魔導物語 pluckily potion 第五話 collision 一度気配を覚えてしまえば、その追跡は簡単だ。 例えとしては何だが、犬はあの嗅覚を持ってして匂い過ぎで悩むと言う事は無い。それは犬が必要な匂いを取捨選択できる能力を持っているから。 だからシェゾも、空気中に無尽蔵に交錯する波動の中から、それだけを敏感に感知する事が出来た。 そして、それは相手の望むところでもある。 −来る。 −さあ、ここに…。 そこは、森にして森にあらず。結界という名の異空間だった。 普通の人や、並程度の魔導士ならば気付く事すら出来ないであろう結界。 そんな結界が揺れた。 空気が摩擦を起こし、分子が弾けて光を起こす。そんな光に包まれて、シェゾは姿を現した。 「…御大層な結界だ」 シェゾはガラスのように、しかし強力に張られていた結界を粉々に打ち砕き、それと対峙した。 −ようこそ。我が世界へ。 その美しい人形は凍るような笑みを浮かべてシェゾを迎えた。 「…お前は、誰だ?」 −私はラティオ。そこのお嬢さんの友人だった。 ウイッチが、ラティオの後ろで木にもたれかかって気絶していた。 「…ウイッチは返してもらうぞ」 シェゾは、その目の前の存在を疎ましくも思わずにずかずかとウイッチに歩み寄る。 ラティオも、何故かすんなりと道を開けた。 「ウイッチ! おい、俺が分かるか?」 シェゾはウイッチの頬をぺちぺちと叩く。 「…う…」 ウイッチの瞳がゆっくりと開く。 「…シェゾ」 呆けたようなウイッチ。状況がわかっていないのかもしれない。 「大丈夫なようだな。何か知らんが、お前、やばいものに手を出したみたいだぞ。ここは諦めて帰るぞ」 「…え、あ、はい…」 シェゾはウイッチの手を引いて彼女を立たせる。どうやら、体に異常はないようだ。 そして、足元おぼつかないウイッチの手を引きながら後ろを向く。 −……。 そこに居るのはラティオ。 「! ラティオ…」 ウイッチの目が覚めた。 ラティオは、変にニヤニヤとしながら黙って見ている。 「…言うまでもないだろって顔だな」 シェゾはウイッチの背中を押して、この場から離れるように促す。 「シェゾ…?」 「ラティオ、十秒よこせ。その後なら相手してやる」 −いいだろう。 「ウイッチ!」 シェゾに一喝され、ビクリを身を跳ねさせるウイッチ。場の空気を読み、後はとにかくその場から離れる事にした。 自分の命を守るために下してくれた命令に忠実に従うウイッチ。 草の生い茂る坂を何とかよじ登り、その高みに登りついた頃に丁度十秒が経過した。 シェゾが待っていたと言わんばかりに身構える。 −さて…。 ラティオがその目を光らせた。死闘は始まっているのだ。 「!」 シェゾを圧倒的な重力が襲った。 少し離れた場所にころがっていたウイッチのバスケットも被害者となる。バスケットの中にある瓶がタマゴを踏むみたいにあっさりと押しつぶされ、バスケット自体もパンケーキみたいに潰れて変形する。 「シェゾ!」 高みのウイッチが息を飲む。 「…く!」 ふんばるシェゾ。足元が既に5センチは陥没していた。 −……。 ラティオは、つまらない、とでも言うように鼻で笑うと、重力のベクトルを斜め上に切り替えた。 「うお!」 シェゾが小石を投げたみたいに吹っ飛んだ。 そして、巨木にしこたま背中を打ちつけ、一緒に落下する木の葉や果実もろとも、地面に体を叩きつけられる。 「ぐ…」 攻撃の隙が無い。 ウイッチにはそう見えた。 シェゾは、ゆらりと立ちあがる。 「……」 肩で息をしていた。 −もっと強いだろう? その程度では食いごたえがない。 圧倒的余裕。 そう、その科白は言っていた。 しかし、次の瞬間。 「成る程。異質に感じないわけだ」 まったく平常な言葉。 そう言ったシェゾはその場から消えていた。 −? 何かが飛んできた。 