魔導物語 少年の色々な意味で危険な一日 第三話
「…は?」
思わず素っ頓狂な声を出してしまうシェゾ。
「あ…。い、いえ、なんでもありません。ご用を伺いますわ」
「キミ、ホント端から見たら、おばかさんだよ? その言動…」
「ちょ、ちょっとした気の迷いですわ!」
「気の迷いかどうかはともかく…で?」
「…そ、それで…」
「調合を頼みたい」
「材料ではなく、調合ですか?」
少々意外そうな顔をするウイッチ。
シェゾは普段、希有な材料を注文する事こそ多々あれど、調合も頼む事は滅多にない。
こう言っては魔法薬エキスパートとして身も蓋もないが、正直魔法薬を練らせると難しい精製程シェゾの方が上手かったりする。
つまり今回は、シェゾをもってして難しい調合という事。
で、出来ますかしら…?
本音だった。
だがプロ(?)としてクライアントを不安がらせる真似は出来ない。
「…お、お任せください。これでも魔法薬の精製に最も長けた魔女の一族を束ねる長の孫ですわ!」
皮一枚でぶら下がったプライドが重い。
「よく言った」
にやりと笑い、シェゾは一冊の小さな本を取り出すと、枝折りの挟んであるページを開いて渡す。
「に゙ゃ?」
「どこから声を出している」
正直、心臓が早鐘と化していたウイッチは、その本を見て今度は心臓を凍り付かせる。
「こ、これ…」
「お前なら分かるな?」
「だ、だってこれ…これ…おばあちゃんの本ですわ…」
「そうだ」
正直、箒に乗って空の彼方に消えてしまいたかった。
ウイッシュ著の魔法薬に関する本は、魔法薬の本の中でもトップの難易度を誇る。
基本の薬なら別として、彼女の調合するハイクラスの魔法薬を一から完璧に作り上げるなど、自慢ではないが出来る自分ではない。
だが、賽は振られたのだ。
「の、のーぷろぶれむですわ! おフランス語で言うとケセラセラですわね! おほほほほ」
「そりゃ『なるようになれ』だ」
「あ」
「で、結局大丈夫なのか?」
「も、もちろんです」
まん丸な青い瞳が目が泳いでいる。
「…ま、いいだろう。頼む。で、その薬はだな…」
ウイッチの手にある本のページをめくり、目当ての魔法薬の精製方法が記されたページを指し示す。
「これだ」
「ゔ」
またしても不可解な声というか音というか感情表現が表される。
「こ、これですわねまかせてくださいちょちょいのちょいですわほほほほほ」
「科白が棒読みだ」
「気、気のせいですわっ! え、えと、二…三時間ください!」
ウイッチは跳ねる様に倉庫へと走り、ガラスやら陶器が割れる音を響かせながら作業を始める。
「……」
シェゾは三時間後にまた来る、と言い残して店を出た。
「で?」
「出来ると、思っていましたの。頑張れば、出来るって…」
ウイッチの頭がうなだれる。
「何その未完了過去形は?」
「幸い、とっておきの魔法薬材料の中に、その薬を作るのに絶対必要な針瑪瑙も、角草もありましたの。でもでも、その時は気付かなかったのですわ…」
「だから何が?」
「針瑪瑙は、本物でした。角草も…ただ、もう一つ、それほど大切ではないのですが、マンドラゴラの髪が…その…」
「何?」
「ただの人参の髭でしたの」
「……」
「で、でもでも、本に書いてある内容を見ると、幸いその部分の調合は後で混ぜ合わせても同等の効果を発揮すると書いてありましたの! で、ですからわたくし…その…今朝、それに気付いて…大急ぎで調合しなおして…その…すり替え…いえ、お届けに…」
最後の方の声は蚊の鳴く様なか細い声となる。
「ウイッチくん」
妙に冷静な声。
「は、はいっ」
「結局、シェゾは何の薬を注文して、それが足りないとどうなるの?」
「…ご注文された薬の名前は、時揺らぎと言いまして、精製した薬と魔導を併用する事で脳の深層部と中枢神経に働きかけ、脳自体が記憶物質の欠損により消去しかけていた記憶を浮かび上がらせ、記憶物質を放出、定着させると言うものです」
「…なんかすごい薬っぽい」
「魔導自体も相当な力を持たねば、薬だけでは目的の役には何も立ちません。使う人を選ぶ薬なのです。平たく言えば物忘れを思い出させる手助けをするお薬と言えば、分かり易いですかしら」
「納得。で、もう一つ。その、足りない成分があるまま使用すると?」
その言葉に再びウイッチが縮む。
「…魔導を併用するとはいえ、その成分はそれだけで脳の奥深く、小脳や脳幹に強く影響するものです。ですから、魔導の併用時に成分が違うとどう作用するのか…もしかしたら…」
ウイッチは泣きそうな声で窓の外をおろおろと見る。
「…つまり、今回の事って、もしかして」
「か、可能性は…」
「可能性も何も、それしかないでしょーがっっっっ! シェゾが子供になったの、どう見てもキミのせいじゃんかぁっ!」
