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魔導物語 少年の色々な意味で危険な一日 第四話



「ん…」
 シェゾの瞼が開いた。
 シェゾの家。
 ベッドの上で寝ていたシェゾが瞼を開くと、ベッドの脇に二人が並んで座っていた。
「あ、気が付いた!」
「シェゾ!」
「…お姉ちゃん達…」
 呆けた様な表情で呟く。
 その言葉に二人は絶句した。
「な、治ってないじゃん!」
 アルルが青ざめる。
「あ、あら? さっきのを見たかぎりは…え? ええっ!?」
 ウイッチは顔を土気色にしながら狼狽えた。
「今すぐウイッシュさんとこ行って、命引き替えにしてでも解毒剤貰って来て!」
「お、おばあちゃんにこ…こんな事話したら、じ…冗談抜きで命の危険が危ないですわぁっ!」
 勘弁して、と泣き出すウイッチ。
「シェゾがお子様のままでいいのっ? 首に縄くくってでも連れて行くっ! 元はと言えばキミがお薬の成分間違えて渡したせいじゃないっ!」
「そ、そうですけど…でも、ど、どっちもいやああっ!」
 ぐずぐずになるウイッチ。
 四面楚歌状態だった。
「なるほど」
 二人の後ろで冷静な声が響いた。
「まぁ、完璧じゃないだろうとは思っていたが…それでか」
 幼い声なのに、異様に冷静。
 逆にそれがドスを効かせていた。
 二人は声の方向にそっと振り向く。
 ベッドから体を起こしたシェゾが、やれやれと言う顔で二人を見ていた。
「シェゾ?」
「あの…」
 呆然とする二人。
「ちょっと試しただけだ。記憶は、戻っているさ」
 幼顔故にどう怒った表情をしても可愛さが残る。
 正確に言えば怒っていると言うより憮然としている表情だったが、どのみち今の二人にはその表情を見てとろける余裕はなかった。
「記憶、戻って…」
「ごご、ごめんなさいっ!」
 ウイッチが跳ねる様にしてベッドに頭をこすりつけた。
「わたくし、魔女失格ですわぁっ!」
 肩を震わせるウイッチ。
 その方をぽん、と軽く叩くシェゾ。
「ま、そりゃ別にいい。半分は予定通りだ」
「え?」
 ウイッチがはっとして、と顔を上げる。
「必要最低限の材料は入っていた。アクシデントはあったが、まぁ充分だ」
「え? え…?」
 真意が見えない。
「あの…」
 アルルがそっと問いかける。
「シェゾ、一体何が目的だったの?」
「お仕事よ」
 突然、二人の後ろから声が掛けられた。
 アルルとウイッチは跳ね上がる。
「そっ、その声…!?」
 特にウイッチが縮み上がった。
「名目だ」
 シェゾがやんわりと否定する。
 シェゾの視線の先。
 二人はゆっくりと頭を向ける。
「久しぶりね」
 涼やかな声。
「お、おばあちゃん…」
 対してウイッチは、冷や水を浴びた様な声を出す。
 ウイッチの祖母にして魔女一族の長。
 ウイッシュが立っていた。
 魔女はその技を極める事で、外見的な年齢をほぼ一定状態に止める事が出来る。
 これは魔女の一族が美貌や知能も魔力の一部であるという特殊な感覚を持っているが為であり、事実魔女の一族には単純に外見で見るならば老若を問わず美人が多い。
 その為、その長たるウイッシュは、美しさは元より、年齢的にも見た目はせいぜい二十代にしか見えない。
 魔女とはいえ、ここまで外見年齢を維持出来る者はそうそういない。
 その点からも、いかに彼女が魔女として優れているかが理解出来る。
 ややつり目の蒼い瞳はどこかウイッチと似ており、端整な顔立ちは男女を問わず心を惑わす。
 清楚な青のロングワンピースはウイッチの着るものと同型だが、より身体のラインが浮き出るような裁断で縫製されており、彼女のスタイルの良さを強調する。
 そして、くびれのある腰近くまで伸びた銀のロングヘアは、プラチナの糸を垂らしたかの様に輝き、そして微かに甘く爽やかな香りを漂わせていた。
「ウイッシュさん…な、なんでここに…?」
 訳が分からない、とアルルが問う。
「言ったでしょう。お仕事」
