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魔導物語 少年の色々な意味で危険な一日 第五話



 翌日。
 三人はウイッシュに見送られ、シェゾの家よりとある土地に向けて歩き出す。
「シェゾ」
「ん?」
 アルルが声をかけるその先に居るのは、相も変わらず子供のままのシェゾ。
「わたくし達、一体何処へ参りますの?」
「カドゥスって街を知っているか?」
「カドゥス…存じません」
「どんな所?」
「小さな田舎町だ。山間の街で、拾い白樺の森に囲まれている。森の中に…確か、澄んだ湖があったのを覚えている」
「わー素敵ー!」
「避暑に良さそうですわ!」
「そこに、聖魔導教会から分派した新興の宗教団体がある」
「新興…宗教…ですか?」
「近付きたくないなぁ…」
 二人が揃って眉をひそめる。
「そこに、用があるの?」
「そうだ」
「一体、この度の事、それと貴方の幼児化に何の関係がありますの?」
「巨人は見たな?」
 巨人。
 忘れよう筈もない、あの巨大なサイクロプスの事だ。
「勿論ですわ」
「あれ…本気で怖かったよ。シェゾ、よくあんなのと戦えるよね。こんなちっちゃいのに」
 アルルがシェゾの頭に手を乗せる。
「乗せんな」
「あ、ごめん。こんな事、今しか出来ないからさ」
「そうですわよね、確かに」
 ウイッチも、そうそう、と頷きながら銀髪を撫でる。
「普段だと、だっこでもしていただかなければ頭に手なんか届きませんもの」
「ねー」
「ねー」
 二人はシェゾの頭や頬を、今ぞとばかりに遠慮無く撫でまくる。
「いや、あのな、話…」
「もうちょっと」
「もう少し」
「…あのな、お前ら。まだ事の重要性、理解してないだろ」
「と言うか、詳しい話は本人に聞いてねって言われてるから」
「ですわ」
「……」
 シェゾは天を見上げて溜息を吐いた。
「四ヶ月は前の事だ」
 シェゾは呟く様に話し始めた。

