第一話 Top 第三話


魔導物語 少年の色々な意味で危険な一日 第二話



 シェゾ家の居間。
 ローテーブルを挟み、アルルとウイッチ、そしてバスタオルにくるまりながら紅茶を飲む子供が無言でお互いを見詰めていた。
 少年を、値踏みする様な瞳で睨め付けるその視線に対し、四つの瞳を交互に見詰める少年の瞳はどこか怯えている。
 この妖しげな眼力に晒されては無理もないだろう。
「…やっぱりシェゾ…だよねぇ?」
「だと…思いますわ」
 アルルとウイッチは、ふと少年の怯えに気付いてにっこりと微笑む。
 だが少年は、何故かその微笑みを見ても尚、肉食獣の前に居る羊の気持ちだった。

 三十分前。
 地底湖から少年を引きずり上げた後、二人はとりあえずずぶぬれの少年を風呂に入れようと、シェゾの家のクローゼットの中から着させられそうな物を物色し、少年に渡す。
 何故、お互いが彼のクローゼットの中身を知っているかは言わぬ約束である。
「はい、これ着替え。…分かる?」
「う、うん」
 怯えを含んだ声だが、やはりシェゾだ。
 間違いない。
 間違える筈がない。
 過去にはある事件で少女化してしまったたシェゾも見た事はあるが、やはり少年の方がしっくりくる。
 二人は確信した。
「あ、もし体の調子とか悪かったらいけないいから、ころんだりしないようにボクも一緒にはうっ!」
 岩天井に、軽快で抜ける様な、爽やかな音と同時に抜ける様な打撃音が響く。
 それは、アルルの後頭部に石鹸が飛来した音。
「い…いい痛いっ!」
「これで体を洗ってくださいませ」
 涼しい顔で、落ちた石鹸を手渡すウイッチ。
「う、うん」
 少年には怯えの表情が強い。
「怖いお姉さんの事は気にしなくてよろしいですわ。安心して」
 ウイッチの顔がなめらかに少年に近付く。
 顔と顔が触れあいそうな程に近付き、耳にキスする様に唇が密着する。
「わたくしが、きちんとあなたの背中を流してさしあげまはうっ!」
 岩天井に以下略。
 今度はウイッチの後頭部に木製のボディブラシが飛来した。
「い…いいい痛いですわっ!」
「キミー、早く入らないと体冷えちゃうよ。それで体洗ってね。ね? あ、それと背中注意してね。水に入ったとき、ぶつけたんでしょ? 背中に赤い擦り傷があるから」
「う、うん」
 少年はそそくさと温泉の湧く湯屋に消えた。
 その瞳、先程より怯えが幾分増大している事に二人は気付かぬままで。
「……」
 少年が消えてからしばらく、二人はしんと言葉もなく立っていた。
 が、やがて。
「ウイッチ」
「何ですの」
 顔もあわせず会話が始まる。
「別に、彼がシェゾって決まった訳じゃないよね。現状的には」
「現状的には、ですわね」
「シェゾを…外に、探しに行かないの? もしかしたら、二人っきりになれるかもよ?」
「アルルさんこそ行きませんの? お二人で、良い雰囲気になれるかもしれません事ですわ」
「……」
「……」
 人形の様に機械的に首が動き、二人の瞳にお互いの姿が映し出される。
「もしかして、疚しい事考えてない?」
 到底人の事は言えぬが、いぶかしんだ瞳でウイッチを見るアルル。
「あら、もしかしてアルルさん、原因はともかく、小さくなったシェゾを飼い慣らして、治った後の事を有利に進めようなんて考えていらっしゃるのではありません事? そしてあまつさえ、その後ある事無い事吹き込んで責任取らせようとか…」
「そそそ、そんな事、ああああるわないもん!」
 アルルはぶんぶんと頭を振る。
「…って、ってゆーか! それってキミが考えているんでしょ! フェアじゃないっ! あ、もしかしてキミ、そして更に非力になったシェゾをここぞとばかりに力ずくでたらし込んで、何も知らない少年を傷物にして御馳走様しちゃおうなんて破廉恥至極、極悪非道、赤面醜態な行為を考えているんじゃ…」
 言っているアルルが自分の言葉に赤面する。
「そっそそそ、その様な淫らな真似事するわけありあり…ありませんわ!」
 そして同じく、耳まで真っ赤にしたウイッチが頭を振り回す。
「何? その真っ赤な顔! ふぇあじゃないっ! じゅねーぶ条約違反っ!」
「あ、あなたこそお顔がトマトですわ! どのお顔下げてフェアとかお抜かしになりますかっ!」
「う〜…」
「む〜…」
 暫く睨み合いが続くが、やがてどちらからともなく大きな溜息が漏れる。
「やめよ」
「ですわね」
「こうだから、ボク達詰めが甘いんだよ」
「だから、どこぞの黒メイドに、漁夫の利をいつもいつも横からかっさらわれるのですわ」
 二人の頭に、自信に満ちた黒メイドの顔が浮かぶ。
「……」
「……」
「まず、話を聞こうよ」
「ですわね」
 二人はハーブティーで呼吸を落ち着ける為、居間へと戻った。