 にこやかに微笑むウイッシュ。
「は、はぁ」
 アルルは頷くしかできなかった。
「……」
 そして、そんなにこやかなウイッシュを見ても緊張の極みにあるのがウイッチである。
 何がどうなっているのか分からないが、とにかく自分に対して厳しい状況である事は間違いない。
 ウイッチにとっておばあちゃん、ウイッシュは憧れと尊敬と敬愛、そして畏怖すべき対象でもあるのだ。
 怯えた猫の様な瞳でウイッシュを見詰めるウイッチと、不意にウイッシュの瞳が合わさる。
「…!」
 ウイッチは思わず瞳を逸らした。
「瞳を逸らすという事は…、私が今何を考えているか、理解していると思っていいの?」
 静かだが、だが抗えぬ凄味を含んだ声。
 魔女の長。
 その威厳が、ウイッシュ自身の気が二人を押さえつける。
「は…は、はい」
 体の震えが止まらない。
「…ごく」
 ウイッチのみならず、その気に晒されているアルルまでが萎縮していた。
「……」
 この静かなる修羅場。
 ぼぉっと暢気しているのはシェゾただ一人である。

 窓の外。
 青い空の元に鳥が飛んでいた。
 静かに風が吹き、少し先の森がめちゃくちゃになっている以外はまるで平穏な世界。
「さて」
 ウイッシュが話を始める。
「あ、あの…」
「おば、おばあちゃん?」
 二人が堪らず声を掛ける。
「何か?」
 ウイッシュはにこやかに微笑み、首をかしげて問う。
「……」
 シェゾは黙っていた。
「な、なんで…」
「なんで、シェゾがそこにいますのっ!」
 我慢が効かず、ウイッチが叫ぶ。
 シェゾの居る場所。
 そこはウイッシュの膝の上だった。
「あら、だってこんなに可愛くなるとは思わなかったんですもの」
 そう言ってウイッシュはシェゾを抱きしめ、あろう事かさも愛おしげに頬擦りまでしてしまう。
 ウイッチの頬と、シェゾの頬がぐりぐりと猫の頭突きの様に擦り合わされる。
 慌てるのは二人である。
「お、おばあちゃん! は…破廉恥ですわっ!」
「シェゾも抵抗してよぉっ!」
 二人は慌てふためきながら抗議する。
「いや、下手に逆らうと…」
 尚も頬をぐりぐりされたままのシェゾが力無く言う。
「何よ!」
「何ですの!」
「俺、戻れないかも知れないし…」
「え?」
「あ…」
 アルルが呆け、そしてウイッチは目が覚めた様な顔をする。
「そう言うコト」
「お、おばあちゃん…?」
 ウイッチは今までに見た事のない様な含みを帯びた微笑みに戸惑う。
「さ、あなた達二人にはやって貰う事がありますよ」
「え?」
 二人は声を合わせる。
「ここまではいいとして、シェゾを元に戻す為の用意が必要です。彼が闇魔導士という特殊な身体を持つ人だからいいものの、あまり躰を変異させたままでいると、どのような影響が起きるか分からないのですから」
「…それって、やっぱりわたくしの不手際のせいですか…」
 ウイッチは己の行動に怯えながら問う。
「いいえ、それとはちょっと違うの。あなたが行った行動に、一部問題はあったけど、決して極端に的外れな事はしていないわ。だから、必要以上に落ち込む事はないの」
「おばあちゃん…」
 顔がほころびかける。
「ただし」
 ウイッシュはそんなウイッチに、ぴしりと声を正す。
「間違いは間違いときちんと説明するべきよ。後でこっそりなんて、とんでもないわ」
「も、申し訳ありません…!」
 うなだれるウイッチ。
「よろしい。では、改めてお仕事よ」
「あの、ボク達、何をすればいいんですか」
 普段は温厚である筈の彼女の別の一面をかいま見てしまったアルルが、おずおずと内容を訪ねる。
「ほんのお使い程度。シェゾと一緒に体を元に戻す材料を探しに行って欲しいの」
「シェゾと、ですか?」
 ウイッチが問う。
「ええ」
「あの、ボク達、何を探せば…売っている……わけ、ないですよね?」
「探す半分、冒険半分、かしら」
「はい?」
「ウイッチ、あなたはこれを持って行って」
 ウイッシュはシェゾをようやく腰の上から降ろし、彼を解放する。