 人口千人程の小さな街、カドゥス。
 辛うじて有名なのは特産の冬野菜程度と言う、特にどうと言う事はない街だ。
 その年のとある日、例年より半月ほど早い初雪が降りはじめた。
 雪の降り出す数日前から急激に寒さが増した為、街の人々は大体予想していたらしい。
 周囲の家々や木々を見ると、雪囲いやソリ、スコップがあちこちに用意されている。
 とある広場では、キャンプファイヤーの様に大きな焚き火が燃え上がり、天を焦がさんとばかりに炎を突き上げていた。
 焦げ茶の防寒具に身を固め、しわくちゃで痩せた顔だけを出した老人が居た。
 色あせた樽に腰掛け、かれこれ小一時間も炎を眺め続けている老人が居た。
「グリフのじいさん、いつまでもそんな所にいたんじゃ乾涸らびちまうぜ」
 グリフと呼ばれた老人は人形みたいな動作で顔を上げ、声の主を見上げた。
 そこにいたのは、熊が人に進化したらこうなるだろう、と学者が見本にしたくなる様ないかめしい男。
 顔つきは弁当箱の様に四角で、顎に蓄えた真っ黒な髭はワイヤーの様に堅そうである。
 体格も小型の熊並みで、着ている服が黒と茶の毛皮なので、尚の事熊を連想させる。
「アントワーヌ…もう狩りに行くのか?」
 外見とは想像も着かぬ名前で呼ばれた熊は、背中から小さな大砲を思わせる猟銃を取り出し、おう、と顔中を口にして笑った。
「婆さんが探していたぜ。さっさと藁を野菜にかぶせてくれってよ」
 アントワーヌはそう言って広場から姿を消す。
 周囲には他にも大勢人はいるが、存在感たっぷりの男が一人消えると、それだけでも随分広場が寂しくなった気がしていた。
 ふと気が付くと、炎の周囲に十人程、真っ白なローブに身を包んだ寒々しい色合いの男女が輪を作り、何やらぶつぶつと呟きながら印を切っている。
 老人は顔をしかめた。
「やれやれ、『雪の火柱』を眺めるのが好きなんじゃがのう」
 グリフが立ち上がろうとしたその時。
「これが『雪の火柱』か」
 老人は心臓が止まったかと思った。
 いや、実際止まったかも知れない。
 動悸に目が回り、グリフは再びよろよろと樽に腰を下ろす。
「…どうした?」
 声が聞こえたが、今は自分の心臓の具合が優先する。少しの間深呼吸をしてから、ようやくグリフは声のする方を向こうとする。
「…ん?」
 そこまで来てグリフは基本的な問題に出くわす。
 一体、今の声はどこから聞こえたのか?
「こっちだ」
 再び声が聞こえた。
 今度は声のする方角が分かる。
 グリフは心臓が落ち着いている事を確かめてから、ようやく声の主を見る事が出来た。
「…ずいぶんべっぴんさんじゃのう」
 声の方向を見てから呟いた一言目はそれだった。
「…何?」
 そのつぶやきにべっぴんさんは眉をひそめた。
 老人が見た人物、それは艶のある真っ黒な皮のローブに身を包み、頭を対照的な白のファーの帽子に包んで立つ者だった。
 ややサイズが合わないのか、ローブの皺が随分と大げさである。
 老人が座っている状態から少し顔を上げるだけでその人物の顔がある。
 身長はせいぜい百五十センチ程度だろう。
 ファーから除く瞳は、大きく丸く、そしてつり上がった切れ長の蒼い瞳。
 小さいながらも筋の通った細めの鼻は、そのまま口元を隠す白のマフラーに続いていた。
「こんな小さな街に何様かの? 女の一人旅は危険じゃぞ」
「……」
「観光ならここを真っ直ぐ行ったところに役場がある。そこで…」
「俺は男だ」
 声を遮る声。
「おや?」
「声で分かれ。声で」
「声…のう」
 正直、その声はやや低い程度の女の子の声に聞こえたのだ。
 沈黙を良い方向と感じなかったのか、その人物はマフラーで隠していた口元を寒風にさらけ出した。
 唇も薄く整っており、そう言う意味では確かに老人が見たら美人に見えるのかも知れない。
 だが、それに比べて顔の輪郭はやはり女性と比べると骨太である。グリフはようやく目の前の人物が、彼女ではなく彼なのだと納得した。
「最近の若いもんは美人顔じゃのう」
 それでも未練でもある、とでも言いたげに呟く。
「俺、流石にそうそう女に間違われる事は無いんだがな…」
 男は帽子も取り、その下から現れた銀髪が風に舞った。
 老人はそれを見て、どこか人とは違った雰囲気を持つ男に少々見惚れる。
「儂、そっちの趣味は無い筈じゃが…」
「気色悪い事言うな」
 男は一蹴した。
「それより、これが雪の火柱だな?」
 男は老人の隣に立ち、指で焚き火を指して問う。
 まるで男装の麗人が語りかけているかの様だった。
「あ、ああ、そうじゃ。カドゥス唯一の冬の風物詩じゃよ。雪が降り始めてから広場の雪が消えるまで、この炎が消える事は無いんじゃ。なかなか豪気じゃろ?」
「いつから燃えている?」
「二日前じゃ」
「…遅い、か」
「何?」
「じいさん、よそ者には注意しろ」
「あ?」
 そう言って振り向いた老人は目を疑った。
 男は既に背を向けて歩き始めていた。
 だが、背中越しのその姿は、明らかにたった今まで見ていた身長とは異なっていたのだ。
 老人の前から姿を消そうとする男。
 その体格は正に青年のものとなっていた。

