そして精霊達が飛び交う音が、その気になればかすかに聞き取れる場所。 音と共に、蛍の様に時折輝くそれは、言葉通り幻想的な風景だった。 ベッドに横臥したまま、シェゾはぼんやりと窓から夜空を眺めていた。 あと二時間もすれば太陽が昇るだろう。 つい最近、日の出が、昼間が、どうにも苦手になっている気がする。 嫌いとか合わないとかそういうレベルではなく、皮膚から内臓から、骨までもが、何らかのシグナルで太陽を嫌だと言い始めている気がしていた。 横になっていても、どうにも体が火照る。 元より闇は彼の領分だが、それ以上に今は夜という闇が愛おしくすら感じる。 青の瞳に映る漆黒の夜空。 それが今のシェゾの視界には、まるで昼の青空の様に見えている。 「…やれやれだ」 あの日以来、彼は思いつく限りのヴァンパイア化の遅延、あわよくば進行の停止、消滅方法を探した。 だがやはり事は思う様に進まず、結局鋼の根性で精神的な汚染こそ抑えて居るものの、身体的変化は日に日に進んでいる。 このままでは、どう堪えてもせいぜい半月でヴァンパイア化してしまうだろう。 死にかけた事なら良くあるが、流石にヴァンパイアになった事など無い。 例え闇の魔導士と言えども、肉体を不死化される症状に晒されて正気を保っていられるかの自信は無かった。 不意に、ドアがノックされる。 「起きている?」 「ああ」 ウイッシュがそっとドアを開いて入ってきた。 薄手の白い夜着はウイッシュの体のラインを浮き立たせ、今のシェゾの瞳ではまるで裸同然にすら見えていた。 「…お待たせ。これが、今ここにある最良のヴァンパイアグラスから抽出した解毒剤、いいえ、解毒、とはいかないから、抵抗剤という所ね」 ウイッシュはその手に皮の袋を持っていた。 シェゾの横に腰を下ろすと、中から六本の小瓶を取り出し、ベッド脇のローテーブルに並べる。 小指程の大きさの細い小瓶にはウイスキーの様な琥珀色の液体が満ちており、それはコルクと麻紐、更に蝋で封されていた。 「こんな物を作ったのはずいぶん久しぶりだわ。グラスが乾燥に強い植物で良かった。久々の精錬しごたえのある魔法薬で、眠気一つ感じなかったわ。すごい充足感」 「これで、どれくらい持つ?」 シェゾは瓶の一つを手に取ると、しげしげと眺めて問う。 「一瓶で、およそ四、五日」 「全部でおよ一ヶ月か。ヴァンパイア化の遅延記録としては新記録になるな」 「でも、ここにある材料では、本当に遅延させるだけ。しかも、最も体に負担が大きい、身体退行化によってヴァンパイア細胞を騙しているだけよ。それに、どうしても抵抗力がつくから、もしかしたら、最後の辺りは一本一日とかかもしれない。とにかく、一本飲む毎に効果は薄れると思って」 「だな」 シェゾは一瓶の封を開け、ややとろみのある琥珀色の液体を一気に飲み込む。 「…不味い」 今まで、様々な薬効のある飲み物を飲んだ事があるが、それでも初めての味だった。 成分を吸収しやすくする為に配合されたきついアルコールが喉を焦がし、驚いた喉に様々な薬草の味が流れてゆく。 ふと、体の芯から不可思議な熱がわき起こる。体の中心から波紋の様にそれは流れ、軽い頭痛と共に消えた。 ウイッシュは、シェゾの頭を両手で抱え、小声で呪文を唱えた。 「…うん、これで、少なくとも現状の表面的なヴァンパイア化の抑制は有効よ。細胞自体が、ヴァンパイア化を抑えているわ。そして、退行化呪文を使えば…そうね、七歳くらいで効果が現れて、魔導的なヴァンパイア化自体が抑えられるわ。通常状態で、進行停止。退行時で、効果自体の消滅、ね。覚えておいて」 「そうか」 「ただ、さっきも言ったけども、ここにある材料だけじゃ最低限の効能を発揮するだけで精一杯。副作用も考えられるわ。