 テーブルの上に置いてあったビロードのショルダーバッグから巾着を二つ取り出し、それをウイッチに手渡した。
「これは…」
 ウイッチが中身を確認する。
「彼を元に戻す為に必要な基礎配合薬と魔導器よ」
 バッグと同じ黒い布の袋には、繭の様な感触の白い袋に入れられた八つの薬剤。
 もう一つの袋には、何色かの色が塗られたリトマス紙の様な細長い紙と、小枝のような形の金属片。そして歪めた球状の水晶が幾つか入っていた。
「容器は自分で調達しなさい」
「は、はい。でもこれ…見た感じですと時間の掛かる合成物では?」
「ええ、シェゾにお願いしたお仕事はまだ終わっていないし、あなたがそれを造り終える頃で丁度良い筈なの」
「では、シェゾの身体はまだ?」
「ええ、もう暫くは大丈夫。怠ける暇はないけど、完璧に薬を作る時間はたっぷりあるわ」
 ウイッチはその言葉に安堵する。
 どうやらシェゾがこのままと言う事は無さそうである。
「それ、何?」
 アルルがウイッチの手にある巾着を興味深げにのぞき込む。
「これは、このイグドラシルスチールを触媒と…って、何してますの!」
 ウイッチが怒鳴る。
「何って?」
 きょとんとした顔で問うアルル。
「……」
 その時シェゾは、アルルに抱きかかえられて足をぶらぶらさせていた。
「いや、こういう抱き方って今しか出来ないでしょ?」
「でしょ? ではありません! なんでシェゾをそんな風に…! シェ、シェゾも…!」
「しー!」
 アルルが静かに、と促す。
「な、何ですの?」
「起きちゃうよ」
「え?」
 アルルはほら、とシェゾを抱き上げる。
「…眠って?」
「うん」
 黙って抱きかかえられているかと思われたシェゾ。
 だが、実際は眠っているのだった。
「眠たそうで倒れちゃうと思ったからこうしたの」
「…そう、ですの。で、でも…」
 今一腑に落ちぬ、と眉をひそめるウイッチ。
 その時。
「これだけが心配なの」
 ウイッシュが細い声で呟いた。
「記憶も安定したし、魔導力も前より弱いとは言え、彼の場合充分に人外。でもね、こんな風に生理機能が不安定になってしまうの。これは人という種である以上どうにもならない。あなた達、ここだけは気をつけてね。薬を作る為に付き添わせる以外に、こうして彼の世話をして欲しいからあなた達を選んだのよ」
「わかりました。ボク、頑張ります」
「わたくしも肝に銘じます。…でも」
「ん?」
「おばあちゃんはお付き合いくださいませんの? お忙しいのは存じてますが…」
 その声には不安が滲む。
 本当に正直なところを言えば荷が重いのだ。
「そうよ、ここでやる事があるの。最初に言ったでしょう。お仕事だって」
 だが柔らかく微笑み、ウイッシュはたのんだわ、と念を押してウイッチを突き放す。
「…はい」
「わかりました」
 二人は頷く。
「では、出発は明日にしましょう。詳しい事はシェゾに聞いてね。それと、ウイッチはこの薬に関してもう一度みっちり基礎から教えてあげます。一日で飲み込んで貰うわよ」
「は、はい」
 緊張に背筋を伸ばすウイッチ。
「あ、それじゃボクはとりあえずシェゾをベッドに寝かせてきまーす」
 空気の重さに耐えかね、足早に部屋を立ち去るアルル。
「あ、ずるいで…!」
 言いかけ、ウイッシュの視線を背中に感じるウイッチ。
「……」
 恐々と振り向くと、そこには静かなる鬼がいた。
「なら、一刻も早くレッスンを終わらせましょう。でないと、彼、彼女のオモチャのままよ。…それと、私の孫であるならば、もうこれ以上の恥は許しませんから、ね?」
 そのにこやかな瞳の奥に何か黒いものを見る。
「は、はい…!」
 ウイッチは、借りてきた猫の様に縮みあがっていた。
「では早速、先程渡した魔導器を使用した実践的な魔法薬の精製レッスンを始めます。今回は薬品同士のみの力を利用した基礎魔法薬から、魔導力、使い魔の力を使用した上級魔法薬精製までノンストップでいきます。覚悟はいいかしら?」
「は、はい!」
 考えてみれば、久々となるウイッシュ直々の授業である。