 少しの後。
 暫くしてから、ややぶかぶかの上着を着た少年が、足下をすくわれ掛けながら居間へとやって来た。
 よちよちと歩くペンギンを連想させるその動作。
 そんなシェゾは視線を感じる。
「あ、あの…お姉さん?」
 少年は、とりあえず何と呼べばいいか分からず、二人を当たり障りのない代名詞で呼ぶ。
 だが。
「…はう! …ボ、ボクの事おねいさん…なんて…」
「…あはぁ…何と蠱惑的な言の葉…」
 先程まで反省に添って健全なコミュニケーションを図ろうとしていた二人は、だがまるでその責務を果たそうとはせず、逆に先程から、何とか通常のコミュニケーションを計ろうと努力している少年の全ての努力を、うっとりと呆けた感覚の前に無駄にしていた。
 幼い少年にとっては何とも形容に悩む、少女二人の甘い吐息ばかりが返ってくる。
「あ…えーと…あの…」
 そこまでの上の空でいながらも、それでいて肩口がはだけ、ほんのり上気した少年の表情を、穴が空くかの様にじっくりと、ねぶる様に眺めている二人。
 アルルとウイッチ、二人の空腹の獣は、先程の約束が音を立てて崩れ落ちそうになる誘惑を必死にこらえていた。
 ボク、年下趣味は無いはずなのに…。どうして、あの幼いうなじとか足に反応しちゃうんだろう…。
 アルルの小さな溜息。
 東洋において発生した偉大な言語に、『ショータローコンプレックス』と言うものがあると聞きますわ。それとは、この事を言いますのかしら…。
 続けて、ウイッチの小さな溜息。
 まだあくまでも憶測の域を出てはいないのだが、彼の幼い頃の状態と言うだけで、得も言われぬ感覚が体を駆けめぐる。
 普段は犬と猫、いや、ドラゴンとぷよ並の力(魔力、体力、その他諸々含む)関係である一人と二人が、今やまるで逆の立場である。 この、普段は間違ってもあり得ないシチュエーションが現実のものとなっているその事実も関係しているだろう。
 二人は軽く頭を混乱させていた。
 だが、流石に少しの時間が経つと頭が冷める。
「あ…ご、ごめんね。はい、ココア。あったまるよ」
「ありがとう…」
 やっとの事で正面に座った少年に飲み物を勧め、まずは落ち着いてと言葉をかける。
 無論、まず自分が落ち着くべきなのだが。
 少年は小さく頷き、既に少し冷めたココアを飲み始めた。
 アルルとウイッチは改めて少年を嘗め回す様にチェックする。
 体つきからすると、見た感じは十歳に満たないと思える。
 多分、整った顔立ちという点を除いてもせいぜい七歳くらいだろうか。
 ややざんぎりっぽい頭の銀髪は、間違いなく彼の髪。
 銀髪自体は多々あれど、彼の様に透き通った美しい銀髪はそうそう無い。
 二人は男のくせにその艶やかな天使の輪ともりもりのキューティクルは何事か、とシェゾに対して事ある毎に難癖を付けたものである。
 そして顔。
 これが決定打だった。
 幼いとは言え、どう見ても顔つきが彼。
 空似、偶然では済まされない感覚的な、オーラ的な、霊的な、第六感的な、兎に角絶対と確信出来るその顔つき。
 二人は、これに関しては寸分違わぬ合致した結果を得る。
 間違いない。
 彼はシェゾだ。
 二人はYes!、と拳を握りしめた。
 更にアルルは考える。
 しかも、激しく都合がよい…じゃなくて、可哀相にシェゾは完全に記憶が無いみたい。
 ううん、無いって言うか、頭の中も昔に戻っているのかも知れない。
 ウイッチもほぼ同時にほぼ同じ事を考える。
 つまり、鴨が葱背負って…ではなくて、お可哀相に、今のシェゾは全身も頭も心も、まっさらの真っ白。天使の如く純粋な心&余計なヒトの記憶も、それに関する感情も、お体のお遊びも無い状態。と、言う事は、今から私の意図するままの擦り込みも十二分に可能という事ですわ…。
 ウイッチの瞳が、アルルの瞳が悪魔の様にらん、と輝く。
 少年シェゾは、何故か自分が奴隷市の競りに掛けられているかの様な不安と恐怖を感じた。
「えーと」
 声は同時。
「今夜はどうするの?」
 声は同時だった。
「え?」
 見事なハーモニーに頭を上げたシェゾだが、二人とも自分を見ていない。
 何故か、両名はお互いをじっとりと睨み合っているだけだった。
「……」
「……」
 不意に言葉が紡がれる。
「ウイッチ、まだ日は高いよ」
「その言葉、そっくりお返ししますわ」
 再び睨み合いが始まろうとしていたその時。
 突然、シェゾが勢いよく立ち上がった。
 足がテーブルにぶつかり、その勢いで飲みかけのココアのカップが倒れ、甲高い音を立てる。
「!?」
 二人は驚いてシェゾの方を向く。
「シェゾ?」
「う…」
 立ち上がったシェゾは、頭を抱えて苦悩の表情を浮かべている。
「シェゾ? シェゾ?」
「あ、あの…」
「くっ! あ…熱い…。頭の中が…熱い…!」
 体が震え、頭をかきむしる手には血管が浮き、鳥肌が立っている。
「だ、大丈夫!?」
 アルルが慌ててシェゾの肩に手を置く。
「っく!」
 シェゾは肩に置かれた手を払いのける。
「触る…な…」
 今の姿には似つかわしくない荒々しい物言い。
 思わず二人が怯む。
 今の声だけは、まさしくシェゾと思えた。
「あ、あの…」
 おろおろしながらも近寄るウイッチ。
 だが、シェゾはウイッチの脇を走り抜け、そのまま二人から逃げ出す様にして部屋の外へ掛けだしてしまう。
「きゃっ!」
 その勢いに尻餅をつくウイッチ。
「シェゾ!」
「待ってください!」
 だが、二人の声が終わるより先に、シェゾは外へ消えてしまった。
「…シェゾ」
 突然の事に、思わず追う事も忘れる二人。
「あ…。ど、どうしましたの? 突然…」
「し、知らないよ…。そもそも、今の状況だって訳が分からないのに…」
「…? あの症状、まるで…」
 呆然と独り言を呟いていたウイッチの表情が固まる。
「………………」
 そして、瞬きする毎にウイッチの顔がみるみる青ざめてゆく。
「あ、まさ、まさか…」
 立ち上がった刹那に再びよろけるウイッチ。
「キミ?」
 アルルは想像したくない想像を頭によぎらせてしまう。
「あ、いえ、わたくし…」
「ウイッチ…」
 アルルはよろけるウイッチをソファーに押しつけ、無理矢理座らせる。
「着席」
 声は静かで、そしてあまりにも落ち着いていた。
「…は、はい」
 ウイッチの背中に冷たいものが走る。
「キミ、さっき何か言いかけていたよね? シェゾにお薬作って、それで、渡せなかっただの不完全だのって…」
「……」
「何か、改めて思い出すと、激しく不安なお言葉ばっかりだったよねぇ? ねぇ?」
 アルルのおでこがウイッチのおでこと密着する。
「…い、いえ、その…」
「何を知って…いや、何を隠しているのかな?」
 アルルの瞳が妖しく輝いていた。
「あの…えと…べ、べつに…そんな大層な事では…なくもないかもしれないけど…でも…」
「落ち着いて、そして隠さず話なさい。無論、命に別状なんか無いんでしょうねぇ?」
「も、勿論ですわ!」
 命と言われてウイッチは懸命にそれを否定する。
「は、話します…」
 元より心にわだかまりがあったらしい。
 ウイッチは力無く呟いた。
 アルルは問う。
「うん、話して。シェゾに、何のお薬作ったの?」
「おととい、二日前の事ですわ」
 ウイッチは改めて事の経緯を話し始めた。

