魔導物語 pluckily potion 最終話 fear 「ああ…。ど、どうしたら…」 ウイッチはただおろおろとするしか出来なかった。 目の前で彼が、シェゾが絶体絶命だと言うのに、自分は何も出来ない。 しかも下手な行動は相手を悪戯に刺激するだけであり、今のそれは彼に致命的な事になりかねないのだ。 「わたくし…、一体…」 ウイッチの瞳から大粒の涙がこぼれる。 わたくしが、こんな事に付き合わせなければ…。さっさと、用を済ませられるような格好で事を終わらせていれば…。 バスケットからはみだして、地面に転がる土まみれのランチが悲しい想いを代弁する。 後悔の念はウイッチを覆い尽くすようにして湧いて出る。 だが。 「…やってくれる」 その状況の中、シェゾは口元にニヤリと不敵な笑みを浮かべる。 体は不自由となり、あまつさえ闇の剣を手から離した状況と言うのに。 そんな状況だと言うのにシェゾは一つ深呼吸すると、ふっと目を閉じた。 −!! ラティオが驚愕した。 それは、彼から湧き上がる力の波動。 痣どころか、骨が砕けそうな力で締め付けていた蔦が、まるで土くれを砕くみたいにぼろぼろと崩れていく。 腕に突き刺さっている枝も、かけら一つ残さず彼の体から消え去った。 相変わらず膨大な力渦巻くその場だった。が、そこを支配する力は、明らかに先程とは異なる力に替わっていた。 −な…、何だ? これは? 「おい、お前、ちょっといきがり過ぎたな」 シェゾは冷酷に唇の端を持ち上げた。 その瞳は奥が見えない暗黒の波動を放つ。漆黒だというのに、眩しく思える程に純粋なその闇は輝いた。 ウイッチは、これだけ遠くから見ているにも関わらず、背筋が痛いくらいに凍り付くのを感じた。 「シェ…」 言葉が出ない。いや、出す事を許されなかった。 恐怖がウイッチを縛り付け、息をする事すら彼の前では許されない様な気がした。 −お、お前は…。何なのだ? この忌まわしい力は! ラティオはその体で驚愕する。 「忌わしい? …ほんの少しつまらん力を得た程度の下等な精霊ぶぜいが、この俺に傷をつけるほうがよっぽど忌わしいぜ」 −う、うお…。 あからさまな恐怖がラティオの体を駆けめぐる。 「ラティオ、運が良かったな」 シェゾは冷酷に笑いながら告げる。 ラティオにはその意味が分からない。 「俺は、お前みたいなやつが嫌いなんだ。たっぷり神様に懺悔しながら地獄へ行けるぜ」 シェゾが睨んだ。 ただそれだけ。 ラティオの球状の体がマスクメロンみたいな無数のヒビに包まれる。 −……!!! ラティオは声を出せなかった。 奇妙な色の体液が果汁の代わりに溢れ、周りの土を嫌な色に変える。 森に住む精霊にして、その地面を染めた色はあまりにも異質。 そんな世界を見てシェゾは酔ったように言う。 「綺麗だぜ。ラティオ。…いや、『Simulatio』」 −!!!! ラティオは脳を割られたような衝撃を受ける。 何故、この者は私の『名前』を知っている? 何故、生まれてから『誰にも』言っていない私のナマエを、知っている…? シェゾはそんなラティオを再び睨む。情の欠片も無かった。 今度は、その体が叩き割られた西瓜のように頭から裂け始めた。ヒビは無数にその体に走り、それはザクロを連想させる。 「一つ、教えてやる。俺はな、味方には味方だが…敵には、悪魔だぜ」 邪悪なる者。その事実は、シェゾの冷たい感情を揺り起こすに充分だった。 シェゾの背中に、黒い羽が見えたのは気のせいだろうか。 −…五百年前…。なぜ、それを知っている…? お前は…オマエハ…!! まさか…! 貴方様は…。 ラティオは割れたタマゴみたいに崩れ落ち、そのまま動かなくなった。 「…出来そこないは永遠に出来そこない、か。主たる闇の波動も区別出来ないんじゃな」 シェゾはもう一度溜息をつく。 つまらなそうに、寂しそうに。 闇の剣から聞いた事があった。 何代か前に、学者肌の闇の魔導士が居た。 そして彼は何の気まぐれからか、魔法生物の研究を熱心にしていた。 やがて、その研究は一人の精霊を生み出す。 