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魔導物語 少年の色々な意味で危険な一日 第一話



 春の風に、深緑の香りが交じっている。
 森の中でそれを嗅ぐと、濃すぎてちょっときついけど、こんな風に香る森の匂いは好き。
 そんな春の太陽いっぱいの、ある日の昼下がり。
 ボクはお夕飯材料と、とついでにおやつの品物を探しに街に出ていた。
 いつもと同じ、騒々しいけど、でも活気でいっぱいの楽しい商店街。
 沢山の人と、時々混じっているモンスターのみんな。
「よう、アルル」
 とある道ばたでは、すけとうだらがダンスのパフォーマンスに精を出していた。
 ボクに気付いて、彼は手を振ってくる。
 周囲の人々は好奇の目やら珍妙な物を見る目やらで、楽しげな笑いとある意味で賞賛の拍手を惜しみなくすけとうだらに送っていた。
 あれでけっこう人気があるらしい。
 見物している子供の何人かは、一所懸命ダンスの真似をしてたりするし。
「やっほー」
 飛び散る汁、じゃなくて汗をさっと避け、ボクは手を振り返すと先に進んだ。
「いーお天気」
 うん、と背伸びし、そのまま両手を太陽にかざす。
 真っ青な空から差し込む太陽の光が指と指の間をすり抜け、ボクの瞳に到達する。
 まぶしくて目をこらすと、逆に光が強まった気がしたから、ボクは背伸びをやめる。
 そして、まずはお菓子屋さんを目指して歩き出す。
 次に夕飯材料を買ったら、今日のお出かけはお仕舞い。
 予定はそれだけだった筈なんだけど…。
 チーズ屋さんに入った頃、ボクは考えない様にしてた事を考え出してしまう。
 チーズ、まだ残っていたっけかな…?
 ボクの家のストックじゃない。
 ボクの家のランカシャーは、この前買ったばかり。
 フォンデュだって二、三回は余裕で出来るストックあるよ。
 つまり、ボクが今考えてしまったのはもう一つの秘密基地の方の蓄えの事。
「この前のは見事に黴まみれにしちゃったしなぁ…」
 秘密基地の隊員は、料理自体は上手い。
 あんまり言いたくないけどボクより上手い。
 更に言いたくないけど、裁縫も時々上手い。
 でも、片づけとか食べ物の保管に関しては比類なくずぼらなんだなこれが。
 あ、もっと正確に言うと、マメな時とそうで無い時の落差が激しいの。
 片づける時はものすごく綺麗で丁寧に片づけるんだ。
 でもこれが一転メンドクサイモードに突入すると、食後の皿すらも満足に片づけようとしないんだよねこれが。
 チーズだって好きなのにさ、それでもこの前、物の見事に青黴が毬藻みたいに生えているの見た時は一瞬、新種のお萩かと思ったもん。
 ペニシリンが山程精製出来るんだろうな、アレ。
 無論、流石に食べる気はしなかったよ。
 ホント、食べ物の持って行き甲斐が無いよねぇ。
 ぶつぶつ…。
 そう思いつつ、アルルは既に幾つかのチーズを両手に取り、どれがいいかと真剣なまなざしで見比べていた。
 自分では気付いていないが、自分の物を買う時よりも瞳が真剣である。
 二十分後。
 アルルは結局、チェダーのマイルドとレスターを合計500グラム、ランカシャー、ブルーチーズを300グラムずつトートバッグに詰め、自分の家ではなく秘密基地に向かって歩き出していた。
「ちょ、ちょっと重かった…」
 両手でふらふらと籐籠を持ちつつも、頭はその先に進む。
 いや、ちょっとした気まぐれなんだよ。
 最近、一緒の晩ご飯していなかったし…。
 で、晩ご飯を食べるという事は当然夜遅くなるから、もう家には帰れない訳で…当然転移で送り返すなんて言った日には血の雨が降る訳で、食欲を満たした後はつまりとーぜん今夜は…ああもうボク何考えているのか解らない。
 とにかく、今日は秘密基地隊員とマルガリータ食べる事に決定したの。
 隊長権限。
 隊員は拒否権無し。
 うむ。
 ボクはうん、と頷き、足取りも軽く秘密基地へと向かった。
 いや、決して通い妻とかそんなんじゃないからね。
 決して。
 うん、ホント。
 アルルは一人で納得しつつ、足取りも軽やかに彼の元へ向かう。
 いざ遊び場所へ向かわんとするアルルだが、端から見たその姿は、どう見ても夫の待つ家へ、いそいそと足早に帰る新妻に見えたとか見えないとか。