だから、あの子の所に行って。私も、情報を集めておくから。シェゾ、こんな頼りない薬で、ごめんね」 「いや、世話をかけたな。疲れただろう」 「全然平気」 「徹夜したんだろ」 「今から寝るわ」 「目が冴えているんだろ」 「一つ、教えておくわね」 「ん?」 「この薬ね、すこぉし副作用があって…」 ウイッシュは妙に幼い声を出す。 そして、そっとシェゾに耳打ちした。 「なるほど」 「だから…今から、たくさん疲れる事になるわ」 ウイッシュは、滲み出る様な艶やかな笑みでシェゾを見つめた。 「それから、ウイッシュはこの薬に関する緩和剤となる本の情報、奴らの行動の情報を集めていた」 「そういう事だったんだ」 アルルがやっと話が繋がった、と深呼吸する。 「じゃ、じゃあ…私が調合のヘマをしたせいで、シェゾの記憶が一時的に…」 「あのままだったら、まぁ危なかったな」 「うう…シェゾ…あの…ごめんなさい…本当にごめんなさい…」 振り向くと、ウイッチは小さな肩をふるわせている。 想像していたより遥かに悪い結果を招いていたと知り、改めてウイッシュが自分に言った言葉の重みを噛み締めている。 「それはもういい」 誰でもない、自分に降りかかったであろう災難に対してそれはあまりにもあっけない恩赦の言葉だった。 「あの、それじゃあのサイクロプスは?」 「あの後、記憶を混乱させたせいで、気合いで抑えていたヴァンパイア化が一時的に進んだ。かろうじて子供には戻ったが、どうやらうっかり力を解放しちまって、次元の壁に穴を開けたらしい。サタンがまた五月蠅いぜ」 あっさりと言うがとんでもない話だった。 「…あれ、つまり、シェゾが呼んだ…?」 「サイクロプス、呼べちゃう…」 「その気になれば、そうなるらしいな」 他人事の様に言うがとんでもない話である。 人にあらざる存在。 その言葉が意味する事実の一端を実感する二人だった。 「ところで、副作用ってなんですの?」 「気にするな」 「気になりますわ。それって、おばあちゃんが言った疲れる事と関係ありますの?」 「かもな」 「なにー?」 「なんですのー?」 二人はシェゾの腕にしがみついて鳴く。 「……」 本気で、そろそろカタつけよう。 シェゾはヴァンパイア化による人としての死より、精神の疲弊による死を心配していた。 半月が経過する。 薬の効果があるとはいえ、昼の日差しが苦しくなりつつあるシェゾの足はどうしても距離が稼ぎづらく、予定より日にちが掛かっていた。 ようやくの事で、二日前からシェゾ達は、カドゥスの街から一つ離れた村に滞在している。 村に唯一の宿屋に栗色の髪の少女が駆け込む。 三階、一番奥の部屋の扉がノックされ、返事も聞かずに開かれる。 「シェゾ!」 「…静かにしろよ」 「あ、ご、ごめんね。具合、どう?」 「見ての通りだ」 「う、うん…」 部屋は、昼間だというのにカーテンを閉め切り、雨戸も完全に閉められていた。 薬は効いている筈だが、シェゾの体が太陽の光をどうにも嫌うのだ。 「お薬、そろそろ飲んだ方がいいよ?」 「抵抗つくのが恐いからな」 「そう…」 「シェゾ」 そこへ扉がノックされ、ウイッチも部屋へ入ってきた。 「あ、お帰り」 「アルルさん、いかがでした?」 「え? 何が?」 「カドゥスの情報ですわ! 何しにわたくし達が行動してますの!」 「あ、ああ、その事ね。ちゃんと聞いてきたよ。さりげなーく」 「で?」 「あのね、やっぱりカドゥスから最近来る人居ないって。しかも、旅の人だからこっちに戻るとは限らないんだけど、それにしてもカドゥスに向かう人は居ても、戻ってくる人居ないって」 「それ、まるで蟻地獄ですわね」 「じゃ、間違いないよね」 「ああ」 シェゾは眩しそうな、だるそうな表情で応えた」 「シェゾ…可愛そうですわ…お薬は、あといくつですの?」 