 ウイッチは頭を切り換え、授業に集中を始める。
 頭の片隅で、間女が彼を毒牙にかけません様にとの呪いを忘れずに。

 さて、当の間女の方はと言えば、現在シェゾをベッドに寝かせ、その横で寝顔を観察している最中だった。
「…うーん、小さくても、やっぱりシェゾだなぁ…」
 本来は見る事など出来ぬ筈の幼少期の彼の寝顔。
 アルルは脳に焼き付ける様に、しげしげとその顔を眺め続ける。
「なんか、ヘンな感じ…」
 彼には間違いが無い。
 だが、今目の前にいるのはアルルの知る彼ではない。
 本人を目の前にしていると言うのに本人以外の誰かを見ている。
 そんな気がして、アルルはどうにももどかしい気分だった。
「……」
 そっと、銀髪に触れてみる。
「柔らかい…」
 髪の毛は一本一本がしなやかで細く、その手触りは猫の毛を触っている感触に似ている。
 元のシェゾの毛も、手入れもしていないのに綺麗な髪ではあるが、流石にここまで手触りは良くない。
 子供特有の髪の柔らかさなのだろう。
 アルルはそのまま、シェゾの髪から手をなぞらせ、頬に指を滑らせる。
 触るか触らないかの指使いに、眠ったままのシェゾがぴくりと身を揺らした。
 起きたかな? とアルルは心配したが、シェゾはそのまま眠っている。
 少し間を置き、アルルは再び顔に手を触れた。
「すべすべだぁ」
 下手をすると自分より? と思わせるその手触りに少々複雑になりつつも、その手は動きを止める事無く、顔中を撫で回す。
 ふと、その指が唇の上で止まる。
 今のシェゾの唇は、子供特有の富士山型。
 大きいシェゾの薄い唇も好きだけど、今のボリュームある唇もとても可愛らしく、そして魅力を感じる。
 指は唇の上を何度も往復し、不意にその指がほんの少し唇を押しのけ、軽くくわえられる形となる。
「な、なんか…えっちっぽい…」
 そう言いつつ、アルルはその指をそっと動かし、更に深くくわえさせようとする。
「…ごく」
 だんだん、ボリュームあるその唇が異常に魅力的に見えてくる。
 感触は知っているが、この状態だとどんな風なのだろう。
 好奇心がふくれあがる。
「ちょっと味見…」
 そっと指を離し、代わりにアルルの顔が近付く。
「…んー」
 目を閉じた。
「ふぎゃっ!」
 同時に、目から星が出る。
 後頭部に何かが当たった。
 その事実に気付くまで、アルルは約七秒を要した。
「な、何…!?」
 頭を抑えて振り向くと、そこには毬藻の様にまん丸なコウモリを両手で鷲掴みにしたウイッチが立っていた。
「あら御免あそばせ。使い魔がここまで逃げて来てしまいましたの」
 あからさまな投球モーションを構えつつ、涼しげに言うウイッチ。
「そ、それが何でボクの後頭部にぶちあたるのさぁっ!」
 アルルは、たんこぶをこさえて気絶していたコウモリを持ち上げて抗議する。
「使い魔に聞いてくださいませ。それより、アルルさん? シェゾに今何をなさろうとしていましたの?」
「な、何も」
「ふーーーーん。味見って何をですの」
 目を据わらせたウイッチがあざ笑うかの様な表情でアルルを睨め付ける。
「そ、それよりウイッチ、修行の途中でしょ! 早く戻って…」
「人手が足りませんの。手伝って頂けます?」
「え?」
「シェゾはおねむです。ここにいる必要はありませんわ」
「だ、だけど…」
「さっさとおいでなさいませ!」
 ウイッチは毬藻を放り出し、両の手でアルルをぐいぐいと部屋の外へ引っ張り出そうとする。
「ちょ、ちょっと待ってよぉ!」
「待ちません!」
「やだぁー!」
「わたくしだっていやですわぁっ!」
 綱引きは続く。

「…ウイッチ…」
 別の部屋。
 突然すっ飛んでいった孫を呆然と見送ったウイッシュは、深い溜息を付いていた。
「魔法にも、あれくらい鋭い勘があればねぇ…」
 ウイッシュの溜息は本当に深かった。




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