 甲高い鳴き声が空に響く。
 頭を上げると、山鳥が鳴いていた。
 木々が風にざわめき、空気は少し濃い。
 そこは、街から少々離れた山中だった。
 街からなら何とか通える距離でこそあるが、そこは朽ち果てた墓よりも尚、ひっそりと静まりかえった場所。
 周囲にはたまに切り株があるなど、過去において人が通っていた形跡こそ微かにあれ、現在に至っては獣すら住んでいるのか怪しい遺跡が点在する場所。
 頭の上にあった太陽が、少し角度を変え始めた頃、彼女は彼の家へ通じる朽ちかけた山道を歩いていた。
 川の流れる渓谷を挟み、向かいの山肌からは木々をかき分けて顔を出す遺跡の柱や壁が見える。
 一体、谷底まで百メートルは下らぬ断崖絶壁にどうやってそんな物を造ったのか。
 そんな超常的な光景を眺めつつ、彼女はいつもここを通るたびに考える事がある。
 建造物の建造方法に関する論文とか、そういうものではない。
「もう少し、通いやすい場所に住居をかまえて頂きたいですわ…」
 腰の近くまで伸びた金の直毛が太陽に輝く。
 右手を太陽にかざし、青の瞳をこらして太陽を仰ぎ見る。
 左手には愛用の籐のバスケット。
 パステルカラーのチェックの布でカバーしてあるが、その端からはキツネ色に焼けたバゲットがちらりと見えている。
 山道脇の茂みががさり、と動いた。
「!」
 ウイッチが瞬間的に身構える。
 身構えると言ってもただ肩を狭めるだけだが、魔女にとって気の平静を保つ事は何にもまして大切な事。
 ウイッチは万全の体勢で気の凝縮を始めていた。
「にゃにゃにゃん」
「にゃにゃにゃん」
 可愛らしい鳴き声と共に、草陰からチョコレート色の耳がぴん、と立ち上がった。
「まぁ」
 ウイッチは大きく深呼吸すると緊張を解き、結んでいた口を緩める。
「…ミー、ケイ、あんまり驚かせないでいただけます?」
「にゃにゃん」
 茂みから、二匹の猫が現れた。
 双子のケットシー。
 モンスターと呼ぶにはあまりにも愛らしい魔物達。
 ミーとケイと呼ばれる二匹は、シェゾの家に出入りする者ならば誰でも知っている、半飼い猫状態のケットシーだ。
「どこいくにゃ」
「どこいくにゃ」
 人懐こく足に頭をすり寄せつつ、二匹は質問する。
「シェゾのところですわ。あなたがたはどちらへ?」
「アウルたちとのところへあそびにいくにゃ」
「アウル?」
「マンドレイクにゃ。ともだちにゃ」
「そうですの」
 ウイッチは近づいて来た二匹の側でしゃがみ込み、バスケットを傍らに置く。
 そして、二匹の頭や喉を愛おしげに柔らかくなで始めた。
「にゃん」
「にゃん」
 ケットシー達はごろごろと喉を鳴らし、気持ちよさそうに頭を手にこすりつける。
「いいにおいするにゃ」
「するにゃ」
 ふと、二匹は傍らのバスケットに興味を移し始める。
 ふんふんと鼻を近づけ、漂う香りを分析する二匹。
「やきたてのこうばしい、ライむぎのかおりにゃ。オーツもはいっているにゃ」
「そしてこの酸味は、山羊のバターなのにゃ」
 変なところでグルメな鼻をもつケットシー二匹が、ふらりとバスケットに近付く。
「これは駄目です」
 と、間髪入れず、すっぱり断るウイッチ。
 バスケットは、ウイッチの膝の上に居場所を移す。
「えー。なんかたべたいにゃ」
「たべたいにゃ」
 二匹はウイッチの手をぺろぺろとなめる。
「く、くすぐったいですわ…ひゃは…」
 思わずばんざいの様な恰好になるウイッチ。
 猫の下のざらざら具合は、痛い様なくすぐったい様な、むず痒い感覚を伴うので何となく苦手だった。
「とにかく、これはシェゾへ持ってゆくものです。わがまま言ったら、め、ですわよ」
「boo!」
「booboo!」
 アメリケンな抗議をする二匹。
「あなたがた本当に猫ですか?」
「もちろんにゃ」
「にゃ」
「何度いっても駄目ですわよ。ではごきげんよう」
「ざんねんにゃー」
「にゃー」
「どうせだれもいないのにゃー」
「いないにゃー」
 二匹の声は、すでにはるか遠くへと消えていたウイッチの耳に届く筈もなく、沢からと吹く風にかき消されていた。