ウイッチは心底申し訳ない、と言う顔で気遣う。 「二つ」 「…予想より、抵抗強まっているんだね…」 「申し訳ありません、シェゾ」 「お前じゃないだろ」 「おばあちゃんなら、きっとこうおっしゃいますわ」 「これはどうしようもない。ウイッシュは最上の仕事をしてくれた。ここまでヴァンパイア化が伸びただけでも奇跡ってやつさ」 「…ありがとうございます」 「シェゾ」 アルルが真面目な顔で呼ぶ。 「ん?」 「ボクには何も出来ないけど…でも、ヴァンパイアになんてならないでね。シェゾは強いよね? 最強の闇の魔導士だよね?」 「…そういや、久しぶりにお前から聞いたな」 「え?」 「闇の魔導士」 「あ…そ、そう?」 「まぁ、俺も黙って人外になる気はない。ある意味闇の魔導士は既に人外もいいところだがな」 「そんなことないっ!」 アルルとウイッチの声が重なって響く。 「かどうかはともかく、今夜出発する。今は新月だ。眩しくなくていい」 「う、うん」 「すぐ、支度しますわ」 夜のチェックアウトは異様と言えば異様だ。 だが、若い、と言うか若すぎる女二人連れと見れば事情は、と言うか情事があるのだろうと、宿屋の亭主はむしろ声援をかけて彼らを見送った。 「いいご主人でしたわ」 「…そう?」 「だって、予定より早いチェックアウトでしたのに、嫌な顔一つせずお見送りまでしてくださいましたもの。宿の質はそれなりですけど、今後は贔屓にしてもよろしいですわね」 「…ボクには、何か半分以上好奇の目で見送られた様な気がするんだけどなぁ」 多分、合っているぞ。 それは言わずにおいた カドゥスに至る道中、しかも月の見えぬ暗闇の道中は女どころか、そこらの男でもそうそう楽には歩けまい。 耳を澄ませば狼やそれ以外の何かの遠吠えが聞こえ、そして道とはいえ安全は無い。 「止まれ」 シェゾが二人を静止する。 何事かと先を見た二人は、視線の先に薄赤く発光する霧の様な何かを発見する。 「あれ、何ですの?」 「妖魔の一種だ。あの霧に体が触れると、そこから一気に体内に侵入してくるぞ。脳に到達されたらお仕舞いだ」 「…ど、どうしたらいいの?」 「倒すのは訳無いが、探知機の危険もある。避けて通る」 「どうやって? あれ、なんかこの先の道にものすごく沢山漂っているよ?」 「声出すな」 シェゾの瞳が黄金色に光る。 そしてシェゾは二人をやおら両脇に抱え、突如助走も無しに空へ跳躍する。 「わぁっ!!」 「きゃっ!!」 アルルとウイッチは、突然の浮遊、そして数秒後に始まる自由落下を体験した。 そして水面の浮き石の様にたまたま妖魔の居ない場所を瞬時に探し当て、そこへ着地したシェゾは、再び二人を抱えたまま十メートル以上の跳躍を繰り返す。 数分後、シェゾは妖魔の群れの途切れた高台の上に足を着け、二人を降ろし、と言うか荷物みたいに落とした。 「んぎゅ!」 「いたいっ!」 ジェットコースターのフルコースみたいな感覚を味わったあげくの、突然の降車。 二人は腰を押さえつつ起きあがる。 「舌噛まなかったか?」 「と、とぶまへにいっへ…」 「シェ、シェゾ、もうちょっとやさし…」 「悪い」 二人は自分が降ろされた場所を見て言葉を失う。 「…え、えと、わたくしたち、さっきまで、あの、丘の向こうに居ませんでした?」 ウイッチがそっと指さす丘。 「だ、だよね? そうだよ、ね?」 それは、ほんの数分前まで自分達が居た場所。 数キロメートルの低地を挟んだ丘であった。 「…これ、もしかして…」 「ヴァンパイアの力が出たようだ。ヴァンパイアは通常で十人力って言うが、結構便利だな」 二人は蒼白となる。 |