「一ヶ月前、トイースって街でメシアが現れたとか言う話を聞いた事はあるか?」
 シェゾはアルルにだっこされたままで話し始める。
 歩くと言ったのだが、二人より移動速度が遅いとの理由で却下された為だ。
「お客さんから聞きましたわ。なんでも、伝染病が流行っていた街の人々を救った人が現れたとか…でも、その後は何も存じませんが」
「あ、ボクものほほからちょっとだけ聞いた。なんか、詳しくは知らされていないけど重病だった人が不思議な治療で治ったって話だよね」
「その街は今どうなっていると思う?」
「どうって…平和になったんじゃない?」
「復興の最中だと思いますわ」
 シェゾは小さく溜息をついた。
「誰も居なくなった」
「…え!?」
「な、なんでですの!?」
「疫病が消えたからだ」
「だからなんで!?」
「疫病が消えた、つまりそれは患者が居なくなったって事だ」
「患者…! ま、まさか、シェゾ? 患者が居なくなったという事は…あの、つまり…」
「街の人間は、いや人間どころか動物まで全てが駆逐され、焼き殺された。一切の例外無く、な」
 二人の足が止まった。
「歩け。時間はないぞ」
「あ、う、うん…」
「シェゾ、一体、どういう事ですの…?」
「そもそもトイースって街自体がかなり辺境の街だ」
「かも、知れませんわ」
「知らなかったし」
「言ってはなんだが、そんな街が疫病に晒されても周囲の街にとっては恐ろしくも何ともない。それくらい離れた街だった。だが、メシアが現れて疫病患者を救った。そう言う噂が広まった。一体誰が、何の為だ?」
「…ええと…」
「どうしてですか?」
「全ての元凶は力だ」
 シェゾは空を仰いで呟く。
「トイースの街が辺境にあるのは理由がある。その街は、住人のほぼ全員が魔導士だった。魔導師も居た」
「ぜん…いん?」
「うそ…」
 根本的に魔導を使えぬ人間と、素質を持つ人間、そして魔導を使える人間と人を二分した場合、その割合は9:1にも満たない。無論、1の方が魔導士である。
 潜在的に魔導を使える素質があるものを含めてもこの割合である。
 いかに辺境の街とは言え、全ての住人が魔導士と言われて驚かぬ道理はない。
 最も、それは魔導士としての知識がある者に限定されるが。
「それだけでもう、理由は分かるな?」
 冷たい声だった。
 アルルとウイッチはぎこちなく頷く。
「…魔導力が、目当てなの?」
「あの、あの、えっと…その、怒らないで聞いて頂きたいのですが…魔導力を、人の魔導力を奪うのって、闇魔導士だけだと思っていました…」
 ウイッチは、今は自分の方が視線が高いと言うのに、まるで小鳥の様に縮み上がりながら問う。
「基本的にはそうだ」
 対してシェゾは、全く日常会話で返す。
「だが、何らかの補助を使えば別に闇魔導士、古代魔導に頼らなくてもそれは可能だ。魔導器、魔導自体の能力、魔導生物、それから、人の魔導力を利用するってのもある」
 最後の言葉に、二人は身を固めた。
 何の確信もない。
 ただの思いつき。
 だが、自分がそうしたと言っても良いくらいの確信が添えられた考えが頭に浮かんだ。
「ひと、の?」
「魔導力を、ですか?」
「そうだ」
「ええと、それって…」
「あの…まさか…」
 二人の問いは怯える様な小さな声だというのに、シェゾ自身にとっては答えろと言わんばかりの圧力に感じた。
 それ程、恥じているのだろう。
「…俺の、力だ」
 やっと紡ぎ出されたその一言は、苦虫をダースで噛み潰した様な言いぐさだった。

 古代魔導という言葉があるが、魔導の歴史自体はそれより更に古いと言われる。
 魔導の歴史、それは突き詰めれば、人の世界を飛び出て魔界へと繋がるのがその理由だ。
 普段、シェゾが闇の魔導士としてと言うより、単純に探求心として古代魔導の歴史を調べる冒険を行う時、大抵は魔界というキーワードが現れる。
 最終的にはどうしてもそこに行き着くのかも知れない。
 だが、古代魔導士の歴史はその原点に行き着くまでに、数えきれぬ紆余曲折を繰り返している。
 所謂正史が存在する表だった魔導の世界すら、魔導士の人口比率を見ても分かる様に、一般人から見れば半ばおとぎ話、良くて考古学の様な、過ぎ去った世界の話なのだ。
 魔導の歴史は、そんな中に存在するほんの一握りの人間によって紡がれ、語り継がれ、研究されている。
 魔導があるかと言われれば、あるのだろうと人は答えるだろう。だが、あると答える人は少ない。
 魔法を目の当たりにしたところで、魔導と言うよりも不思議な現象で纏めてしまう。
 魔法使いという言葉はある。
 おとぎ話の中に出てくる、何でも出来る不思議な人。
 それが一般人の魔導士に対するイメージ。
 今ですらそうなのだから、魔導学園、大学、それらがある場所が人の目から見ていかに異質かは語るに及ばぬだろう。
 それが闇魔導、ひいては古代魔導となれば、最早おとぎ話どころか与太話である。
 シェゾは、そんなおとぎ話の中から必死に真実を紡ぎ出そうとしていた。
 ある日、シェゾは古い童謡の様な唄の中に興味深い記述を見つける。