「やっほー!」
 形ばかりの挨拶をしてから、アルルはかつて知ったる他人の家とばかりに、巨大な玄関、と言うか石柱の間から軽快な足取りで屋敷に侵入する。
「あれ?」
 異変を感じたのはそれからすぐの事。
「おーい、シェゾー? てのりー?」
 アルルが家に入ったその時、普段感じる結界の波動が感じられなかった事に気付く。
 職業(?)柄故、食事は忘れてもそう言う事は忘れない彼である。
 アルルは瞬間的にイヤな予感に身を蝕まれていた。
「シェゾ? シェゾー!」
 冷たい石壁にアルルの声が響く。
 何度も彼の名を呼び、何度目かの壁の反響が治まっても尚、シェゾは愚かてのりぞうからの返事すら、アルルの耳に届く事はなかった。
「……」
 今までは感じた事もなかったが、シェゾの居ないこの家はとてつもなく冷たく感じる。
 元々家として作られてはいないせいもあるだろうが、とにかく暖かみというものが一切感じられない。
 アルルは改めて彼がこんな所に普段独りで住んでいるのだと思い、無性に切なく、胸が苦しくなりはじめた。
 背中に冷たい殺気を感じる程。
「…殺気?」
 アルルは反射的にしゃがみ込む。
 ぶん、と風切り音が頭上で響き、凪がれた風でポニーテールが僅かにそよいだ。
「…だだ…誰…」
 アルルは恐る恐る頭の上を仰ぎ見る。
 すると、視界の端には凪いだままぴたりと動きを止めている刀、と言うか箒が見えていた。
「…ウイッチ…」
 がっくりと肩を落として呟く。
「今宵の虎鉄は斬り損じましたわ」
 かくして振り向いた先には金髪の魔女が一人、颯爽と箒を構えて仁王立ちしているのであった。
「…あのさぁ」
「はい?」
 天使の様な微笑みのウイッチ。
「ボク、何かした?」
「いえ、ただ、例えですけど、ほら、ねずみさんって、放っておくとどんどん家の中に進入してきますわよね。さっさと追い出さないと、何処まで入り込むやら」
 アルルよりもよほど背は低いのに、それでもふんぞり返って無理矢理さげすんだ視線を投げかけるウイッチ。
「……」

 ボク、おとなだもん…おとなだもん…。

 その言葉、そっくりそのまま熨斗つけて返してやりたいと言う衝動を必死に押さえつつ、アルルは引きつったスマイルを返し続けた。
「で、シェゾはどこにお隠しになりましたの? 居ない筈ありませんけど」
 至って真面目な顔で問うウイッチ。
「は?」
 アルルは目を点にしていた。

「では、本当にさっき来たばかりですのね」
「だから何度も言うけど…」
 二人は先程から、家主を捜して家の中の部屋という部屋を見回っていた。
 住居部分に限定すれば、彼の家は特に目立って広い訳ではない。
 だが、それを彼の家と言う様にくくりをひろげると、途端に簡易的なダンジョンクエストになってしまう。
 元より遺跡を利用した住居だけに、地下道、地下室、洞穴、鍾乳洞、そしてそれぞれに設えられた部屋は無数と言って良い。
 それを端から数えるとなると、それだけで終了には一ヶ月かかるだろう。
「あのさ、ウイッチ」
「なんですの?」
「もしかして、どこかにお出かけ中かも」
「それはないと思いますが」
「うーん…」
 並んで部屋を探索する二人。
 きちんとした作りの部屋がある地下室までは二人別々に行動していたが、いざ未知の領域となるダンジョン部分へ行こうとした途端、ウイッチは一緒に行こうと提案する。
 アルルは知っていた。
 ウイッチは抜け駆けさせない為って言うけどさ、実は単純に独りで地下迷宮を進むのが怖いだけなんだよ。
 さっきからウイッチ、妙にきょろきょろ辺りを見回すし、ボクの服の裾を掴んで離さないもん。
 で、それが証拠にさっき、曲がり角で試しにちょっと走って先に消えちゃったら、途端に半泣きで追いかけてきたんだから。
 その時のウイッチの顔を思い出し、つい頬を緩めるアルル。
 まぁ、最もその後、箒でばんばん頭はたかれたけどね…。
 でも、半泣きで箒を振り回す仕草が可愛かったとは言わないでおいてあげる。
 アルルはちょっとした優越感に浸りつつ、そっとウイッチの手を取る。
 不思議と抵抗はなく、二人はそのままダンジョンの探索を続けた。