何かとしか思えなかった。 人が、このような速さで動けるなどと、ラティオには信じられなかったから。 空気が音を出して裂ける。 シェゾの剣が、その圧倒的な威圧感を持つ霊体に袈裟懸けで一直線の筋を刻む。 そして、そこからラティオの体は布のように切れた。 −!? だが、その体は水の様に揺らいで元に戻る。 ラティオは跳ねる様に距離を取り、まぐれだとばかりに今度は突き刺さるような波動を放って襲いかかる。 だが、それは何もない空間に無意味な衝撃を起こしただけだった。 シェゾが、今離れた場所に居た筈のシェゾの剣が、再びラティオの体を切り裂く。 ラティオの目には、シェゾが歩いてきて無造作に剣を振ったみたいに見えた。まるで、自分の体の動きの方が重くなったように思えた。 切り裂かれたその体は再び瞬時に元に戻るが、斬れないはずの体が切り裂かれると言う事実に驚愕の色は隠せない。 しかも、斬れるだけではない。 治ったと思っていたその部分は、エクトプラズムが崩壊を起こしていた。 後一回でも斬られれば多分戻らないだろう。 −…!! な、なぜだ! 「何故? 五百年も生きている割に鈍いな。いや、五百年も生きてボケちまったか?」 その言葉にラティオは激昂する。 精霊は人型を止めた。 その姿は不気味に膨れあがり、赤黒い肉とおかしな色に枯れた木々、異様なゼリー状の皮膜に覆われたミートボールとなる。 ただ、その大きさは見下げていた先程までの小ささとは程遠い、見上げる程の巨体。平屋建て民家の屋根くらいまでの高さがあった。 「……!!」 ウイッチはその美しかった精霊の異様な変体に言葉を失い、思わず胃からこみ上げるものを手で押さえる。 その姿も当然ショックだが、自分があれだけ美しい精霊と思って接してきた事実との隔たりは、よりその衝撃を増大させた。 そしてシェゾは…。 「…ふう」 くだらない、とでも言いたげに溜息をつき、十数歩も歩けば手で触れられるその距離にしてコキコキと肩を鳴らし、マラソンでも始めるみたいにウォーミングアップしていた。 「ごほ! ごほ! …シェ、シェゾ! は、早く逃げて…!」 腰が抜けたウイッチが、丘の上から必死に体を突き出してシェゾに呼びかける。 「下がっていろ。そんなところから落ちたらお肌に傷が付くぞ」 シェゾはまるで平常だった。 「だ、だって! だって! あなただって、さっきは…!」 おろおろと言葉を投げかけるウイッチ。 今は確かに攻撃を当てた。しかし、それはさらなる力を呼び出すスイッチとしてしまったのだ。ウイッチには、シェゾが更に自分を不利にしてしまったとしか思えなかった。 最初の、木の葉のように跳ばされたシェゾの姿が脳裏に鮮明に思い出される。 あんな攻撃をまた受けたら…。 一体、あの不気味な体からどんな攻撃を繰り出すと言うのか? 生物の姿とすら思えぬその容姿に、ウイッチは恐怖するしかできなかった。 醜い肉団子の表面が波打つ。 シェゾは斜に構え、下段の剣で神経を研ぎ澄ます。 絶対の攻防一体姿勢だ。 風きり音が聞こえた。 「が!」 その声はシェゾ。 「シェゾー!!」 ウイッチが悲痛な声を上げた。 ラティオの攻撃は、本体からではなく周りの木々からだった。 枯れ果てたと思っていた枝が新芽のように勢いよくその体を伸ばし、あるものはささくれた鋭い先端をシェゾの右腕上腕に突き刺し、またあるものは蔓のようにシェゾの腕や足、胴体に巻き付く。地面を除いてほぼ全周から同時に繰り出される、見事な連携だった。 突き刺さった枝が神経に触ったかもしれない。シェゾは大きく痙攣した。 「シェゾ!!」 そして、あろう事か命綱とさえ言える闇の剣を、いともあっさりと地面に転がしてしまった。 「…く…」 シェゾの右手の感覚が失われていた。 巻きついた蔦は、万力みたいにじわじわとシェゾを締め付けている。 |