 ドアが開き、真鍮の鈴が軽やかに鳴る。
「邪魔する」
「いつでもよろしくてよ」
 シェゾがウイッチの店にはいる際の、両名の定型文だった。
 彼女の住む家の一角を改築して開いている魔法薬店。
 広さこそ床面積で三十平方メートル程度で、物によっては結構な大きさがある為に、陳列してある量はさほど無い。
 だが、代わりに一つ一つの質は大都市の魔法薬店にも負けない、いや、どれ一つとっても十二分に勝っていると言うのが自慢らしい。
「場所は少々遠いですけど、倉庫もありますわ。注文とお時間さえ頂ければ、揃わない材料などそうそうはありません事よ」
 ウイッチは自慢げに微笑んで言う。
 だが元より小さな街の小さな店では利用者はたかが知れている。
 シェゾはそんな彼女の店にとって一番の常連であり、現金な事を言えは時々冗談の様な値段の材料を駄菓子の様に丼勘定で買っていくので、彼女の店の経営は正直彼の買い物一つに左右されると言える。

「つまり、わたくしはシェゾに食べさせて貰っているも同然。言うなれば彼に養っていただいている、イコール内縁の妻…ふぎゅ」
 鈍い眼光を放つアルルの両の手がウイッチの頬をぐにぐにと練る。
「ツヅキヲハナシナサイ」
「……」
 蛇に睨まれた蛙の様に竦んだウイッチは、渋々と言葉を続けた。

 普段は、とりあえず店内を見回してから、カウンターに来るのがお約束だが、その日のシェゾはいきなり一直線にカウンターに向かった。
 扉からカウンターまではウイッチの歩幅で約十歩。シェゾにすれば半分だ。
 一直線に目もくれず向かってくるシェゾの姿はウイッチにとって、まるで光の向こうからやってくる運命の王子様よろしく後光を放っていた。
「聞くが…」
「いつでも心の準備はオッケーですわ!」




第一話 Top 第三話