「…居ないね、シェゾ」
「そんなの、おかしいですわ」
 小一時間後。
 二人は一度容疑者の探索を終える。
 居間に戻って紅茶を(勝手に)煎れて飲みながら、ソファに並んで話していた。
「そんな筈はないんですけど…」
 首をかしげるウイッチ。
「そう言えばさ」
 アルルはそんなウイッチに先程から疑問を感じていた。
「はい?」
「なんでそんなに確信している訳? そりゃもうこれ確信って感じでさ」
「それは…」
 しまった、と言う顔のウイッチ。
 今度はボクが確信する。
「そもそも、ボクは思いつきで来ただけ、だけどさ、ウイッチは何の用で来たの? たまたま? ん?」
「えーと…」
「ん?」
 アルルは猫の様に頭をウイッチのおでこにぐりぐりと押しつける。
「なんでかな〜?」
「いえ、あの、わたくしは…おとといの、用が…」
 茶色の髪と金髪が混ざり合ったまま、ばつが悪そうに目線を逸らすウイッチ。
 ふむ、何か心当たり知っているねこれは。
「おととい?」
 ボクは詰め寄った。
「ま、まぁ、別に隠す事でもないですし…教えて差し上げますわ」
「被告人の証言を許可します」
「だれが被告ですかっ!」
「いいから言う言う」
「……」
 ウイッチは乱れた髪を整えつつ、話し始める。
「断っておきますけど、わたくしが心当たりがあると言っているのは、あくまでも本日シェゾが居る筈だと言う事柄に関してのみです。だから、シェゾが居ない理由は本気と書いてマジと読むくらい存じませんからね」
「証言の内容を認めます」
「…ですから何時からここは法廷になりましたの?」
「被告は不要な発言を控える様に」
「……」
「で? その理由ってなぁに?」
 今度は抱きついてくるアルル。
「あの…」
「気にしない気にしない。ささ」
 奇妙な慈しみを感じるそのしぐさ。
 多分、どうでも真実を話させる、と言う意味なのだろう。
「…わたくし、四日前にシェゾとお会いしていますの」
 ウイッチはアルルの行動に対する追求を諦め、話し始めた。
「どこで?」
「わたくしのお店ですわ」
「ほー」
 シェゾは元からウイッチのお店の常連さん。
 調合はともかく、材料の品揃えに関しては自負してもいいくらいの豊富さがあるらしいから、何もおかしくはないね。
 うん。
「おとといの午前中、いえ、お昼前と言うべきですかしら? そんな時間に、シェゾが私のぬくもりが欲しくて、逢いに来てくださったのです」
「ゲンドウハセイカクニ」
 鼓膜に、地獄の底からの呪文が響く。
「…わたくしのお店に、あるお薬を調合してもらいたいと、来てくださったのですわ。まぁ、わたくしのお店はこの辺りでは随一の魔法薬専門店ですから、当然ですわね」
「随一って言うか、唯一ね」
「お黙りあそばせ」
 ウイッチの視線が突き刺さる。
「ハイ」
「ちょっと変わった魔法薬でしたけど、えーと、一つは幸い材料が丁度揃っていましたので、三時間程時間をいただいた事で調合できました」
「ふむふむ」
「で…二つ…目…ですが、材料があいにく揃わなくて、その場ではお渡しできなかったんですの」
「で?」
「で、昨日になってようやく材料がめでたく揃いましたので、こうしてお渡しに参ったという訳ですわ」
「どんな材料?」
「守秘義務により証言は出来ませんわ」
「えー? いいじゃない。教えてよー」
「…さっきまで検察みたいだったのに…」
「ん? いいでしょ? おともだちおともだち」
「……」
 ウイッチはとりあえず反論する気を失い、なし崩しで話し始める。
「これ自体では…その、あまり効能はナイと言いますか、不完全と言いますか…」
 さっきから、ウイッチの言動の歯切れが妙に悪い。
「あのさぁ」
「は、はい?」
「シェゾは、二つの薬を注文したの?」
「二つ…と言うか、複数になったと言うか…」
「なった?」
「いえ、その…」
 怪しい。
 すっっごく怪しい。
 同時に、ボクは今シェゾが居ない事に何かイヤな関連性を感じ始めていた。