「ご、ごめんなさいぃぃっ!」
ウイッチは頭を抱えて泣き出した。
流石にこれはお仕置きが必要かと脳内に邪悪モードが開きかけたその時。
外から、声とも音とも付かぬ悲鳴が響いた。
岩を砕いた様な、野太くも高い声。
同時に木々から鳥が一斉に飛び立ち、どこにそれほど居たのか分からないが、空は鳥の影で覆われた。
「な…!」
「え!?」
二人が窓に駆け寄ろうとした時、今度は思い音と共に窓がびりびりと振動する。
「っつ!」
振動は室内にも響き、鼓膜を押しつけられる様な圧迫感に二人は耳を塞いだ。
「これ…」
「ま、魔導による…衝撃波ですわ…」
次の瞬間、窓ガラスが割れ、粉々にはじけ飛ぶ。
アルルは反射的にウイッチを抱きかかえ、真後ろに飛び退いた。
ガラス片とアルル達が床に落ちるのは同時だった。
小さな破片が少しだけ降りかかったが、問題はない。
二人が顔を上げるも、今もって振動は続いている。
数世紀以上に渡り骨組みを支えた岩と木材で組み上げられたシェゾの家を揺らすとは、どのような力なのか。
「何? 何!?」
「わ、分かりませんわ…」
続いて窓から覗く森の奥から、土煙の柱が上がった。
茶色いキノコの様なそれは二つ、三つと続けて土を巻き上げる。
怒級のエクスプロージョンでもこうはいくまいと思う程の爆発。
柱が立つ度に、一呼吸遅れてアルル達の元に衝撃波が届いていた。
「で、出よう! 外に!」
「はい!」
二人は頃合いを見計らって、窓から外へ飛び出した。
幸い移動中に衝撃波を呼び起こす爆発は起きなかったが、代わりに遙か彼方の森へ向かって青白い稲妻が束で落雷している。
一拍おいて鼓膜に響く重低音が鳴り渡る。
周囲は晴天である。
それは魔導に因るものだった。
「ウイッチ、あの柱の上に!」
「はい!」
ウイッチは箒を取り出し、アルルを後ろにしがみつかせて上昇する。
シェゾが住居としている遺跡には一体何を支えていたというのか、直径二メートルを超え、高さは三十メートルを超す気違いじみた柱があちこちに残されている。
二人は、そんな柱のうちの一本の頂上に登った。
「見えた…! け、けど…」
「あれ、何なんですの…?」
二人は言葉を失う。
鬱蒼と茂る森の奥。
そこに、周囲と根本的な大きさが異なる巨人がそそり立っていた。
苔のような緑色の体。
それでいて磨いた岩の様に硬質輝く頭頂部。
神話の世界に登場する巨人の様だった。
木々とほぼ同じ身長。
つまり体長は少なくとも約二十メートルに近い事になる。
その頭には巨大な一本の角があり、顔には瞳が一つしかなかった。
「サイ…!?」
「うそぉっ!?」
言葉を失うのも無理はない。
サイクロプスは種族的には魔物の中でも上位であり、普段はそうそう人間界に現れる筈がないのである。
事実、二人とも本の挿絵以外で実物を見たのは今が初めてだった。
「あんなの…あんなのが街に来たら…」
「せ、戦争が起きますわ!」
あまりにも巨大、かつ強力な魔物はそれだけで戦争の火種となる。
事実、過去に置いてはドラゴンがある街の近くに出現した事で軍隊があちらこちらから送られ、それがいつの間にか小競り合いから衝突へと発展。
やがてそれは、信じられぬ事に国同士での戦争に発展した史実がある。
しかも、当のドラゴンは飽きたのか嫌気がさしたのか、出現から程なくして空間にかき消えてしまっていた。
戦争は、ドラゴンが消えた後も二年続いた。
「その戦争、教科書で、見た事ある…」
「冗談では済まされませんわ」
サイクロプス。
それの再現には充分すぎる魔物である。
巨人が、その城が動いているかの様ながたいからは想像出来ぬ素早さで、腕を振り上げる。
天を殴りつけるかの様に振り上げた拳が、次の瞬間には地面に突き刺さる。
二人は反射的に身を伏せた。
少し遅れて轟音と衝撃波が到達し、二人がへばりついた柱をゴムの様に揺らす。
「うきゃあああっ!」
「きゃあああっ!」
二人は柱の上で木の葉の様に揺さぶられる。
「と、飛んで!」
「はは、はいっ!」
二人は堪らず箒に飛び乗り、空中へと脱出する。
「な、何なのあれ…」
「ぞ、存じる訳ありませんわ」
「でも、多分、偶然じゃないんだよね…」
「あんなもの、偶然に来られては堪りません!」
「それに、何と戦っているの?」
「え?」
「だって、さっきからあの辺りでずっと地面に向かって何かしているよ?」
想像したくない、と不安げな顔でアルルが問う。
「…まま、まさかっ!」
それに気付いたウイッチが息を呑む。
二人は危険も顧みず、巨人に向かって突っ込んでいった。
「ええいっ!」
精一杯の声の筈だが、どこか緊張感の抜ける気合いだった。