 冷たき炎に身を焦がし、心を凍らされ、全てを吸い出され、辿り着かん、清浄なる地。

 何処にでも、いくらでもある一節だった。
 古代語で描かれた壁面にありそうでもあり、そこらの吟遊詩人が酔狂で歌った唄にありそうな詩でもある。
 だがシェゾは目を離す事が出来なかった。
 唄と言うより、それが書かれた本自体に何かを感じたのだ。
 その時シェゾが感じたのは二つ。
 興味という希望的要素と、黒い靄の様な不快感。
「正直、後者を優先させれば良かったと思う」
 シェゾは自嘲気味に笑う。
 それが、今の姿と関連する事は自明の理。
 人に恥を話して気分の良い人間は居ないだろう。
「シェゾ、かわいそう」
 アルルはシェゾに頬擦りする。
「可哀相ですわ」
 ウイッチがそれに続く。
「だから茶化すな! 真面目だ!」
 遠慮無く顔の両方から柔らかな感触と甘い香りが押し寄せる。
 シェゾは堪らずアルルの腕からすり抜けて歩き出した。
「本気だよぉ」
「そうですわ」
「尚悪い! こんな所で!」
 シェゾは堪らんとばかりに歩き出した。
「んじゃ、あとですりすりしてあげるね」
「ですわ」
「いや、そう言う事じゃなくてだな…」
 シェゾは様々な意味での意思の疎通の難しさを痛感していた。

 自分の意志で歩いている筈だった。
 だが、いつしか主導権は変わっていたのかも知れない。
 何の特徴も無い小さな本。
 それに、導かれていたのかも知れない。
 小さな街の朽ちかけた図書館。
 しかも鼠が走り回る地下書庫の、半ば放置された戸棚にあった本だった。
 考えてみれば、その様なものを探す術に他の人より長けているとは言え、それを見つける事が出来た事も怪しかったのだろう。
 だが、元よりこういった情報に罠や企みがあるのは百も承知。
 結果、シェゾは四日後には古本一冊をを片手に、一世紀以上放置されたままの廃村へとたどり着いていた。
 村の端から端までは、せいぜい十数キロ程度と思われた。
 本当に小さな村だったのだろう。
 周囲は林と川に囲まれ、水の心配は無かったらしい。
 それを示す残骸として、村の規模に比べてよく整備された水道が頑丈に姿を残していた。
 雨水を溜めた朽ちた木製の水道管からは、風化した木自体と風が運んだ土によって植物が根を生やしている。
「農村、か」
 周囲にはもはや気の棒にしか見えぬ程に朽ちた鋤や鍬が転がっていた。
 鳥の声すらまばら。
 川も昔と比べて川筋を幾分遠くへとずらしているらしく、今は川と言うより小川と言うべく、川底の岩があちこちに露出する。

 外れ、か。

 そう考え始めていた。
 次は何処を探索しようか。
 もう頭はそんな事を考えつつ、朽ちた家々を結ぶ道を歩いていた。
 ふと、シェゾの感覚が異常を告げる。
 驚異、危険、いや、この場合は正にその通り、異常な感覚。
 シェゾは何の気なしに進めていた歩に指向性を持たせる。
 気の道しるべが指し示す方向へと。
 足が勝手に進んだ方向。
 その行き着いた先にあったのは、大きな屋敷でも荘厳な教会でもない。
 単なる、そこらの朽ちた民家と何も代わりはない家だった。
 少々違うと言えば、その家の周囲は切り取られた様に他の建造物の類が無く、まるで数メートル先には他の家があるというのに、陸の孤島とでも言わんばかりの強烈な疎外感がある事だった。
 屋根には穴が開き、窓ガラスは変色して無惨に割れている。
 雨風を凌ぐ。
 それだけの目的ですら近寄りがたい何かがあった。
 だが、シェゾは逆にほう、と感心した様なそぶりで口元を緩め、目の前の民家に今回の旅の目的を見いだした。
 最もそれは今見いだしたばかりの目的だ。
 古代魔導の探求は常に期待外れと見当違いが豪華な程にサンドイッチされており、当初の目的を立てたところでそれを達成出来る確率など、アルルがテストで満点取るより少ないだろう。



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