「ウイッチ、そのクスリって、一体…」
 ボクの質問にウイッチがうろたえる。
 その時。
 家の奥から、小さくだが勢いよく水に何かが落ちる音が響いた。
「!?」
 ボク達は同時に振り向く。
「今の音…」
「鍾乳洞の方、ですわ」
「奥に水脈、あるもんね」
 初めて聞くボク達以外の音。
 ボクとウイッチは音のした方向へ走った。
 数分後。
 建物らしい構造が無くなり、天然の鍾乳洞に変わり始めた光景と共に、視界に地下湖が
広がり始めた。
「この辺?」
 ライトの呪文を唱え、アルルとウイッチは周囲を見回す。
 地の利の無い場所とはいえ、シェゾの家の中には一応違いない。
 二人には不安よりも、先程の音は何かという好奇心の方が先立っていた。
「!」
 アルルは何かの気配を感じた。
「そこ!」
 アルルはライトを指向性に変え、洞窟の奥を照らす。
 と、同時に一瞬スポットライトとなった明かりの先に人の影が浮かび上がる。
「うわっ!」
 そして声と共に消えた。
 同時に、何かが水に落ちた音。
「ぶはっ!」
 声と共に、湖面の奥が波を立てて跳ねる。
 二人は指向性に変えたライトで、湖面を照らし出した。
「…人?」
「ですわね…」
 湖面をさざ波立てるそれ。
 それは、もがく様にして泳いでいる小さい人間だった。
 光を感じたせいだろうか。
 無意識にこちらに近付いてくる。
「あ、え…えと、こっち! こっち!」
「もう少しですわ!」
 二人はとりあえず救出に頭を集中させる。
 目の前で人がおぼれているのだから当然の話だった。
「もうちょっと! 手伸ばして!」
「今ですわ!」
 二人が同時に手を差し伸べる。
 びしょびしょの服が絡みつき、殆ど手は隠れていたが、袖ごと掴みとる。
 二人で両手を差し伸べた為にライトが消滅したが、とりあえず問題はない。
「よいしょ!」
「ですわっ!」
 暗闇となった世界で、二人は力任せにそれを引き上げた。
 岩に水が落ちる音と、水浸しの服がぶつかる音が響いた。
「ごほっ! ごほっ!」
 続いて咳き込む声。
「キミ! 大丈んぎゅ!」
「しっかりしふぎゃ!」
 手を伸ばそうとして、アルルとウイッチは鉢合わせする。
 ごん、と鈍い音が響いた。
「ラ…ライト!」
 アルルが視界を揺らめかせつつ呪文を唱える。
 ようやく、世界に明かりが灯った。
「ごほ、ごほ…」
 明かりに照らされ、ずぶぬれの背中が光を反射する。
「大丈夫ですの?」
 ウイッチが、うなだれて咳き込むそれの背中をさする。
 見た感じ、ウイッチよりも更に小さい子供らしかった。
 さする背中は、ウイッチのそれよりも小さいだろう。
「あの、怪我は…な…ない…です…か?」
「ウイッチ?」
 ウイッチの時が止まる。
 何事か、とアルルも少年の顔をのぞき込む。
 そしてアルルにも、急速に得も言われぬ感覚がわき上がっていた。
「あの…キミ…キミ…って」
 まだ咳き込んだままの少年は顔を上げられない。
 だが、その頭は二人にとって忘れ得ぬ特徴を持っていた。
 水に濡れ、更に艶やかとなったそれは銀髪。
 あり得ない。
 だが、咳き込んでいるだけの声にすら何か聞き覚えがあると思えた。
 少年特有の甲高さがあるが、それでも何か聞き覚えがあるとしか思えぬその声。
 二人が固まっている中、ようやく咳が治まった少年が、大きく溜息をつきながら顔を上げる。
「……」
 二人は息を呑む。
 前後不覚と言った表情で顔を上げた少年。
 その瞳は蒼。
 そして、その顔の輪郭。
 幼くも整い、将来を約束されたかの様な美しさを匂い立たせる幼顔。
 二人は確信する。
「…シェゾ?」
 声は同時。
「?」
 まだあどけない表情を残す金髪碧眼の少年。
 ずぶぬれの少年は、きょとんとした顔で二人を見ていた。

 
 

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