その体には大きすぎる闇の剣が、力任せの大振りで振り回される。
頭上に、折れて降り注ぐ大小の枝が迫った。
「うわっ!」
銀髪の少年、シェゾは闇の剣を振り上げる。
剣は衝撃波を発し、枝は四方に飛び散った。
だが衝撃波は弱く、大きな枝の幾つかは、僅かに軌道は変えたもののそのままシェゾに向かって落下する。
間一髪で全ての枝を避けたかと思われたが、一本の枝が足に落ちる。
足首にそれがめり込み、シェゾは苦痛に顔を歪めた。
頭上から岩の様な大きさの拳が降ってくる。
既のところで足を引き抜き、転がる様に拳から逃れる。
足から血が流れたが、兎に角今は敵の視界から逃れなければならない。
「くそぉ…」
シェゾは悔しそうに呟いた。
「何かが…足りない…何かが…」
振動が鼓膜を揺する。
慌てて上を見るが、木々の影以外に何もない。
先程までの巨人も居ない。
「え?」
一瞬呆けた。
その時。
「!」
地面が盛り上がり、土から五本の柱が突如生えたかと思われた。
「うわぁっ!」
地面から生えた柱。
それは巨人の手だった。
たった今まで地上に立っていた巨人が、今度は地の底から手を伸ばしていた。
「ぐあっ!」
丸太の様な指がシェゾの体を掴む。
遠慮のないそれはシェゾの胸を急激に圧迫した。
あばらからきしむ音がする。
握りつぶされる。
その恐怖。
そして屈辱。
何かがシェゾの中で生まれる。
「うわああっ!」
瞬間、シェゾの目が見開かれ、同時に体から冷気の様な気が吹き出す。
今も地面から生え続ける巨人の動きが一瞬止まる。
シェゾはその隙を逃さなかった。
「えええいっ!」
動く右手を、円を描く様にして振り回した。
自然に手刀にしていた手が青白く光り、触れた指がバターの様に切断された。
巨人は岩が砕けたかの様な悲鳴を地の底からあげ、一気にその体を地面から飛び出させた。
その反動でシェゾは放り投げられる。
木の幹に体が叩き付けられ、小さなその体は木の葉の様に地面に落ちた。
「くぅ…」
シェゾはきしむ体を押して立ち上がる。
「剣は…剣は…どこだ…」
辺りを探す。
だが剣は見あたらない。
指を失った巨人はシェゾを見つけ、怒りに顔を歪めながら咆吼を上げた。
木に体をしこたま打ちつけ、頭から流血するシェゾ。
サイクロプスは怒りの咆吼と気の噴出で周囲に風を巻き上げた。
身体を、突き抜ける様な気が刺す。
普通ならば、それだけだ身体がバラバラになってもおかしくはないだろう。
再び気の奔流に晒された時、シェゾの中の何かが開いた。
「!」
頭の中で何かが弾ける。
「ああ…」
言葉がうつろだった。
だが、それは混乱から来る物ではない。
「そうか」
夢うつつの様だった言葉が、次の瞬間には明確な意志を持っていた。
「そうだ」
膝が笑っているが、それでもシェゾは立ち上がった。
「闇の剣よ!」
左手を天に掲げる。
腕に絡みつく様に小さな放電現象が起こり、青白い光と共に輝く。
閃光が消えた時、シェゾの手には闇の剣が握られていた。
十歳かそこらの姿故にその剣は大きめかと思いきや、闇の剣は刀身をやや短めにした姿に変えていた。
どうやら、持ち主の大きさに自分を合わせたらしい。
『遅いぞ。
「五月蠅いよ」
口から紡がれる声は子供のまま。
だが、その口調は紛れもなく彼だった。
「せああっ!」
気合いと共にシェゾが跳ぶ。
振り下ろされた拳を木の葉の様に交わし、あろう事かその腕に乗ってしまう。
我の目を疑った巨人は一瞬動きを止め、それが致命傷となる。
シェゾは自分が立つ腕に闇の剣を突き立てる。
いかな力、いや能力を使ったのか、岩の様なその腕に闇の剣は剣の根本まで突き刺さった。
そして間髪入れず、剣に気が込められる。
「ふっ!」
肺の空気を瞬間的に吐き出す。
同時に、剣から黒い波動が間欠泉の様に吹き出した。
波動は腕の中でも吹き出す。
スティンシェイド。
闇の波動を送り込み、あらゆる生命を断絶させる恐るべき闇魔導。
それは表面を黒く浸食、膨張させながら腕を昇り、あっという間に肩、首、そして頭を
黒い鞠の様に膨らませる。
「終わりだ」
シェゾが呟いた。
その刹那、巨人の頭が破裂する。
黒の浸食は更に、意志を失った体全てを蝕んだ。黒い固まりと変色した体は、上部から肺の様に崩れていった。
「やれ、やれ…」
シェゾは崩れゆく巨人の腕の上で意識を失い、そのままうず高く積まれた黒い灰の山の上に倒れた。
「……」
「……」
少し離れた上空。
あまりの戦闘に声を出す事も援護する事も出来なかった二人は、凄惨な戦闘の終了にただただ絶句するしか無かった。
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