だが、どういう性格を作ろうとしたかは知らないが、その者は、純粋にして邪悪、狡猾に人をだましてはおのれの命として、力として相手を食らう化け物となった。 その名を『Simulatio』、偽善という名の邪精。 甘い蜜を餌に、獲物を呼び寄せては食らう者。 同じ闇魔導を源とする奴が相手では、それを意識しなければそうそう気配を感じられるわけは無かった。 同じ香りの花ならば、弱い匂いが強い匂いに勝てるわけが無い。 「…まさか、こんなところで会うとはな」 だが、内心シェゾはホッとしていた。 幸いにもウイッチにその手が及ぶ前に事は済んだ。もし、ウイッチに付き合っていなかったら恐らくはラティオの餌食となっていた。 「そうだ。ウイッチはどうした?」 シェゾは崖の上を見る。 そこには、殆ど放心状態のウイッチが腰を抜かし、ただ恐怖に泣いていた。 「…ウイッチ」 シェゾは立てるか? と手を差し伸べる。 と、ウイッチは反射的にびくりと身を強張らせた。自分の体を抱きしめ、その手は、体は震えている。 「……」 シェゾはその手を引っ込める。 ウイッチの怯えた瞳は、明らかにシェゾを恐れていた。 そりゃそうか。 たった今、俺の戦いを見たんだからな。 容赦の無い、残酷な殺しを。 ウイッチは、解ったのかもしれない。 俺の正体が。 「…ウイッチ、もう、お前の畑は無くなった。結界も。ここからなら、箒で帰れる」 シェゾは『さよなら』の代わりにきびすを返し、立ち去ろうとした。 「?」 そんなシェゾの服が引っ張られる。 振り向くと、ウイッチがガタガタと振るえながらも必死にシェゾの服の裾を両手で握り締めていた。 「無理するな」 そういうが、ウイッチはぶんぶんと首を振って、意地でもその手を離そうとしない。 涙をぼろぼろとこぼしながらも、とめどなく湧き上がる恐怖と必死に戦っている。 「…い、いや…。絶対、いやです…」 その瞳は変わらぬ決意。 噛み締める唇は誓い。 「…立てるか?」 シェゾはもう一度手を差し伸べる。今度はウイッチも手を出した。 だが、腰が抜けていた。足が役に立たない。 ウイッチの瞳はおずおずと訴える。 「…よっと」 シェゾは、ぬいぐるみを持ち上げるみたいに軽々とウイッチを抱き上げた。 彼の腕に抱かれ、ウイッチは気が抜けたように声を出して泣き出す。ただし、シェゾの服を掴む手は絶対に離そうとはしない。 恐怖を打ち消すかのように夢中でシェゾにかじりつき、泣いていた。 「うう…ひっく…ふ、ふええ…」 ウイッチは恐怖と意地に挟まれて泣き続ける。 あまりに泣き方が幼いので、赤ん坊がよくやる様な、食べたいのに眠い、眠いのに食べたい。そんな時の我侭な泣き方を連想させる。 恐いのに。 今抱かれている彼が、どうしようもなく恐いのに。 でも、絶対にこの手を離したくない。 例え自分に剣が向けられようとも。 彼が恐い。 でも、彼が居なくなるほうが恐い。 離れられる方がよっぽど恐い。 そんな感情がごちゃまぜに交差する。 理解できない感情にウイッチは混乱するしかなかった。 とにかく、それでも何でもこの手だけは離したくない。 それだけがウイッチの心の支えだった。 「…ウイッチ、このまま、帰っていいのか?」 ウイッチは鳥みたいにこくこくと頷く。 二人は山を降りた。 山は今、異常な静寂につつまれている。 幕が下りたかの様にその山は息を潜める。 動物も、虫も、他の精霊達すらも。 それが現実だった。 山は、シェゾの力に、ラティオなど前座以下だった、と改めて恐怖を感じたのだ。 それが、闇魔導。 シェゾは、あんな化け物よりも尚恐れられる自分のその忌むべき、かつ純粋なるその絶大な、絶対的な力が嫌じゃないといえば嘘になる事を知っている。 そんな力と既に一心同体であることも。 そして、そんな自分の正体を知っていても尚、近づこうとする物好きが居る事も、知っていた。 自分の腕の中で泣くか弱き、小さき少女。 しかし、その少女のなけなしの握力で握り締められた自分の服。 それが、どんなにシェゾの心を癒すか。どんなにシェゾの優しさを引き出すか。 少女はそれを知らない。 |